第13話 ロストルム掃討戦
車が事故を起こした現場を見た事がある。最初に、耳に音が叩き付けられるのだ。心臓は叩かれたように鼓動を早め、目はこれでもかと言うほど見開かれた。体の中は血流がめまぐるしく流れて忙しいのに、体はピクリとも動かなかった。何かで固定されているかのように。
あの時に匹敵する音が響いた。響く、という言葉すら弱々しい。
盾を構えるハンたちの足元の土が盛り上がっている。踵や足の側面によって抉られたのだ。私二、三人分にだって匹敵する筋肉の持ち主ハンが、前からの衝撃で押し込まれている。今もなお、じりじりと土が抉られていく。
ギャア、と明らかに人間の声帯から発せられたものではない鳴き声が、男たちの怒号の隙間を縫って響き渡る。コラボでもあるまいに、ハンたちが隙間なく並べた盾と盾の間から、長い口先が捻じ込まれる。
ロストルムだ。見間違えるわけがない。クラスメイトたちを次々と食い千切った牙を。冷酷そうな、ぎょろりとした目を。
槍が隙間から飛び出たロストルムの鼻先に向けてつき出された。驚いたロストルムが慌てて首を引っ込める。その隙に、盾の壁は再び硬く閉じられた。
「行くぞお前ら!」
ラスが大声を上げた。部下たちが呼応し、側面へと回り込むため武器を手に走る。
「篠山さん!」
上原が私の左腕を取り、引き摺るような勢いで引っ張る。呆然としていた私は、つんのめりながら彼に続いた。
戦術はシンプルだ。ロストルムがハンたちに衝突し足を止める。その隙に他の部隊で囲い、殲滅する。私たちはその包囲網の一つで、中にいるロストルムを討つ。ただそれだけ。
その『それだけ』が、いかなるものか。
包囲網の中は、獣臭さと血の生臭さが充満する死地だった。四方八方から音がする。剣が身を引き裂く音、鎧に牙噛み付き立てる音だ。当初の予定とは違う、乱戦が繰り広げられていた。
向こうで、ラスが雄たけびを上げていた。両手で構えるのは片刃の斧だ。彼に一匹のロストルムが飛びかかった。両手を広げ、組みつくようにして突進してくる。足に比べて細い腕だが、弱いわけじゃない。手から伸びる鉤爪と相まって、爪にかかれば、そのまま捕まり身動きを封じられ、頭をまるかじりにされる。
だからラスは、頭ではなく、腕を狙った。タイミングを計り、ロストルムの左腕目掛けて斧を振り下ろす。狙い違えず、ロストルムの左腕は斧の一撃で切り飛ばされた。ラスは振り下ろした勢いに引き摺られて前に倒れる。そんな彼の頭上を、ロストルムの右腕が通過する。倒れたのはわざとだ。攻撃と同時に回避も行っていた。証拠に、ラスは柔道の受身のような前転を見せ、すぐさま立ち上がった。反転し、斧を今度は下段に構える。
腕を失ったロストルムだが、奴を襲ったのは斬られた痛みだけではなかった。傷口からは煙が昇り、切断面は赤く爛れている。赤いのは血ではない。炎症だ。ラスの斧は刃に炎を纏っていた。レーザーで物体をカットするような、切断、というよりも溶融効果を発揮していた。同時に、やけどによって斬りつけた相手の動きを鈍らせる効果があるのだ。ロストルムはラスに向かって威嚇するように大きく口を開けて鳴いた。その口を塞ぐように、ラスの斧が斜め下から叩き込まれる。下顎だけを残し、ロストルムの頭が宙を舞って、ボデン、ボデンと落ちた。残されたロストルムの体は、全身から力を失って横倒しになった。その時には、もうラスの姿はその場から離れ、次のロストルムへと向かっている。ほんの数秒の出来事だった。
そこかしこで、同じように戦いが繰り広げられていた。ラスのような一方的な戦いはほとんどなく、個人個人の戦況は、ほぼ拮抗状態にあった。傭兵の攻撃は、剣でも槍でも、ロストルムに躱されるか、当たったとしても効果的な傷は与えられず、反対にロストルムの牙や爪は容易く届く。盾で防ぎ、防ぎきれなかった物も鎧によって致命傷にはならないが、衝撃はそのままだ。打ち身による痛み、体力の消費は免れない。それを、傭兵の側は他の傭兵と協力し、多人数で当たる事で劣勢を押し返している。一人が防ぎ、もう一人はその間に体勢を立て直し、ロストルムを引き剥がす。
そんな戦場を、私は他人事のように見ていた。昨日から胸の奥でくすぶっていたもやもや、そこから派生した無気力のために呆然としているわけではない。
端的に行ってしまえば、『場』に呑まれていた。場が発する空気、熱量、音、臭い、何もかもが刺激的に過ぎた。頭の許容量を超えている。
「何してやがる!」
怒声とともに、襟首を勢いよく引っ張られた。力任せに引っ張られた私の体は、こらえる事も出来ずに背中から地面に叩き付けられる。一瞬の瞬きの間に、目の前の光景は変わり、誰かの後姿が瞼に飛び込んでいた。
バーリの背中だった。彼が前方に盾を掲げると同時に、ロストルムがぶち当たり、盾も彼の体も軋ませる。
「ぐ、のっ!」
バーリが盾を横に払う。体を盾に押し付けていたロストルムは、力を流され、一歩大きくつんのめった。踏み出した足が地面を掴み、急ブレーキをかける。ギュウと忌々しそうに鳴くロストルムが、首をこちらに曲げた。双眸がバーリと、その後ろで尻餅をついている私を捉えた。
「早く立て!」
ロストルムから目を離さずに、バーリが怒鳴った。
「死にてえのか! 早く立て!」
よたよたと声に従う。手足がどこかおぼつかない。遠隔操作でもしているかと思うほど、頭からの指示に体が反応するまでにタイムラグがある。自分の体かと疑ってしまほどだ。
「しっかりしろ! 気を抜くんじゃねえ! 戦場だぞここは!」
「え、あ」
返事すらもおぼつかない私に業を煮やしたか、バーリは叫んだ。
「死にたくなきゃ逃げろ!」
声に反応して、しかし走ったのはロストルムの方だった。再びバーリに向かって突進を繰り出す。バーリは腕だけ出なく、肩も盾に添えた。腰を落とし重心を下げて、ロストルムの衝撃を受ける。食いしばった歯の音が聞こえそうだ。
全力で迎え撃ったはずだ。それでも耐え切れず、バーリはたたらを踏んだ。片足が浮き、バランスを崩す。ロストルムはそこを見逃さない。すかさず足で大地を蹴って跳躍、間合いを一瞬で詰め、ふたたび盾にアタックした。今度こそバーリは弾き飛ばされる。盾を手放さなかったのはさすがと言うべきか。盾を上にしてバーリは仰向けに倒れ込んだ。そこを、ロストルムが襲いかかる。盾の上に飛び乗り、爪で盾を引き剥がそうとし、開いた隙間から口をつき入れてバーリを噛み砕かんとする。そうはさせじとバーリも必死の抵抗を見せた。だが、両手で盾を持っているバーリは、ロストルムのアギトを防ぐ術がない。今は盾で防いでいるが、乱杭歯の間から漏れたロストルムの涎がバーリの顔にかかっている。牙が顔をつき破るのも時間の問題だった。
「わぁあああああああ!」
悲鳴のような甲高い声を上げ、ロストルムの横っ腹に上原が特攻を仕掛けた。刀を腰だめに構え、体ごと突き刺す。驚きと苦痛でロストルムが飛び上がる。
「うわっ」
ロストルムにつられて、上原も飛び上がった。彼の刀がロストルムに突き刺さったままだ。変則的なロデオが始まった。ロストルムがその場でぐるぐると回り、体に刺さった刀を抜き、ついでにしがみついている上原に噛み付こうとする。上原は振り落とされないように刀にしがみついている。
このままずっと回り続けるのかと思ったが、もちろんそんなことはなかった。突き刺さっていた刀がすっぽ抜けたのだ。遠心力で上原が飛ばされる。ロストルムは今度は上原に目標を定めた。口を開けたまま尻餅をついている上原に向かって走った。アギトが上原の頭を噛み砕く、その直前。
ガリ、とロストルムの牙は異音を鳴らす。噛み付けたのは上原の頭ではなく、彼の刀だった。間一髪、上原はロストルムの牙の前に刀を挿し入れ、頭を砕かれるのを防いだ。それだけじゃない。ロストルムが噛み付いた位置は、上原にとって好都合だ。
「くたばれ、化け物ぉっ」
上原が刀に魔力を注ぐ。刀身にはめ込まれた宝石が輝き、汲み込まれた術式による命令を遂行する。
刀身を咥えていたロストルムの後頭部から、細長い円錐が飛び出した。グエ、と一声鳴いた後、ロストルムは動かなくなった。
上原の刀の板のような刀身は、実は全て魔力を込めて作られた、特殊な砂で出来ていた。普段は刀の真ん中を通る芯に磁石のように引っ付いているが、魔力を込めると所持者の意思によって形を変える。今のように針のように形を変えて伸ばし、相手をつき刺すことも出来れば、盾のように広げて攻撃を防ぐ事も出来る。慣れれば鞭のような使い方も可能との事だ。
頭を貫かれて即死したロストルムの巨体が、上原に向かって倒れ込んできた。押しのけようともがく上原を、バーリが助け起こしている。
「ありがとう、ございます」
「こっちこそ助かったぜ」
そう言ってバーリは上原の肩を叩いた。私が想像していた、傭兵団に認められる図を、正に上原は体現していた。
どこか遠くで、勝ち鬨が上がる。ずっと響いていた戦いの音が、徐々に失われ、戦場に広がっていく勝ち鬨によって掻き消されていく。ロストルム掃討戦が、終わったのだ。
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