第12話 狼煙
当日の朝。砂の味がするシチューを胃に収めて、私はラテルの門前にいた。この場所に来たのは、初めてこの国に、この世界に送り込まれた時以来だ。あの時は回りなんか見る余裕はなかったけど、改めて門を見上げる。
何度となく風雨に晒され、ロストルムたち害獣の侵入を防ぎ、人の為に開かれる。取捨選択し、通るものと通らせないものとにわける巨大で無骨な門は、神話にある審判の門を髣髴させた。では、あの門を通れた私は、天国に辿り着けた、わけではない。門は、結局ただの門だ。外と中を繋ぐだけで、目の前には、認識できるだけの事象と現実が広がっている。あるいは、ここを天国だと思う人もいるかも知れないし、地獄と捉える人もいるかも知れない。ただそれだけの話だ。
「よっし、お前ら。準備はいいか?」
馬鹿馬鹿しい感傷に浸っていた私は、ガリオンの野太い声によって現実に引き戻された。彼の前にはずらりと十人の隊長が並び、その後ろに部下十人が並ぶ。私と上原はラスの部隊の一番後ろにつったっていた。心配そうに私を見つめる上原の横目を無視して、ガリオンの話を聞く。集中はしていない。話は聞こえているが、右耳から通って左に抜けていく。頭に何も刻まれない。
原因はわかっている。コンディション不良だ。いや、アスリートが使うようなものと一緒にしたら、アスリートに失礼なのは重々承知だ。だけど上がらないのだ。気持ちが。テンションが。
あの日、ラスから配置場所を告げられた時に、背中の腰の辺りから背筋を伸ばしていた何かが抜けた。その何かが抜けた穴から、やる気や熱意が抜けていった。
なんだか本当に漫画の主人公のようになってきた。訓練が初めて上手くいった時、本気でそう思った。らしくなく、大仰にガッツポーズまでとった。
結果はごらんの有様だ。私たちの出番はない。後ろで見ていろ。
いや、分かっていたはずだ。何度もそう言い聞かせた。
プラエも言っていた。傭兵団の結束について。彼らは互いの命を預けあう。文字通り、命がけの信頼と、それに応え続けた実績の積み重ねで形成されている。そこに戦闘の素人を介入させるかって話だ。
でも、どこかで、期待していた自分がいる。物語の主人公のように、特別な何かがあるって。
無駄に冷静な部分とどこかで自分に期待していた熱い部分が混ざって寒暖差で靄が発生して頭が掻き混ぜられてぐちゃぐちゃで混沌としていて、それが今の、全く何も考えられない、頭の中が真っ白な状況を作っている。混沌と無は密接な関係にあるようだ。
「それじゃ、行くぞ」
開門!
ガリオンが叫ぶと、軋み音を立てながら門が上へと上がっていく。門を支える二つの塔から伸びた鉄鎖が巻き上げられているのだ。
「ね、ねえ、篠山さん。知ってる?」
伺うように、上原が話しかけてきた。
「あの門を巻きあげるのって、人力らしいんだ。凄いよね。何でも機械任せの僕らの世界じゃ考えられないよね?」
ふうん、だか、そう、だか、とにかく気のない返事を返したと思う。自分の口から出たそれさえも、今は覚えていない。その後も、気まずい空気を変えようと、上原は話しかけてきた。その全てを、私は門前払いのような返事でしめ出した。
門が開ききった事で最も安堵したのは、きっと話す事のなくなった上原だろう。
第一部隊から順に、門をくぐっていく。第二、第三、第四ときて、私たち第五部隊の番が来た。ぞろぞろと二列で行進するのは、高校の入学式の時以来だろうか。
遠足のようだ、と思えたのは、ほんの二十分か三十分位のものだった。道に傾斜がつき始めた頃から周囲の様子が変わっていく。砂利道から湿り気のある濃い茶の土へ、芝のような短い草から背丈ほどもある高く密度の高い雑草へと移り変わる。
「そろそろだぞ」
道無き道を一時間ほど進んだ頃、前から声をかけられた。顔を上げると、バーリが肩越しにこちらを見ていた。今の今まで、バーリが前にいた事すら気づかなかった。
「そろそろって、何がです?」
声を出せずにいた私の代わりに、上原が尋ねた。
「そろそろ布陣する予定の場所だ」
「予定って、ここですか?」
「何驚いてやがる。お前さんらも、作戦聞いてただろ?」
「もちろんです。街道沿いのロストルムの駆除ですよね。だから、街道に布陣するんじゃないんですか?」
「馬鹿。ロストルムが大人しく街道に留まってるわけねえだろ。それに、街道で戦ったら、万が一商人が通りかかったら被害を受けちまうじゃねえか。奴らの誰かが死のうが知ったこっちゃないが、もし商人の仲間が死んだのが俺たちのせいにされてみろ。どえらい額の損害賠償を請求されるんだぞ」
奴らは死んでもタダでは死なないからな。そう話しながら、バーリは手近にある、自分の胸の辺りにまで伸びた草を摘んだ。
「奴らに限らず、狩りをする連中は獲物に警戒されないよう隠れているもんだ。例えば木の上とか、こういう茂みに身を潜めてな」
「え、でも、僕らは前に、荒野で襲われて」
あそこには隠れる場所なんかなかったような、と上原は続けた。
「そうだったな。ただ、その時のロストルムの皮の色は覚えているか?」
「皮の色、ですか・・・あ、なるほど、そうか」
上原は合点がいったと頷いた。
「ロストルムは赤茶けた色をして、赤の大地の色に似ていただろう? 伏せていたら、遠目にはただの地面の盛り上がりにしか見えないんじゃないか?」
とにかくだ、とバーリは少し急ぎ気味に結論を話した。
「ここは、奴らが人を襲った街道から近い、隠れ場に適した場所ってこった。一度に多くの餌がとれるとわかれば、奴らは近くに身を隠して休む」
「それがこの辺りってことですね」
「そうだ。もうすぐ奴らは、俺たちのことを餌だと思って飛び出してくるかもしれんからな。気合入れとけよ」
「は、はい!」
調子の良い事だ。冷めた目で上原を見る。
「何か言いたそうだな」
バーリの視線がこっちに向けられていた。
「いえ、別に」
「遠慮すんな。気になる事があるなら言える間に言ってくれ。戦いが始まったら質問を受け付ける余裕が無くなるからな」
むしろ新人は遠慮なくもっと質問しろとバーリは胸を叩いた。頼もしい先輩で嬉しい限りだ。
「さっき、襲ってくるって仰いましたけど、奴らはこっちの行軍に気づいているんですか?」
「おそらく気づいているだろう。鼻も耳も目も良いからな」
「じゃあ、逃げる可能性とかってないんですか。確かにただの人間は、奴らの餌になるでしょうけど、傭兵の軍隊は逃げるどころか、自分を殺しうる相手ですよね。やつらがその事を理解していたら、逃げて、傭兵たちがいなくなってからまたこの辺で狩りを始めるんじゃないですか? そしたら、これって徒労に終わるんじゃないですか?」
篠山さん、と小声で上原が窘めてきたが無視した。気になる事を聞いただけだ。挑戦的な小娘の口の利き方に、バーリは怒るでもなく「良い質問だ」と嬉しそうに顔を綻ばせた。
「お前さんの言う事は正しい。奴らは賢い。ある程度の力量を見定める目を持っている。特に、群れを率いるリーダーは、その目が秀でている。とびきり賢い奴になると、子分に先遣隊みたいな真似をさせて、相手の力量を測る奴もいるくらいだ」
リーダーの個体。脳裏に浮かんだのは、ロストルムの中でも一際大きな個体だ。奴が鳴き声を上げると、他の個体は素早く回れ右して帰っていった。
「ただ、今回はそれをさせない。俺たちの前に出た他の傭兵部隊が、反対側から奴らを追い立てている。奴らが群れを潜ませている場所は、あらかじめ特定していたからな」
バーリの言葉を証明するように、遠くで何かが空に昇っているのが見えた。白い煙だ。煙は一本だけでなく、二本、三本と次々に昇っていく。
次いで、嫌な臭い匂いが鼻に届いた。ツンとした、塩素系の洗剤の匂いを更に強くしたような、ケミカル系の匂いだ。思わず手で鼻を押さえた。
「臭うだろ。あいつらの嫌がる匂いだ。それを撒き散らしているのさ。この臭いで、奴らは混乱する。一刻も早く匂いの元から逃げたくて、隠れる事も忘れて我先にと逃げ出す」
話の途中で、傭兵団にも動きがあった。前の方で動きを止めた一団がいたのだ。
ハンの部隊だ、とバーリに教わるまでもなくわかった。バーリ以上の巨漢たち全員が、重装甲に身を包み、巨大な盾を目の前に構え、槍を盾と盾の隙間からつき出していた。その中でも頭一つ抜け出しているのがハンだろう。ラス率いる第五部隊は、彼らの陣の左後方に位置する。右手には同じように別の部隊が待機していた。俯瞰図で見れば、ハンの部隊を先頭に、矢印のような形で待機していることになる。戦国武将が用いた魚鱗の陣、もしくは蜂矢の陣と呼ばれる陣形に似ているだろうか。中央突破のためのそれら二つの陣と異なるのは、戦闘に配されたハンたちが、攻撃ではなく防御のための部隊だという事だ。
「さあ、来るぞ来るぞ」
バーリの言葉を裏付ける地響きが、私たちに迫っていた。
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