第4話 まだ手は綺麗なまま
「ギース、お前、頭イカレたのか?」
ガリオンが、私の不安そうな顔を見るなり言った。話は通ったとギースに言われ、連れてこられたのはガリオンの執務室だった。執務室と言っても、街の中にある宿の一室だ。彼らの傭兵団『ガリオン兵団』が長期的に借り受けているため、宿と、併設された居酒屋にはガリオン兵団の関係者しかいない。
「こんな、俺の前に出るだけで泣き出しそうな奴だぞ?」
かりかりしている。当然と言えば当然だ。
「それも含めて、先ほど話をさせて頂いたつもりですが」
「分かってるよ。分かって言ってんだよ。あの面見たら、俺じゃなくても、どの傭兵だって同じ意見が口をついて出るさ」
苦々しい顔でガリオンが机をこつこつと指で叩く。
「ギース、俺はお前を信頼している。これまでお前の考えにハズレはなかった。何度もうちの団を救ってきた事は理解しているし、感謝もしている。今回の件も、理屈は分かる。旨みもある。どう転んでも俺たちは損しない話だ」
だが、と立ち上がり、ガリオンはギースの前に立った。二人が顔を突き合わせる形だ。背はギースの方が高いが、恰幅は横も厚さもガリオンが上だ。
「だが、気にいらねえ。この娘がおっ死ぬ事まで計算尽くってところがな」
ガリオンの声は静かだ。だが、怒鳴られたときの何倍も怖い。その声を真正面で受け止めているはずのギースは、そよ風に吹かれた程度の反応しか見せない。
「確かに、娘が死んだ後の事まで考えました。ただ、団長は勘違いなさっている。私は、この話をこの娘にも伝えております。最悪死ぬ事まできちんと。その上で、娘は傭兵を志願しました。志願するものの採用不採用について私は権限をもちません。私が考える事は一つ。入団した場合どうするか、どう運用すれば団の未来のためになるかを考える事です」
「それがさっきの話って訳か」
「そうです」
ギースの顔を見上げていた目が、下を向く。
「おい、貴様」
「はぃ、はい!」
突然呼ばれて、声が裏返ってしまった。
「本気か。本気で俺たちの団に入る気か」
「本気、です。お願いします!」
頭を下げる。後頭部に、彼のため息が触れた。荒い足音を立てて、ガリオンは机に戻る。
「貴様、名前は?」
「・・・え?」
「名前だ」
「篠山朱里です」
「しの・・・何だって?」
「篠山、朱里、です」
「シノヤマ、アカリ・・・長いな」
「あ、長ければアカリで」
「わかった、アカリ。では、貴様の入団を、団長である俺が許可する。ここに署名しろ」
ガリオンがこちらに一枚の紙を突き付けた。A四サイズの紙だが、もちろん私が普段使っていたものとは違う。何かの皮をなめして作った皮紙だ。ギースが用意していた、ガリオンが入団に納得するための旨みが列挙してある。
ひとつ、私の身に何が起ころうと、団は責任を持たない。
ふたつ、私が死んだ場合、私の財産の全てはガリオン兵団に寄贈される。
みっつ、命令には従う。従わなかった場合、団に与えた損害に応じて代償を支払う責任を負う。
よっつ、裏切り行為は、死をもって償う。
手渡された皮紙に書かれている内容は、先ほど説明されたものと同じだった。特に重要なのはふたつ目だ。ふたつ目の契約内容こそ、ギースが説得に重きをおいた部分だ。私の持つ剣は金貨十枚に匹敵する品であり、そのことはガリオンも死っている。それが、私が死んだらタダで手に入ることになる。死ななくても、団のために私が剣を振り続けば団の損にはならない。そこを強調したのだ。
最後まで目を通した。説明を受けた以外の事は、特に書かれていない。それはいい、それよりも気になるのは、この世界の文字だ。不思議な事に、この世界の文字は日本語だった。言葉が通じたのにも少なからず驚いたが、文字まで同じとは思わなかった。ギースに尋ねたら、百年ほど前からこの国に定着した文字だそうだ。それまでは色んな国の言葉と文字が行き交い、解読表がそこら中にあったらしい。誰かが非効率だと言い、言語を統一したとのこと。
「もう一度、よく読め」
ガリオンが言った。
「貴様の人生がここで決まるかも知れんのだ。本当に後悔しないか?」
幾つも死と書かれている文章。ガリオンの言葉。全てが引き返せと言っているようだ。だが、引き返してどうなるという。娼婦の道しかないではないか。剣を売っても、いずれ金は尽きるだろう。待っているのは結局同じゴールだ。
それに、私は元の世界に戻る事も考えていた。死の恐怖を乗り越えた次に訪れたのは、まさしく自分の未来に対する恐怖だった。このままこの世界で生活し、死を向かえるなんて考えただけでもゾッとした。
モヤシも言っていた。戻ってきて話をしようと。奴が戻れたのだ。戻る方法があるはずだ。その方法を探す場合、娼婦よりも傭兵の方が確立が高いと考えた。冷静になってからの頭がはじき出した後付けの理由になるが、しっくりきたこの理由は、私の傭兵への道を後押しした。
「お願いします」
自分の名前をサインした。慣れない羽ペンとインクでのサインは歪な形をしていた。皮紙を受け取ったガリオンは、強く瞼を閉じて、ため息をついた。
「アカリの入団を許可する」
「ありがとうござい」
頭を下げて礼を述べようとしたが、ガリオンが止めた。
「ただし、まだ仮だ」
「仮、ですか?」
「そうだ。俺は貴様の傭兵としての資質を疑っている。貴様は以前、ロストルムから逃げる事しか出来なかった。その立派な剣を持っていたにも拘らず、だ」
「それは・・・」
「使い方が分からなかった、だろ? ギースから聞いた。だが、俺が聞きたいのはそう言う事じゃない。次だ。次奴らと相対した時、貴様に戦う事が出来るのか、ってことだ」
「逃げたから、次も戦う前に逃げるのでは、ということですか?」
「それもある、が、逃げる事は恥ではないから、そこまで理由に対する重きはおいてない。逃げる事も重要だ。生き残らなきゃ、金も名誉も意味はない。逆だ。貴様、これまで人を殺した事は?」
胸をつかれた。言葉が胸を貫いて、頭に直撃した。傭兵だから、当たり前の事だ。戦うのは何も化け物相手ばかりじゃない。戦争になれば、雇われた先で敵兵と戦う事もあるだろう。
「ないんだろう? 見りゃ分かる。剣だってこれまで持った事もないんじゃないか。そんなすべすべの手じゃ、剣がすっぽ抜けちまうからな」
「それは・・・」
「人間以外でも良い。猪でも、鹿でも、ウサギでも良い。猟をしたことは? その手で何かの命を奪った経験はあるか? 俺の見立てじゃ、それもないだろ?」
見透かされている。動揺を押し隠しているつもりだが、ガリオンにはばれていた。
「自分の手を血で汚した事もねえ人間と俺たちの間には、でかい溝がある。命を奪うって行為は、そういう行為だ。生きるためとはいえ、な。だから、貴様はまだ仮だ。ギース、この決定には、流石にお前も文句はないだろう?」
「ええ。むしろ支持します。いざという時に戦えない傭兵など、邪魔なだけだ」
「と、いうわけだ。いちおう、仮を取る方法、正式に採用する条件を教えておいてやる。ロストルムを一匹しとめることだ。俺たちは街から出る報酬の他、連中の皮や身、骨、牙なんかを売って生活費の足しにしている。どんなちっこいのでも良い。一匹しとめて、連れてきな。それで、貴様が稼げるというところを証明しろ」
期限は十日だ、とガリオンは言った。
「十日で使える事を証明しろ。でなきゃ武器だけ取り出してほっぽり出す。貴様はもううちの団員で、その武器はうちの管理下にあるんだからな。ギース。後は任せる。仮でも一応うちの団員だ。期限までは面倒を見てやれ」
「かしこまりました」
手で払うような仕草をして、ガリオンが私たちを部屋から追い出した。その彼の手は、分厚く、傷だらけだった。十日で、私はあの手を目指さなければならない。
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