第5話 魔術師
ガリオンの部屋を追い出されてから、ギースに連れて行かれたのは、ガリオンの部屋から出て右に進んだ、廊下の一番奥にある部屋だった。力強いノックを二、三度繰り返すも、返事がない。諦めるのかと思いきや、ギースは勝手に部屋に上がり込んだ。鍵はかかってなかった。無用心だ。それとも、身内しか止まっていないから気にしていないのだろうか。後に続いて中に入る。部屋の中は見た感じ部屋、というよりも倉庫と呼んだ方が正しいかもしれない。そこら中物で溢れていた。大量の本が本棚に収まりきらず、床の上に平積みにされている。石や木の枝が散乱し、布の束が丸めて材木のように積み重ねられている。その隣には大小幾つもの壷が並べられている。大きい物は人間が入り込めるほど、小さい物は五百ミリのペットボトルほどだ。興味をそそられて中身を見て見る。宝石のような、多角形の結晶、粘性のありそうな液体、そして
「うひっ」
背中に怖気が走る。私の一番駄目なものが入っていた。多足の虫だ。ムカデとか蜘蛛とかゴキブリは死ぬほど嫌いだ。そういうモゾモゾしてゾワゾワする虫が、正にみっちりと詰め込まれていた。
「む? いないのか?」
両腕を抱えて震える私を無視してギースは倉庫の中にずんずんと進み、辺りを見渡す。
「誰か、探しているんですか?」
今見てしまった最悪の景色から少しでも意識を逸らせるため、ギースに話しかけた。
「ん、ああ。この部屋の主、うちの魔術師だ。その辺で寝ているかと思ったんだが・・・」
そう言って、そこら中に散らばる良く分からない何かを無造作にひっくり返して行く。そのたびに、部屋に埃が舞い上がる。あっちでボフン、こっちでボフンと、汚い花火が上がる。この状況下で眠れる人間がいるとは思えなかった。いるとしたら、よほど精神の図太い人間か、変人だ。両方合わさった無敵の人種かもしれない。
「あの、聞いても良いですか?」
「何をだ? 答えられるものなら答える。答えられないものは答えないが」
何で先に線を引くのだろうか。とにかく聞いて見なければ分からないのは同じだ。
物で溢れたこの部屋と比較するのもおかしいが、ガリオンの部屋はテーブルと簡易ベッドと燭台、家具はその三点のみで殺風景な部屋だった。長く逗留しているというから、もっと生活感が出ているかと思ったが、そんな事はなかった。私物はベッドの横に立てかけられた無骨な剣と斧、そして鎧一式くらいだ。傭兵団の団長なら、もっと贅沢をしているものと勝手に思い込んでいた。
「確かに、お前の言うような傭兵団の団長もいるだろうが」
そう前置きしてギースは、そんな団長は一握りだと言った。
「傭兵のほとんどは、次男坊や三男坊の集まりだ。何故か分かるか?」
「え」
問われても、この世界の職業事情なんて分からない。
「我々もお前と同じなんだ。長男が家の家業を継ぐのはこの世界では当然。家の家業が大きなものであれば、手伝いとして次男以下も働ける。けれど、そうでなければどうなるか。小さな畑しか持たない家族では、長男家族を養うので手一杯だ。家柄も土地も特殊な技術もない家の食い詰め者は出ていかなければならない。しかし、出て行った所で、働けるところなんか限られていて、ほとんど無いも同じ。我々の多くもまた、傭兵しか道が無かった」
先ほど自分が告げられた、娼婦か傭兵しか働き口がないというのは、私だけのことではなかった。この世界ではほとんどの人間に起こり得る、何一つ特別ではない、世界の理不尽だった。
「だったら、何で」
「ん?」
「何で団長は、私の入団をあれほど渋るんですか? 自分だって苦労してきたんですよね? あんなに色々理屈付けなくてもいいと思うんです。確かに私は、団長が突き付けてきた経験はありません。けど、雑用とか、色々あると思うんです。それで少しずつ慣れて、実戦・・・とか出来るんじゃないかなって。・・・考えが甘いかも、しれませんけど」
喋っていて、少しずつ頭の中を弱気が支配して言葉が消えていく。
「そう・・・だな。雑用を経て、団員となった人間もいる。だが、そいつはもう、傭兵になるしかなかった、という理由がある。お前は、違ったろう?」
「娼婦、ですか」
「ああ。死ぬ心配がない。金も稼げる。傭兵よりもマシな商売だ。選択肢が他にあるのに、わざわざ傭兵を選ぶ奴がどこにいる。団長はそう考えたんだろう」
「だからって」
「娘がいるんだ。団長には」
唐突に、ギースは話を変えた、ように見えた。けれど、違う。これは話の続きだった。
「ラテルから西に一週間、クプレという街がある。そこに家族が住んでいて、稼いだ金のほとんどは、そこに仕送られている。これが、団長の私物が少ない理由の一つだ。お前と同年代の娘を育てるために、傭兵をやっているんだ。で、だ。真っ向から尋ねても、絶対に否定するだろうが、団長は、おそらく重ねている部分がある」
親の気持ちがわかるのは、親になってからという。私にはまだ到底理解出来ないものだ。そして、親の気持ちがあると他の子どもも親の気持ちで見てしまうものだろうか。普通の親ならいざ知らず、あの強面のガリオンが、だ。そもそもこれまで、色んな人間を傭兵として雇ってきたのではないのか?
「団長はああ見えて、人員はきちんと選別している。さっきもそうだっただろう? 料理が出来る人間には飯屋を紹介していた。傭兵は本当に、最後の最後の選択しだと考えているからだ」
「自分は、その最後の選択肢の団長なのに?」
「だからだ。悲惨な目にも何度も遭っているから余計に自分からは進めない。暇があったら、他の連中にも聞いて見ろ。全員、傭兵以外に出来る事は無かったと答えるだろうさ。・・・さて、参ったな。どこか行っているのか?」
粗方探し終えたギースが、両手を腰に当ててうんと伸びをした。目当ての人物は不在だったらしい。
き、き、き、と軋みをあげて、ゆっくりと後ろの扉が開いた。
「誰だい? 部屋間違ってるんじゃないかい?」
現れたのは、肉や野菜が盛り込まれた皿を両手に抱えた女性だった。見た目は少し年上に見える。二十代前半くらいだろうか。肌は荒れ、くすんだ灰色の髪は長くぼさぼさで、この女性が体の手入れに対する無関心さが読み取れた。正直もったいないと思う。それらのマイナスがあるにも拘らず、女性は同性の自分から見ても綺麗な人だったからだ。スタイルも良い。長身ですらっとして、モデル体型だ。素直に嫉妬できる。
「プラエ。戻ったか」
ギースが名前を呼んだ。
「あぁ? ギースかい? 何用さね。頼まれていた道具はもう納品したろ?」
「その事ではない。別の頼みだ」
「別の?」
プラエと呼ばれた女性の視線が、こちらに向いた。彼女の瞳は真っ青で、海のように深い色合いだ。見つめられて、どきりとする。
「この子絡み?」
「そうだ。この度、うちに入団したいと志願した。アカリという」
自分の名前が出たので、慌てて頭を下げる。
「アカリです。よろしくお願いします」
だが、返事はない。無視されてしまった。顔を上げると、プラエは怪訝な顔でギースを見ていた。睨んでいた、という方がしっくり来る目つきだった。
「あたしがいうのもなんだけど、本気で入団させる気かい?」
ちらとプラエは私に視線を向け、またギースに戻した。何だかこのやりとり、覚えがある。ついさっき、ガリオンにも同じ事をされていた。
「こんな、戦いすら知らなさそうな子を?」
「一応、本気だ。だから、選抜試験を設ける事になった」
「試験?」
「十日以内に、ロストルム一匹討ち取る事だ」
「十日で? 無理無理」
馬鹿にしたように、プラエは手のひらを左右に振った。
「それが、可能性はありそうなんだ」
「へえ、この子にそういう、戦いの才能でも見出したのかい?」
「いや、そこは未知数だ。だが、アカリの持つ武器に可能性がありそうなんでな」
「武器・・・もしかして、魔道具?」
「ああ。素人目にも貴重なものだと分かるほどの。だから、お前に鑑定を頼みたい。どういう効果が見込めるか。使用方法はどうすればいいか、調べて欲しい」
「ん? いやちょっと待ちな。使い方が分からないってどういうことだよ。この子の持ち物なんだろう? まさか、持ち主が知らないってか?」
「そのまさかだ。本人曰く、この世界に送られる時に貰った餞別らしい。貰ったはいいものの、使い方は教えて貰えなかった」
「この世界? 送る? どういうこった? 一体この子どこで拾ってきたんだい?」
「彼女らの話を信じるなら、彼女たちは別世界からの来訪者、ルシャだ」
ほう? プラエが面白そうに、今度はじっくりと私を眺めた。
「なるほど、確かに良く見りゃ、見かけないような珍しいもん着てるし、ここらのもんじゃねえわな。でもルシャ、か。団長は、伝説でも信じてるのかい? だからこの子を引き入れた?」
伝説? 何だそれ。気になる単語が出てきたが、質問のために口を挟む余裕はなさそうだった。
「いや、団長は渋った。だが、アカリ自身が娼婦よりも傭兵になる事を望んだ。互いの意思がぶつかった結果、入団試験としてロストルムの狩猟が課されたって訳だ」
「なるほど。ようやく話が飲み込めたよ。この子を試験を行える状態にしろってことね?」
そういうことか、そういうことかとプラエは納得したように繰り返した。
「じゃあ、早速取りかかった方がいいやね。ちょっとあんた・・・ええと、アカリ?」
手に持っていた食料をその辺りの棚に置いて、私を手招きした。
「は、はい」
「その武器を貸しな。見てあげる」
「え、あ、はい」
ただ自分の剣を渡すだけなのに、少しもたついてしまった。その様子を見てプラエがからかうように言った。
「急げ急げと急かすつもりはないけど、十日は短いよ。そこは、今からでも自覚しておくことだね」
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