第3話 傭兵志願

 ガリオンが言うには、ラテル守護国では働く女性がほとんどいないとの事。

「以前はまだいたんだ。貴様が言ったように、飯屋の給仕に料理人がな。だが、事件が何件かあった」

 事件の種類は分けて二つ。

 女性の給仕が店の金や食料、貴重品などを盗み、売りさばいていた事。

 雇い主が雇った女性に暴力を振るったり、詐欺まがいの方法で雇い入れ、タダ同然で重労働をさせていた事。

 前者の女性は鉱山へ送られ、過酷な強制労働の刑に処された。後者の雇い主は財産を召し上げられ、処刑された。かなりの重罪となったのは、事件発覚までに何人もの被害者が出ていたためだ。

「そういう理由もあって、どこの店も女を雇うときかなり慎重になる」

 女性側が慎重になるのはわかるが、雇う側が慎重になる理由が分からない。

「考えてもみろ。何もしてなくても、雇った女が暴力を振るわれたと叫んだらどうなる?」

 言われて納得した。店には調査が入り、下手すればこれまで処分された雇い主たちと同じ末路を辿る。

「働けるのは身内か、出自のしっかりした女くらいだ。メイドや教師など他にも女が働く現場もあるにはあるが、そもそもなれるのは貴族や商人の娘で、どこの馬の骨ともわからない女を雇う事はまずあるまい。たとえ、どれだけの教養があったとしても」

「じゃあ、私は先に換金に行ったほかの皆と同じ方法しかない、ってことですか」

「いや、娼婦という選択肢ならある」

 その言葉を耳にした瞬間、目の前が真っ暗になったような錯覚に陥った。

「娼婦」

「ああ。・・・何だ。嫌なのか?」

 不思議そうにガリオンが言う。

 嫌に決まっていた。自分の体を金で売るのは。もちろん、風俗や水商売を下に見るつもりはない。金を稼ぐ仕事に、法律と倫理さえ守れば貴賎はないと思っている。思い聞かせているだけかもしれないし、そんな事を考えている時点で、下に見ているのかもしれない。クラスでも援助交際の話は時折持ち上がっていた。クラスの女子でも派手でヒエラルキーの高い依田や水本なんかは大声で話していた。先輩の紹介がどうの、金払いの良い親父がどうのと。その二人とも、さっきから姿を見ていない。

 身近にあって、それでも自分とは縁遠い話のはずだった。幻想を抱いているわけではないが、初めては恋人が良い。考えた事などほとんどないが、自分も両親と同じように恋愛し、セックスをするのだろうと漠然と思い込んでいた。

 だが、蓋を開ければ、まさに今が貞操の危機だった。人生何が起こるかわからないと言うが、この展開は予想外だった。どうやって予測しろと?

「そんなに悪い物ではないとは思うがな。むしろ他の仕事に比べて、かなり女が優遇される場所だ。最大の障害である身分は問われない。店は清潔に保たれているし、女を丁寧に扱う。住む場所まで与えられる。金をきちんと払う客しか取らない。金を払っても、女に怪我をさせるなど、乱暴な事をすればすぐ出禁になるから、男だってそれなりの態度で接する。何より、一番稼げる。その代わり、逃げたり盗みを働いたら、即重罰が与えられるがな」

 そういう問題じゃないと叫びたいのをぐっと堪える。気づいたのだ。ガリオンと私の娼婦に体する認識の齟齬に。この世界では、娼婦や娼館は私たちのいた時代よりももっと身近なものなのだ。歴史の授業や歴史物の漫画でもあった。特に、こういう戦場近くでは需要が高まるのだろう。命のやり取りが本能を刺激して、種を残そうと性欲をかき立てるから。ガリオンは、ドラマのヤクザみたいに、借金の形に売り飛ばそうとしているのではなく、本当に稼げると、本心から娼婦の道を勧めてくれている。

「じゃあ、どうする気だ? あれも駄目、これも駄目なんて俺が許さんぞ。金は払って貰う。必ずだ」

「他に、何かないですか? 身分を問われない仕事って」

「ああ? 面倒くさいな」

 ガリオンは禿頭を掻いて、右眉だけを器用に上げた。それでも少し考えてくれるガリオンは、見た目や口調の粗暴さに反して、意外と面倒見が良いのかもしれない。こんな大勢の連中を束ねているのだから、それなりの人間性を備えているのだろう。

「はん、他っつったら、あれだ。正に、俺たちみたいな傭兵だ」

 半笑いでガリオンが言った。他の連中もつられて笑った。

「稼ぎもいいし、身分も問われない。代わりに、命をかける事になるがな」

 今度こそ、ガリオンは声を立てて笑った。これはないだろう、と思い込んでいる。

 だが、私は真剣にその選択肢を検討した。真剣、とは言い難いかもしれない。娼婦への拒否反応に加えて、冷静な判断が出来るかははなはだ疑問だ。だって、その時の私の思考と意識は、なぜか自分の手にある剣に向けられていた。

 どうして、ガリオンは換金を申し出た時、あんなに驚いていたのだろう。その考えだけが頭を巡り始めた。もしかして、だが。漫画で良くあるような、凄い力が、この剣に宿っているのではないか。

 こんなことを考えている時点で、冷静じゃない。まともじゃない。わかっている。けれど、一縷の望み、希望にすがりたくなった。追い詰められた人間が行きつく先は、結局の所はそういう、科学的根拠も現実味もない、不安や嫌悪などへの反抗感情が見せる錯覚なのだ。これだけ酷い目に遭っているのだから、その反対、良い事があってしかるべき、それは、一発逆転の冴えたものであるべき、という。

「やります」

「ん? ああ、そうか。その方が良い。知り合いの店を紹介してやる。国の許可を取っているところだから安心できる。そのうち俺もまた利用するから、その時は・・・」

「いえ、違います。そうじゃなくて」

 ガリオンの顔を、今度はきちんと見据えて告げる。

「傭兵、やります」


 ガリオンの顔が、笑いかけ、そして、曇った。

「貴様、何と?」

 聞き返すガリオンの顔は、もう笑っていなかった。さっきもしていた、敵を見るような、冷徹な目つきだ。

「お願いします。私を、雇ってください」

 深々と頭を下げて請う。今度こそ、彼の耳にはハッキリ届いただろう。

「え、お前、冗談だろ?」

「あ、こいつ何て言った?」

「オレ、耳が悪くなっちまったか?」

 周囲の連中が口々に言い、爆笑が起きた。周囲を震わすような笑い声に、何事かと周囲の一般人っぽい人種が集まって人だかりが出来始めていた。

 腰の角度を浅くして、ガリオンの顔を覗ける位置まで頭を戻す。垂れ下がった髪の隙間から、彼の顔が伺えた。険しい顔をして、こちらを観察している。

「うるせえ! 黙ってろ!」

 周囲に一喝を飛ばす。笑い声をかき消すほどの迫力に、全員が黙り込んだ。

「おい。もう一度だけ聞くぞ。何と言った」

 口を開くのも辛いくらい、怖かった。けれど、ここで踏ん張らなければ、娼館行きは免れない。

「私を、傭兵として雇ってください」

「・・・」

 ガリオンの足音が近づく。一音一音が届く毎に心臓を圧迫する。

「ひぎっ」

 髪の毛を強引に掴みあげられた。

「ふざけてるのか?」

 痛みで細まる目で捉えた彼の表情は、能面のように無機質だ。

「ロストルム相手に小便漏らして逃げていたような貴様が、傭兵になるだと? 気でも狂ったか?」

 突き放される。よろめいて、尻餅をついた。蹲る私を、ガリオンが見下す。

「貴様みたいなガキが出来るほど、傭兵は甘かねえ! 舐めるんじゃねえぞ!」

 吐き捨てて、ガリオンは踵を返し、肩を怒らせて街の中へ向かう。他の連中も、彼の後に続いて行ってしまう。上原たちも、私のことを見ていたが声をかける事もなく、連中に「おら、お前らも行くぞ」と連れて行かれてしまった。

 一人、取り残された。

「何故、あんな事を?」

 いや、一人ではなかった。ギースと呼ばれた、ガリオンの副官らしき男だ。顔を上げると、ギースののっぺりとした顔と全てを見透かすような目があった。その目でじっと、私の目と、眼球の奥にある脳を覗き込むようにして喋る。

「普通の女が、傭兵になろうだなんて考えるはずがない。選択肢に昇る事すらありえない。何か、予兆。お前がそう考える予兆があったはずだ。お前は何に気づき、何を知り、何を考えた?」

 片足の膝を地面に着け、視線を合わせてきた。

「答えろ」

 ガリオンのような威圧するような、迫力のあるだみ声ではない。反対で、静かで小さな声だった。けれど、その声は私の頭の中を波紋のように何度も何度も波打って、返事を強要させる力が込められていた。

「最初に気づいたのは、あの、さっきの方が」

「ガリオン団長だな」

 頷き、続ける。

「私の友達が、もっている武器を換金すると言った時、驚いたような顔をしてた事、です。武器を売るのが、そんなにおかしいのかなって。皆さん傭兵だから、武器を売るのは間違っている、という考えがあるのかな、って」

 一旦言葉を止め、確認するようにギースの顔を見た。

「いや、おかしな事ではない。食い詰めたら、何でも売る。生きるために物を売るのは、おかしい事ではない。お前が言うように、確かに、傭兵が商売道具を売るのは最後の手段か、引退するときくらいだ」

 うん、予想通りだ。武器を売るくらいで、あんなに驚く必要はない。

「となると、驚いた理由は、売ろうとした武器にあるってことです、よね?」

 ギースは何も言わない。こっちを見ているだけだ。

「もしかして、かなりの貴重品だったのではないんですか? それも、装飾品としてではなく、皆さんが使うための、強力な武器」

 これらをくれたのはモヤシだ。私たちを恨んでいる奴が、なぜ私たちに武器を渡したのか。

『私は、君たちに同じ苦しみを味わって欲しいだけだし』

『今くたばった日高には、もっと苦しんで欲しかったが、くたばったのなら仕方ない』

 このモヤシの言葉から類推するほかないが、奴はここで三十年過ごした。それも、ガリオンたちのような戦う職で。もっと苦しめというのは、すぐに死んで欲しいということではない。では、武器を餞別に渡した理由は、自分と同じような生き方をしろ、ってことだ。同じ苦しみとは、戦いの苦しみのことだ。

 だが、知っての通りこちらは戦いとは無縁の生活を送っていた現代人だ。奴だってあのまま私たちを放逐すればすぐにくたばる事は目に見えていたはず。

 そこで渡したのがこの武器なのではないか。そう結論に至った。素人でも生き残れる程度の、何か力のある武器なのでは。ガリオンたちの驚いた顔がそれを裏付けているようにしか思えなかった。

「確かに、お前たちが持っていた武器は、かなり貴重なものだ」

 ギースが肯定した。

「金貨十枚でもまだ安いほどの、魔術が組み込まれた強力なものばかりだった。魔術に関して素人の我々が見ても分かるほどのものだからな。団長が最初疑ったのもそこだ。それだけ強力な武器を揃えながら、ロストルム数匹に逃げ惑うお前たちは怪しかった。どこか別の国のスパイが入り込むための策を弄したのではないかと。その疑いも、武器を売ると申し出た辺りでさっぱり消えたがね」

 ああ、そうか、とギースが納得したように頷いた。

「貴様は、我々の反応から、自分たちが持つ武器の有用性に気づいた。素人でも、戦えるほど強力な武器だ。だから、自分でも戦えるのではないかと」

 どうだ? とギースが確認の視線を送ってくるので、頷きで返す。

「なるほど、なるほど。それならばお前の気変わりも納得だ。だが、肝心な事が抜けてはいないか?」

「肝心な事?」

 ギースが指を二本立てて、私の前に出した。

「一つ、その武器の使い方を理解しているのか? 二つ、そもそも、戦えるのか?」

 一つ目は完全に失念していた。確かに、説明書もないのに武器を扱う事は出来ない。だが、戦えるのかという疑問に関しては、理解出来ない。戦うつもりがあるのだから、戦えるものではないのか?

「まあ、いい」

 どこか諦めたような顔をして、ギースは立ち上がった。

「武器の使い方はすぐに分かるだろう。うちのお抱え魔術師に解析して貰えば、組み込まれた魔術も、効果のほども判明する」

「え、それじゃあ」

「私から団長に話をしてやる。お前の考えも含めて」

 礼を言おうとした私を、ギースは押し留めた。

「話をするだけだ。雇うかどうかは団長が決める。駄目だったらその時は諦めて、武器を売るか、娼館に行け」

 言い残して、さっさとギースは行ってしまう。私は置いていかれ無いよう、小走りで彼の後を追った。

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