Part.4 抗世の力
(目覚めよ……)
(何だ……)
(主よ、目覚めよ……)
(この声は……あの時に聞いた?)
ソテルはおぼろげに意識を取り戻す。次第に視界も晴れ、意識がはっきりしてくると先程まで聞こえていた声はピタリと止んだ。代わりにゴウンゴウンと唸る機械音が聞こえ、噎せ返るような汗と油の混じった臭い、そして地震か海震波かと思うような揺れに意識がはっきりとしてくる。
縄に縛られ船首室に転がされていたソテルは辺りを見回すと目を開けるとソテルは帝国の陸上戦艦に乗せられていた。それもまだ自分が軍役して二年目だった頃に遊び心で描いた想像でしか実現しないと思っていた物、謂わば自分の息子。
(これは、まさか)
目を疑った。この戦艦の内装、駆動音、そしてガラス越しに見た魔道砲。
(これは、サルヴァトールか!?)
ソテルが連れ込まれた戦艦、それはかつてセブンスシェイズとして開発を行っていた自分が画き起こした決戦用征伐兵器である。コンセプトは強力な防御壁と全てを轢き壊さんばかりの推力で、一撃必殺の名の下に巨大な魔道砲を発射する。竜属や魔王属との決戦の為に提唱されたが、建造費が恐ろしく掛かる事と魔道砲を打つ際に必要な魔力を溜める作業が人間の魔法使いを介して行わねばならず、その強力さ故数多の魔法使いが魔力中毒になる事を覚悟した上で実現可能になる欠陥兵器だった。もちろんそうなることは解った上で設計した陸上戦艦で、もともとは軍に発表する物ではなく自分の趣味の一環で書き上げた予算度外視な机上の空論に終わるべき機体だった。
その為開発をされる目処など立たず、設計書はずっと倉庫に眠り続けてきた戦艦でもある。今ここに建造されたことを察するに費用はどうにか工面したのだろうが魔道砲が付いていることが気になった。
(あんなものを撃つことなんて出来るのか?)
自分が設計した戦艦の実物をまじまじと見ていると誰かがソテルに声を掛けた。
「おい、ソテル約帝」
「ローレンス約帝……」
「貴様の戦術、見事なものであった。恐らくあの愚民どもさえいなければもう一撃を以て我を傷付けることが叶ったかも知れん。そこは褒めておこう」
「つまり最初から俺に勝機は無かったと、そう言いたいのか?」
「いや違うさ、傷さえ付けばその先のことは解らん。仮に手足が傷付き、もし貴様が毒でも扱うのであれば傷口に毒を触れさせた時点で我は手足を削ぐか、死ぬかを選ばねばならん。手足を失えば我とて叶うとも思えんし手足では無く腹に毒でも塗られればそれこそ死に一直線だ
「……慰めているのか? 何が言いたい」
「貴様はあの愚民どもをどう思うと聞いている」
「……仕方ないさ、君は強くて俺は弱い。あの一撃を食らって生き残っていたのを見たなら尚更の事、君に媚びぐらい売るだろう。見た目も派手なものだったからね」
「我は帝に忠義を誓って以来他の者に尻尾など振ったことが無い故わからん考えだな。これだから愚物は御しがたい」
「お前みたいに全ての人が強い訳じゃない……これから俺をどうするつもりだ」
「帝は貴様のことが大層気に入っていたそうだ。それでずっと探し続けた。帝国の下町で貴様の痕跡を見つけた時はわざわざ根回しをし、疲弊させ切ったところでもう一度軍属させるつもりだったが…………貴様は外に出た」
「……何のために一度除隊させたというのだ」
「そんなことは知らぬ。蓋し一度金銭に困らせることで二度と逃げないように恩でも売ろうとお考えになったのでは無いか? 貴様が外に出た後は貴様という叡智を外で発揮させてはならぬと必死に探しておられた」
「帝が俺をそんなに重要視するとも思えんがな」
「貴様を重要視するには十分な物に貴様は寝転んでいるだろう」
ソテルは足下を見ると納得した。
「サルヴァトールやエクセディオス、俺の開発した征伐兵器のことか?」
「そうだ。貴様は人間を滅ぼす兵器を考えるのは苦手だが魔物を葬る事においては一切の容赦の無い道具を作り出せる」
「こんなもの、自分の給金を上げるための机上の空論のつもりだったんだ……」
「戯れ言を。帝国ならば数年のうちに造り上げられることくらい解っておろう」
ローレンスの言葉に自分の考えの甘さを感じさせられ、顔を顰めた。
「……なぁ、魔道砲は動くのか?」
「アレか? あれは実に良い。撃つとたまらなく高揚感を覚える……辺り一面が見事に散りゆく様は実に爽快の一言に尽きる」
「嘘をつくな。燃料がいるはずだ。王属魔法使いが束になってやっと――」
「燃料ならいくらでも都合が付く、付いてこい」
そう言ってローレンスはソテルの縄を解き戦艦内を歩いて行った。ソテルはローレンスに続き三分ほど歩いた頃、そこにたどり着いた。
「ついたぞ。ここが燃料室だ」
見れば輝かしく光る赤い宝石に彩られた部屋に一人の魔法使いが立っていた。
「奴は何処にでもいるクズ魔法使いだ。それを洗脳し、我の命令で燃料を供給する為にここにいる」
「なっ! 彼一人で魔道砲をうてるというのか!」
「左様、正確には奴が重要なのでは無い。ここの赤き滴一つ一つが大切なのだ」
「そんな、馬鹿な……」
「事実なのだから仕方の無いことだろう。それからソテル約帝よ、これからはどのみち我を含むセブンスシェイズに仲間入りを再び果たさねばならん。拒んでも貴様は生かされる。そしてその心が折れるまでずっと勧誘は続くだろう。ならばいっそ我と友にならんか? 先ほどの町での無礼は許そう、我も悪かった。どうせ共に競い合い帝の座につくのであれば知り合った者が座した方が我も忠誠を誓いやすい」
「お前はそれで良いかもしれない。だがしかし俺はそういうわけにはいかない。俺は帝国を許すことは出来ない。朧気な記憶だが……決して帝国を許してはいけないんだ。それにエンデルでお世話になった人たちとこんな形で、こんな別れ方で終わらせることなんて――」
「あぁ、あの町か?」
ソテルの声を遮ったローレンスの声に嫌な予感を抱いた。
「帝の命令でな、貴様のことを知ってしまった者を生かしておく訳にはいかなかったのでな、撃たせてもらった」
『撃たせてもらった』とは何のことだろうか。頭では解っているのだが心がその理解を拒んでいる。その答えを聞かずには入れなかった。
「な、にを?」
「魔道砲だ、実に素晴らしかったぞ。これで貴様を縛る柵は消えたな」
何気なしに残酷な一言を放ったその後もローレンスは饒舌に喋り続けたがソテルの耳には既に何も届いていなかった。
町の中でその日の宿を探す余裕すら無かった自分を拾ってくれたブリックス。
赤の他人である自分を本音で触れ、真摯に叱ってくれたアリシア。
まぶしい笑顔とその才覚で楽しいという気持ちを思い出させてくれたアリステラ。
彼らが、死んだというのか?
ソテルには理解できなかった。既に走り出して数刻経っているだろう。ここからではエンデルの町を確認することなど出来ない。
夜の暗闇のなか、サルヴァトールの進むべき道を照らす照明が副次的に照らした魔道砲。その姿を見てソテルは思い出す。
かつて自分を育ててくれた村の老夫婦を。行き場の無いソテルを拾い上げ、愛情を惜しみなく注ぎ込んでくれたその姿を。
未来を夢見て軍学校へと旅立つソテルを見送る優しいその眼差しを、そして彼らの住む村を焼き払った自身がつくった兵器の姿を。
ただ、戦争で奪われた戦線を取り戻すためだけに焼き払われた自分の故郷を。
ソテルは思い出してしまった。何故帝国が許せないのかを。自身の幼さから心の奥底に鍵を掛けた忌まわしき記憶。
その蓋を、彼は開けてしまった。そしてソテルは理解してしまった。
惨劇が、繰り返されてしまったと。
また、自分のつくった兵器が自分の大切な場所を焼き尽くしてしまったのだと。
(力が、ほしいか?)
ソテルの頭に声が響いた。
(覆す力が、抗う力が、ほしいか?)
目の前で嬉々として魔道砲の力を語るローレンスを見てソテルは震える。
(全てを破壊し尽くす圧倒的な力が、ほしいか?)
怒りに震える体を必死に堪え、静かにつぶやく。
「……、しぃ」
「ん? なんと言ったのだ? 我にも聞こえるようハッキリものを申せ」
(お前は力を持って何を成す)
ただメチャクチャに、自分から二度も故郷を奪った帝国を滅ぼすために。
(では、ただ全てを破壊するだけの力を授ければ良いか?)
……約束してたんだ。いつか俺の夢見た道を歩んで欲しいと。
その願いすら奪われた。……憎い。憎い憎い憎い憎い憎いッ!!!
ただ、悲しみを生む力に抗い続けることの出来る力がほしい!!!
全ての理不尽をねじ伏せるだけの理不尽な力が欲しい!!!
俺は、全てを壊す力が欲しい!!!!
(……承知した。ならば私を抜け、私の名は――)
ソテルは叫ぶ。壊すための力を求めて、守るための力を求めて、抗う力を求めて。
「来いッ!! アウレディア!!!」
ソテルの全身を魔力の渦が包み込むと一柱の光となって彼の拘束を解いた。
ソテルは右手を左肩に添え、叫び声と共にソレを引き抜く。
まばゆく輝く金糸雀色のその剣はソテルの右手に落ち着くと、ソテルと魔力の管を繋いだ。剣の色に染められたソテルの髪は魔力の流れになびき、体には何の意味が籠もっているかも解らない謎の文様が浮かび上がっていた。
「これは……何の手品だ?」
ローレンスは怪訝な表情でこちらに睨む。勿論戦いの構えも既に取っていて今にでも特攻できる臨戦態勢で待機していた。
ローレンスの事など一切気にもせず、何も声を出さずに右手の剣を静かに振り上げるとサルヴァトールの機関部は真っ二つに寸断され爆発を起こした。
「なっ! 貴様、何をした!? 貴様本当にソテルか!?」
ローレンスは突然の事に狼狽えた。開発者であるソテルの秘密兵器である可能性を危惧し距離を取ったが、ソテルは何も気にしないように……何も言わず静かに振り上げられた剣に力を込めローレンスに別れの言葉を残した。
「お前なんて、いなくなってしまえ」
ソテルがゆっくりと静かに剣を振り下ろすと空気が歪み、ローレンスの身体能力を持ってすれば避けることが出来たであろう静かで緩慢な一撃は、決して逃げることを許してはくれなかった。呪いのような結界の中で動けた者などソテルの他にいない。
そこにあったはずのサルヴァトールは跡形も無く消え去り、搭乗者もまた同じくこの世界から消失してしまった。
地に降り立ったソテルはエンデルに向かって駆けだす。
頭に響く声を頼りに彼女の無事を祈ってただ夢中に駆け抜けた。
町人達の叫び声が聞こえる。
ソテルがローレンスに連れ去られてからその瞬間はすぐに訪れた。
一瞬で町が光に飲み込まれた。光に飲まれたものは痛みを感じる間もなく消え去り、そこにいた人の痕跡を何一つ残すこと無く光は過ぎ去った。
亡くなった者は語る口を持たず、傷ついた者、残された者だけがその光景に慟哭をあげた。その泥黎の一部を覗いているかの様な光景にブリックスは絶望した。
「ま、町が……みんなで築き上げた僕の、宝が……」
「お父様、お気を確かに!」
アスールライト一家は魔道砲による一撃の被害に遭っていない。家が町の郊外にあったため、中心部めがけて放たれた魔道砲の直線射程圏内を偶然にも外れたのだ。
しかしブリックスは絶望していた。彼の一生を費やして造り上げたと言っても過言ではないエンデルの町はたった一撃で全てを壊し尽くされた。
財政の破綻、重い重税、特産品も無く疲弊していく町、そして売り出される人々。
それらを変えるためにブリックスは小さな頃からエンデルの為に学び、働き、培い、そして伝え、活かした。
人間が一人で出来る限界などたかが知れている。その事を重々に承知していたブリックスはそれぞれの分野に特化した職人を育てた。町長になってからは一層町の為、人の為、自分を含む町の全員が幸せに生きられる為にと教育機関を造り上げ、子供達の未来も護ろうとした。順調だった。ブリックスの思い描く楽園がこの町の中では実現しつつあった。
しかし彼がこの町を訪れてしまった。軍帝国の約帝組織セブンスシェイズの一人であった天才。ソテル=ユージーン・アリアが。
彼がそんな肩書きを持っていることを知っていたならブリックスはもっと慎重に動いただろう。彼がすぐに自分の遍歴を語ってくれたならすぐに対処をしたであろう。
ブリックスは後悔した。彼の訪れを切っ掛けに全てを失ってしまった。しかしその後悔の矛先は自分に向けられていた。
どうしてもっと彼と親密になり腹を割って話さなかったのだろう。どうして僕は彼の力を優秀という程度でしか捉えられなかったのだろう。どうして僕は彼をもっと気遣ってやれなかったのだろう。そんな後悔の念にブリックスは押しつぶされていた。
「ソテル先生、大丈夫かな……」
愛娘の心配そうな声にブリックスは我に返った。このままではいけないと竦む体を奮い立たせ、気丈に振る舞った。
「きっとソテルであれば無事に決まっているさ! ステラ、彼がもしまたエンデルに来た時の為に帰ってこれる場所を作らなきゃいけない。手伝ってくれるね?」
「はい!」
もしソテルの事情を最初から知っていたとしても僕はソテルを受け入れただろう。
それが僕が貫き続けた信念だから、何度でも同じように手を差し伸べるだろう。
ブリックスは愛娘に笑顔を向けると愛娘は元気に頷いた。
アスールライト一家は町の中心部に向かうと、屋敷で見た景色とは違った姿がそこにはあった。壊された、と言うよりも均されてしまっているのだ。
そこにあったはずの建物や噴水などの設備は全て塵と化し、ただ真っ直ぐに穿たれた道が出来上がっていた。
「お、おぉおお! 町長! ブリックス町長!」 「町長だ!」
「彼がまたエンデルを立て直してくれる!」 「町長! 助けてください!」
「町長!」 「「町長!」」
町人の声が聞こえる、その声は天からの助けが降り立ったかのような歓喜の声に染められ、その姿を見てブリックスは確信を持った。
(まだエンデルは元気だ、もう一度この町を作り直せる!)
笑みと共に涙を流したブリックスは目元を拭うと町人に向け高らかに声を上げた。
「町のみんな! 今生きていてくれたみんなよ! 君たちが生きていてくれたことに私は感謝したい! 君たちは力を持っている。次へと進む力だ! 世界は不条理に私たちの存在を脅かす。しかし私たちは屈したりはしない! かつて私が町長になる前、この町は君たちから搾取を続けた。しかしその困難を乗り超えて立派な町をつくりあげた! その経験が今活きるときだ! しかし同じ過ちを繰り返してはならない! これからは町の自衛のためにも兵団も必要になるかも知れない。しかし私たちは略奪者になってはならない! その痛みを知っているからこそ私たちはそれに抗う為だけに力を使わねばならない!」
ブリックスの演説に町人は黙って耳を傾ける。その後も町人を励ますため、ブリックスは演説を続けた。
「――では、これで私の言葉を終わりにしたいと思う。最後に、失われてしまった命に追悼の念を込めて黙祷を捧げたいと思う。しばしの間付き合ってくれ」
目を閉じ黙祷を始めるブリックスを見て町人達はそれに倣って黙祷を捧げた。
失った者を悼み、涙を流す者。命こそは失わずとも、未来を奪われた子供達。自分の無力さを嘆き悔やむ者。この黙祷が悲しみに明け暮れるの者達の感情を少しでも晴らすための、現実を乗り越えるための手順になるはずだった。
「これはこれはブリックス殿、その語り様は些かずるくはありませんかね?」
そう言って名乗りを上げたのは煌びやかな衣服を纏った銀髪の男だった。
「ずるい、とは?」
ブリックスに心当たりなど無く不思議そうに銀髪の男を見つめると、町人達は突然声を上げて騒ぎ出した。
「町長をずるいとはなんだ!」「彼ほどの人格者はいないぞ!」
「引っ込んでろ!」「町長を悪く言うな!」「大馬鹿やろう!」
「エセ貴族!」「お前に町長の何が解る!」
鳴り響く怒号の中、涼しそうにしている銀髪の男は柔らかな挨拶をした。
「私はレバノン……レバノン・シルデリアです。以後お見知りおきを」
お辞儀をするとブリックスの隣に立ちレバノンと名乗った男は演説を続けた。
「私はこの災害に見舞われるまでこの町の教師をさせていただいておりました。この町の教師達の給料というものは思いの外低く、何故そのようなことになっているのかと言えば全て町長自らお決めになった故の事だと学長よりお聞きしておりました。そして給料を低くしている理由は学長が犯した過ちを贖罪するためにわざわざ低額の給金で子供達の教育をさせていたというのです」
「ソレについては少し話が違うな。あいつは元々私の友人で過去に町人を奴隷として販売していた事があった。その経緯を経て、この町に償いをしたいと言って自分で決めたことだ。それから一般教員の給金についてだが私は学長に資金を渡し、その資金から学長が判断し、給金を払っているはずだ。私にはわからん」
「ほぅほぅ、つまり自分は悪くないと言うために今こうして貴方は学長の公にしたくないであろう過去をみんなの前で語った訳ですね?」
「ちがう。過去のことを忘れないように自ら語っていく覚悟だと彼は言っていた。そしてその事について包み隠さずみんなに話しても良いという確認も――」
「それは学長が死んでしまったから嘘をついているのですよね? 死人に口なしとは言いますが、死んだ後も踏み台にするなんて本当に酷いお方だ」
「なっ! あいつは、死んでしまったのか!」
「白々しい演技はおやめください、そもそも人の過去を話すというのに許可をもらっていたとしても目配せや何かしらの合図で確認を取るのが普通じゃありませんかね? 突然名前を出される方はビックリしてしまうと思うのですが」
「……君、私と彼の友情をこれ以上踏みにじるのはやめてもらおうか」
「都合が悪くなったのですか? この件についてはこれで終わりにしましょう」
ブリックスは怒りを露わにしていた。もちろん身に覚えの無い事であったし一教師としての不満もあろう、給金が少ないと言った言葉に関しては何人かが頷いていた。
しかし自分と友人の関係性の事となれば話は別だ。自分で言うのも何だがブリックスは信頼を勝ち取るために真摯に、正直に相手と向き合ってきたつもりだ。そこに一縷の邪念すら無いと言い切れるほど彼は無邪気に町人と関わってきた。それを悪戯に踏み荒らされた事に彼は怒りを覚えていた。
「図星だからといってそんなに怒らないでください。次にですけれども、ブリックス様のご自宅から何やら不穏な煙が巻き上がったり突然水が溢れたりと不可思議なことが起こっていたそうですが、何か良からぬ実験でもしていたのですか?」
「アレはサウナだ。オディロンが誇る湯治施設の一つだ。先日世話を焼くことになった居候が作ってくれたもので、もしこれから必要な機会が来れば町にも入浴施設を建設する予定だった。水については私の娘が魔法を習い始めた。その影響だろう」
「ふむ。そのサウナ、オディロンのものとおっしゃりましたが……なぜオディロンのものであると知っているのですか?」
「私が若い頃、まだ世間に転がる石ころ同然だった頃の話だ、私はオディロンで肉体労働に勤めていた。あの頃の経験を経て楽園を造り上げようと思って世界各地、自分の歩ける範囲であちこち渡り歩いたのだ」
「なるほどなるほど……しかし妙ですね、武力を持たぬようにと、人を傷付けないようにと理想を掲げていた割にはご自身のご息女には魔法を授けようとしている。何故ですか?」
「最近人攫いや強盗による事件がエンデルで起こっている。それに対抗するべく護身術として娘に魔法を学ばせた」
「皆さん! どうやら町長は皆さんには力を授けず、自分の娘に力を与えて町を操ろうとしているのかもしれませんよ! 私には解ります。ゴルトセバンの副理事を務めていた父のお供をしていたとき、魔法で民を縛る国をいくつも見てきました! 魔法の力とは強大です、そんな危険な力を独り占めにしようなどとは……ブリックス殿、ご自身の周りだけ力を持たせるというのはいかがなものかと」
民衆がざわめき始める。最初こそブリックスを援護していた町人であったがレバノンの言葉を耳にし、ブリックスへの信頼が揺らいでいく。
「み、みんな……この男の言う事を信じるというのか?」
ブリックスの嘆きも空しく民衆は静かに押し黙った。
「さて、ブリックス殿。これ以上居心地の悪い空間に居るのも疲れますよね?」
「誰のせいだと思っているッ!」
ブリックスは睨み付けた。アリシアもアリステラもこのレバノンという男に嫌悪感を抱き冷ややかな視線を送った。
「まぁまぁまぁ! 皆さん落ち着いてください。最後にこれだけお聞きください。これで最後ですのでどうかご容赦を」
レバノンはおどけたように言っていた今までと打って変わって、急に真面目な顔つきになった。まるでここが本命だと言わんばかりに。
「ブリックス殿。貴方は先程居候がサウナを作ってくれたと言っていましたよね?」
「……あぁ」
「そのサウナを作った人物。誰ですか?」
ブリックスは汗が噴き出た。ソテルを匿っていたことを隠していたことが今になって仇となった。
「それは……」
ブリックスは口ごもった。そして考えた。もしかしたらこのレバノンという男はエンデルの情報をオディロンに流した張本人なのでは無いかと。そうで無ければソテルがエンデルに居たという痕跡が無いというのに軍がいつまでも駐屯する訳も無い。
そして彼の話した言葉、周到に材料を集め続けいつかこのときが来るのを知っていたかのようにも思えた。
レバノンを強く睨み付けるとブリックスは怒号をあげた。
「貴ッ様ァ! 最初からこれが狙いだったというのか! いつからだ! 一体いつからこれだけの犠牲を払おうと画策していたのだ!」
ブリックスは殴りかかろうとするもアリシアが止め、首を静かに横に振る。レバノンはブリックスが怒り狂う姿を見ると元のおどけた調子に戻った。
「おぉ、怖い怖い。先程も言いましたが私はゴルトセバンの副理事の息子でしてね、国内外の情報を常に集め続けているのです。そしたらきな臭い話が耳に入ったので町民の皆さんに拝聴いただいていた訳ですね! まぁ怒り狂ったブリックス氏の様子から察するに匿っていた人物とは今回の災厄渦中の人物、オディロン軍帝国元第六約帝ソテル=フェム・イシュタービルその人では無いのですか?」
男が語る名前を聞いて違和感を覚える。その違和感を切っ掛けに少しの冷静さを取り戻したブリックスはソテルの名を思い出す。
「彼はフェム・イシュタービルなんて名前では無い。ソテル=ユージーン・アリアがその者の名だと聞いていたが」
「おやおや、今更になって白々しいですよ。彼はソテル=フェム・イシュタービル。オディロン帝国皇帝ディロム=フェム・イシュタービルの養子にして第一約帝の座に君臨するお方ですよ?」
その言葉を聞いてブリックスは腰を抜かした。
「嘘だ、そんなはずは無い。彼は自分を第六約帝だと――」
「まぁ養子にしたのは最近らしいですけどね、それを知らないにしても約帝様がわざわざ足を運んでくれたというのに貴方は知らぬ存ぜぬと申した挙げ句、彼を知るものに箝口令まで敷きましたよね? ソテルという名しか知らぬ民にはただの怪しい人くらいにしか思われないでしょうが私はそうはいきません。商人は信頼を勝ち取るために厳格で適正な真実を語らなければならないのですから!」
ブリックスは腰を抜かしたままレバノンを見る。彼が恐ろしく感じた。巨大な悪意の塊を初めて眼前に感じたブリックスは過呼吸気味に取り乱し、彼に背を向けた。
「何が目的だ……」
ブリックスは震えながら問いかける。
「目的? そんなものは特にありません。ただ強いて言うなれば私たち町人がより適正で善人であるために貴方という膿をエンデルの外に出さねばと思った訳です!」
レバノンが演説を終えるとしばし沈黙が続いた。そして誰が沈黙を破ったのか定かでは無いが民衆は声を取り戻し始めた。
「そんなことをしていたなんて……」「騙されていたというのか!」「最低だ!」「自分さえ良ければそれで良いのか!」「くたばってしまえ!」
「レバノンよ! よくぞ調べ上げた!」「レバノン様こそ英雄よ!」
「エンデルの繁栄は我らとレバノン様にあり!」
先程とは打って変わって手のひらを返す町人の姿にブリックスは崩れ落ちる。
「み、みんな……」
ブリックスは涙を流した。これまで築き上げた信頼や絆はたった三十分程度の演説で跡形も無く消え去り、怨嗟の声を向けられる存在になり果ててしまった。
「みんな、ちがうんだ! 箝口令を敷いたのはソテル君をかばうために――」
「うるせぇ! 黙ってろ!」「まだ嘘をつくつもり!?」「もう騙されねぇぞ!」
ブリックスの弁明を聞こうともしない民衆にブリックスは心を折られた。
夫の有様に堪えきれなくなったアリシアが地面を強く踏みつけると強烈な振動が辺りを震わせ、再び静寂が訪れようとしていた。
「皆様は冷静さを欠いております。今一度お考え直しください。私の夫は裏表のある人間でしたか? 皆様の思いを無碍にするような人物でしたか? 皆様の――」
「そこまでにしてもらいましょうか、先に武力で民衆を押し黙らせるとは酷いお方だ。妻の武力に娘の魔法力。これはもう黒確実でしょう」
アリシアの言葉を遮り言葉を放つアトラス。アリシアも怒りを露わにしていっそ民衆全員を気絶させようとも思ったがブリックスが首を静かに横に振った。
「もう、いいんだ」
「なにが良いというのですか! 貴方が造り上げたものがこんなことで――」
「もうどうだっていいんだ。私の作りたかったものはこんなものじゃ無かった。こんな、悲しいものでは無かったはずなのだがなぁ」
大柄な初老の男のうつろな目からは大粒の涙が流れ続けた。尽くし続けた結果、最後には全てを壊され全てを失った。魔道砲は全てを壊し尽くしてしまったのだ。
「どうでも良いというなら、これからどうするというのです」
「民に任せようと思う。もう私に何かを考えることなど出来そうも無いのだ」
ブリックスは空を見上げた。町のあちらこちらで上がる炎が漆黒の空を照らしていた。星は満天に輝きを放つ、しかしその輝きも煙に隠れ濁ってしまっていた。
「では、あまり差し出がましい事を続けるのも皆様に悪いので、彼らの処遇については皆様にお任せします」
そう言うとレバノンは町の闇の中に消えた。
しばらくすると民衆がブリックス達を囲み、暴力を振るった。
今ある怒りを解消するため、失った痛みを少しでも癒やすため、流れに乗じてただ悪戯に暴力を振るった者も居た。
ブリックスは既に事切れたかのように動かず、抵抗すらしなかった。アリシアは抵抗をしたものの、複数人の力の前には無力だった。せめて娘だけは護ろうと必死に娘を護り続けた。そしてアリステラはただ怯え続け暴力の終わりを祈り待ち続けた。
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