Part.5 依頼内容
食事を終えて小一時間程ソファで歓談した後、場所をブリックスの書斎に移し先程話していた依頼について再度言葉を交わした。
「先程話していた事についてだが、実は君にアリステラの家庭教師になって欲しい」
「家庭教師ですか?」
「うむ、と言うのも最近エンデルに魔物や盗賊が侵入したらしくてな……少々物騒なんだ。いざという時娘の近くに僕や妻が近くにいればきっと撃退できるだろう。しかし実際には僕もアリシアも忙しいしステラ一人ではそうは上手くはいかない。仮に僕や妻が亡き者になったとしてもそれは同じ事を言える。僕はこれでも町長をしているし僕の事を恨んでいる人だってそこそこに多いと思う。暗殺なんてされた日にはいくら奴隷時代に鍛えていたと言っても恐らく抵抗も出来ない。そうした時に娘には一人でも生きていけるように、その術を学んでおいて欲しいんだ」
ブリックスの表情は至って真面目だがどこか温かく微笑んでいるようにも悲痛な思いを浮かべているようにも見える。
そんな責任重大な依頼を俺が請け負っても良いものか悩んでしまう。
俺の指導によってはこれから先アリステラが問題に巻き込まれた時に彼女が生き残れる未来をたぐり寄せられるかどうかが変わってくる。その責任が俺の指導に掛かってくるということは言ってしまえば命を預かることと変わりない。その責任を俺が取りきれるかどうかも保証できない。そんな浮ついた気持ちで請け負っても良いものか悩んでしまう。
「……ソテル君。ダメかね?」
ブリックスは娘の痛ましい姿を想像してしまっているのか、今にも泣き出してしまいそうな顔で懇願する。視線を逸らそうとするが彼の真剣な雰囲気がそんなことを許さなかった。
「少しだけ、考えさせてください」
人一人分の命を預かる。それは人生を左右することに他ならない。それを同じ人間である俺が決めても良いことなのだろうか。勿論アリステラには俺以外にも沢山の人間が関わって彼女の人生が彩られていくのだろうが……俺に頼まれた依頼はアリステラが生きていくための戦闘術だ。
この世界に存在する魔物だけが命を脅かす存在では無い。野生生物や植物を初めとする自然物に加え、悪意を持って略奪を繰り返す人間。時には戦争に巻き込まれて意図せぬ形で争いに巻き込まれることだってある。そうした時に生き残るには自分自身を守れる力が必要であり、もしも人助けもしたいのであればそれらを守る為の力も必要となる。そんな力を授けることを任せたいと言われて直ぐに返事をする事なんて出来ないに決まっている。そんなに人の命を軽んじることなんて俺には出来ない。
俺は額に汗を滲ませながら考える。先程の少女の未来を預かるのかと思うと気が重い。しかし……しかしだ、俺がこの仕事に背を向けてしまったら見ず知らずの人間に責任を押しつけてしまう事になる。何よりアリステラの命を誰かに預けてしまう事と同じでは無いだろうか。そう思うと引き受けるべきなのではないかと思ってしまう。
どちらにせよ責任は掛かる。結局俺がこの問題から逃げてもアリステラが死んでしまったのなら逃げた自分にも責任がある。だったら依頼を引き受けて精一杯尽力するのが一番なのでは無いだろうか。仮にも俺は軍学校主席卒業者である。これから先アリステラが戦闘術を学ぼうとしても俺と同等以上の人間に関りを持てる機会などそう多くはないはずだ。
自身の頭の中で答えはもう出ている。しかしそれを選択する決心が付かないでいる俺を察してかブリックスは甘言を弄した。
「……ソテルくぅん。ここだけの話なんだが……今依頼を受けてくれると、なんと三食宿付きで服もいくつか見繕うし、給与は学校教師と同じだけ払っちゃうよ?」
「是非お願いします! 娘さんのお勉強を見させてください!」
甘言に翻弄された俺は瞬く間に釣り上げられてしまい少しだけ恥ずかしい気持ちになりながらも決心をつけたことを大いに評価した。
一つだけ言っておきたい。心の中ではもう答えは決まっていたよ? 別にお金とかに惑わされたわけじゃ無いよ? お金はタダの切っ掛けだよ?
「そうかそうか! これは良かった!」
「あ、でも二つだけ先に言わせてください。勉学については僕の知っている限りのことは教えますが娘さんは大変聡明な――」
「そんなにかしこまらなくてもいいさ。これからしばらくは家族同然に暮らす事になるのだからもっと砕けて行こうじゃないかソテル」
「……はは、まぁでも尊敬語になってしまうのは癖なので気にしないでくださいね」
少しだけ表情を崩して話すとブリックスは嬉しそうに笑った。
「アリステラはとても頭が良い。だから俺が不要になる事は早々に来るかも知れませんのでその時は勉学に新たな教師をつけてください」
「あぁ、まぁでも君は座学主席なのだろう? 十年分の学を修めた者と同位に学を修めたのであれば娘も十分だろう」
「そう言ってもらえると助かります。それから武術に関してですが、少しでもアリステラが辛そうにしていたらその時点で訓練は辞めさせても構いませんか?」
「それは何故だい?」
不思議そうな表情を浮かべるブリックス、無理も無い。通常であれば多少の我慢の先に光明が差すというのが基本的な社会の考えだろう。しかし俺は違った。
「俺が教えるものは頭で理解しなければならないものが多いためです。なので余計な思考が邪魔したり、そもそも思考できない状態になっては意味が無い。その為です」
そのほかにも思わぬ事が切っ掛けで死を招くこともある。そうした測り違えをしないためにも無理をさせない事が一番だと判断したのだ。
「うぅむ。まぁ君が言うのであれば任せるよ」
「はい、任されました」
「あぁあとそれからソテルには今後ステラに付きっきりで護衛をしてもらいたい。家の中では自由にしていても構わないがステラが外出する時は常に一緒にな」
「え、あの――」
「いやぁよかったよかった。ソテルが付いているなら今後ステラも一人でお出かけが出来るな! いやぁよかったよかった! それじゃあ僕は寝るから、おやすみ!」
返事を待たずにそのまま逃げるように書斎を後にするブリックス。
「……嵌められた」
護衛、と言う事はボディーガードだろう。ボディーガードの給与は高い。と言うのもその需要は金持ち連中に集中するためである。教師というのも給与が悪いわけではないのだが仕事内容との対価を考えると何とも言い難い。
「嵌められた」
思わず二度口に出た。
「父が、その……申し訳ありません」
声がした方を向けばそこには桃色の長い髪を携えた件の少女が立っていた。
「あ、アリステラ? 居たのか」
「父が駆けて出ていく姿が見えたものですから何かあったのかと思いまして……」
「あぁいや、うん。えっと、これからよろしくね?」
「こちらこそよろしくです。あの、改めて父が済みませんでした……」
「いや気にしないで! うん! 俺も仕事無かったからさ! 丁度良いよ! うん! ほら、ほんとに無職だったから! あはははは!」
事実を口にしているだけだというのに酷く悲しい気持ちになって胸が痛くなる。
給与のことだけを言えば護衛をするに値しない額の給与が支払われるのだろうが改めて考えてみればそれだけでは無く衣食住のおまけ付き、そう考えるとむしろもらいすぎな位だ。それでも護衛の仕事もあるのなら先に言って欲しかった気もするが……
「それじゃあ今日はもう寝ようか」
「あ、はい。おやすみなさいませ」
「うん。おやすみ」
アリステラと別れ、アリシアに案内されて客室の一部屋を宛がわれる。これからはここが俺の寝る場所になるのだなぁと思うと感傷的になってしまい、ベッドがあり屋根もある事に感動を覚えた。
「ようやく人間らしくベッドで眠りにつける」
これまでの悲しい住まい事情を懐かしみながら今日が決別だと一人ごちる。
夜の闇は暖かな布団の中でいつの間にか過ぎ去っていったのだった。
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