第6話 計画と、不意打ち
次の土曜日の深夜、光一は懲罰室で交わした約束通り、裏山に穴を掘るために旧校舎裏から田岡と共に学校を抜け出して北側に進み、学校の裏山を登っていた。あの日、悠月と抜け出して進んだのとは逆の方向である。
二人の手にはシャベルが握られている。計画通り、光一は倉庫から持ち出すことに成功した。
時刻は深夜十二時を少し過ぎた頃だろう。田岡は大き目の懐中電灯も持ってきてくれたので、暗闇の中でも、スムーズに進むことが出来た。
山道を進む間、二人に会話は無かった。ただ、姿の見えない虫たちの不気味な鳴き声が、墓場を作ろうとする罪深き者たちを歓迎しているように思えるほど、光一は、今の状況に恐怖を感じていた。
倉知を殺すための計画が、着々と進んでいる。それはつまり、自らが殺人者になること、闇の沼に、一歩ずつ足を踏み入れているということを意味する。ここまできてやっと、それを段々と実感してきたのだ。
もし捕まれば、俺の人生は一瞬で終わる。少年法によってある程度は守られるかもしれないが、まともな道を進むことは、もう不可能だろう。殺人者という肩書が、これからの人生の様々な場面で、足枷となるに違いない。
大学進学など、論外だ。悠月とも、一生会えないかもしれない。そう思うだけで、頭に迷いが駆け巡り、光一の足を重くした。
……今ならまだ、引き返せる。
そう思っては、何度もその足を止めそうになったが、その度に、畑を思い出し、あの倉知への怒りを再び燃え上がらせることによって、俺がやるしかないのだと、自らを奮い立たせ、なんとか持ち直した。
暗闇の中、自問自答を繰り返しながら、一時間近く歩いたところで、ようやく穴を掘るに適した場所を見つけた。
そこには目印の役割を果たせそうな、大きく太い木があり、しかも周りの木々との距離が遠いので、穴を掘るのに充分なスペースがある。土も柔らかかった。
「よし、ここでいいだろう」
田岡はそう言うと、懐中電灯を地面に水平に置き、掘る位置を照らした。二人は早速、作業に取り掛かる。
土にシャベルを突き刺す、独特な音が、小刻みに響いた。
穴を掘る間も、二人は無言だった。体だけを機械的に動かして、ひたすら穴を掘る。この蒸し暑い夜の山での反復作業の中、徐々に体中から汗が湧き出た。時折体に虫が寄ってきたが、気にもならなかった。光一の頭の中は今、先ほどよりもさらに巨大な恐怖だけで支配されていた。
死体を埋める穴を自分は今作っている。その信じられない事実から来る心理的圧迫が、光一の全身を蝕んでいた。
しかもこの山は……倉知が以前に殺した生徒が埋められているのだ。
もしかすると、その時死体を捨てた位置もこの辺りではないだろうか?
一度その考えが頭をよぎると、その生徒の怨念が形となり、光一の後ろに佇んでいるのではないかという疑心暗鬼に光一はとらわれ、ひたすら懸命に穴を掘ることでその恐怖を振り払った。
ちらりと一瞬、田岡の方を窺うが、暗闇でその顔つきは鮮明に見えない。彼は今、何を思っているのだろう。光一と同様に、これから自分たちが起こす行為に恐怖を感じているのか、自らを支配する田岡を殺すことに、大きな意義を感じているのか。はたまた、自分の生徒を見殺しにしたことに、罪悪感を覚えているのか。
それら全てを田岡に問いかけたかったが、この空気の重さがそれを阻んだ。
穴を掘り始めて三十分ほど経った位だろうか。人一人埋めるには充分な深さの穴が出来た。光一は懐中電灯を地面から拾い上げ、穴の底を照らす。
「このぐらいでいいですかね?」
そっと田岡の方を見る。
「いや……まだだな。できればもっと余分にスペースが欲しい。もし雨が降ったら土が崩れる可能性がある。それになるべく深く埋めた方が、もし探されたとき、発見も遅くなる」
淡々とした口調で田岡は語った。
あまりに冷静な判断に、光一は驚きをあらわにした。確かに、田岡の言う通りであるが、この非現実的な状況での、その冷静さに、光一は恐ろしさすら感じた。
恐怖に全てを支配され、我を失いつつある光一とは違い、まるで職務をこなすかのような態度だ。これが、歩んできた人生の長さの差が生むものなのだろうか。
その後しばらくして、かなり幅のある深い穴が出来た。服には汗が染み込み、喉も完全に乾ききっていた。
その後、学校に戻る時も光一と田岡は何も語らず、再度旧校舎の裏のフェンスから、この文野学園へと戻った。
学校の裏山に穴を掘ってから、五日経った木曜日の午前、光一と田岡は懲罰室にいた。またも光一が意図的に遅れていき、田岡に叱られ、連れていかれる、というような形である。しかしこれは重要な話がある時なのだと、二人の間では暗黙の了解だった。
「いったい今度はなんだ?」
怪訝な表情を見せる田岡に、光一は淡々と答える。
「田岡さん。次の土曜に、リハーサルを行いましょう」
「リハーサル?」
「ええ。倉知を殺して、死体を埋めて戻ってくるところまでです。それに穴の場所の再確認も。本番当日に場所を忘れてあたふたなんてしたくないですから」
田岡は顎に手を当て、しばらく考える仕草を見せた。そうした後、納得したように顔を上げる。
「そうだな。そうしよう。横山もちゃんと来るんだろうな?」
「ええ。あいつにはもう言ってあります。リハーサルの決行は明後日土曜にしましょう。時間帯なんですが、それは田岡さんが倉知をおびき寄せられる時間になります。まずそもそも、本番の際にはちゃんと倉知を懲罰室まで連れてこれそうですか?」
「ああ。それは大丈夫だ。あいつに歯向かう生徒がいると言えば、間違いなくあいつは来る。しかも今度の校長挨拶の翌日には、校長も交えた職員会議が開かれる。まあ、お前らは通常通り休みだがな。そうなると間違いなく倉知はここに宿泊するだろう」
「ということは、今度の校長挨拶の日が絶好の機会という事ですね」
田岡は無言でうなずいた。
「分かりました。予定通り、本番は次の校長挨拶の日を照準にしましょう。で、本番当日は何時ごろに懲罰室におびき寄せれそうですか?」
「時間はそうだな、深夜一時を回れば、職員たちも全員、自室にこもってるだろう。その頃を見計らって懲罰室まで呼び寄せるから、懲罰室に来るのは一時半ごろだと思ってくれ」
光一は腕を組みながら、冷静な顔つきで相づちをうつ。
「分かりました。では、次の土曜のリハーサルのその時間には、もう準備を済ませて、俺と横山は旧校舎で待機しています。それとこれは一番大事なことです。本番と同じ意識で、他の教官たちにばれないようにお願いします」
「お前に言われんでもわかっとるわ」
田岡は眉間にしわを寄せながら答えた。
「それでは、次の土曜の深夜一時半に、またここでおちあいましょう。それと、ここの鍵は開けっ放しにしといてもらえませんか?」
「なぜだ?」
「また何かあって、ここで話すことになったら、いちいち鍵を取りに行くのも面倒じゃないですか?」
そう言われると、納得するように田岡は唸った。
「それもそうだな……。どうせここにくる奴などいないだろうし、そうするか」
話を終え、お互いに懲罰室を出ると、光一の提案通り、鍵は施錠せずに、田岡は鍵を職員室へと戻した。
光一が決めた倉知殺しのリハーサル当日の土曜日、何事も無く、ごく平穏に、文野学園はその日を終えた。
そして約束の時刻の深夜一時半手前、田岡は寮の自室から顔を出し、周りに他の教官がいないことを確認してから、早足で階段に向かった。エレベーターでは、他の職員に動いているのを確認されたときに面倒だ。
そのまま無事に寮を抜け、真っ暗な学校の敷地内をしばらく歩いて旧校舎の前に行くと、人影を二つ見つける。
持ってきた懐中電灯で二人を照らすと、光一と悠月だった。
二人は、どこか暗い顔を、というよりは、心に何かを無理やり押し込んだような、なんとも上手く形容しがたい表情をしていた。まあ、これから自分たちの行う事を考えれば、無理もないだろうが。
二人は共に上下スポーツウェアという恰好で、その手にはシャベルを抱えていた。そして、光一はリュックを背負っていた。
「なぜシャベルを?」
「穴の所に今日置いておこうと思って。本番はなるべく荷物を減らしたほうがいいでしょう?」
なるほど。と、田岡は打点がいった。確かに、死体を埋める時のシャベルの事をすっかり忘れていた。どうやらこいつは、自分が思っている以上に周到に計画を立てているらしい。
「そのリュックは?」
「ああ、ペットボトルに水を入れてきました。喉が渇くと思って」
そう言うと、光一は第一校舎外壁の時計を見上げた。
「もうすぐ時間です。では当日の流れを再確認しましょう。まず田岡さんが倉知を連れてくる。悠月と俺はもうすでに懲罰室に待機して、悠月は大きな柱の、入り口に面している部分、俺はその反対側で待機しておく、そして倉知が悠月に暴力を振るおうとしたら、俺が柱の後ろから出てきて鈍器で殴り殺す。それで死亡を確認したら、フェンスから放り投げて、あの穴の位置まで三人で運びます」
光一は旧校舎付近のフェンスを指さす。
「かかる時間は……本番は何が起きるか分かりませんから、大目に見積もりましょう。懲罰室に連れてきて殺すまでがおよそ、三十分。その死体をあの穴まで運ぶのにかかる時間は、今日実際に歩いてみて確かめましょう。といっても、運ぶ死体がないので差がでるでしょうから、本番は今日かかった時間の倍はかかると想定します。今は一時三十五分ですね。それでは、行きましょう」
淡々とした口調で語った光一は、静かに先陣を切って歩みを進め、その後ろから悠月、田岡の順で続いた。
そのとき、田岡はちらりと、終始無言だった悠月の後ろ姿を眺めた。
先ほどから思っていたことだが、横山悠月はまるで別人のようだった。普段の陽気な様子とは正反対で、暗く、どこか儚げな雰囲気を発し、いつもとはかなり違う印象を覚える。
朝霧光一と親しいことは田岡も知ってはいたが、こんな事にまで付き合うとは、そんなに親密な仲なのだろうか……。
と、田岡が思っていた時だった。
自分の前を歩く二人の後ろ姿を見て突然、頭に何かを打ち込まれたかのごとく、脳に激震が走った。まるで雷に撃たれたような衝撃が全身を覆い、同時に、驚きとも、不安とも言えぬ曖昧な感情が、じんわりと田岡を包んだ。
な、何だ。これは……
直観か、虫の知らせか、それは定かではないが、自分の前を歩く二人の後ろ姿から、田岡は今、この二人の間に存在する、目には見えない特別な絆のようなものを感じ取った。
そして、それがなぜか田岡の目には、どこか悲劇的なものに映ったのである。
……しかし当然、そんな曖昧で意味不明な直観など、口にできるわけもなかった。
朝霧光一、横山悠月、田岡和義の三人は、旧校舎の裏から、フェンスを乗り越えると、裏山へと続く北側へ進み、山道を上っていった。
道中、三人はほとんど言葉を交わさずに、静かに共鳴する虫の声を聞きながら、蒸し暑い夜の山道を進んだ。
しばらくすると、舗装のない、本当の山道となるところに当たった。無数に連なる木々が、独特の不気味さを、今日も余すところなく見せつけている。
田岡が懐中電灯で地を照らし、前回の記憶を頼りにしばらく例の穴を探すと、目印にしていた大きな木を見つけた。
「ありました。これですね」
シートなどで隠しているわけではないので、近づくとすぐにその存在が分かる。この真っ暗闇の森の中でも、ひと際異質な、どこか薄気味悪いその大きな穴は、死者がそこに入り込むのを、今か今かと待ちわびているように見えた。
その穴に近づくと、光一は抱えていたシャベルを、まるで品定めするかのように、わざとらしく手を伸ばして持ち上げた。
それを目で確認した悠月は、初めて口を開き、田岡に尋ねた。
「あ、先生、今何時ですか? 時間を確かめないと」
問われた田岡は、持っていた懐中電灯を左手首にかざすようにして、はめていた腕時計で時間を確認しようとすると、不意に、異変を感じた。
暗がりではっきりと見えたわけではないが、悠月の目線は、時間を聞いた自分ではなく、その少し後ろを見ているように思われた。
そしてその悠月の、何かを憂うような悲しげな瞳から、ただ事でない、不穏な空気を田岡は感じ取った。
反射的に、後ろを振り向く。
するとそこには、鬼のような形相をした光一が、自分をめがけてシャベルを大きく振り上げていた。
咄嗟のことに田岡は動けず、思考が止まった。
深夜の森林の中に、頭を殴打する生々しい嫌な音が、虫の声と共に響いた。
続く
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