ドライブとランチタイム

「運転手ってさあ、損じゃない?」

 国道258号線を走る軽自動車。ハンドルを握る深月みづきは、静かなトーンで愚痴を零した。

「……何が?」

「助手席に座ってる友達がクレープ食べてるときにさ、運転手は前を見つめて運転しててさ、隣からは甘い匂いして、でも食べられないわけじゃん? 運転してるじゃん。集中しなきゃじゃん。隣は何もしてないのにクレープ食べてさ。運転手って……損じゃない?」

 口許にクリームを付けながら、千夏ちなつは生地の中で溶けていくアイスクリームを慌てた様子で頬張った。

「違うよ深月。免許を持っている時点で損じゃない。免許を持ってないが故に仕方なく助手席に甘んじている人間はクレープを食べることしか出来ない。だから、むしろ助手席の人が長い目で見て損している。つまりわたし損してる」

 信号が赤になる。深月はブレーキを踏みながら、「お昼何食べる?」

「わたしクレープ食べたから軽くでいいよ。ほら、そこのドライブスルーでフライドポテトとか。あ、損してる! ちゃんとしたお昼ご飯を損してる! あちゃちゃー」

 言いながら千夏は大きな口でクレープ頬張って、チョコソースを唇の周りにべったりとつけていた。アッシュブラウンの髪にも少しクリームが付いている。

 深月はパワーウィンドウを開け、僅かに入ってくる冷たい風に髪を戦がせながら、

「ねえ千夏。私、お弁当作ってきたんだけど、どうする?」

「え、お弁当?」

「結構大量に作ったんだけど、そっか。軽くで良いのか。じゃあ、私一人で食べようかな」

「え? それわたしホントに損してない? お昼ご飯損してない?」

「ハンバーグとか作ってきたのに残念だなぁ」

「ごめんなさい深月さん! 運転手の方が損でした! 残りのクレープあげるからお弁当食べさせて!」

「お昼もあるからクレープはやめておいた方がいいよって言ったのに」

「そんなサプライズあると思わなかったんだもん」

「ま、プロが作ったクレープの味を楽しめたと思って諦めるんだね。じゃ、あと五分でドライブスルー着きます」

「ああああああ深月のお弁当の方がいいいいいいいいいい!」


   ***


「味噌カツサンドうまうま!」千夏は目を見開いた。

「豚肉なのにウマウマ?」

「馬馬!」千夏はにっかと笑った。

 先ほどまでの文句が嘘のように、千夏は次々にお弁当を口の中に詰め込んでいた。

 深月はサラダを食べながら、助手席に座る千夏の食べっぷりを眺めている。

「私より食べそうじゃん」

「そりゃあお腹の容量が違いますんで」

「千夏は食べ盛りだね」

「二十二歳って食べ盛り?」

「千夏はいつでも食べ盛り」

「馬鹿にされてる気がしないでもないなあ」

「馬鹿にはしてるよ」

「正直者め!」

 車は大きな公園のだだっ広い駐車場に駐めた。駐車場内には色味のない車が散見される。車内では食事や休憩をとるサラリーマンの姿があった。そこにあって、二人の女子は少し異色だったのかも知れない。

 二人は太ももの上にピクニック用の派手なプラスチックの容器を載せていた。ランチボックスだ。ボリュームのない太ももは不安定だが、一々ダッシュボードに置くのも少し面倒で、いつもここに置いている。

 深月は甘い玉子焼きを、千夏は、嬉しそうな顔でハンバーグを食べた。

「んー。やっぱ料理上手いなー深月は。世界一美味しいと思ってたお母さんのハンバーグを秒で抜いたもんね。これ一つですぐ嫁入りできるよ、保証する」

「それはどうも。褒め言葉として受け取っておくね」

「めっちゃ柔らかいしさ、お肉っ! って感じだし、でも全然臭みとかないし、ホントに好きだよわたし。下に敷いてあるパスタも含めて好き。ソース濃いのも好き。ご飯いくらでも食べられちゃう。太るね、これは。でもこれで太れるなら本望だよってくらい好き。いやホント、それくらい本気で好きなんだけど、伝わってる?」

「伝わりすぎて恥ずかしいなって思ってるくらい伝わってる」

「でへへ」

「そっちが照れるんかい」

 車内にあらゆるおかずの匂いが充満する。シートにこびりつきもするだろう。だがそれを、深月は別段気にしなかった。二人で出掛けるときにはいつもこうだ。車内で何かを食べることが二人の楽しみでもあった。弁当まで作ることは、これまではあまりしてこなかったが。

「ねぇ深月。このハンバーグの作り方、教えてくれないかな。自分でも作れるようになりたい」

「千夏が料理?」

「いや~、さすがに出来るようにならなきゃねぇ」

「……そっか」

 深月は箸でハンバーグを二つに割りながら、

「まあ、そんなに難しいことはしてないよ。タマネギ飴色になるまで炒めて、すり下ろした人参、牛乳に浸した食パンと、あと溶き卵を入れて、よく混ぜる。キンキンに冷やした手で素早く、粘りが出るように混ぜるの。手の温度でお肉の脂がとけないようにね。昔からお母さんがそう作ってたから真似してるんだけど、これで結構美味しくなる」

「ふえー。このソースは?」

「ケチャップとウスターソースを混ぜて、ハンバーグ焼いているところに入れてちょっと煮込む」

「だけ?」

「だけ」

「かんたーん」

「なめんな」

「へい」

 千夏はぱくっとハンバーグを口に運び、

「うんうん。じゃあ、このハンバーグ、わたしも作る。うん。絶対作るよ。『今日という日の思い出ハンバーグ』ってことで。今日を絶対忘れないようにさ」

「そうだね。忘れないようにね。レシピらしいレシピとかないけど、まとめて送るよ」

「ありがと。助かる」

 弁当を平らげ、二人は車のドアを開け放った。風の通り道に、二人の髪を僅かに乱す一吹きが駆け抜けた。太陽は暖かいが、風はまだまだ冷たい季節だ。

「ね、千夏」

「んー?」

「どうだった、早朝ドライブ」

「いやー、最高だった。やっぱいつもと違う時間に行くのっていいね。同じ景色でも全く違う風に見えてさ。太陽のオレンジ色が綺麗だったし。なんでもっと早くやらなかったんだーって思ったよ」

「そうだね。また、行けると良いね」

 千夏は身を乗り出して、深月に顔を近づけた。

「行けるよ! 何回だって」

「……本当に?」

「ホントホント! 帰ってきたらまた行こうよ!」

「そうだね。じゃあ、今度は千夏の運転で」

「今から免許取れってこと? ええー今更じゃん。わたしは良いよぉ。だって……東京の道を運転するの、たぶん怖いじゃん」

「そうだね……都会は運転、難しそうだもんね」

 深月はダッシュボードに置いた水筒を手に取り、蓋をコップにして温かい緑茶を注いだ。ほわりとのぼった湯気が風にさらわれる。

「飲む?」

「うん。飲む」

 手渡したお茶をずずっと啜る千夏を、深月はじいっと見つめる。

「んっ。な、なにさ」

「うん。やっぱり、寂しいな、って思ってさ」深月の前髪が風に激しく揺れた。「お別れするの、嫌だなって」

 千夏はコップを両手で包むように持って、少し唇を尖らせた。

「な……なんだよぉ、急に」

 ――別れの季節。

 あと一ヶ月もしないうちに、千夏はこの街を離れ、上京する。

 深月は地元企業に就職が決まった。幼馴染みだった二人は、初めて住む土地を分かつ。

 居を移すにも準備がある。二人して出掛けられるのは、今日が最後のチャンスだった。

「ずっと一緒だったからね。寂しくないわけ、ないよ」

 深月がそう言うと、コップで顔を隠した。僅かに見える千夏の瞳が、きらりと光っていた。

「普段、そういうこと言わないじゃんか」

「だって恥ずかしくて言えないじゃない? そういうのって。でもなんか、こうしてるとさ、想いが込み上げて来ちゃうっていうかね」

「なん、だよ……」千夏の声が、瞳が、ふるふると揺れ始めた。

「なに、千夏ちゃん泣いてんの?」

「だって、だって、ズルいよそんなこと言うの。わたしだって、めっちゃ寂しいんだもん」

「そうだね。ずっと一緒にいたもんね」

 これからの人生で、千夏以上に関係を深められる人は現れないだろう。深月はそう思っているし、きっと千夏も同じことを思っているに違いない。

「絶対帰ってくるから」

「そうだよ。おじさんとおばさんにもちゃんと顔見せなきゃ」

 千夏はぶんぶんとかぶりを振った。涙と鼻水を流しながら、

「そういうことじゃなくってぇ」

 深月は微笑んだ。

「私に会いに来る?」

「毎週来る~」

「それは普通に迷惑」

「だああああ」

「ああちょっと、抱きつこうとしないで。お弁当箱落ちちゃう。ってか服に鼻水つくー」

「ああ~深月ちゃぁぁん。さよならしだぐない~」

「はいはい。私はここにいるんだから。いつでも会いに来ていいから」

「じゃあ毎週」

「それは迷惑」


   ***


 朝早くに車を出して、あっちへこっちへと走り続け、お昼を一緒に食べ、日が暮れるまで二人の会話は尽きなかった。

 朝のオレンジと夕方のオレンジは、少し違った色をしていた。あんなに眩しかった鮮やかな太陽が、夕方には少し、寂しげに映る。

 千夏は助手席で眠っていた。

 国道を走る車の多くがヘッドライトを点け始め、前方のテールランプが赤々と光る。

 帰路は、少し渋滞していた。

 アクセルを心地よく踏めるほど快適な時間ではない。深月は、いっそこのまま、車が動かなくなってしまえばいいと思った。

 この渋滞が続く限り、今日という日が終わらないような気がした。

 でも、車は少しずつ前に進んでいく。前の車が動くから、仕方なく深月も、ブレーキから足を離した。

「千夏。また一緒にご飯食べようね。その時は、またハンバーグ作るよ。千夏が好きって言ってくれるの、私も凄く、嬉しいからさ」

 心の中で留めていたくても、言葉が口から零れ出す。

 音楽もない車内で、それは深月自身の耳に、すっと流れ込んでくる。

 すると、千夏がもぞもぞと動きだし、「んんー」と伸びをした。

「あれぇ、道混んでるね」

「うん。もう少しかかるかも」

「そっかぁ。じゃあもっと寝られたな」

「本当に運転手って損だね」

「大丈夫。このツケは夜に回ってくるから。眠れなくなって結局損をすることになるのは助手席の宿命だから」

「じゃあ替わる?」

「それは結構」

「ほら」

 千夏は座席に沈むように座って、

「でもあれだね。この渋滞、もうちょっと続くといいね」

「……どうして?」

「渋滞が続くとさ、今日が終わらないような気がしてこない?」

 前の車のブレーキランプが灯る。

 深月は、ブレーキペダルを踏んだ。

「大丈夫だよ。今日は終わっても、今日はなくならない。でしょ?」

 千夏はぽかんとして、少し考えてから、

「そっか! ハンバーグ食べる度に思い出せるね!」

「そういうこと」

 車は走り出す。

 沈む夕日と、今日という日の終わりに向かって。

 深月と千夏、それぞれの、未来に向かって。

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