煉瓦街の殺人

 煉瓦造りの街並みが美しいここ、マッテンガウン市を東西に走るラ・ドル・ストリート。

 如何に世界が混沌に覆われていようとも、この街だけはいつまでも変わらずほどよい刺激と安寧に包まれている。

 ラ・ドル・ストリートを北に入った裏路地にひっそりと建つ鉄筋製のバランド・ビルディング。四階建ての二階に、事務所兼住宅の『ヴァッツ=グラン魔法相談所』は存在する。

 わたしはルッカ=メロディア。師であるヴァッツ=グランの元で日々魔術の修行をしながら、師匠の仕事のお手伝いをしている。

 マッテンガウンは愉快な街だ。だけど時々おかしな事件が起こる。

 師匠は魔術の専門家として多くの仕事を請け負っているほど高名な魔術師なのだが、師匠の力を借りようとするのはそういった方面の人間だけではなかった。

 その筆頭とも言うべきは、マッテンガウン市警のカイバ=ショットバーン警部だろう。

 わたしはその人があまり好きではなかった。大きな体躯で声が大きく、悪い人ではないのだがどうにも威圧感を感じてしまう。

 その人は今日も事務所にやって来た。大方仕事の依頼だろう。彼はあまり師匠に魔術を主とした話題を持っては来ない。彼の仕事は警察だ。従って以来は概ね、事件解決に協力して欲しいとのことだった。

 今日も例に漏れず、

「これを見て欲しい」

 師匠の部屋に通した途端促されるのを待たずにソファにどっかり座ったショットバーンは、スーツの胸ポケットから一枚の写真を取り出した。

「昨日のことだ。ラ・ドル・ストリート一丁目にある出版社『ブルー書房』の名誉会長、リード=クラック氏が殺害された。現場は出版社内の会長室。死因は背後からナイフで刺されたことに因る失血死。恐らく、魔術が絡んでいると思われる」

「魔術が絡む……それは背後から刺されて、という点がそう思わせるのかな」

「ああ。彼の死亡推定時刻、彼の部屋を訊ねた人間が四人しかおらず、その四人はクラック氏を殺害できるほどの腕力を持っていない者ばかりだった。背後からナイフを刺して失血死に至らしめるにはただナイフを一突きするだけでは足りない。相当に長いナイフを、相当な力で、かつ確実に深く刺さなければならない。ご丁寧にも皆に魔術に心得があった。どのような魔術を用いたかはさて置いても、魔術を使用した可能性は非常に高い。故に、君に協力を求めたいんだ」

 わたしがお茶を出すと「待ってました」と言わんばかりにショットバーンは勢いよく口許にグラスを運ぶ。茶を一気に喉へと流し込み、間を開けまいと慌てた様子で言葉を継いだ。

「そしてこの写真だ。これはクラック氏が残したダイイングメッセージ。床の絨毯を指でなぞって模様を作り出している。そこに書かれているのは……」

「88。これが犯人を示す証拠である、と?」

「俺たちはそう睨んでいる」

「……にしても、私に依頼する意味が分かりかねますな警部殿。このような事件なら丹念に捜査すればそう難しいものじゃないはずだ。マッテンガウン市警はそこまで落ちぶれちゃいないと私は評価しているのだが、過大かな」

「こっちの問題だよ。あまり時間掛けられるような案件じゃないんだ。ヴァッツ、君の知見で以て事件解決を一秒でも早めたいと思うのは、マッテンガウン市警の地位を落とすものになるかい」

「そうだね。世間的にはともかく、私から見た市警の評価は底を突き破ることだろう。今に始まった話ではないが」

 師匠もショットバーン警部にはほとほと呆れている様子だ。

「しかしこのリード=クラックなる人物、年齢にしては随分とやんちゃな印象を覚えるな。歳は?」

「六十五だ」

 師匠は写真に視線を落とす。

「彼は俯せで倒れ、背中から心臓部にかけてかなり長いナイフが刺さっている。左手は力なく投げ出され、右手の突き立てられた中指で絨毯をなぞった」

「やんちゃな印象というのはどういうことだ」

「タトゥーだよ。右手の中指に海賊旗ジョリーロジャーと思しき髑髏マークが彫られているように見える」

「ああ、確かにあった。聞くところによると、出版業界という荒波を渡る海賊、というのが彼の口癖だったようでね」

「そうかい。随分と荒っぽい手を使ってきたのかな。では容疑者の情報を知りたい。名前、性別、年齢、職業も付けてもらえるとありがたいが」

 ショットバーンは手帳を取り出し、

「ラバ=クラック、四十二歳、男性、被害者の息子で、皇国警察の警官だ。トルタ=ポート、三十二歳、女性、ブルー書房の社員。アルミノ=シールド、四十六歳、男性、外科医だ。最後が、ファブ=ダックノート、六十四歳、男性、被害者の秘書。全員が魔術に心得があるが、会長秘書に関しては魔術師としての腕は皆無に等しい。だが、トルタ=ポートは魔術競技会の代表に選ばれるほど熟練した魔術師であることから、彼女が有力な容疑者だとみている」

「なるほど」

「何か分かるか」

「ふーむ」

 師匠に退室を促されることもなかったので、わたしは部屋の隅に立っていた。

「あくまで私の戯れ言と思って聞いて貰いたいのだが」師匠はショットバーンにそう断って、写真を警部の方に突き出した。「被害者はこの海賊旗ジョリーロジャーを、とある記号に見立てたのではないかと思っている」

「どういう意味だ」

「このタトゥーを活かすためにあえて中指で数字を書いていたのではないか、と思ってね」

「この髑髏を利用した、と」

「そうだ。髑髏の下に骨が交差したマークがあるじゃないか。何に見える?」

「……×かけるだ。かけ算の時に用いる記号」

「良い着眼点だ!」師匠は両手を広げ称賛した。

「そうか、これはかけ算で以て犯人を示しているのか! 二つの8の間に×!8×8で答えは64。つまり、六十四歳の会長秘書! 彼が犯人に違いない!」

 師匠は首を振って、随分と深く嘆息した。

「君は言ったじゃないか、秘書は魔術師としての腕は皆無に等しいと。軍隊仕込みの腕力があるならいざ知らず、魔術の力も借りられぬ老人が心臓を一突き出来ると思うかい」

「ではなんなのだ! 抵抗する人間に背後からナイフを刺すなんてことは、生半可な魔術では不可能! 魔術の腕が重要ならば犯人はトルタ=ポートで決まりということになる!」

「裏を返せば、抵抗出来なくしてしまえば可能とも言えるじゃないか」

「……どういうことだ?」

 師匠はローテーブルの上のコーヒーカップを手に取り香りを楽しみながら、

「ところで警部、警察ではまず、新人に捕縛魔術を教えるそうだね」

「そうだとも。犯人確保に最も有用だ。身動きを取れなくする」

「そして、魔術を会得した医者はナイフをゆっくりずぶずぶと心臓に届くまで刺す術を持ち得ているだろう」

「……何が言いたい」

「つまり、警官と医者が共謀したらば、今回の犯行は容易だったと言えるんじゃないかな」

「?」

「その勘の悪さは警部失格だよカイバ=ショットバーン。犯人は息子で警官のラバ、主治医のアルミノ。二人は互いの得意分野で、捕縛と刺殺の役割を分けたんじゃないかな」

「待てヴァッツ。ダイイングメッセージの88はどうなる。それに君自身が海賊旗を無視するとはどういうことだ」

「無視はしていない。寧ろそれがあるからこその結論だ」

「何?」

 ショットバーンは身を乗り出した。

海賊旗ジョリーロジャー×かけると見たのは君だろう? 私はそうは言っていない。私はその交差した骨を少し斜めに見たのだ。すると、記号はその意味を変える」

 ショットバーンは写真を斜めにするのではなく首を斜めに捻った。

プラスか!」

「そうだとも! 二人の年齢を見るといい。ラバは四十二歳、アルミノは四十六歳。二人の年齢を足すと八十八歳。被害者が残したメッセージと符合する。プラスの記号を用いたのも共犯を暗示してるのかも知れない」

「そうか。一人では容易には為せない犯行も、二人ならば可能になる!」

「あくまで想像と戯言だがね。動機も何も分かったものじゃない。そういった線で捜査をするかどうかは君たちマッテンガウン市警の判断一つ。私は責を負わない立場だ」

「ならば私の判断でそうさせてもらうよ。何せ急がねばならんのだ」

「何故そこまで焦る? 政治家が死んだんじゃあるまいし」

 師匠はカップに口を付け、音を立てずコーヒーを口に含んだ。

 ショットバーンは写真をポケットに収めながら立ち上がる。

「俺の知ったことじゃないが、上がせっついてくるんだ。大方ブルー書房の記者に弱みでも握られているんだろう。腰の重い連中がこうも口うるさいってことはそういうことだ。そんなに急ぐのなら事件捜査に魔術を使うことをもっと柔軟に認めてもらいたいものだよ。それでどれだけの事件が解決に近付くか」

「面倒な世の中だからね。慎重にならざるを得ないのだろうさ」

「厄介なことだ。いやいや、助かったよ。報酬は払えないが、飯に困ったらいつでも連絡してくれ。値の張るレストランくらいなら奢る。もちろん、そこのお弟子さんもな」

 ショットバーンは急に視線を寄越す。わたしは軽く会釈した。

「市警としてはそれも充分弱みになり得ると思うが?」

「いいさ。バレたところで俺なんぞ首を切られるだけだろう」

「そうかい。それはそれで、市警にとっては損失だね」

 ショットバーンは空笑いをした。

「過大評価だよ。君お得意のな」

 そう言って、ショットバーンは部屋を後にする。

 漸く静かになった室内で、師匠はコーヒーをゆっくりと啜りながら、

「ルッカ。早速私は警部殿に相当に値の張るレストランを催促するつもりだが、君も来るかい?」

 わたしは間髪を入れず、

「行きます」

「警部も同席すると思うが?」

「値の張る食事は何にも代えられません」

 師匠は笑い、

「正直でよろしい。欲には忠実であるべきだからね」

 今日もラ・ドル・ストリートは賑やかだ。時にきな臭いことも起こるが、皆がこのマッテンガウンを愛している。

 そして何よりこの街のレストランは、何度行っても飽きることがない。

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