連綿
夜の地方都市。
駅前の目抜き通りを目的一つなく歩いていると、得てして物思いに耽るものだ。
向かう場所がないというのは裏を返せばどこへ行こうと意に反することはないということでもある。ひたすらに自由であるが、それ故に幾つかある選択肢から一つを選ぶ必要に駆られ苦心する。それこそが醍醐味と言う者もあるだろうが、迷っている時間を噛みしめる余裕を有していない小生にとっては愉しめるものではなかった。
栄枯盛衰と言うべきか順当に衰退したと言うべきか分からないが、駅前は閑散としていた。人影はまばら。アーケードの明かりは明滅し、
目的なく歩くことの何と無意味なことか。視線が何かにとまるといったことがない。
酒を煽ろうにも居酒屋チェーンが幾つかあるのみで味気ない。かつては賑わっていたと思しき路地裏にはもはや暖簾を掛ける店はなく、迷う余地もない。
アーケードの切れ目まで歩いて何の気もなしに空を見上げる。
濃紺の夜空に散らばった星の光と引きちぎられたような灰色の雲が、徒に歩く足を止めた。人がつくりあげたものであればこうも不規則にはなるまい。雲の配置は乱暴だ。美しいとはいえないが、これが自然そのものだと言われれば感嘆するのも悪くはない。
雲は流れていく。その場に留まるということがない。
流動的であるからこそそこに美を見るというのは往々にしてあることだろう。長く停滞することに価値を見出すのはせいぜい美術品なものくらいで、人も老いていくのだから、変わり行くことを恐れてはいけない。人が老いるのだから街も老いて当然とも言える。老いて捨てられる定めも人と街とで共有していることは火を見るより明らかだ。
僅かに冷えた空気を鼻で吸うと、マスク越しに香ばしい匂いがもぐりこんできた。
あまりに散らばる視線のせいで目に留まることのなかったものがそこにはあった。
随分と老いさらばえた建物だ。アーケードの端に身を隠すように建つそれは、立ち止まりでもしない限りは視界にも入らないような少し奥まった場所でひっそりと開かれていた。
控えめな店構えには儲けようなどという欲が感じられない。店内の様子を窺うことは出来るが、薄暗い明かりのせいか陰気である。
店主が一人白衣を纏って厨房に立っていた。コの字のカウンターのみの狭い店だ。
目的はない。目抜き通りをただ歩くだけで時間を潰し、流れていく時間と一秒ごとに廃れていくアーケードを眺めて終わるのも別に悪くはないのだろう。目的がないということは、何もせずとも誰に咎められることもないということだ。
だが、足はその店に向いていた。延々と流れ決して止まることのない時間に身を任せ、朽ちた壁面になんの手も施さないどこか高潔な精神に感化されでもしたのだろう。
引き戸を開ければ昭和の頃には飽くほど聞いた重たい音が響く。
「いらっしゃい」
店主は思ったよりも若いが、渋く落ち着いた声音で安心感を覚えた。
「お好きな席に」
特にこだわりはない。一番奥の席に座る。店内を見回してみると、そう安くもないが特段高いとも思わない値段が張り出されていた。
酒にこだわりはなかった。店主にお任せで見繕ってもらっても良いが、突然入ってきた客に任せられる店主も迷惑だろうとビールを頼んだ。店主は微笑むこともなく瓶ビールと栓抜き、小さなグラスを置く。
メニューはそう多くなく、フライドポテトや唐揚げといったありがちなものも実に達筆な字で書かれている。何を頼むべきか分からなかったが、串ものを焼く台が目に入った。何を食べるかなど考えもせずに入ったのだから何を食べても後悔のしようがない。どこの居酒屋で食べてもそう変わらないものを頼んでも面白味はないだろう。ならば真っ先に目に入ったものを頼むしかない。
迷っている時間ほど無駄なものはないのだ。だからこそ考えず、時間の流れに身を任せることが人間に与えられた唯一の抵抗である。
街の静けさと薄暗さに馴染むようなこの店の寂れ具合もまた、そういった抵抗の果てにある姿なのだろう。人と街のあるべき姿であるように思えた。
瓶の蓋を開けた。瓶は冷たく、早くも汗をかき始めている。グラスにビールを注いだ。泡が半分を占め、口当たりはさほど良くないが喉を通る冷たさは身体に染みる。
火の入った焼き台と、香り立つモツ。食欲をかき立てられないわけはない。
目的なく入った店で不意に目的を見つけてしまうこともある。遠巻きに眺めていては気付かずとも眼前にあったらばいの一番に目に飛び込んでくる欲望の種。
見上げれば星があるように、首を回せば店があるように、無欲の先にこそ出会いがあるように思えてからが人生の本番である。
時の流れに身を任せるように、目にとまったものに己の欲望を任せ今日の目的とする。
抵抗は虚しい。生きることが既に
「注文、良いですか」
「どうぞ」
「モツ煮と、焼き鳥の盛り合わせを」
「……へい」
攻めてくる空腹に耐えながら待つこの時間も、また人生である。
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