櫻の咲いた坂道を
――私は、坂道を登る彼女たちに、心を奪われた。
***
別段嫌悪があったわけではないし、遠ざけていたわけでもないけれど、私は昔から、アイドルというものに興味が湧かない人間だった。
周りの子は時代時代のアイドルを好きになっていたし、韓流ブーム? とやらが持ち上げられているときにはK-POPもそれなりに聴きはしたけど、好きとか嫌いとかというよりも、テレビ流行ってるって言ってたから、なんていう理由で動画サイトを開いていたように思う。
高校二年になった頃だった。
私は、人生に行き詰まった。
今の時代は女の子も高学歴じゃないといけない、という親からのプレッシャーと、先生の言うことは大人しく聞く優等生というイメージに疲れ、私は初めて、学校と塾をサボった。
初めての反抗だった。
「
「そうかな」
「本当に良い大学行きたいの? 自分の意思で決めたの?」
「志望する大学は、自分で決めた。自分で決めたよ、だけど、別にどうしても行きたいわけじゃない」
ファーストフード店のテーブルに、制服姿で座ったのはこれが初めてだった。夕方に食べるフライドポテトは格別の美味しさだった。
母からは何回も着信があった。学校には休むと丁寧に連絡を入れたけど、母には少しぶっきらぼうに「今日は休む」とだけ送った。どういうことだと問い詰める連絡だろう。母が私を叱ることはないが、無自覚に優しい言葉で追い詰めてくる。そうならないために、私は着信に応えることはなかった。
「やりたいこととかないの?」
「やりたいこと」
「だって咲耶、自分の夢って話したことないじゃん。やらなきゃいけないから勉強する、行かなきゃいけないから塾に行く。それじゃあ行き詰まっちゃうよ。目的のない努力って、続けても辛いだけじゃん」
里奈には夢がある。そのために勉強をしている。今日は付き合わせてしまったけど、里奈は自分のために努力していた。
けど私は、
「……何がしたいんだろう」
そのとき、里奈のスマホが震えた。里奈はそれを取る。里奈のお母さんからの電話だったらしい。
「……咲耶ごめん。さすがに門限までは破れないや、帰らなきゃ。一人で大丈夫?」
「うん。ありがとう。里奈がいてくれて良かった」
「あ、そうだ」と言いながら、里奈はスマホを操作して「これ聴いてみ。おすすめ」
里奈は動画サイトを開き、私に曲名をちらっと見せて店を出た。
里奈は時々こうして流行りの音楽を教えてくれた。どうせ好きになることはないのに、それでも私は、半ば義務のように毎回それを聴いていた。
「アイドル……か」
珍しいなと思った。里奈が女性アイドルを勧めてきたのは初めてのことじゃないだろうか。
一人テーブルのポテトを摘まみながら、ワイヤレスイヤホンを付けて、勧められた曲のミュージックビデオをスマホで再生した。
――そこには、くすりとも笑わないアイドルの姿があった。
衝撃だった。胸を打たれた。センセーショナルな歌詞と、それを表現する女の子たち。無表情で、だれかに操られるように、だけど、真っ直ぐ、強すぎるくらい強い目でパフォーマンスをする彼女たち。
四分半もの間、全く目が離せなかった。
圧倒された。魅入られた。
そして同時に、胸が痛くなった。
彼女たちは曲で、パフォーマンスで、私に向かってこう訴えかけたのだ。
――あなたらしく生きなさい。
私ってなんだろう。目的もなく、ただ誰かに言われた通りに歩く私の人生ってなんだ。
大人たちが全て正しいのか。大人たちの言う正しいは、私にとっても正しいのか。
それから私は、貪るようにそのグループのミュージックビデオを見続けた。
かっこいい曲。熱い曲。踊り乱れる曲。優しい曲。暖かい曲。彼女たちが見せる表情は曲によって様々で、表現する世界観も、まるで私に語りかけるように、寄り添うように感じられた。今まで感じたことのない感覚だった。
ふと、生温いものが、頬を伝った。
涙が零れたのだ。
鼻をすする。涙した自分に「ばかばか」と言いながら、目をこするように拭う。
「自分らしく、か」
考えたことはあった。けれど答えを出せたことはない。
「なんだろう。自分らしさって。やりたいことってなんだろう」
勉強ずくめの毎日で、自分というものを見失っているような気がする。
「自己主張なんてしたことなかったし」
大人が決めたルールと、それに従ってきただけの毎日に、今日初めて反旗を翻した。実に可愛らしい抵抗なのかもしれないけど、これが私の精一杯だった。
夢はない。あまり考えてこなかった。だから、自分がどうなりたいか、どうなっていたら幸せなのか、全く想像がつかない。
――自分の意見を言うんだ。
彼女たちにそう言われた。
言われたとおりにするんじゃなく、今自分がしたいことを。
「……そうだ」
私は店を飛び出した。テーブルの上を片付けてなかったことを思い出して、慌てて店内に戻った。
ダストボックスに空になったポテトの箱を放り投げて、私は店前に止めてあった自転車に跨がった。
春の夕暮れ時は寒かった。寒かったけれど、それを気持ちいいと感じるほど、私の心は何故か清々しいものになっていた。
そういえば、さっき見たミュージックビデオでもアイドルの子が自転車を漕いでいた。立ち漕ぎで、猛スピードで跨線橋を走り抜ける姿は、見ているだけでも爽快だった。
家々の明かりが浮かび始めた頃に、自宅の玄関ドアを思いっきり開けた。すぐさま居間からお母さんが飛び出してくる。
「咲耶! どこ行ってたの心配したんだから!」
想像通りの顔だった。本当に心配していたんだと思う。申し訳ない気持ちはあった。けれど。
「お母さん。私、バイトしたい!」
私は私の想いを叫んだ。
「……え? 何、急にどうしたの」
「バイトしたい理由が出来たの」
「バイトって……今までそんなこと言ったことなんてなかったじゃない。勉強はどうするの。志望大学も決めたばっかりなのに」
「勉強はするよ。そこそこする。今まで通りにはいかないかも知れないけど、塾も行く。大学はまた考え直すかも知れない。あのね、お母さん。私、勉強ばっかりしてても楽しくないって気付いちゃったの」
「どうしたの咲耶……」
「だって、勉強は好きじゃないから」
勉強が必要なことは分かってる。だから投げ出したりはしない。だけど、
「やりたいこと、好きになったこと、ちょっと追いかけてみたくなったの。勉強じゃない好きを見つけちゃったから」
「それは、将来の夢、ってことなの?」
私はかぶりを振った。
「全然。夢なんてまだ分かんないよ。でも、自分で決めたことをしたくなったの」
「咲耶がやりたいことなら……止めないけど」
「ありがとう」
お母さんは私に強制したりはしない。ただ無意識のうちに、自らの理想の娘像を、さも娘の私がそう望んでいるかのように錯覚して、それに従って行動しているだけだ。
だから多分、これまでも私が何か明確な意思を示せば、簡単に状況は変わったんだと思う。私にその意思がなかっただけだ。
「アルバイトをして、何かしたいことがあるってことなんだよね?」
「うん」
ある。とっても単純で、将来のことなんてこれっぽっちも考えちゃいない、あまりにもばかげた想い。
「とりあえず、CDが欲しいかな」
***
私は、坂道を駆け上がる彼女たちを追いかけたくなった。
誰かの言うとおり生きるのは楽だ。きっと数多くある人生の選択肢を、パンタグラフとレールに従って進むだけ、変に意思を働かせずに済む。
でも、それに疲れちゃ意味がない。
ちょっと脳天気になってもいいんだよね、きっと。
真っ直ぐ、自分のやりたいことをやってみる。誰かが決めた道じゃなく、自分の意思に従って。それは将来性の欠片もないことだけど、それで今が輝くなら、それでも良いって、今の私は思っていた。
パフォーマンスで寄り添ってくれる彼女たちを、坂道を登った先で、櫻の花を咲かせる彼女たちを見ていたい。
それで毎日が輝くなら。
それで生きる勇気がもらえるのなら。
それも自分の生きる道と、言えるんじゃないだろうか。
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