アフェア・イン・ザ・アパートメント
第六感が働いた。
私は確信を持ってこう言うことが出来る。
旦那は、不倫をしている。
二人して買い物に出掛けた帰り、いつもの如くマンションのエレベーターに乗った。
部屋は八階だ。意識しなくても「8」と書かれたボタンを押す。だが彼は何に迷ったのか、「あ、違う」と小さく呟いてから八階のボタンを押した。
思わず漏れた言葉だったのだろう。
だが、私にはどうにも引っ掛かった。
一体何が違ったのか。「違う」とついエレベーターで口にするとしたら、どういう意味があるだろう。
――第六感が働いた。
あのとき彼は、違う階のボタンを押そうとしたんじゃないだろうか。
違う階を押そうとしたから「違う」と言ったのだ。
自宅マンションのエレベーターだ、普通ならそんなことはあり得ない。
でも、こうも考えることが出来る。
――もし彼が八階以外のボタンを日常的に押しているとしたら。
近所付き合いが希薄で、マンション内には友人どころか見知った顔も殆どない。その中で他の階に行く機会なんて彼には滅多にないはずだ。
だとしたら、私に考えられる理由は一つ。
「不倫」
彼はここ何ヶ月も帰りが遅い。残業だと言ってはいるが、このマンションの別フロアに住む女と日常的に不倫していると考えれば、どこか腑に落ちる気がした。
問い詰めよう。
私は彼の不倫を許さない。そして、疑う余地がある以上は黙ってもいられなかった。最後まで追い込んで、離婚届を突き付ける準備もある。
薄暗いリビングで缶ビールを開ける彼に、私は強い語調で問いかけた。
すると彼は鼻で笑って、缶ビールを口許へと運んだ。
「何がおかしいの」と机を叩く。
彼は缶を置くと、私の方を、まるで蔑むような目で見た。
「不倫しているのは、君の方じゃないか」
瞬間、冷たい空気が鼻を抜けた。
静かなリビングに彼の低い声が這ってくる。
「普通ね、エレベーターでそんなことがあったからってそんな思考はしないものだよ。でも君はそう思った。何でかな。それはね、君が、まさしくそういう形で不倫をしているからだ。君はそうして、僕が仕事に出掛けている間、他の男とよろしくやっている。そうだろう?」
「何よ、急に」
「少しね、鎌を掛けたんだ。興味本位だよ。僕がエレベーターでそういったことを口にしたら君はどんな反応をするんだろう、ってね。そうしたら驚くことに浮気だなんだとすぐに疑って問い詰めてくるじゃないか。笑っちゃうよ」
「べ、別に、最近あなたの帰りが遅かったからおかしいと思っただけよ。疑うのも当然じゃない」
「弁護士と会う時間がね、どうしても仕事終わりしかないんだよ。悪いけどね、急な話じゃあないんだ。充分に証拠は揃ってるんだよ。君のことは随分と前から疑っていてね。色々と調査はしていたんだ」
彼は自室からビジネスバッグを持って来て、リビングにその中身を広げた。
「君と、十階に住む男性との写真だ。かなり頻繁に会っているようだね。彼は週に数回はリモートワークで、相手方の奥さんは終日外で働いているらしいから普段は会いたい放題。彼は平日に休みがあるようだね。週に一度以上のペースで外食もしている。随分と高級なホテルも常用しているようだ。互いの部屋では満足出来なくなったのかな」
淡々と、感情的でなく、まるで文字を追っているかのような口調だった。
「君はどうしても僕と離婚したかったんだろう。だからその口実を探していた。僕が不倫しているとなったら一番それが手っ取り早い。だから、僕がぽろっと言った一言で勝手に僕の不倫を妄想して問い詰めようとした。白状してくれたらラッキーだとでも思ったのかな。残念だが、僕はそういった行為が酷く嫌いでね。……ああ。いいとも。離婚してあげようじゃないか。ただ、君にも相応の痛みは背負ってもらう。もちろん、相手方の男性にもね。そう上手くいくなんて思わない方が良い。僕も、そして相手方の奥さんも執念深くいくつもりだ」
私は震えた下唇を噛み、血の気の引いた両手を握った。
「……どうして。今までそんな素振りは見せなかったのに」
彼はビールをグッと飲み干し、缶を握りつぶした。
「さあね。僕だって気付きたくなかったさ。ただね、きっと僕にもあるんだよ。第六感、ってやつがさ」
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