猫の手を借る人間よ

 目の前に店が現れた。

 歩いていて見つけた、とかじゃなかった。

 雪がちらつく公園のど真ん中に、蔓に覆われた二階建ての建物が出現したのだ。

 どう考えてもおかしなその状況にもかかわらず、わたしはノブを握り、扉を開いた。

 そこは、和洋問わない骨董品に囲まれたアンティークな雰囲気の店だった。外は寒かったのに、何故かここは少し暖かい。

「いらっしゃい」店の奥から声がした。

 カウンターから三十代くらいの男性が顔を出す。

「おや、女子高生さんか。珍しいね。ようこそ、『猫の手』へ」

「猫の……手?」

「このお店の名前だよ。ほら、猫の手も借りたい、って言葉があるだろう? ここはその猫の手を貸してあげる店でね、ようは何でも屋みたいなものかな」

 柔和な表情で、穏やかな話し方の店主だった。

 店内にはテレビの音が漏れていた。箱みたいなテレビにお昼のバラエティ番組が流れている。

「あの、わたし、なんて言うかその、急に建物が現れて、それで」

「ああ。君はそういうタイプか」

「タイプ?」

「いや、お客さんにも色々いるんだ。ただ共通して言えるのは、このお店は助けを必要としている人の所にしか現れない。君がこの店を見つけたということは、君は助けを欲しているということになる」

「助け……」

「何か困っていることがあるんじゃないかな?」

 店主は白髪混じりの髪を少し揺らしながら言った。

 わたしは真っ直ぐ店主の目を見つめて訊ねる。

「おじさんが、助けてくれるの?」

 店主は微笑む。

「君くらいの歳の子から見た二十八歳がおじさんだというなら、そういうことになるね」

 二十八。思ったよりも若かった。

「じゃあ……手を貸して欲しい、です」

「聞こうじゃないか」

「お金はないですけど」

「大丈夫、お金でどうこうするお店じゃないから」

 わたしは、それなりに覚悟を決めたつもりだった。内に秘めたものは誰にでもある。わたしにもあった。誰にも言ったことのない、願い。

「実は、わたし」

 と言いかけたところで、急に後ろのドアがガタガタッと震え始めた。

「え、なに」

「おや。他の人がドアを開けようとしているね。急を要するお客さんのようだ。お客さんの優先順位を決めるのは私じゃなくお店でね。少し待っていてもらえるかな。あ、そこどいた方がいいよ。たぶん飛び込んでくるから」

「え」と言ってドアの前から一歩横にずれた瞬間、ドアがバンッと勢いよく開けられた。

 入ってきたのは顎に髭を蓄えたスーツ姿の壮年男性。

 彼は息を切らしながら開口一番こう言った。

「助けてもらえませんか。もう手が回らないんです!」

「なるほど」店主は立ち上がって笑みを浮かべる。「ここに来る者の多くは、ここが自らを救ってくれる場所だとすぐに理解する。とりわけ、藁にもすがる思いである者ほど理解が早い……どうぞおかけになってください。この『猫の手』が貴方に救いの手を差し伸べましょう」

 わたしはどうしていいか分からないまま、店の隅に立ち尽くしていた。



 男性は、巷で人気の洋菓子店のオーナーだという。

 聞き耳を立てると、どうやら十五名いる従業員のうち七名が急に仕事を休んでしまい、ここ数日店が回らないとのことらしい。

「幾つか他の洋菓子店に助っ人を頼みに行ったのですが、クリスマスが近いでしょう? そんな余裕はないと断られ、もうどうしたらいいものか。予約分を作るのに精一杯で店頭に並べる分が全く用意できない。店内飲食されるお客様の対応もまともに出来る状況にないんですよ。こうしている間も店は大変で、猫の手も借りたい状況なんです」

「あの~」

 これは、わたしのいけない性分だ。無駄に首を突っ込んでしまう。部外者であるにもかかわらず、口を挟まずにはいられなかったのだ。

「だったらオーナーさんも早くお店に戻った方が良いんじゃないですか。助っ人が見込めないなら、尚のこと」

 男性は呆れたようにわたしを一瞥し、

「私が戻っても付け焼き刃です。繁忙期を乗り越えるには人員を確保しないと」

「あ、そうですよね」わたしは申し訳なさそうに肩をすくめた。口を挟みはするが的を射ないのがわたしだ。悪癖でもある。

 男性はさながらロダンの考える人のようなポーズで唸る。少しわざとらしく感じたが、

「……分かりました。手を貸しましょう」柔らかな表情で店主は言った。「とりあえず、人員不足の解消に、七名」

「そ、そんなにすぐ用意できるんですか。職人に、接客ですよ」

「もちろん。ここはそういうお店ですから。貴方が求める人材をすぐに手配できます」

 そんな上手い話があるものか、とわたしは疑うが、男性は訝る様子もなく立ち上がって頭を下げる。

「ありがとうございます! 助かります!」



 満足げに男性が店を出て行った。

「気になりますか?」店主が言った。「明日にでも洋菓子店に行ってみると面白いかも知れません。『猫の手』がどういった店か貴方にも分かるでしょうから。貴方のご依頼は、それからでも遅くないでしょう」

 店主の何もかもを見透かすような目が、わたしにそう囁いた。

 翌日。わたしは驚きの光景を目にした。

 土曜日の午後。店は随分と繁盛している。とても人手が足りないとは思えない。

 ショーケースには色とりどりのケーキが並んでいるのが外からでも見てとれる。

「どういうこと?」

「ケーキ職人を三名、店員を四名貸しました」

 突然背後から声がした。わたしはびくっと跳ねる。

「あ、猫の手の」

 そこにはベージュのロングコートを羽織った猫の手の店主がいた。

「驚かせてすいません。私も様子見に」

「いえ……でも驚きました。クリスマス前にこんな……しかも、店員さん皆若くて美人。猫の手ってモデル派遣事務所か何かですか」

「あはは、面白いことを言いますね。あれは、全て彼が望んだものなのです。若くて、美人で、従順でよく働く人間。それを店は叶えただけで」

「従順」

「ええ。彼が望むものでないと貸す意味がない」

「そんな都合良くニーズに合う人材が見つかりますか」

「見つかるんじゃないのです。生み出すのです」

「え?」

「それが猫の手なのですよ」

 店主はにっこりと笑う。作り物のような笑顔だった。

 わたしは外気とは違う寒気を覚えながら、

「七人分のお給料に依頼料だと、凄いお金かかりそうですけど」

「言ったでしょう? お金じゃないのですよ。当店が求める報酬は」

 わたしは首を傾げる。

「大丈夫。それもまたクリスマスが終わったら分かりますよ。その後お店に来てください。貴方の依頼はその時に」

 そう言って、猫の手の店主は歩いて行った。

 賑わう洋菓子店を背にわたしもその場を後にした。買い物をしようとは思わなかった。そもそもわたしはケーキと、あのオーナーが、どうにも好きじゃないのだ。



 年末。ふと思い出して、わたしは洋菓子店に向かった。

 すると、

「あれ、お店は?」

 あれだけ賑わっていた店の看板がない。人の気配もまるでなかった。

 犬の散歩をしている年配の女性に、声をかけ訊ねた。

「そこのケーキ屋さん、もう営業されてないんですか?」

「あーそこね、クリスマス翌日に店員さんが全員辞めちゃってね、お店のお金から何から全部持って行かれちゃったらしいわよ。まあ前から悪い噂はあったからねぇ。オーナーさんのパワハラが酷いとかなんとか。天罰が下ったんじゃないかって皆話してる」

「パワハラ」

「そう。人はいつも足りなかったみたいだからね。いつも逃げられてたのよ。とうとう、って感じね」

 ぞわっと。背筋が冷たくなる。

 その足でわたしは公園に向かった。あの建物が現れるような気がしたからだ。

 案の定、そこに店はあった。

「いらっしゃい。どうだった、彼のお店」

「なくなってました」

「そうか。そうなったか」

「何か知ってるんですか」

「うん。まあ、うちはそういうお店だからね」

 わたしの指が震えていた。少し恐怖していたのだ。

「普通の人はね、このお店には入れないんだよ。本当に猫の手も借りたい時、普通は周りの誰かが助けてくれるものさ。でもそうじゃない人もいる」

 ――オーナーのパワハラ。その言葉が頭を過ぎる。

「するとこの店の出番だ。猫の手を貸すことでそういう人を助ける。ただ、そんな都合の良いものをノーリスクで借りられるなんて思っちゃあいけない。ちゃんと相応の代償は払ってもらう。希望の後には、その人に相応しい痛みを負ってもらわなきゃ」

「パワハラをした結果店員さんを失って、それを補填しようと猫の手を頼った結果、お店ごと失った」

 店主はカウンターでコーヒーカップを持ち上げた。

「この店はただの建物じゃないんだ。正体はね、化け猫なんだよ。人の心の機微を食べるんだ。客の願いを叶えて蜜を吸い、その後絶望させて辛さを食う。ほら、人だって甘いものと塩辛いものを一緒に食べると美味しいじゃない。化け猫もそうでね。その味を覚えてしまったものだから、自らの手を貸しその人の欲望を叶えることで、自らの欲を満たしているんだ」

 何を言っているのか分からなかった。ただ、不思議とそれを信じてしまうわたしがいた。そういう類いのものじゃなかったら、むしろこれまでの全てに説明が付かない。

「では、わたしもそうなのでしょうか。わたしも、あのオーナーと同じ」

「言っただろう。お客さんにも色々いるんだ。君の場合は少し違う。誰も助けてくれない人もいるが、誰にも頼ることが出来ない人もいる。君は、そうじゃないかな」

 相変わらず、全てを見透かすような微笑だった。

「じゃあ、わたしにも猫の手を貸してくれますか」

「……さあ。内容に因るかな」

 僅かに上るコーヒーの湯気。テレビの雑音。

 わたしが払うことになる代償ってなんだろう。

 そんなことを考えながら、わたしは店主の怪しくも混じりけのない笑みに心を決める。

 怖くはなかった。わたしに払える代償なんて、ありはしないから。

「じゃあ貸してください。猫の手」

 鼻孔に潜り込むほろ苦い香りに、下唇を噛みながら、


「――殺して欲しいんです。わたしを孤独にした人間を、一人残らず」

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