昼頃

「電気は通してあるけど……本当に、一人で大丈夫?」

 三号棟のエントランス内。

 叔母さんが1301号室の鍵を手渡しながら、そう言った。

「大丈夫。ざっと中を見たら、すぐに帰るから……心配しないで仕事に行って」

 髪をかき上げ、笑顔でそう答えると。

「わかったわ。ただし、何かあったら、すぐに連絡するように!」

「了解!」

 そう言って、親指を立てて見せると、叔母さんは微笑を浮かべ外に出て行った。

「さて」

 そう呟くと、1301号室の鍵を使い、オートロックの扉を開けて中に入る。


ピーっ! カチャッ!


 慣れた感じでスロープを上ると、後方からドアが施錠される音がした。

……まぁ、オートロックなんだし、ね……。

 後ろを振り返り、オートロックのドアを一瞥すると、髪を撫で付けながら前に向き直って、歩みを進める。

 あの夜での自分の行動が頭を過り始め、恥ずかしさが込み上げてくる。

……やれやれ、ね……何に、ビクついていたんだか……。

 溜め息混じりにホールに辿り着くと、エレベーターのボタンを押した。


ゴウゥゥゥンッ!


 低く鈍い音を立てながらエレベーターが開くと、軽く深呼吸をして乗り込む。

……十三階、ね……。

 【13】と表示されたボタンを押すと、エレベーターが上昇を始めた。

……1301号室……兄さんの部屋……。

 私が、もともと行こうとしていた部屋。

 現時点では、その部屋に行くことに意味を見出せないのだけど……。

……この数日間の……出来事……その……終着点として……。

 私が前に進むために……。

 乗り越えるために……。

 必要な事……。

 私自身がそう思う。

 儀式のようなモノ……。

「ん?」

 何か、呻くような声が聞こえた気がする。

 階層を確認すると、【9】の数字が液晶ディスプレイに表示されていた。

……前と同じ所、かな……。

 ワイヤーか何かが軋んだ音だったのだろう。

 夜中に聞いたら、かなり不気味な音。

 実際に、昨夜はそうだった。

……やれやれ、ね……。

 肩を竦めて苦笑すると、エレベーターの上昇速度が落ちた。


ゴウゥゥゥンッ!


 ドアが開き、オレンジ色に照らされた十三階のエレベーターホールが現れる。

 エレベーターを降り、そのホールに立つと、大きく息を吐いた。

……ここで……篠美は……。

 〈篠美〉が死んでいた場所。

 アノ留守電の直後に訪れた場所。


『……まだ残ってるみたいだな……中々、な……』


 ふと、タカハタさんの言葉が頭を過り、それに呼応するように、床に視線を這わせる。

……あれ? ……何も……。

 そう。

 床には何もない。

 血の跡も……。

 吐瀉物の跡も……。

 汚れらしいモノは、見受けられない。

……やっぱり……嫌味、だったのかなぁ?

 ハァと溜め息を吐くと、前髪を手で払いながら、1301号室のドアの前に向かう。

……いよいよ……これで……。

 鍵を開けると、一度だけ大きく深呼吸をして、勢い良くドアを開けた。

「ここが……」

 ドアを開けると、廊下の方から陽の光が入って来ているのがわかった。

 照明を点けていなくても、充分に明るい。

 この上の部屋とは大違いだった。

……やっぱり……造りは同じみたい、ね……。

 そう。

 マンションなんだから当たり前、と言っていいかもしれないけれど……。

 このマンションは全階層が同じ造りになっている。

 隣の部屋は、こちらと対称的な造りになっている。

 叔母さんに見せてもらった、このマンションの見取り図ではそうなっていた。

……さてさて……奥は、と……。

 目の前のドアを一瞥し、玄関を上がって廊下に進むと、リビングに続くドアが先に見えた。

……全く、同じ……ん……あれ……?

 何か、違和感を感じた。

 何だろう。

 違う。

 何かが……。

 髪をかき上げ、周囲を見回した時。

「あっ!」

 思わず、声を上げてしまった。

 同時に、不快感を覚える。

「……これ……」

 廊下の右側の壁。

 おそらく、この壁の向こう側は和室とその押入れがある。

 その壁に……。

 1401号室では、この廊下の右側は何もなく、壁続きだった。

 しかし、この1301号室は……。

……扉が……ある……。

 そう。

 この右側の壁に……。

 和室に入るための、襖があった。

 思い返せば、叔母さんが見せてくれたこのマンションの見取り図。

 その見取り図にもこの扉は表示されていたと思う。

……じゃあ……何で…………1401号室には……。

 脳裏に過るモノがあった。

〈徘徊する妻の怨霊〉

 耳の奥で……。

 あの音が……。

 ノックする音が……。

 壁を叩く音が……。

 響き出す。

……もしかして……。

 恐怖感が呼び起こされ、急激に高まり出す。

 愛里ちゃんの言葉が……。

 柴崎さんの言葉が……。

 頭の中でぐるぐると駆け巡る。

……妻の……遺体を……埋めた……。

 叔母さんの言葉が……。

 カワモトさんの言葉が……。

 思い出される。

……仲が良い夫婦……三年前に……部屋を出た……今、奥さんはいない……今日は、連絡が取れない……1402号室に住んでいる……。

 あの中年男の……。

 タカハタの声が……。

 頭の中で谺する。

……もしかして……もしかして……。

 恐怖感を無理やり押し込むように首を強く振ると、廊下を駆け出して、玄関に向かう。

……1401号室の……廊下の壁……和室への扉があった場所……。

 耳の奥で残響する……。

 あの音……。

 壁を叩くような……。

 あれは……。

 やっぱり……。

 〈アノ噂〉も……。

……本当、なの?

 玄関に辿り着くと、バッグから携帯を取り出しながら急いで外に出た。

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