五日目

夜半

「うそっ?! ロックが……」

 ベッドに腰掛け、充電器に繋がれた兄の携帯を操作した時、思わず声を上げてしまった。

……やれやれ、ね……兄さんは相当な秘密主義みたい……。

 自宅の私の部屋。

 家に到着し、戸締りを完璧に行った後、自分の部屋で調査をしていた。

 今日の、あのマンションでの戦利品を……。

「暗証番号、か……」

 液晶画面を覗き込み、溜め息混じりに呟く。

 兄の携帯にはロック機能が設定されていた。

 アドレス帳。

 メール機能。

 発信機能。

 発着信履歴。

 Web機能。

 あらゆる機能にロックが掛かっていた。

 どうやら、四桁の暗証番号を入力すれば、ロックが解除できるよう。

……どうしようか……とりあえず……。

 私の知る限りの兄に関わる数字を思い付くだけ打ち込んでみた。

 兄の誕生日……0、1、3、1。

 兄の生まれた年……1、9、7、5。

 私の誕生日……0、8、2、4。

 私の生まれた年……1、9、8、4。

 父の誕生日……0、4、0、4。

 父の生まれた年……1、9、5、0。

 母の誕生日……0、2、0、5。

 母の生まれた年……1、9、5、4。

……どれもダメ……他には……。

 エラー音が何度も部屋の中で響き渡り、うんざりとした気分にさせられる。

 同時に、軽い苛立ちを覚える。

……全然、思いつかない……。

 兄に関係する数字。

 何があっただろうか。

 彼女の誕生日とか?

 何かの記念日とか?

……まぁ、本人しか分かるわけない、よね……。

 髪をかき上げ、額に手を当てて、溜め息を吐いた。

……いや……そもそも、本当に……兄さんの携帯なの?

 頭に過る疑問。

 この携帯を見つけた時からの、疑惑。

 私の憶測の一つ。

 その可能性が強まっていくよう。

……じゃあ、誰の?

 携帯を凝視し、前髪を払う。

「そうだ……」

 閃くモノがあった。

 兄の携帯かどうか調べる方法を思い付いた。

……これで……判明する、はず……。

 枕元に置いたツーウェイバッグから、私の携帯を取り出す。

 携帯のアドレス帳を開き、兄の番号を呼び出して、発信する。

……お願い……鳴って……。

 目を瞑り、兄の携帯を強く握り締める。

 受話口から、コール音が一回鳴り、二回目が鳴った時。

「……鳴った……」

 手の中から、どこか聞き覚えのある、軽快な着信メロディが流れ出した。

……何の曲だったっけ?

 どこか懐かしいような。

 ヒーローを彷彿とさせるような特徴的なメロディ。

……聞いたことはある、けど……思い出せない……。

 兄のお気に入りの曲なのだろうか?

 兄はヒーローモノが好きだったのだろうか?

……まあ、いいかな……。

 何にしても、現時点では、それは大して重要なことではない。

 大きく息を吐くと、液晶画面を見た。


【水香】


 画面にはそう表示されていた。

 これで、確定した。

 ヒーローチックなメロディを奏でるこの携帯は……。

……兄さんの携帯……。

 発信を切り、枕の上に放ると、手許の兄の携帯を見下ろす。

……それじゃあ……この中に……。

 私の知りたい情報。

 兄に関わる情報。

 写真の彼女や、〈篠美〉に関しての情報。

……ロックを、解除できれば……。

 あのマンションに関わる存在。

 その情報の一部だけでも、手に入れることができるはず。

……ん? そういえば、携帯が繋がるってことは……。

 携帯料金が支払われてるってこと?

 銀行引き落としかな……。

 だけど、相続の時に口座は……。

 あ……この携帯、近い内に止められるかも?

 なら早くしないと……でも……。

……どうしよう……やっぱり……。

 大きく溜め息を吐いて、ベッドに寝転がる。

 携帯を顔の前に掲げ、画面を見上げた。

「……ゼロからぁ?」

 そう。

 このロックを解除する方法。

 今の私にできる、唯一の方法。

 それでいて、確実に解除できる正攻法。

 【0000】から【9999】を……。

 全て打ち込んでいく……。

……これしかない、よね……。

 深呼吸をして、画面を見据えると、【0000】と打ち込んだ。


ギシッ!


 携帯からエラー音が鳴った直後。

 どこからか、木の軋む音が聞こえ、寒気が走った。

……なに?!

 下から?

 隣から?

 それとも……。

 携帯を胸の上に下ろし、耳を澄ませ、辺りに視線を這わせる。

……風のせい、かな……。

 窓を震わせる風の音が耳に衝いた。

 どうやら、風が強くなってきてるよう。

 その強風のせいで、家のどこかが軋んだ音なのかもしれない。

……やれやれ、ね……。

 額に手を当てて目を瞑ると、深呼吸をした。

 速くなりかけていた鼓動が落ち着きを取り戻すのを待ち、そして、目を開ける。

……哉子叔母さん……まだかなぁ……。

 不意に寂しさを覚え、壁に掛かった時計を見る。

……零時、三十分……遅くなるって、言ってたしね……。

 先程の軋み音のせいか。

 帰宅時の追跡者のせいか。

 不安や焦燥感が簡単に湧き上がってくる。

 そして、恐怖も……。

……ダメ……考えたら、ダメ……。

 嫌な考えが頭に浮かびそうになり、身を起こして首を振る。

 負の感情を無理やり心の奥に押し込むと、携帯をバッグの横に置き、ベッドから立ち上がった。

……そうだ……忘れない内に……。

 早足でパソコンの置かれた机に向かうと、抽斗から目当てのモノを取り出した。

 今となっては心強いアイテム。

 持つだけで安心感すら覚える。

〈スタンガン〉

 何で、今まで抽斗に入れたままにしておいたのか……。


パチチッ!!


 手にした護身用アイテムのスイッチを入れると、ガスコンロに火を点けるような音がなり、火花が散った。

「これで大丈夫、ね」

 スタンガンが使えることを確認すると、それを持ってベッドに向かい、枕元のバッグの中に仕舞った。

……そうだ、これもあった……。

 スタンガンをバッグに入れた時、いくつもの青い封筒と便箋が中にあることに気付いた。

……これも調べないと、ね……。

 バッグから青い封筒と便箋を一つずつ取り出し、ベッドの上に置いていく。

……何通あるの……ん?

 ふと、違和感を覚えた。

 いま手に持っている青い封筒。

 この封筒をベッドに置こうとした時。

 何かが違った。

……何だろう……。

 大きさ。

 形。

 厚さ。

 どれも他と変わらない気がする。

……あっ、重さ……。

 そう。

 ほんの少しだけ重たい。

……何で、手紙が……枚数……多い、とか?

 嫌な想像が頭を過る。

 あの手紙の……。

 あの異常な内容が……。

……これも……これもなの?

 重さから考えても、これは一枚ではきかないと思う。

 あの異常な文章が何枚にも渡って書かれているのだろうか。

 想像するだけで全身が総毛立つ。

 不快感が心に染み渡り出す。

……でも、調べないと……もしかしたら……。

 〈篠美〉に関して、何かがわかるかもしれない。

 ベッドの脇に座ると、芽生えた不快感を誤魔化すように、前髪を払う。

 そして、大きく息を吸い込むと、手にした封筒を開けた。

……あれ? ……一枚、だけ……。

 手紙は一枚だけ。

 他と変わらない便箋。

 何か、細工をされてるわけでもない。

……もしかして……他に、何かが……。

 そう。

 他に何かが入っているのかもしれない。

 床に向かって封筒を逆さまにし、軽く振ってみる。


キンっ!


 小さい金属音を立てて、何かが床に転がった。

 それを凝視し、おそるおそる手に取る。

……これって……。

 鍵だった。

 それも、小さな鍵。

 何の鍵だろうか……。

……手紙に、書いてるかも……。

 髪をかき上げると、折りたたまれた便箋を開き、読み出した。


【 ごめんなさい。

  昨日は部屋に入れなかったのではありませんか?

  私のせいです。

  ごめんなさい。

  うっかりしていました

  鍵を渡すのを忘れていました

  本当にごめんなさい。

  私が勝手に施錠したばっかりに、あなたに迷惑を掛けてしまいました。

  今回は、間違いなく鍵を同封します。

  もう、こんなことがないように気を付けます。

  本当にごめんなさい。

  また、手紙を書きますね

  ごめんなさい。      篠美 】


 謝罪文。

 そう言っていいと思う。

 文面から〈篠美〉の必死さが伝わってくるよう。

……これは、兄さんの家の、鍵……。

 〈篠美〉が兄の家を施錠したという事は知っている。

 他の手紙に書かれていた。

……だけど、この鍵……。

 そう。

 この鍵は、あのマンションの鍵ではない。

 私が借りた鍵より、二回りほど小さい。

 この鍵だと、間違いなく鍵穴に合わないと思う。

……それじゃあ……別の……何の……。

 心の奥で違和感が生じた。

 この手紙の内容を考えると、〈篠美〉が続けてミスを犯すとは思えない。

 〈篠美〉は間違いなく、施錠した部屋の鍵を入れているはず……。

……兄さんの家に……鍵の掛かった部屋があった、ということ?

 いや……。

 違う。

 何かが違う。

 何かが引っかかる……。

……ちょっと、待って……。

 嫌な考えが頭を支配し始める。

 焦燥感が湧き上り、不安が心に広がり出す。

 全身に寒気が走り、鼓動が速くなってくる。

……まさか、でも……考え過ぎ……でも……。

 鍵を床に置いて立ち上がると、ベッドに散らばる便箋を拾い上げ、目当てのモノを探す。

 あの文面が書かれた手紙を……。

……どれ……これ? ……これかな……あった……。

 ゆっくりと呼吸をしながら、見つけた手紙に目を通す。

……うそ……やっぱり……だとしたら……。

 不安が恐怖へと変わり始め、手紙を持つ手が小刻みに震え出す。

 頭の中でぐるぐると回るキーワード。

 手紙に書かれていた〈篠美〉の言葉。


【あなたは部屋の鍵を掛けないのですね】


【下の玄関に鍵が掛かっているとはいえ、不用心ですよ】


【マンションに泥棒が入ったそうですよ】


【防犯対策してくださいね】


 これらの言葉。

 小さい鍵。

 私は勘違いしていたのかもしれない。

 もしかしたら……。

……兄さんの家じゃ、ない……。

 そう。

 兄さんの家。

 SICマンションの部屋……。

 〈1401号室〉のことではない。

……この鍵は……この隣の……。

 そう。

 この家の……。

 私の家の……。

 この部屋の……。

 私の部屋の……。

 隣……。

……兄さんの部屋の、鍵……。

 そう考えると、どこかしっくりくる。

 〈開かずの間〉と化した兄の部屋。

 その部屋の鍵。

 私が探していた鍵。

……まだ……決まったわけじゃない……。

 全ては憶測。

 まだ、確認していない。

 だけど……。

……私の考えが、正しかったら……。

 想像しただけで、心が恐怖で覆われる。

 寒気と不快感で身体が震え出す。

 焦燥感が掻き立てられる。

……篠美は……この、私の家に……侵入していた……今も……もしかしたら……。

 大きく息を吸い込むと、手紙を両手で握りしめ、クシャクシャにしてベッドに投げつける。

 両手で頭を抱えてベッドに腰掛けると、目を閉じる。

……まだ、分からない……違うかも……まだ……確かめないと……。

 乱れそうな呼吸を抑えるように、ゆっくりと息を吐く。

 震える身体を抑え込むように、頭を抱える両手に力を籠める。

 目を見開くと、息を吸い込みながら、床に置かれた小さな鍵を凝視した。

……この鍵で、兄さんの部屋を……。

 首を振って髪をバサバサと払うと、立ち上がり、床の鍵を拾い上げる。

 ベッドの上に置いてあるバッグに私と兄の携帯を入れると、代わりにスタンガンを取り出す。

 そして、バッグを肩に掛けると、部屋の入り口に向かい、ドアノブを掴んだ。

「確かめよう」

 そう呟いて意を決し、ドアをゆっくりと引いて開けた。

 そして、開いたドアから顔だけ廊下に突き出し、様子を窺う。

……大丈夫、よね……。

 白色灯に照らされた廊下。

 突き当りの窓は真っ黒に染まり鏡のようになっていて、時折、風で震えている。

 何も異常はない。

 況してや、〈篠美〉が飛び出してくるような気配はなさそう。

 風の音が微かにするだけで、静かなもの。

 今のところは……。

……よし……行こう……。

 一つ深呼吸をすると、手にした鍵とスタンガンを胸の前に構えて、廊下をゆっくりと歩き出す。

 普段ではありえない程に、ゆっくりと……。

 足音を立てないように、一歩ずつ慎重に、忍び足で……。

 衣擦れの音すらも、はっきりと聞こえてしまうよう。


ギシシッ。


……やば……。

 あと三歩で兄の部屋に着くというところで、床が軋んだ。

 足と息を止め、耳を澄ます。

 速く打つ自分の鼓動が耳の奥で響き、耳障りになってくる。

……やれやれ、ね……。

 数秒待っても、何も反応はなかった。

 そもそも、何も起きないかもしれない。

 全ては憶測。

 私の考え過ぎかもしれない。

……確かめるまでは……。

 そう。

 安心はできない。

 憶測とはいえ、可能性はある。

 知らないふりはできない。

 〈篠美〉が潜んでいても……。

 〈篠美〉が目の前に現れたとしても……。

……事実を……。

 ゆっくりと静かに深呼吸をし、歩みを進める。

 廊下の突き当たりに到達すると、兄の部屋に向き直り、ドアノブを見据える。

……この鍵で……開けることが……。

 丸みを帯びたドアノブ。

 その丸みの盆地状に窪んだ頂上。

 そこにある、小さな鍵穴。

 その鍵穴に、手にした小さな鍵をゆっくりと差し込む。


ガっガガっガギッ!


 金属の擦れるような音を立てながら、鍵はゆっくりと根本まで入った。

 どうやら、鍵穴の大きさはちょうどのよう。

 後は……。

……回すだけ……。

 大きく息を吸い込むと、スタンガンの先をドアに向けて構え、鍵を慎重に回す。


ガっカガっカチャン!


 静寂に包まれた廊下に澄んだ金属音が響いた。

……開い、た……。

 そう。

 鍵が開いた。

 そして、同時に、私の憶測の一部が証明された。

……篠美は……この家を、出入りしている……。

 このドアの鍵は、〈篠美〉が施したモノ。

 〈篠美〉が兄の部屋を〈開かずの間〉にした。

 この家の中に、二人だけの空間を作りたかったのだろうか……。

 それも、おそらく、一方的な感情で……。

 そして、もしかしたら……あの、異常な手紙の……。


ギシィっ!


 突然の軋み音に、心臓が跳ね上がり、鍵を掴んだまま凍りつく。

 中から……。

 目の前のドアの向こうから……。

 聞こえた気がする。

……うそ……まさか……ホントに……。

 〈篠美〉がこの中にいるのだろうか。

 私が鍵を開けた事に気付いて、こちらの様子を窺っているのだろうか。

……どうしよう、どうしたら……。

 鍵から手を離し、スタンガンを両手で構えて後ずさる。

 想像していたこととはいえ、実際に直面することになるとは……。

……逃げた方が……どうしよう……篠美が…………この中に……。

 鼓動が速くなり、呼吸が乱れる。

 恐怖で心が支配され、全身が震え出す。

 いまにもその場に崩れ落ちそうになるのを、必死に堪える。

……逃げたい……逃げたい!

 自分の想像に打ちのめされ、恐怖心で身体が竦む。

 身体の震えが止まらない。

 とりあえず、この場から……。

 この家から出なくては……。

……どこに……どこに逃げたら……安全な場所は……。

 友達の家。

 深夜でも営業している店の中。

 どこか人がいる所……。

……他の人を……巻き込む、の?

 〈篠美〉はどう考えても異常な人間。

 何をしてくるか分からない。

 それに、兄の彼女は……もしかしたら……。

 他人を巻き込むわけにはいかないのでは……。

……警察に……。

 事情を話せば、保護してくれると思う。

 だけど……。

 どうやって、警察に説明するの?

 〈篠美〉がこの中にいなかったとしたら……。

 私がおかしな人間だと疑われる可能性も……。

 取り合ってもらえなかったら……。

……どうしたらいいの……どうしたら………………そうだ……。

 ごちゃごちゃになった頭の中に、過るモノがあった。

〈SICマンション〉

 そう。

 兄の家。

 今、この〈開かずの間〉の中に〈篠美〉がいるとしたら……。

 兄の家は……。

 安全なのでは……。

 兄の家はマンション。

 玄関のドアを閉めてしまえば……。

 鍵を施錠するだけでなく、チェーンでロックしてしまえば……。

 侵入は不可能。

 玄関のドア以外に、他に侵入できる経路はないはず。

……マンションに……行こう……。

 思い立つと、スタンガンを片手に持ち直し、空いた手でバッグの中をまさぐる。

 そして、ゆっくりと横向きに階段を下り始める。

……携帯……どこ……どこなの……。

 階段上を注視しながら、慎重に下りる中、焦りで手許が覚束ない。

 手にしたスタンガンがやけに重く感じる。

 白く輝く天井にぶら下がったボール型の照明が、目を眩ませる。

……あった!

 慣れ親しんだ携帯。

 握った感覚でそれだと分かった。

 その私の携帯を取り出し、発信履歴から叔母さんの番号を呼び出し発信する。

……お願い……出て……哉子叔母さん……出て……。

 コール音が耳の奥で響く。

 一階に着くと、階段を見上げ、警戒する。

……出ない……なんで……。

 二十回近くコールしても、まるで出る気配がない。

 叔母さんは設定していないのか、留守番電話にもならない。

……どうしよう……。

 もう一度、叔母さんに電話を掛けようと、携帯の発信履歴を表示させる。

……哉子叔母さん…………あっ……。

 発信履歴を見て、閃いた。

 その発信履歴に載っていた番号。

 病院へ行った日に発信した番号。

……タクシー……タクシーを呼ぼう……。

 表示されたタクシー会社の番号に発信すると、階段を見上げる。

 何も動きはない。

 携帯の受話口からコール音が鳴るだけで、他に物音はしない。

「……あっ……えーと……あの、タクシーを……はい……はい……」

 五回目のコールでタクシー会社と繋がった。

 二階に聞こえないように、小声でやりとりをする。

……良かった……。

 どうやら、五分以内で私の家に着けるみたい。

 電話を切ると、顔を下ろして軽い溜め息を吐き、携帯をバッグに入れる。

 スタンガンを両手に構えると、階段上を一瞥し、玄関に向かって、ゆっくりと廊下を歩き出した。

……あと、五分……五分、何も起きないで……。

 そう心で願い、二階に意識を集中させながら、廊下を忍び足で歩く。

 鼓動と呼吸を落ち着かせようと、深呼吸をする。

……篠美……何者なの……。

 玄関に着き、ショートブーツを履くと、玄関が施錠されていることを確認する。

 その玄関のドアを背中にして、廊下の先を凝視する。

……まだ、タクシーが着くまでは……。

 そう。

 〈篠美〉が階段を下りてくるかもしれない……。

 最後まで油断はできない。


ギシシィっ!


 心臓が跳ね上がった。

 風の音に紛れ、軋む音が鳴った。

 間違いなく二階から……。

……篠美だ!

 〈篠美〉が動き出したのだろうか。

 私が逃げようとしていることに気付いたのだろうか。


ギシっ!


 また、軋む音。

 恐怖心が一気に膨れ上がり、身体が震え出す。

 鼓動が速くになり、呼吸が不規則になる。

……もう……ダメ……。

 いても立ってもいられず、玄関の鍵を開け、外に飛び出した。

「あっ!」

 外に出た瞬間。

 目の前の道路にタクシーが止まった。

 その車体には、私が電話を掛けたタクシー会社の名前があった。

……良かった!

 ホッと息を吐き、スタンガンをバッグに入れると、タクシーに駆け寄った。

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