昼頃-3

「……なん、なの……」

 明かりで照らされた薄暗いホールで呆然と佇み、下へ下へと点滅していく階層表示のランプを目で追う。

……何だったの……。

 理不尽な状況。

 まだ、思考がはっきりとしていない。

 色々な意味で置いてけぼりを食らわされたような。

 何が起きたのか。

 何が起きていたのか。

 何だったのか。

……何が……私が、悪いの? ……訳わかんない……。

 戸惑いや不安という感情が、憤りに変換されていってるよう。

 苛立ちが湧き上がり、ぶつけどころのない気持ちを持て余す。

……何なの、あのオッサン……それに、このマンション……。

 何であんな対応をされなければならなかったのか。

 兄の部屋に来たかっただけなのに……。

 いや、正確にはそれだけではないのだけれど……。

 それにしても、分からないことだらけ……。

……やれやれ、ね……ここで考えてても、しょうがない……。

 一度だけ深呼吸すると、辺りを見回してみた。

……やっぱり、暗い……変な造り、ね……。

 エレベーターと向かい合う形で階段があり、上りの方が明らかに段数が多い。

 それに、ホールの照明が乏しいせいで、踊り場の方まで明かりが届いてない。

 下りの方は廊下が数メートルあり、その先は数段の階段があるように見える。

 とにかく、暗くてよくわからない。

……踊り場に……電気はないのかな……。

 この状態だと、階段を使用するのは難しい。

 懐中電灯か何か、明かりになるものがないと、危なくて仕方がない。

 それに……。

……何だか、気味が悪い……。

 踊り場に何かがいるような。

 誰かが身を潜めているような。

 嫌な想像が頭に浮かぶ。


『十三階のエレベーターホールで……』


 不意に、アノ通りの良い声が……。


『エレベーターのドアに……』


 タクシードライバーの言葉が思い出される。

……こんな時に……思い出さなくても……。

 霊安室で見た、兄の顔が脳裏を過ぎる。

 あの何とも言えない表情。

 あの時に覚えた異様な感覚。

 また、その感覚が甦り始めた。

 不安、疑心、驚愕、恐怖。

 その不快な感覚が心身に染み渡り出したように、寒気を覚え、呼吸が苦しくなる。

……兄さんは……。

 十三階のエレベーターホールで兄は死んでいた。

 心不全。

 怪死。

 異様な光景が想像させられる。

 エレベーターホールで……。

 心不全で死んでいた……。

 何があったの……。

 病気?

 事故?

 他に何が……。

……ダメ……考え過ぎ……。

 首を振って、思考を払おうとするが、嫌な想像と憶測が頭を離れない。

 今いる場所も悪いと思う。

 この薄暗い異様な雰囲気に包まれたエレベーターホール。

 負の要素が多すぎる気がする。

……とりあえず、部屋に……。

 心身を蝕む不快な想像を抑え込むように、右手で額を強く押す。

 そのまま前髪を手で払い、大きく息を吐くと、両側にある部屋を交互に見た。

……確か……こっちよね……。

 中年男が顎で指した方。

 エレベーターを降りて、左側にある部屋。

 そちらに身体を向けて立つと、髪をかき上げる。

……そういえば……鍵は……。

 中年男は『鍵は後で返せ』と言っていた。

 鍵を預かった覚えはない……。

 鍵を渡し忘れたんじゃ……。

 どうしたら……。

……もしかしたら、鍵がかかってないのかも……。

 大きく息を吸い込み、部屋に向かおうと一歩踏み出した時。

 何かが足に当たった。

 ダンボールだ。

 紙の山が入った蜜柑箱サイズのダンボール。

……あれ? ……何……?

 その箱を見下ろした時。

 何か光るモノを見た。

「あっ!」

 思い出した。

 あの中年男はオートロックの扉を開けた時。

 鍵をこのダンボールの箱の中に入れていた。

……やれやれ、ね……。

 溜め息を吐き、屈んでダンボールの中に手を伸ばす。

……1401……。

 手にした鍵に付いたプレート。

 その楕円形の表面にマジックで記された数字。

 兄の部屋を示す番号。

 やっと知ることが出来た部屋の番号数字。

「やっとね……」

 立ち上がり、ダンボールを足で1401号室の前まで押して進む。

……あれ? ……ちょっと待って……。

 ドアの前に立った時、疑問が過った。

……1401……十四階ってことよね……。

 そう。

 兄の部屋は十四階。

 1401号室。

 だけど、死んだ場所は……。

 十三階。

 中年男が一時的にエレベーターを停めたのも十三階。

 それは間違いない。

……何で……十三階で……。

 中年男が十三階で降りなかった時点で気付くべきだった。

 いや、そんな余裕はなかったかな……。

……タクシーで……ちゃんと聞いておけば……。

 今となっては仕方がないこと。

 そもそも、あの〈噂〉が絡んでくるなんて……。

 〈十三階の怪死者〉が兄のことだなんて……。

 考えつかなかったと思う。

 誰も……。

……いや、もしかしたら……一人、いる……。

 一重の細い目。

 ひょろ長い体格。

 どこか狐を連想させる人。

「……柴崎、さん……」

 そう。

 あの時、バイト先で柴崎さんがした表情、仕草。

 あれは、何かを知っているような。

 隠しているような。

 そんな、気がする。

……今度、柴崎さんに……聞かないと、ね……。

 心にそう決めると、軽く息を吐いて、鍵穴に鍵を差し込み、回す。


カチャンっ!


 軽快な金属音がホールに響き、ドアが解錠された。

「いよいよ……」

 鍵を引き抜くと、それをツーウェイバッグの中に入れ、レバー式のドアノブに手を掛ける。

……入ろう……。

 ゴクリと唾を飲み込むと、ノブを下ろし、ドアを引いて開けた。

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