昼過ぎ
「さてさて、何が出るかなぁ」
髪バンドを人差し指でクルクルと回しながら、意気揚々と階段を上る。
……良い天気ね!
階段を上った先にある窓から、陽の光が射し込んでいる。
二階に到着すると、髪をかき上げ、目を細めて窓の外に広がる青い空を見上げた。
「さぁーてっ!」
一つ気合を入れると、バンドを口にくわえ、髪を両手で後ろに流し掴む。
それを片手で押さえると、空いた手でバンドを取り、そのまま手際よく髪を束ねた。
……まずは……あの時の違和感の正体を暴こう。
一呼吸置いて、両側にあるドアを見比べる。
年季の入った木製のドア。
ベージュが日焼けして、大半が白くなっている。
陽光を受け鈍い輝きを放つドアノブ。
向かい合った、作りの同じドア。
私の部屋のドアも同じ作りだけど、廊下の先にあるおかげで日焼けは免れていた。
……何だろぉ……何かが引っかかるんだよねぇ……。
うーんと呻りながら、二つのドアを交互に一瞥する。
……何か不自然……というか決定的に違う何かを見た……というか気付いた、と思うんだけど……。
いつもと違う何か。
いつも通りに部屋を出て、廊下を歩き、階段を下りた時。
その時に気付いたと思われる事。
……本当にいつも通りだったかなぁ……。
階段に腰を掛け、天井にぶら下がったボール型の照明をぼんやりと眺める。
……いつもと違う、こと……。
風邪を引いていた。
前日に薬を飲んだ。
起床時刻がいつもと違った。
とは言っても、起床時刻が変わることは度々ある。
いつもと違うというより、予定と違ったというべきかな。
……でも、予定通りに起きれないことの方が多い、かも……。
そうなると起床はいつも通りということになるかもしれない。
別のことだろうか。
かなり回復しているから、風邪を引いていたことは違うと思う。
それじゃあ、前日に薬を飲んだことが原因で違和感が生じたのだろうか。
……何で? ……階段を下りる時に?
違う。
感覚的なモノではないと思う。
改めて考えてみると、寝惚けていたとか、気のせいとか、そういうものではないような気がする。
例えば、忘れ物を取りに部屋に戻ったけど、ド忘れして、何を取りに来たのか思い出せないというような。
思い出せそうで思い出せないもどかしさというか。
……あぁ……モヤモヤするぅ……。
項垂れ、垂れた前髪を払うと溜息を吐いた。
あの時。
一瞬。
何かに気付いた。
だけど、思い出せない。
……一瞬で忘れた、ってことだよね……。
良くあることだと思う。
外を歩いている時に、すれ違う人々をいちいち覚えていないのと同じこと。
……客の顔は一目で覚えるんだけどなぁ……てゆーか、〈誰か〉を見たってわけじゃないでしょ……。
一瞬、嫌な想像が頭を過り、全身に寒気が走る。
……いやいや、違う違う、そんなモノじゃない……。
両手で顔を覆い、首をゆっくりと振る。
……やれやれね……自爆してどうするんだか……。
息を大きく吸い込むと、吐き出しながら立ち上がった。
……とりあえず、考えを戻そう……階段を下りた、下りる時……。
軽い溜め息を吐くと、束ねた髪を弄りながら廊下を歩き、自分の部屋に向かう。
……部屋から……リプレイしかないかな……。
部屋の前に到着し、ドアノブを回し、部屋の中に入ろうとした時。
視界の片隅に……。
「えっ!?」
一瞬、全身が硬直するほどに強く心臓が弾んだ。
廊下の先にある兄の部屋の前。
誰かが立っているように見えた。
……誰っ?!
すぐに顔を向けたが、廊下の先には何もない。
誰もいなかった。
……自爆、の二次災害ね……何やってんだか……。
溜め息を吐きつつ、部屋の中に入り、ドアを閉めずにベッドへ向かう。
枕元に放られていたペットボトルを取ると、ベッドに腰を下ろした。
徐に胸に手を当てると鼓動が速くなっているのが分かった。
……切り替えなきゃ……。
再び浮かびそうになる嫌な想像。
ぎゅっと目を瞑り、ミネラルウォーターを飲んで紛らわす。
……そうだ! ……薬を飲まないと!
立ち上がると、ドレッサーに置かれた白い紙袋から錠剤タイプの薬を取り出し、一錠だけミネラルウォーターと一緒に飲み込んだ。
……気のせいね……髪の毛が目に掛かってたのかもしれない……。
開けられたままのドアに向かい、顔だけ突出して廊下を覗き込む。
……ほら、やっぱり……何もない……気のせい気のせい……。
窓から射し込む光が、兄の部屋のドアを照らしている。
ドアノブの反射光がチカチカと少し目障り。
……気を取り直して、リプレイ開始ね!
垂れて目にかかった前髪を払うと、廊下に出た。
目を強く瞬き、胸に手を当てて深呼吸をすると、そのまま前を見据える。
どうやら鼓動が落ち着いてきたよう。
「よし!」
周りに意識を巡らせながら、ゆっくりと廊下を歩き出す。
先程の嫌な想像が尾を引いているのか、少し肌寒さを感じ、右手で左腕を擦る。
兄の部屋を横切り、その向かいの部屋を一瞥し、階段を臨んだ。
……何も、ないなぁ……。
ここまでは気になることはなかった。
ここから先なのだろうか。
あの時と同じ動作を思い出す。
……階段を下りようとして、一段、下りたんだっけかな?
右足を一段下ろす。
視界が少し低くなる。
そして、兄の部屋を眺める。
……それから振り返って、向かいの部屋を見ながら、もう一段……。
「あれ?」
振り返ろうとした時。
気付いた。
一段低くなった視界。
だから、それに気付きやすくなったのだろう。
……鍵穴が、ある……。
そう。
兄の部屋のドア。
そのドアノブに鍵穴が付いていた。
丸みを帯びたドアノブ。
その丸みの盆地状に窪んだ頂上。
そこに小さな鍵穴が付いていた。
「嘘……?」
なぜ、鍵穴が付いているのか。
前には付いていなかった。
二階の部屋のドアは全て同じ作り。
この向かいの部屋にも、もちろん私の部屋にも鍵穴は付いていない。
兄の部屋も例外なく付いていなかった。
……いつから、なの?
ドアノブを凝視しながら階段に腰を下ろす。
……私が最後に、このドアを開けたのは……。
思い出せない。
とりあえず、兄が急死してからの約二ヶ月は開けていない。
そして、その一~二ヶ月前。
兄が頻繁に帰ってきていた頃。
彼女であろう女性を連れ込んでいた頃も、開けてない。
要するに、最低でも三~四ヶ月はこのドアを開いていないということになる。
……まぁ、あまり、兄さんの部屋に用事なかったしねぇ……。
やっぱり、兄妹仲は希薄だったのかな。
そもそも、階段を下りる際に兄の部屋を見ることはなかったと思う。
じゃあ、なぜ、今日は見たのだろう。
……部屋の中が気になったから、かな……。
親密な女性を連れ込んでいたと思われる部屋。
このドアの向こうにあるであろうプライバシー。
……死んでから、興味を持つようになるなんて、ね……。
髪を撫で付け、苦笑する。
「あっ!」
ふと、頭に過るものがあった。
それは、鍵穴を見つけた時から去来していた不安に通ずるモノ。
……鍵は……。
嫌な予感がする。
鍵穴があるということは、このドアは施錠が可能。
ということは……。
……鍵が掛かってるかも……。
弾かれるように立ち上がると、目の前のドアノブを見据える。
……お願い……開いて……。
目を見開き、ドアノブを握る。
カチャ。
ゆっくりとドアノブを回す。
カ……ガ……キュ……。
金属の擦れる音が廊下に響く。
……開いて、開いて、お願い……。
壊れやすいモノを扱うかのように、慎重にゆっくりと回す。
キュ……。
……開いて! 開いて!
……ガ……ギッ!
ドアノブは鈍い金属音をたて、これ以上回らなくなった。
「もうっ!」
ガチャガチャと何度も回してみるが、ある一定の箇所で回らなくなり、ドアは開くことがなかった。
ドアは施錠されていた。
溜め息を吐き、髪を束ねていたバンドを外して、髪をかき上げる。
……やっぱり……ね……。
兄は鍵を掛けて、中で何をしていたのだろうか。
女性とイチャつくため?
それとも、いかがわしいモノを見るため?
……いや、そんな事のためじゃない気がする。
鍵を掛けるということは、誰にも入ってほしくないということ。
何か見せたくないモノ、隠しているモノでもあるのだろうか。
……気になる……この中に、何があるの……。
兄が隠しているモノ。
もしかしたら、兄の死と関係があるのかもしれない。
知ってはいけないモノ。
見たらヤバいモノ。
嫌な想像が甦りそうになり、前髪をパサパサと払って紛らわす。
……何にしても、このドアを開ければ分かること……。
映画やドラマみたいにこのドアを蹴破ったりできるだろうか。
それなりにしっかりとした作りのドアだけど……。
……いやいや、無理でしょ……。
正直、力に自信がない。
身体は丈夫だけど、華奢な身体に相応な筋力。
……正攻法……鍵を探そう……。
鍵は何処にあるのだろう。
この家にあるだろうか。
額に手を当て、思考を巡らせてみる。
……鍵……鍵……この家にあるの?
この家でありそうな場所が思い付かない。
だけど、それ以外で……。
一つだけ思い当たる場所がある。
この部屋の鍵があると思われる場所……。
「兄さんの家、かな」
兄の家。
郊外のマンション。
だけど、どこにあるかわからない。
……まずは、どこのマンションか調べるしかない、かな……。
大きく溜め息を吐くが、なぜか口元が緩んだ。
胸の奥に芽生え始めた感情。
好奇心、探究心。
それらが高まっているのが分かる。
ゲームをしているような面白さが湧き上がる。
人のプライベートを暴くゲームと言ったところ。
……面白くなってきたかも……絶対に暴いてやるから!
目の前のドアノブをペチペチと叩きながら、ほくそ笑む。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!
「わっ!?」
突如、何処からか、ベルの音が聞こえてきた。
聞き覚えのあるベルの音。
何かの始まりを告げるかのようにベルは鳴り響く。
そして、私の気持ちに呼応するように、音は次第に大きくなっていく……。
……あっ……そうだった……。
思い出した。
このけたたましいベルの音。
「携帯のアラーム……」
十五時ジャストに設定していたアラーム。
バイトに行く準備を始める時間。
……支度、しないとね……。
リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!
未だ止められることのないアラームは、その音を限界まで増幅させ鳴り続ける。
「はいはいはい、止めますよぉ~」
ふぅと息を吐くと、騒々しい自分の部屋へ小走りで向かった。
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