昼時

「あっ! 切れてる、もうっ!」

 リビングのセンターテーブルに並べた昼食。

 それらを食べようとして、出鼻を挫かれた。

 目玉焼きに醤油をかけようとしたが、ビンからは数滴しか出てこなかった。

 だけど、めげない。

 醤油差しをテーブルに置くと、キッチンへ向かい、代わりになる調味料を探す。

……これしかないかな……。

 粗挽きの黒胡椒と塩を持ってテーブルに戻ると、それらを目玉焼きの白身の部分にだけふりかける。

 半熟の黄身と数滴だけかかっていた醤油を混ぜ合わせ、それをスプーンで掬って白いご飯にかけてよく絡ませると黒胡椒をふりかけた。

……美味しそぉっ!

 白いご飯が濃い目の黄色に染まり黒い粒で彩られると、私の食欲は一層かき立てられた。

 本来なら目玉焼きには醤油をかけるだけで充分なのだけど、さすがに醤油の量が少なすぎた。

 代用して作り上げたモノが意外に美味しそうで、気持ちが昂る。

「いただきます!」

 黒胡椒と塩がふられた白身を一口食べ、そして黄色いご飯を頬張る。

……美味しっ!

 予想通りの味に満足。

 食べてる時が幸せと言うけど、間違いないと思う。

 隠し味のバターが香るジャガイモと玉葱の味噌汁を啜り、垂れてきた前髪をかき上げる。

 髪は乾かしたばかりで少しシットリしていた。

……もっとちゃんと乾かさないとダメかな……。

 髪を撫でると、玉子の白身を一欠けら茶碗にのせ、ご飯と一緒に食べた。

 風邪はぶり返したくない。

 後でまたドライヤーをかけないと……。

……薬も飲まないと……。

 そう。

 万全を期さないとダメ。

 もうあんな辛い思いはしたくない。

 思い返せば、兄が亡くなったことを知ったその日から生活スタイルが乱れ始め、遂には体調を崩して風邪を引いてしまった。

……まあ、すぐに良くなったみたいだけど……。

 軽く鼻で笑うと、また味噌汁を啜った。

 葬儀やら何やらで忙しかったせいもある。

 精神的にも色々とダメージを受けていたのも間違いない。

……兄さんが死んだせい……。

 兄の急死で……私は独りになった。

 そう。

 急に孤独に陥った。

 天涯孤独というわけではないが、身近な血のつながりが無くなったことでの喪失感。

 悲しくないと言ったら嘘になるけど……涙は出そうにない。

 寂しい気持ちもあるが、それ以上にある不安感。

……兄さんの……死……。

 この不安感は孤独に対するものだけじゃない気がした。

 箸を置くと、額に手を当て、支えるように肘をテーブルに突く。

……そう……あれは、どういう……。

 ふと、病院の霊安室で見た兄の顔が思い出された。

 白い布で覆われた兄の顔。

 覆いが取り払われ、現れた……。

 青白い顔。

 間違いなく兄の顔。

 亡くなった人の顔を見るのは、これで三回目。

 どれも安らかな顔をしていた。

 だけど……。

……兄さんは……違った……と思う……。

 今でも鮮明に思い出せる。

 兄の顔は、安らいでいる……ようには見えた。

 どこかぎこちない感じがする。

 無理やり作られたような表情。

 私の考えすぎだろうか……。

 安らぎの中に苦しみを抱いているような、何とも言えない表情に見えた。

 その時、その兄の顔のように、私は何とも言えない感覚を覚えていた。

 悲しみ、不安、疑心、驚愕、そして、恐怖……。

 それらが入り混じったような異様な……不気味と言える感覚。

 今もその感覚が甦りつつあった。

……ダメダメ……別のこと考えなきゃ……。

 手に額を乗せたまま首を振って思考を中断し、切り替える。

……そういえば、急性の心不全って……言ってたかな……。

 兄は心臓を患っていたのだろうか。

 身体が弱かっただろうか。

……運動も得意だった気がするし、健康そうに見えたけど……。

 学生の時は陸上部に所属していたと聞いたことがある。

 陸上で何の競技をやっていたかはわからない。

 だけど、就職しても運動はしていて、体力的にも自信はあったよう。

……急性だから、体力とかは関係ないのかな……。

 一体、兄に何が起きたのか。

 急性とは言え、原因はあるはず。

 もしかしたら、兄は自分の死期を察していたのかもしれない。

 だから、亡くなるまでの数ヶ月、この家に頻繁に帰ってきていたのだろうか。

……女の人を連れ込んで?

 苦笑して、兄を見透かすように天井を見上げる。

 その先にある兄の部屋。

 そこで、兄は女性と親密な関係を築いていたのだろうか。

……やっぱり、家捜しが必要ね! ……それに……。

 決意を新たにすると同時に、先ほどの違和感を思い出した。

 階段を下りる前に感じた感覚。

 兄の部屋のドアと両親の寝室だった部屋のドアを見た時。

……何だったのかな……気になる……。

 閉じられた二つのドアを思い出そうとするが、はっきりと頭に浮かばない。

 直接、確かめた方が良さそう。

 額から手を外し、目の前の昼食を眺める。

「ごちそうさま、かな」

 美味しい昼食を前にしながら、置いた箸を再び取る気が失せていた。

 あれこれと考えたせい。

 好奇心が湧き上がってきたせい。

 キッチンに食べ残した昼食を持っていくと、味噌汁は鍋に戻し、残りはラップをして冷蔵庫に入れた。

……さて、行動開始ね!

 冷蔵庫を力強く閉めると、髪をかき上げた。

「あ!」

 髪に触れた時に気付いた。

……まずは、髪を乾かさなきゃ!

 また出鼻を挫かれたよう。

 やれやれと溜め息を吐くと、後ろ髪を首元から掬い上げて胸の前で垂らし、そのまま洗面所へと向かった。

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