昼頃

「近くに、コンビニがあります」

 慣れない手つきでカーナビを操作するドライバーを見兼ね、気の入らない口調で助言をする。

「ああ、すいません。いやあ、まだ新人なもんで、この辺りにも慣れてないんです」

 振り向き、愛想笑いをしながら言い訳をするタクシードライバー。

 新人とは言うものの、白髪の混じった五十歳前後の小太りなオッサン。

 振り向いたニヤケ顔が不快に見える。

 いや、不快なのは体調のせいかも。

〈月のモノ〉と同じように、情緒が不安定になっているよう。

……早く帰りたいのに……良いことない……。

 薬を受け取り病院を出て、入り口の前で客待ちをしていたタクシーに乗り込んだところまでは良かった。

……乗ったタクシーがこんなド新人だなんて……。

 新人であることがダメなわけじゃない。

 この目の前のドライバーが道を知らないことがダメ。

 まともにカーナビを扱えないことがダメ。

 かれこれ五分近くナビをいじっている。

 機械に強くない私でさえもっとうまく扱える。

 元カレの車でカーナビを操作したことがあるし、携帯のアプリでも似たようなものを使ったことがあるから、それは断言できる。

 私自身がこんな状態じゃなければ、丁寧に道順を教えるところなのだけれど……。

……本当に……良いことない……。

 目の前でマニュアルを広げ出したドライバーを横目に、項垂れる。

……帰りのタクシーも……こんな感じなのね……。

 行きのタクシーもあまり気分の良いものではなかった。

 このタクシーのドライバーと同じく、中年オヤジ。

 病院に向かおうとしている明らかに具合の悪そうな女性をつかまえて、気遣いの言葉を掛けるわけでもなく、やたらと通る声で延々と世間話をしてくるドライバーだった。

 何をどう答えたのか、何を聞いたのか。

 風邪のせいで朦朧としていたからだと思う。

 ほとんど覚えていない。

 マンションがどうとか、泥棒が何やらとか、噂がどうだとか言っていた気がする。

 とにかく、具合が悪いこともあり、不快だった。

 でも、迷うこともなく病院に到着したから、未だ発進していないこのタクシーよりはいくらかマシだったかも……。

……早く……帰りたい……。

 現在地の映し出されたナビ画面と手元のマニュアルを交互に見やるドライバー。

 その忙しない姿を横目に、髪をかき上げ溜め息を吐く。

 ふと、視線を外に移すと、目の前を別のタクシーが通り過ぎた。

 この後ろで客待ちをしていたタクシーだ。

……最悪……何なの……あっちに乗りたかった……。

 風邪のせいで熱くなった額に手を当て俯くと、ゆっくり溜め息を吐いた。

 このタクシーに乗ってから何度目の溜め息だろう。

 普段なら笑って流せることなのに、風邪で体調が悪いせいなのか、心に染み渡る不快感の対処に苦戦する。

「すいません、お待たせしました。出発しますね」

 ナビの設定が完了したのか、小太りのドライバーは車を発進させた。

「いやあ、すいませんね。カーナビってものに慣れてないもんで……」

「そうですか」

 言い訳を皮切りに、このドライバーもベラベラとしゃべり出すのかと、心の中で少し身構えたのだけれど……。

「とりあえず、ご自宅の近くまで来たら教えてください」

 ドライバーは私にそう告げると、黙って運転に専念し始めた。

……良かった……少しは休めそう……。

 ホッと息を吐き、シートに身体を預ける。

 初めは問題あったけど、やっぱり行きのタクシーより、こっちの方がマシかもしれない。

 走行音だけが響き渡るひっそりとした車内のおかげか、心に僅かな平穏が訪れた気がした。

 短い時間だけど、家までの道のりを静かに休めそう。

 あとは家の近くまで来たら、教えればいいだけ……。

……あれ? ……教える?

 どういうことだろう。

 熱のせいで冴えがこない頭に、疑念が過る。

 先ほど訪れたはずの心の平穏が一瞬で去ったよう。

……私が教えるの? ……ナビは? ……ナビが教えてくれるんじゃないの?

 最近のナビであれば、かなり精度が高いと思う。

 設定した住所のかなり近くまでナビゲートしてくれるはず。

 ミスのないように、念のために告げてきた言葉なのだろうか。

 もしかしたら、このタクシー会社の規則に沿った発言なのかもしれない。

……なんか引っかかる。

 体調が悪いからか、このドライバーに信用がないからなのか。

 先ほどのドライバーの発言で、頭にモヤがかかる。

 家に到着するまでの時間……車で十五分くらい。

 そのわずかな時間でも休みたいのだけれど、そうはさせてくれない予感がする。

……ん? ……何?

 赤信号で車が停車すると、ドライバーは助手席に手を伸ばし、先ほどのマニュアルを取り上げた。

 ページを伏せて置いていたのか、その開かれた箇所を指でなぞりながら読み出す。

 ナビ操作の見直しか復習でもしているのだろうか?

 なんだか、その指のなぞり方が迷路パズルを解いているような動きに見える。

……迷路? ……もしかして!

 閃き、ハッとした。

 朦朧とした頭が一瞬だけスッキリした感じがした。

 頭に閃いたモノが正しいのかどうか……。

……絶対に……間違いない!

 シートから身を起こすと、解答を得るための行動に出た。

 目にかかった髪をかき上げると、背筋を伸ばしてドライバーの手元を覗き込む。

……やっぱり……何なの……本当に、良いことない……。

 ドライバーが読んでいたのはナビのマニュアルではなく、地図帳だった。

 肝心のナビは利用されてないみたく、画面にはルート表示のされていない現在地のマップが映し出されているだけだった。

 ドライバーは、手元の地図とナビに映し出された現在地を照らし合わせて走ってるのだろう……。

 先ほどのドライバーの発言、本来の機能が生かされていないカーナビ。

 すでに、私の予感が的中しそうな流れ。

 このドライバーが地図を読めることが唯一の救いなのかな……。

 正直、今の私の気力では家までの道順を細かく教えることはできなさそう。

 できることは、ドライバーが間違った道を走らないことを監視すること。

 そして、ドライバーが告げたように、家の近くまで来たら教えること……。

……本当に……ここのところ……良いことない……。

 深々とシートに座り直すと、頭を窓に凭れさせ、ドライバーに分かるように大きく溜め息を吐いた。

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