第13話 不死身宣言

 昨日の別れ際、春山病院のロビーで彼女と会う約束をした。

 彼女の診察が終わり次第、ここで落ち合うことになっている。

 約束の正午より、僕は一時間も早く来てしまった。

 朝の父の件もあり、せっかちになっているのかもしれない。

 長椅子に腰を下ろしスマホ画面に映された活字を読み進めていく。ネット小説を閲覧するのは久しぶりだ。

 しばらく同じ作者の短編作を読んでいると、コンコンと肩を二回叩かれ、聞き覚えのある声が鼓膜を撫でる。

 

「親友くん、今日も菜月ちゃんとデートかい?」

 

 白衣を着たみすずさんを僕は初めて見た。なんだかこちらが照れ臭い。

 

「あんまりからかわないで下さい。そんな関係じゃないです」

「でも、いつも二人とも楽しそうにしてるから」

 

 みすずさんはそっと微笑んだ。ぎこちなくも僕はその目を見ようとする。

 

「‥‥そうですか?」

「うん。菜月ちゃんのわがままに付き合ってくれていつもありがとね」

「いえ、こちらこそ。いつもお世話になってます」

「親友くんは謙虚だね。ミミも会いたがってるから遊びに来てね」

「多分、遠くない未来で‥‥」

「じゃあ楽しみに待ってる」

 

 そう明るい口調で言い、みすずさんは小走り気味にその場を去っていく。

 と、その途中で踵を返し、もう一度僕の方へと歩みを寄せた。

 

「親友くん、菜月ちゃんの誕生日は八月六日だよ」

「‥‥あの」

「じゃあ、よろしくね」

 

 こちらの返す言葉も待たないで、みすずさんはまた小走り気味にその姿を遠くしていく。なんだか、いきなり土砂降りに襲われたような気持ちになった。

 再びスマホを開く。ホーム画面の時刻は十一時四十分。

 さきほど読んでいた短編の続きを読みながら、脳裏に彼女の顔が薄っすらと浮かんだ。

 ‥‥あと五日か。誕生日を彼女はどう過ごすのだろう?

 彼女のこと、父のこと、それらが複雑な絵の具のように気持ちを染めていく。

 スマホの中の物語を読み進めるのは今はすでに惰性で、内容は微かに脳裏をかすめるだけ。それでもしばらく読み続け、手をつけた短編だけは読破した。読後の余韻は皆無に等しく、それよりも受付から流れるアナウンスが度々僕の気を騒だてる。

 一人で自分と向き合うことは苦手だ。かといって自分から人と関わっていくにもそれなりの勇気がいるし、それが僕に人並みに備わっているかと聞かれると俯くしかできない。

 沈んだ気持ちがため息になって鼻から抜ける。

 と、同時に肩に軽い衝撃が走り、

 

「どうしたの? ため息なんて吐いちゃって?」

 

 振り向きざま、彼女のハイカラな声が耳を通った。

 

「ため息に意味なんてないよ」

「そう?」

「そうだよ」

「ならいいんだけどね」

 

 言いながら彼女の視線が出口にある自動ドアに泳ぐ。

 僕はそれを見て静かに腰をあげた。尻から足にかけてピリピリとした痺れを感じる。

 

「もしかして遅刻してきたこと怒ってる?」

「遅刻っていっても十分ぐらいでしょ? 怒ってないよ」


 彼女は訝しげに首を傾げる。

 

「ほんとに?」

「ほんとだよ」

「そう? じゃあちょっとだけありがと」

 

 微笑を浮かべると彼女は出口に向かい歩き出す。僕は片腕を広げたくらいの間隔を取って横を歩いていく。こういう時、服装なんかを賞賛すると彼女は喜ぶのかな? 白い花柄のワンピースに、頭の上に乗った麦わら帽子、肩に掛けられたピンクのトートバック。どれも彼女に似合っていると思うのだけど言葉にするのは忍びない。

 

「東雲くんは何時くらいに来たの?」

「君が来る五分ぐらい前」

「ほんとに?」

「ほんとだよ」

 

 突然、吹き出し気味に彼女が笑みを零した。

 小気味が悪いけど、笑った理由についてはあえて聞こうとは思わない。

 そうして三秒ほど会話が停止して、なにかを察したように彼女が口を開いた。

 

「優しい泥棒だね」

「なにそれ」

「言葉のまんまだよ。鈍いね、東雲くん」

 

 反応のいい自動ドアを潜り外に出ると、蒸し暑さが一気に身を襲う。道の先にある横断歩道には陽炎が揺れていて、行き交う人々の中には僕らと同い年ぐらいの若者がちらほらと見えた。

 

「なんで優しい泥棒なの?」

「嘘ついたら泥棒の始まりでしょ? 私もさっきたまたまみすずちゃんに会ったよ」

 

 忌まわしき太陽に向かい、彼女は大きく背伸びをしながら言った。病院の前でこんなに生き生きしている生物も珍しい。

 

「‥‥へぇ。なに話したの?」

「東雲くんが照れちゃう話を少し」

 

 僕の目を覗き込みながら、彼女は意気揚々とした口調。言った言葉で僕がどんな反応をするのか、そういうのを見るのが彼女の日課になりつつあるけど、未だに不本意だし、歯がゆい。そう思った中で今日彼女と会う前の感情より、今ここにいる彼女にどう接するかかが主役になり始めていて、そんな自分に笑いそうになった。

 

「東雲くん、なんか変なものでも食べた?」

「いや、君のそういう感じがあまりにも病院とミスマッチで。だから笑いそうになったっていうか、そういう感じ」

 

 こちらに歩幅を寄せ、彼女は瞳からウインクを飛ばす。

 

「でも、人は見かけによらないでしょ?」

「どういう意味で言ったの? 返す言葉に困るよ」

  

 鳩ぽっぽが流れる横断歩道を渡りながら静かに隣を見る。

 

「大丈夫。私は絶対に死なないから」

 

 突拍子もなく明るい声に、伸びやかに笑った彼女の表情。

 本当に死なないんじゃないかという疑念とともに、僕はすぐに返す言葉を見つけられなかった。

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