第12話 許せないもの
夏休みから七日経った八月一日、知らない宛先から一通のメールが届いた。
誰からのメールだろう、そんな思いはすぐに消えた。
『すまなかった。許してくれ』
そう白々しく書かれた一行目が、背筋を冷ややかにしたから。
−−父が心療施設から退院した。
メールに書かれた文章を見ていると、残酷な気持ちが静かに込み上げてくる。
あの人にはこのアパートに越してきたことは知らせていない。
もちろん、今から教えるつもりもない。
どこかで会って話をする気もない。
脳裏に浮かんだ考え一つ一つが子供みたいだと自分でも思った。
けど、そうすることであの人が困るならそれでいい。
近い未来、またあの人と暮らさなきゃいけないのは分かってる。
嫌でもそうなる。大人は子供よりも強いから。
ましてや父という立場はくつがえらない。
どんなに拒否してもあの人と僕には血の繋がりがある。
六畳間に広がる夏の朝が湿気を含み、肌に憂鬱を押し付ける。
ベッドから降りて、押し入れのタンスから着替えとタオルを取り出し、そのままユニットバスへと向かう。
自分の中にある不快感が少しでもシャワーで流れることを祈っていた。
服を脱ぎ、バスタブの中へと足を運ぶ。
トイレの空間とバスタブを隔てる薄いカーテンを僕はどうしても好きになれない。頭を洗っていると濡れた肘にヒタヒタとくっついてくる時があり、それが嫌なのだ。
熱湯が出る水栓と冷水が出る水栓を回していく。うまく調節して水温を適温にしないといけないけないので冬は辛いと思う。
水温を左掌で確認してから、シャワーで頭を濡らし、バスタブの淵に置いてあるシャンプーボトルを一回プッシュする。洗髪のタイミングでシャワーを止めてしまうと、また水温を調節するのが面倒くさいので、そのままシャワーはフックに掛けておく。
両手を熊の手みたいにして一気に髪に泡を纏わせていく。
と、そのとき、
身体が冷えないよう肩から受けていた温水が、いきなり雨水ように冷たくなる。僕は反射的に跳ねるような動きになり、慌ててシャワーを自分の身体から逸らした。集合住宅ではたまにある現象だけど、今それが起きたことに背中の芯が逆立つ錯覚を覚えた。
あぁ不快だ。不愉快だ。父も、このシャワーも。
五秒ぐらい間を空けてから水温を左掌で確認する。温度は適温に戻っていた。
ふぅー、と大きく息をして頭にのぼった熱を逃がす。
そうして落ち着きを取り戻した後、ようやく右肩の脇ら辺にシャワーカーテンが張り付いているのが分かり、
「頼むから、今度はなにも奪わないでくれ」
怒りよりもずっと落胆を覚えた。
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