第10話 ショートケーキと悪魔

「東雲くんは楽しみは後に残すタイプ? それとも先に食べるタイプ?」

「あんまり考えたことない」

 

 隣席にユニクロの大袋を座らせ、彼女はいつにも増して上機嫌。

 あの葬儀店を出てからは、駅ビルで彼女のショッピングに小一時間ほど付き合い、その流れで一階にあるカフェに入った。店内はそこら辺の若者がシックとか、雰囲気がいいとか言い出しそうな‥‥

「ここって雰囲気いいよね」思ったそばから遠くで囁かれた声が僕の感覚の正しさを証明してくれた。

 

「ってことは気分によって変わるタイプ?」

「多分ね。それよりそれ見るのやめない?」

 

 例の黒いパンフレット眺めながらイチゴパフェを食べる彼女。遠目では今どきの女子高生なのかもしれないけれど、向かい席の僕には見慣れない光景だ。

 

「あ、ごめんごめん。東雲くんとお話してるのに、よそ見はダメじゃんね」

「いや、そういう問題じゃなくて」 


 彼女は開いていたぺージの端を折り込み、それをユニクロの大袋にしまう。

 

「じゃあ、どういう問題なの?」

「普通の女子高生はお葬式のパンフレットを喫茶店で見ないって問題」

 

 そう言葉を濁し、僕はショートケーキを口に運んだ。白い斜塔に鎮座するイチゴを皿に落とさないよう、フォークでバランスを取りながら。

 

「それを言うなら、東雲くんも普通の男子高校生じゃないよ」

「そうかもしれないけど、君には絶対に負けるよ」

 

 彼女は微笑とともに、

 

「さて、どこに旅行しようか?」

 

 テンポ良く言葉を口ずさむ。どうでもいい僕の言葉は右から入って左へ抜けたらしい。

 ジト目でも送ってやろうと思ったが、鼻歌でも口ずさみそうな彼女の雰囲気に、その気も失せた。僕にも同じ雰囲気を出せる才能があればよかったのにと少し思う。

 

「学校でも言ったけど、君が行きたい場所を決めるんだよ?」

「分かってるよ。決定は私がするから案ぐらいは出してよ」

「じゃあ、なんか好きなものとかないの? 参考までに聞かせて」

「うーん。楽しいこと全般かな?」

「もっと具体的にしてよ」

「東雲くんといることかな?」

 

 ニヤリと彼女は笑う。イタズラめいた言葉も出会ったときよりは慣れたけど‥‥

 

「はいはい」

「もう照れちゃって、やっぱり東雲くんは最高に可愛いね」

 

 やはり得意じゃない。話に間を空けるため、僕はお冷を二口喉に通す。

 

「こうやっていつも話が脱線してるでしょ? ちゃんとしないと決まらないよ」

「でも、私はこうやって考えてる時間、結構好きだけどね」

「じゃあ、もうこのままずっと悩んでればいいんじゃない?」

 

 ちっちっち、と彼女は人差指を横に振る。

 

「それは違うよ、東雲くん。人生はショートケーキと似てるんだから」

 

 あ、これ面倒くさいやつだ。

 たまに自身の哲学を言いたくなる彼女の癖。前兆。

 僕はショートケーキに視線を落とす。

 

「それについては深く聞かなくてもいい?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「東雲くん。人生はショートケーキと一緒なんだよ。どうしてか知りたいでしょ?」

 

 彼女の手にはパフェ用の細長いスプーンがある。それに付着したイチゴソースが、意味深な微笑みと相なって猟奇的に見えてくる。彼女の戦闘力は僕の遥か上だ。

 

「‥‥どうしてなの?」

「それを知るには、まずこの世界の原理を知らないといけないよ」

 

 高一の女子がそれを知っているとは思えない。

 

「じゃあ、その原理って?」

「それはね。なにかを得るには、それと同等の価値があるものと引き換えにしなきゃいけないってこと」

「だから、君はなにが言いたいの?」

 

 空になったパフェグラスを彼女が見つめること数秒。その視線が、

 

「東雲くんのイチゴと私の哲学を交換してもいいよ」

 

 こちらのショートケーキに移行する。僕は思わずため息を吐いた。

 

「君の理不尽でお腹がいっぱいになりそうだ」

「じゃあ、そのイチゴも食べれないね。私がもらってあげようか?」

「そういうことじゃないでしょ?」

 

 どこの世界にショートケーキ半分で満腹になる男子高校生がいるのか。いるなら見てみたいものだ。今すぐにでも。

 

「えぇ、そのイチゴ欲しいなぁ」

「そんなに食べたいなら帰りにでも買えばいいじゃん」

「いや、東雲くんのショートケーキの上のイチゴじゃなきゃダメだね。それ以外のイチゴは今の私にとって、もはやイチゴではないのだよ」

 

 しみじみと力説する彼女。そこまでして欲しいなら、別に差し出すのもやぶさかではないと思えてくる。そもそも、これは彼女が奢ってくれたショートケーキだ。「いいよ」と僕も奢られるのを断ったのだけれど、それは通らなかった。たまに優しくするのが彼女の人身掌握術の一環なのかもしれない。

 

「分かったよ。そんなに欲しいならあげる」

「やっぱり東雲くんは優しいね」

 

 ハイカラな笑顔で僕の目を一瞥すると、彼女はイチゴを眺め始めた。この救われない世界で、こんな小さいことに幸せを感じることのできる人間は、なにをやっても幸福なのかもしれない。全く羨ましい限りだ。

 

「どうしたの? 早く食べなよ」


 その言葉に彼女は小さく頷き、いかにもな困り眉で深くため息を零した。

 

「ねぇ東雲くん。早くしてよ」

「なにを?」

「なにって、食べさせてくれるんじゃないの?」

「君はなにを言ってるの?」

「東雲くんが食べさせてくれるイチゴ以外は、今の私にとって、もはやイチゴと呼べるものではないのだよ」

 

 なにかのプロジェクトを提唱する役人みたいに、彼女は口の前で指を組み、遠くを見ながらそう言った。コロコロと変わる彼女の仕草や声色には、山の天気も腰を抜かすに違いない。そんなことを思い、僕は自身の表情が曇っていくのを感じた。

 

「それはちょっと無理かもしれない」

「なんで?」

「‥‥普通に恥ずかしいから」

 

 むむむ、と彼女の顰めっ面が発動する。これは困った時の十八番おはこらしい。

 

「これは練習でもあるんだよ。いつか東雲くんに好きな人ができた時に、自分からそうしてあげられるようにっていう」

 

 安心していい。そんな甘ったるい日は来ない。それに臆病者は過度な幸せに耐えるだけの心を持ち合わせていない。ーー幸せはいつか不幸になる。

 

「君の頭の中を叩いたら、ひどくいい音がしそうだね」

 

「なに言ってるの? そんなことより早くイチゴ!」  

 

 ぼさっとした僕の言葉に、彼女はメリハリのある言葉を返した。

 生きている世界は一緒なのに、見えている世界は違う。恥ずかしがる僕に、照れもしない彼女。全く別の生き物で、『人間』と一括りにするにはおおざっぱ過ぎる。

 だから、辿る運命も二人で違うのかもしれないけど。

 無言のまま。静かに。僕はフォークでイチゴを刺す。

 曲げてしまうことが得意な僕に、曲がることを知らない彼女は手強すぎる。

 

「東雲くんが超優しくて、私も超嬉しくなりました、まる」

「なんだよ、それ」

 

 口前まで運ばれたイチゴを見て、彼女はクスクスと微笑みを露わにした。

 

「なんだか、もったいないね。このままじっと見ていたくなるぐらいに」

「早く食べてよ」

 周りの視線が気になるから。

「はいはい」

 

 曖昧な二つ返事とともに彼女は小さな口でイチゴを頬張った。潤んだ唇から離れたフォークは乾いた輝きを失って‥‥

 

「東雲くん、どうしたの? 間接キスを意識しちゃったの?」

「してない」

「そうなの? 私は少し意識したけどね」

「‥‥‥‥」

 

 僕とは裏腹に彼女はニマニマと薄笑いを浮かべた。

 

「もう、可愛いんだから。今度は私が食べさせてあげようか?」

「絶対にやだ」


 ‥‥まただ。自ら横に逸らした視線。薄く光を帯びたその瞳が遠く感じる。

 

「もう、そんな全力で拒否しなくてもいいじゃん。冗談の中の冗談だよ? あ、約束通りショートケーキがなんで人生と一緒なのか教えてあげる」

「いいよ、別に」

 

 そう呟くと、むすっとした彼女の吐息が耳を抜けた。

 

「最初は大きな丸なのに、切られて丸さを失って、新しく手に入れた形も徐々に人に崩されて、そして最後は形すら消えて、それでもショートケーキを食べた人の中では、その白さも赤さも味も残っていて忘れることはないでしょ? うまく言えないけど、人が生きるってことも、つまりそういうことなんじゃないかな、と私は思うわけです」

 

 余韻を残し、彼女はお冷を一口飲んだ。硝子のコップは透明で、表面に付いた水滴がまるで露草の照りのようだった。

 

「じゃあ君の人生もショートケーキなの?」

「そうだね」彼女は小さく頷くと、続けざまに「早く食べないとケーキが干からびちゃうよ?」と小笑いを浮かべ口ずさむ。


 わざわざ意識しないようにしていたことを‥‥

 ‥‥このフォークを僕が使う?

 だってこれには彼女の‥‥

 

 そんなことを考える自分が気持ち悪いと思う。そして不安になる。

 けど、同時に彼女のほくそ笑んだ心が薄っすら見え、チクチクした苛立ちと自身の情けなさも湧いた。

 

「東雲くんは照れ屋さんだね」

「君がそういう風に仕向けてるんだろ?」


  誰だって今の僕の状況を恥ずかしいと思うはず。それは十人に聞いたら十人ともそうだという自信はある。ただし彼女を除いて。

 

「はちみつの罠だよ」

 

 親指を立て、人差指で僕を指す。いわゆる銃の形だ。バキューンって効果音が出そうな勢いで、彼女は弾のでないそれを上に振った。

 

「ハニートラップってこと?」

「そういうこと。けど、今甘いのはショートケーキだから白い誘惑ってところだね」

 

 バンバン、と右手で作った銃で彼女は僕の心臓あたりを狙った。もちろん、射抜かれてなどいない。物理的にも精神的にも。

 

「誘惑じゃなくて恫喝でしょ? 白い恫喝」

「はいはい、わかったわかった。もういいから早く食べなよ」

 

 薄笑を浮かべる彼女。僕には作り笑う余裕はない。

 

「いい性格してるね、ほんと」

 

 水が欲しいのに海水しかない飲めないような思いで、僕は白いそれをフォークで縦に割いた。しっとりと食い込むようにして切断されたショートケーキの肢体、それをフォークの腹でそっと掬い口前で持ってくると、彼女の瞳を一瞥する。 

 

「なに?」

 

 こちらに向けられた視線が妙にうっとおしかった。

 

「なんでもないよ。ただ見てるだけだから」

「それにしては偉く愉快そうだけど」

「うん。東雲くんがいればいつも愉快だよ」

 

 冗談っぽい声が耳を抜ける。掴みどころが分からない。

 この魔女の卵が短い寿命を終えるまでに、その心中を覗くことは僕には到底できないと思う。でも、それはきっと悪いことじゃない。見えないものまで見えて、感じれないことまで感じれるようになったら、きっと呼吸することさえ僕には辛い。

 そっとフォークを口に滑らせる。白くて甘いそれは上昇気流に煽られた紙飛行機のように足がつかない気持にさせた。

 

「東雲くんが私と間接キスしましたとさ、まる」

 

 タイミングを見計らったかのように彼女はヒソヒソと耳打ちした。それは口の横に添えられた右手に反響して僕の耳に余韻を残す。

 春の残り香がしそうな丸い声音。決して誰もが羨む美声というわけではないけれど、ニッコリとした笑顏の真ん中にある小さな鼻、柔らかい光を放つ少し茶色がかった瞳、あどけない彼女の出で立ちにそれは合っていた。

 硬直した肩の筋肉を和らげ、僕はお冷を一口喉に通す。

 熱くなった身体の芯が冷えるには時間がかかる。

 なぜ、彼女は平気なのか。やっぱり生き物として違うとしか思えない。

 

「なんだよ、それ」

 

 震えた語尾のそれを聞いて、彼女はいつもどおりの不敵な笑みを。

 癪に障るとは少し思ったけれど、僕は一生、この人を心底嫌いにはなれないのだろう。


  −−僕の命の恩人で、初めての友人だから。

 

 残りのショートケーキにフォークを伸ばす。

 その時、白くて甘いそれがそうさせたのか、あるいは彼女の言葉がそうさせたのか、アイスコーヒーを頼んでおけば良かったと少しだけ後悔した。

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