第9話 喪を知らぬ君
小泉先生が「では、夏休みを無理なく過ごして下さいね」と学活を閉めた途端、歓声が教室内に木霊する。隣席の彼女も周りの熱に負けず僕にガッツポーズを向けてくる。
「ねぇ東雲くん、夏休みはやっぱり旅行だよ!」
「じゃあ近いところでどこ行きたいの?」
「ブラジルかな?」
「無理だから」
彼女が顰めっ面をしたので小さく嘆息してから「なに?」と聞き直す。
「なんかこの頃、東雲くん手強くなったね」
「どういうこと?」
「照れにくくなったってこと。これはいよいよ、気合い入れて照れさせなきゃいけないみたいだね」
「なんの意味があるの、それ」
みすずさん家に初めて泊まったあの日からもう八日。彼女のジャイアニズムに毎日付き合ってれば、いくら人見知りな僕でも慣れてくるのは当然だ。
「可愛い東雲くんになるじゃん」
「何度も言うようだけど僕は可愛くなりたくない。それより冗談抜きで旅行するならどこがいいの?」
「それねぇ。ほんとに悩んじゃうよね。東雲くん決めてくれていいんだけど?」
この話題は今日で何度目だろう。いつもはきっぱりなんでも決める彼女も夏休みの旅行に関してはなかなか決まらない。僕が決めようとしたこともあったけど、もしかしたら彼女の心臓のこともあり最後の旅行かもしれない、そう考えると踏み留まって彼女の決断を待とうという気持ちになる。でも彼女曰く、
「僕は君のわがままに付き合ってるんだから、その指揮ぐらいは君がとって」
「しょうがないなぁ。じゃあとりあえず歩きながらでも考えようか?」
彼女は椅子から立ち上がると僕を見て軽くウインクする。反射的に彼女の瞳から視線を逸らすことは減ったけど、それでもやはり得意ではない。
「そういえば火曜日って、君の通院日だよね?」
「なんで知ってるの‥‥」と彼女が相槌をうってる間に僕も席を立つ。
すると続けざまに「行かなきゃダメかな?」と彼女は苦笑いして呟いたので、それを無視して教室を出る。
むすっとした彼女は一本廊下から下駄箱までの短かい距離で「ばか」という単語を十回は僕に浴びせた。だからこっちも彼女がムカつくように「はいはい」とたくさん受け流した。普通の会話が再開したのは校門を出てすぐ、彼女が「ばか」と言うのに疲れた頃だった。
「もおぉ無視することないじゃん。言ってみただけじゃん」
「だって先週の火曜日、本当に行かなかったんだろ?」
それは先週の土曜日、彼女に連れられみすずさん家に泊まった時に知った。
それまでは彼女の通院日が火曜日とは知らなかった。
「え、それ誰から聞いたの?」
「胸に手を当ててよく考えてごらん」
情報提供者のみすずさんは彼女が転院してきた春山病院で看護師を勤めているらしく、『院内のネットワークを使えば診察に来たかなんてすぐに分かる』という嘘を彼女の母親に頼まれいるらしい。彼女が病院に行かないと、春山病院から彼女の母親に連絡がいき、そこからみすずさんに通達され、二人で彼女を怒るという態勢だ。
さっきの言葉を聞くにあんまり意味を成してない気もするけど。
「みすずちゃんでしょ! それ以外いないもん」
それはそうだ。彼女の両親と会ったことはないし、必然的にそうなるだろう。
「とにかく行かないと院内ネットワークが炸裂しちゃうよ?」
「東雲くんのくせに姑息な真似を」
「第一、先週の火曜日って僕が初めてみすずさん家に泊まった次の日だろ?」
「‥‥それがどうかしたの?」
僕は軽くため息を吐いた。
「その日も僕は君のわがままに付き合わされた訳だ。そこは百歩譲るとしても、君が春山病院に行かないと、僕が君によくないことを吹き込んだと思われるだろ?」
少しだけ真剣に言った。仮にも彼女は命の恩人なのだから心配ぐらいする。
「なるほど。私は東雲くんに不良にされたんだね。ちゃんと責任取ってね」
「そういうのじゃないんだけど」
冗談めいた口調が釈然としない。真面目に聞いてほしいと思うことは僕にもあるのに。それから駅前にある春山病院までゆるい坂道を十五分ほど歩き、その間は彼女の言葉に素っ気なく返した。正直、少しだけ彼女にムカついていた。
院内の瀟洒なロビーで彼女の受付番号を待っていると、こちらの隙を盗み、様子を伺う素振りが隣から見れたので、僕も言い方が悪かったと心中で
そのすぐ後に呼び出しがかかり、彼女は「待っててね」と言い残して小走りで診察室に向う。僕はなんとなくその後ろ姿を眺めていると、一度だけ彼女はくるっと身体を半回させ、はにかみながら小さく手を振った。
彼女の姿も見えなくなると、僕は学生カバンに忍ばせておいたホラー小説を手に取り読み始めた。最近はいろいろとあったので活字を読む時間も限られている。だから、こんな時間の隙間をぬって物語の続きを紐解いていくことは小さな幸せなのかもしれない。
しばらくして、といっても読書に夢中であんまり待ったされた感じはなかったけど、彼女がトントンと軽く肩を叩いてきた。僕は振り向きざまに呟く。
「まだ待つでしょ?」
「大丈夫。不治の病くんに薬は効かないから」
彼女は首を横に振りながら微笑んだ。それを見て僕はそっと腰を上げる。
「じゃあなんのために通院してるか、よくわかんないね」
「メンタルケアなんじゃない? 余命告げられると人間って自殺しやすいんだって」
「それって僕への当てつけ?」
「半分、そうかもね」
クスクスと笑う彼女に本当のところは聞けなかった。診察室での彼女を知ろうとすることは、無力な僕にとって傲慢以外のなにものでもないと思うから。
半歩前を歩く彼女に連れられ院内を出ると、道なりにある赤信号で足を止める。横断歩道を渡った先にあるT字路ではサラリーマンより制服姿が多く、近隣の高校も今日から夏休みなのだろうと思った。
ずれ落ちそうになった学生鞄を肩に戻してから、彼女はそっと視線を僕に送る。
「私、寄っていきたい場所があるんだけどいい?」
「どこ?」
「教えない。教えたらつまんないじゃん」
鳩ぽっぽのテーマと共に信号が青になったことを確認すると、横断歩道を足早に抜けてショッピング街道へと入っていく。大型デパートの周りを中堅の建物が群る光景は都会になりきれない田舎って感じだ。
「君ってほんと内緒にするの好きだよね」
ふふふ、と彼女は含み笑いにウインクを添える。
「だって秘密は多いほうが面白いでしょ?」
「いや、知らないけどさぁ」
秘密、という言葉をまるでアクセサリーのように使う姿が羨ましい。そしてそんな自分に気付くと新鮮な気持ちになった。母の影響からか、秘密、内緒、そういう類のものに全くもっていい印象がなかったのに、彼女のそれは澄んでいて別物だった。
差し障りのない会話を展開しながら歩くこと数分。人の集う中心地からは少し離れ、辺りの建物が閑散とし始めた頃、陽気な彼女は歩みを止めた。その視線の先には厳格そうな黒い建物。僕はそこに立て掛けられた看板を見て嘆息した。
「ほんとにさぁ。君はなにを考えてるの?」
「私の知らない人も来てくれるわけだし、パンフレットぐらいもらっといてもバチは当たらないんじゃない?」
「バチは当たらないかもしれないけど、そういうことじゃなくてさぁ」
自重しろ、と言いたくもなったが、それを言う自分も大概だと思い自重した。
切羽詰まってる感じは彼女からは感じられないけど、いつものようにゆるいけど、ある意味では一番、進路のことを考えてる学生なのかもしれない。
「葬儀屋さんに入るのって緊張するっていうか、初めてじゃん? 普通の高校生が入る場所じゃないじゃん? だからね、助っ人の東雲くんってわけ」
「いや、おかしいでしょ」
ははは、と豪快に笑う彼女の顔を見て、今一度深く息を零した。
この場において僕に拒否権はない。満身創痍の彼女の言葉は明るくも重さがあった。
「中に入ったら笑っちゃダメだよ?」
「君にその言葉そっくりそのままお返しするよ」
彼女が先行して、葬儀店の扉を開く。
その中は広くゆったりしていて、奥の方では仏壇も少数ながら販売していた。
静かさに気負いする僕とは裏腹に彼女は堂々としている。
従業員は男性二人だけ。彼らはオフィスから僕らを一瞥して互いの顔を見あう。言葉にしないだけで内心では不審がっているのがよく分かる。当然の反応だろう。
「どうなさいましたか?」
若い方の従業員が僕らに近づき、喪を取り扱うものに似合った表情をした。
僕は気負いと人見知りですぐさま視線を落とす。
そんな中、彼女は平常運転でそれに答えていく。
「パンフレットをいただきたいのですが。よろしいですか?」
「その、パンフレットですか?」
慎重に聞き直した彼に、彼女は流れるような笑顔で頷いた。
「はい。もちろんお葬式のパンフレットです。いろいろ知りたいんです」
「左様でございましたか。よろしければ、お席にてご相談聞かせていただきます」
学生相手だからと邪険に扱うことをしない彼はいい人なんだろう。普通なら学生二人で葬儀店なんて冷やかしを疑い、言葉を濁してしまうと思う。
「いいえ、友人がいるので今日のところはパンフレットだけいただきたいです」
「わかりました。そちらの席にお座りになってお持ちください」
玄関横の黒いソファーに手のひらを向ける彼に、「おかまいなく」と立ったままを宣言する彼女。僕も緊張で腰を下ろしたくないと思った。
彼は早足にオフィスへ戻ると真っ先に上司に目で合図を送る。
「なんだか、ワクワクするね」
「‥‥ヒヤヒヤの間違えだろ?」
小声ではしゃぐ彼女の脳内には一つか二つ、テーマパークがあるに違いない。
「東雲くん、怒ってる?」
「怒ってはないよ」
なんともいえない気持ちにはなってるけど。
「あとで付いてきてくれたお礼にケーキでも奢ってあげる」
「それはありがたいけどさぁ」
ひっそりと話をしていると、さっきの彼がこちらに向かって歩き出す。
それを見て彼女は僕に軽いウインクを投げる。会話が一時停止される。
「こちらパンフレットになります。ご相談ありましたら、またお声がけ下さい」
彼の声と共に彼女の手に黒いパンフレットが渡った。
「ありがとうございます」
二人が会釈しあうのを横目で見て、僕もそっと頭を傾げる。
なんだか、その行為全てがゼンマイ仕掛けのカラクリ人形みたいだなと思った。
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