第8話 三日月と公園

「ねぇ東雲くん。外見にいかない? 夏の夜空を見るなんてロマンチックだからさぁ」

 

 ベッドの上でミミの背中を撫でていると、彼女が突然そう言ってきた。

 

「君って夜行性なんだね」

 

 スマホを取り出し時刻を確認すると深夜十一時。そろそろ隣の部屋で寝ようと思っていたけれど、少しぐらいならいいだろう。よっぽど断るより労力が少ない。

 

「うん、お父さんはライオンでお母さんはフクロウね」

「へぇ、それは初耳だ」

 

 はしゃぐ彼女に連れられ階段を降り、外に出ると、みすずさんが一階の居間から雨戸を開け「遠くいったらダメだよ」と呼びかけてくる。それを聞いた彼女はニコニコしながら「なにかする度胸もないし、大丈夫だよ」と明るく言った。

 それから三分ぐらい細い夜道を歩いて小さな公園にたどり着くと、二人でベンチに座わり、彼女は天の川に手を伸ばした。

 

「私の手、いつか届くかな?」

「いや、無理でしょ」

 

 その手のひらに注がれた無数の光。その中にはきっと何億年も前から旅をしてきた光もあって、僕らの寿命で何個分か検討もつかない。そう見れば彼女の寿命と僕の寿命には大した差はないのかもしれない。

 

「そんなの分からないよ。毎日ちょっとずつ伸ばしてけばいけるよ、きっと」

「いけたとしてもそんなに長くなったら邪魔でしょ?」

「そしたら切ればいいじゃん?」

「考え方が猟奇的すぎてついていけないよ」

 

 得意げに笑う彼女の横で僕は苦笑いした。

 

「もう現実的だなぁ。そんなんじゃ彦星と織姫に嫌われちゃうよ?」

「二人はそれどころじゃない」

「なんで?」

「七夕終わって三日目だし」

「そっか。一番悲しくなる頃かもね」

「そうかもね」

 

 月光と星々に照らされる彼女の横顔は少しだけ大人びて見える。電灯が近くにないことが余計にそうさせているのかもしれない。

 

「よく考えると私たちが出会ったのって七夕の日じゃんね。運命かな?」

「‥‥君はいちいち恥ずかしい人だね」

 

 ふふ、と彼女は含み笑いした。もしその命が八十歳まで生きられるなら、顔に笑い皺をたくさん作って生きられたんだろう。きっとノーベル人生賞も取れた。

 

「私だって誰これ構わずロマンチストなセリフを言えるわけじゃないんだよ。東雲くんと話す時はどうしてもイタズラで言っちゃうの。だって照れると可愛いんだもん」

「もう、勝手にすれば」

 

 反発すればさらに恥ずかしいことを言うのだろう。僕だって学習ぐらいする。

 

「ところで照れ屋な東雲くんは‥‥あ、やっぱなんでもない」

「なんだよ」

 

 笑ってごまかす彼女の姿はなんだか釈然としない。

 

「ごめんごめん、ほんとになんでもないって」

「なんでもないは、なんでもあるんだろ?」

 彼女は人差指でこめかみを掻き、おどけの消えた顔で目線を膝に落とす。

「お節介だって思わない?」

「思わないよ」

 

 今までの彼女の所業を考えれば、一つや二つ面倒ごとが増えようが変わらない。

 

「東雲くんのお父さんのことなんだけど」

 

 そういうことか。僕もつい余計なことを言ったものだ。

 

「あの人とは仲良くはできないよ。できることなら一生、顔も見たくない」

「やっぱりお節介だったじゃん」

 

 あの人を父だと思うことにも酷く抵抗がある。彼の存在自体が僕には癌で、その遺伝子を半分受け継ぐことは既に失敗作の烙印を押されたようなものなのだ。

「心配してくれてありがと」と薄い言葉を述べてから「他の話しない?」と父の話題を切る。そこに入れる感情はない。

 

「それじゃあ夏休みの話でもしようか? 私がちゃんと生きてればの話だけど」

 

 彼女は微笑んで、さっきほどの空気を吹き飛ばすように元気良く言った。

 

「どこか行きたいとこでもあるの?」

「ちょっと遠くに行きたいかな? 例えばブラジルとか」

「いや、それちょっとじゃないから。下手したら一番遠いから」

「まぁ冗談はともかく旅行してみたいね。場所は別にどこでもいいよ。東雲くんは私と行きたい場所ないの?」

「その言い方だと僕が君と行動することはもう決まってるの?」

「逆に聞くけど私と行動しないつもりなの? そしたら私のわがままは誰が付き合ってくれるの? 東雲くんの義務じゃないの?」

 

 平然とそう言われると、逆に力が抜けてしまう。

 

「本当に君は。みすずさん家に来るまでに話したあれは本当なの?」

「あの話って? 例のアレですか?」

 

「絶対覚えてないね」と忠告しても彼女はあっけらかんとしたので「ほら、僕が君のわがままから逃げなければって話」と簡単な補足をする。

 すると彼女は「あぁ」と納得し、「もちろん覚えてるよ。東雲くんが自殺できなくなって、私がこれからも生きる方法でしょ?」と得意げに口ずさんだ。

 

「それってほんとに君が死なないってこと?」

「言葉のまんまだよ」

「なんでそうなるかはまだ内緒なんだよね?」

「うん。だって私っぽくないもん」

「君っぽくないって?」

 

 バシっと彼女が僕に向けて指をさす。二人の視線がピッタリと合う。

 

「もう、そうやって少しずつ聞こうとするの禁止!」

 

 この時、僕は初めて彼女の目を逸らさずに見ることができた。−−不思議な感覚だ。夜の暗さが味方してくれたのか、あるいは彼女に対する慣れがそうさせたのか、肝心なところは分からないけど、この目が彼女の瞳と向かい合うことから逃げなかった。

 虫のさえずりを遠くで聞きながら見つめ合う。−−時間が止まったのかと錯覚するぐらい長い数秒だった。沈黙を破るように彼女が腹を抱えて哄笑する。

 

「ふふふ、まさかこのタイミングで目を合わせてくれるとは。少しは私に親近感を抱いてくれたのかな?」

「‥‥暗くてよく見えなかった」

「それでもいいよ。私は綺麗なものを見れたから」

 

 ばれないように横目で一瞥すると嬉しそうに夜空を眺める彼女の横顔。

 言いたくても言えないことは今宵の三日月と共に僕の胸にしまった。

 

「東雲くんは、やっぱり不器用だね」

「他が器用すぎるだけなんだよ」

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