第4話 おてんばワールド

 放課後になると彼女は僕を連れ、足早に校門を後にした。

 本日、学校で彼女の身体の処遇について聞き出そうとするクラスメイトは一人もいなように見えた。それどころか話かけようとする生徒も稀だ。先週の金曜日は彼女に興味がなかったので詳しくは分からないが、それでも誰かと喋ってる様子はあまりなかった。

 そもそも彼女自体、僕以外のクラスメイトとあまり関わろうとしない。こんな陰気な奴に時間を割くぐらいなら他にいくらでもあるというのに。

 

 無邪気な彼女に目的地を知らされずもう三十分は歩いている。途中、田んぼにいたアマガエルと戯れる姿を眺めさせられ、「どこ向かってんの?」という僕の問いには「東雲くんは冒険をするべきだよ」とはぐらかされた。田んぼ道を抜けると僕の知らない歩道に出たが、そこでも彼女は「白い線から出たら負け」とか言って、意味もなくはしゃいでいた。現在地はどこかの郊外。ここがどこかは方面的に考えればおおよそは分かるけど、それでも詳しくはない。

 

「ねぇ東雲くん。私ね、よく考えてみたよ」

「なにを?」

 

 半歩先を歩く彼女がさっと顔だけこちらに振り向かせる。

 いきなり視線がピッタリと合ってしまい僕は目を横に泳がせた。

 

「東雲くんが自殺しないようになる方法。私がこれからも生きる方法」

「‥‥それってどうするの?」

「内緒。でも私のわがままから逃げなければきっと叶うから」

 

 ‥‥意味不明。

 

「なんだよ、それ」

 

 不敵な笑みを浮かべ、彼女は僕と歩幅を合わせに来る。男子として平均的な身長の僕と女子として平均的な彼女の身長差は頭一個分ほど。

 

「それにしても東雲くんはやっぱり不思議だね」

「‥‥そう?」

 

 ちょっとした変人に奇妙がられるなんて僕も大概だ。

 

「だって東雲くん、私の身体のこと聞かないじゃん。それってやっぱり不思議だよ」

「‥‥それを言うなら他のクラスメイトも聞いてこないじゃん」

 

 彼女は得意げに微笑む。

 

「それは違うじゃん。他のクラスメイトは単純に私と関わりたくないんだよ。だってあんな酷い自己紹介したんだよ? 普通は好き好んで関わりたいとは思わないよね。けど東雲くんは違うじゃん? きっかけはどうあれ、私と関わりを持ってる。しかも友達とかいうなかなか純度の高い関係を。でね、私が見てきた人間って生き物はね、親しい人の情報は共有したいってのが普通なの。だから東雲くんを不思議だって言ったの」

 

 長文をスラスラ言える彼女は、さっきの無邪気な姿とは裏腹に賢く見えた。

 これに返す言葉を考える。けど特にない。なんで彼女のことについて聞かなかったのか自分でもよく分からない。気を使ってとかではないと思う。『聞くなよ?』という威圧的な感じが彼女から出ていた訳でもない。ただ、なんとなくなのだ。それでも強いて言葉を作るなら‥‥

 

「聞かなかったのは僕が『死』に対して鈍感なんだと思う」

 

 ため息が聞こえる。やるせなさが全面に押し出されたタイプの。

 

「東雲くん。そんなことだと死神くんにまた狙われちゃうよ」

「まぁ確かに格好の餌食だね」

「冗談でも否定して欲しいんだけど。救った甲斐がないじゃん?」

「分かってる。頑張って生きてみるよ」

 

 彼女と友達になる前、一番多く話していた他者は『死神』だ。死というものが僕にはそんなに悪い奴に感じないのである。それどころか、きっと無邪気で悪戯が好きな子供みたいな性格なんじゃないかと思っている。人を永遠に動かなくするのだから、憎まれない愛嬌のあるやつじゃなきゃいけないだろう。

 その甲斐あって、母がいなくなったあの日も僕は『死』自体は憎まなかった。代わりに憎悪の行き先は父、母、自分、世界、に向かってしまったのだけど。

 

「なんだよ、ニヤニヤして」

「ふふ、なんでもない。それより東雲くんには私の事情聞いて欲しいなぁ」

「君って結構、知りたがられ屋なの?」

 

 犬が身体に付いた水を払うが如く彼女は首を横に振る。

 

「違うよ、違う違う。知っておいてもらいたいことはあるじゃん。ほら、聞かれないと逆にモヤモヤするっていうか、本当は聞きたいんじゃないかとか、いろいろ思うこともあるじゃん? 今後も仲良くいきたいじゃん?」

「でもそれはお互い様でしょ」


  あっ、といった感じで彼女は食い付き気味に笑い飛ばした。

 

「そういえば聞いてなかったね。聞きたくなかったわけじゃないんだよ、忘れてたの」

「忘れてたって‥‥」

「まぁいいじゃん。ここで交換すればいいんだし、東雲くんの過去と私の過去」

 

 そう言い、彼女は自分勝手に饒舌を振るい始めた。僕が隣で静かに相討ちをしていて分かったことは、寿命が三ヶ月あるか分からないという自己紹介が冗談ではないこと(疑うなら診断書を見せてもいいらしい)、父親の仕事の関係で引っ越して来たこと、それと、

 

『東雲くんと会えて私の人生楽しくなったよ』

 

 いつも通り冗談が達者なこと。改めて恥ずかしい人間だってこと。

 彼女が自分の説明を終えると必然的に僕も自分のことを話す流れになった。彼女みたいにスラスラと口に出すことはできなかったけど、嫌いな父が狂ったことや、母が自殺してしまったことを話し、最期に自分のことが一番嫌いで自殺しようとしたことを話した。横で耳を傾けてた彼女の姿は、なんだかしおれた朝顔みたいで、さっきまで太陽の面立ちだったのに今はまるで夜月のように透明。

 

「もしかして同情したの?」

「して欲しかったの?」

「できればして欲しくはない」

 

 そんなつもりで言ったわけじゃないし、されるのも億劫だ。

 

「なら大丈夫だよ。同情なんてしたくてもできないから。東雲くんの悲しみを本当の意味で知ることなんて誰にもできないし、心配しないでも東雲くんの宝物だから」

「僕だけの宝物?」

「そうだよ。悲しい過去を通って今の東雲くんがあるんだから」

「でも‥‥」

 

 声にするのがやるせくて思ったことは口から出ない。それでも、

 

「いいじゃん。世界で一番嫌いな自分で生きれば。少なくとも世界で一番嫌いな自分で死んじゃうより百万倍マシだよ。それにこれからきっと楽しくなるよ。私が世界で一番好きな自分にしてあげるから、ね?」

 

 言おうとしたことは彼女に伝わっていたのかもしれない。

 僕はなんだかこそばゆくなり、ただでさえ人を見続けられないこの目はさらに不便に。自覚はあるのに反射的にそうなってしまうのが憎い。

 

「やっぱり東雲くんは不器用だね。もうこの話はやめない?」

 

 無言で僕がうなづくと彼女は言葉を続ける。

 

「この先で得られる宝物の話をしようか」

「なにそれ?」

「頑張って歩いた東雲くんと私へのご褒美の話。きっと、なんだか発狂しちゃうから」

「なんだよ、それ」

 

 辺りの景色は未だ郊外の中でここがどこかはよく分からない。

 こちらの気も知らず彼女はイタズラめいた笑みを浮かべる。

 

「大丈夫だよ。いい感じに発狂するから。恐くない恐くない」

「だからなんなんの? なんで発狂するの?」

「もやもやして欲しいので言いません!」

 

 なんで発狂するために歩いてるんだろう。そう思いそっと歩みを止めてみるけど、

 

「東雲くん、歩かないとここで発狂することになるよ?」

 

 明るい口調で脅迫してきたのでどうしようもない。

 

「だいたい後、どんだけ歩くの?」

「もうちょっと」

「あてになるの、その情報」

「ワタシウソツカナイ」

 −−はいはい。

「そのカタコトはなんか深い意味あるの?」

「インチキ占い師風です。特に意味はないよ」


 

 


 それからさらに十五分ほど歩き、ようやく彼女は足を止めた。校門を出てかれこれ一時間は経っていると思う。

 

 「着いた。ここだよ」

 

 言いながら彼女は小さな城みたいな一軒家を指差す。ところどころ外壁が変色していて年月を感じさせた。

 

 「ここ、君の家じゃないでしょ?」


  出会って三日間。彼女の住む場所の方角ぐらいは分かる。それに毎日ここから歩いて登校するのは幾分無理がある。

 

 「そうだよ。ここはね、親戚のみすずちゃんが暮らしてるの」

  

 急に肩が重くなるような感覚を覚えた。

 

 「僕、知っての通り人見知りなんだけど」

 「じゃあ克服のチャンスだね」

 

 右手の親指を立てグットサインを出す彼女に呆れた。ここまで自由な意思を持って生きられれば清々しいほどだ。ほらまた、

 

 −−ピンポーン。


  僕の意見も聞かずインターホン鳴らすし‥‥。

  走って逃げようとしたら制服の裾掴まむし‥‥。

 

 「あ、菜月ちゃん。隣の子はもしかして彼氏?」

 

 玄関越しの彼女の親戚にすごく勘違いされるし‥‥。

 にこやかな彼女を見て、いろいろ思い通りにいかないと切実に感じた。

 

 「バレちゃいました? 実はそうなの」

 「違います」

 

 咄嗟に割って入る。ソワソワしたものが胸の中に量産されすぎて苦しい。彼女の冗談に付き合っていたら人見知りショックで死ぬ日も近いかもしれない。

 

 「もう、ネタばらしが早いとモテないよ。ドッキリにならないじゃん」

 「誰に対してのドッキリだよ」

 

 僕に対してだったら文句なしの合格だ。心臓に悪いぐらいなのだから。

 

 「まぁ二人とも中に入りなよ。飲み物ぐらいは出るからさ」

 

 声の主を一瞥すると優しさが滲み出ているような笑顔だった。おばさんというにはあまりにも若すぎる面立ちは二十代前半といったとこだろう。薄幸そうだけど美人だ。

 大きな流れには逆らえずリビングへ通されると、左端のダイニングテーブルの前に横並びで彼女と座った。そのタイミングで「二人ともコーヒー飲める?」と親戚さんに聞かれたので「お願いします」「みすずちゃんはいい嫁になるぞ!」とそれぞれ答えた。それからすぐにダイニングから香ばしい芳香が漂い、親戚さんは三つマグカップを持って僕らと顔合わせするように向かい側の椅子に腰を下ろした。

 

 そうして熱いコーヒーを飲みながら、彼女がみすずさんと僕の紹介交換を早々に終わらせると、話題はなにやら‥‥

 

 「今日、みすずちゃん家に二人で泊まってていい?」

 

 考えてもいなかった方向に回り始める。思わず飲んでいたコーヒーで噎せた。

 

 「ちょっと待ってよ」

 

 慌てて口を挟む僕を彼女はあっけらかんとした笑みで受け流す。


 「どうしたの問題でもあるの?」

 「‥‥いっぱいあるよ」


  言いたいことはたくさんあるのにこの場で口に出すのはひどく難しい。人見知りによる弊害だ。みすずさんが悪いわけではないのだけどちょっぴり鬱陶しく思ってしまう。

 

 「そんなこと言わず、ひと夏の思い出作ろうよ」

 「いろいろみすずさんに迷惑でしょ?」


  彼女は釈然としない様子でみすずさんに視線を置く。

 

 「ダメかな? お泊まり」

 「私は別にいいけど。親友くんの都合は大丈夫なの?」

 「大丈夫だよね!」

 

 こちらに振り向く彼女の顔の勢いが凄くて気負いした。

 ただでさえ人見知りでソワソワしているのに気持ちがドンドン弱くなっていく。

 「‥‥どうしてもなの?」

 

 あぁダメだ。早くも折れた言葉だ。口走った途端に負けだと思った。

 

 「うん! どうしても」

 

 もはや言葉の詰み将棋だ。なにを言っても彼女には勝てない。

 この後も小石が激流に飲まれるように僕はまんまと彼女に翻弄されるのだった。

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