第13話 初めて二人でお昼を

――六月三十日 朝

 目覚まし時計とスマートフォンのバイブによるハーモニーで目覚める。どうしようもないと絶望した時もあったけど、僕は完全に開き直っている。

 僕の心にいまあるのは、雨宮さんともっと仲良くなりたいってことだけだ。ループしてもいいじゃないか、彼女と話しができるなら。

 

 ボーっとしながらも洗面台に向かう。

 朝の歯磨きをしながら鏡を見つめると、冴えない男が眠そうな目をしている姿が映っていた。

 相手はクラスメイトとはいえこれまで喋ったことのない人。対するは、影になるスキルを極めたぼっち。

 凛とした美少女と根暗ひょろ男。


 か、勝てる要素が見つからん。

 はああとため息が出る。

 しかも、期間はたったの三日間なんだぞ。


『好きって気持ちに時間の長さなんて関係ないんだよー』


 妹の言葉が思い出された。僕は雨宮さんのことがとても気になっている。僕は彼女とファーストフードに行ったことも、生徒会室で自殺するんじゃないかと心配されたことも、僕の家にお見舞いに来てくれ握手したことだって覚えているんだ。

 しかし、彼女にそれらの記憶はない。

 一方の僕は繰り返す。だから、彼女の好きな髪留めだって、行きたいところだって覚えている。最初はこのことに後ろめたく思うこともあった。でも、僕は雨宮さんが覚えていないやり取りで得た情報なんかより、彼女と記憶を共有したい。

 でも、僕はループを抜け出せない。いや、大爆発を回避する手段はあるけど達成は不可能。


――松井くん。いいよ、私の胸を触っても。


 あ、あの時の妄想が頭をよぎる。

 な、何考えてんだよ。朝っぱらから。

 好意を持たれたまま、おっぱい揉み揉みは無理だって。

 

 おっとマゴマゴしていたら、教室での二人っきりの時間がなくなっちゃう。

 僕は急ぎ登校する準備をしたのだった。


 ◆◆◆

 

 教室の前に立つ。見なくても分かる。中にいるのは雨宮さん唯一人だけ。

 扉に手をかけ精一杯の笑顔を作り……扉を開ける。

 

「おはよう。雨宮さん」


 一歩進む。

 僕の声に反応した雨宮さんは表情にこそ出ていないけど僕にはわかる。彼女は驚いているってね。

 そらそうだ。これまで誰にも挨拶をしたことがなかった僕が、いきなり慣れない笑顔で声をかけてきたのだから。それもいつもと登校時間だって違う。

 

「おはよう。松井くん」


 それでも彼女はすぐに僕へ挨拶を返してくれた。


「朝、はやいんだね。雨宮さん」


 何か言わなきゃと焦り、変なことを口走ってしまった。何度ループしようと僕は僕ってことだな……。

 

「うん、いつもこの時間には来ているの。誰もいない教室って何故か好きなんだあ」

「そうなんだ。邪魔しちゃったかな……」

「ううん、でも、松井くん」


 雨宮さんは何か言いたそうにして口ごもる。

 こういう反応をする時の彼女は何を考えているのかだって分かるぞ。

 

「ちょっと心境に変化があってさ。いつも以上に元気に見えるだろ?」

「うん、その方が素敵だと思う」


 雨宮さんは口元に僅かばかりの微笑みを浮かべた。

 その表情に僕は少し見とれてしまう。何度だって見ているはずなのにね。ループをすると嫌に彼女の顔が懐かしく感じてしまうんだ。

 

「どうしたの? 松井くん」


 彼女はとても心配性。僕の少しの変化でも気にしてくれる。

 

「雨宮さんの……い、いや何でもないよ」

「気になるなあ。なあに? 松井くん」

「だ、誰かが来たよ」


 僕はそそくさと自分の席へ滑り込む。

 雨宮さんは僕の机の上に両手を置き少しだけ前かがみになり見つめてきた。

 

「後で教えてね、松井くん」


 う、釘を刺されてしまった。でもいいや、彼女と会話するきっかけだと思えば。


 すぐに授業が始まり、僕はすごろく作成に精を出す。よおし、今回は特別編だ。プレイヤーは雨宮さん、岩切さん、妹を想定して動かそう。

 お、おお。雨宮さん、あと少しでゴール。しかし、出目が悪い。あちゃー十マス戻るだ。岩切さんがその間に進む。が、一回休み。結局、妹がトップでゴールしたぞお。

 なんてやっていたら、午前中の授業が終わるチャイムが鳴る。

 予想以上に白熱した。す、すげえな。新感覚だ。駒に名前をつけるだけでここまで盛り上がるとは。

 

「松井くん」


 ワナワナと感動に打ち震えていたら、雨宮さんから不意に声をかけられる。

 慌ててすごろくを描いたノートを閉じ、雨宮さんへ顔を向けた。

 

「な、なんだろう」

「ノートも気になるけど……朝のお話を覚えてる?」

「う、うん」

「聞いてもいいかなあ?」


 分かる、雨宮さんの目じりが僅かに下がっているだけだけど、僕には分かる。彼女は楽しい気持ちでいるのだ。

 そ、そう言われてもなあ。

 

「ちょっと、みんなのいる前じゃあ……」

「じゃ、じゃあさ。松井くん、古池で一緒にお昼食べない?」

「え、いいの?」

「うん。松井くんとお昼を食べたことが無かったし。行こ」


 そのまま僕の手を握ろうとなんてするものだから、ささっと彼女の手を躱す。雨宮さん、何も考えずに僕の手を引こうとしているんだろうけど、それはマズイ。

 クラスメイトの前で……。女の子同士ならともかく……。あ、僕の事、男として全く意識してない? そ、それはそれでへこむなあ。

 

「す、すぐ行くから、古池で」

「うん。じゃあ、後でね」


 雨宮さんが踵を返すと、フワリと前髪が舞い上がりあのいい匂いがこちらにまで漂ってきそうな気がした。


 ◆◆◆

 

――古池

 古池に行くと、既に雨宮さんがレジャーシートを敷いてお弁当を広げていた。少しゆっくり行き過ぎたかなあ。


「ごめん、遅くなって」

「ううんー。私、食べるの遅いから」


 知ってるよ。

 でも、僕は曖昧に頷くことしかできない。それがたまらなく寂しく感じる。

 

「松井くん、どうしたの? 座ってね」

「う、うん」


 雨宮さんの隣に腰かけ、僕もお弁当を開く。

 そう言えば、二人きりで昼食を食べるのは初めてだ。少し緊張してきた……。

 そんな僕の気持ちなど知る由もなく、雨宮さんはさっそく核心を突いて来る。

 

「朝、何を言おうとしていたの?」

「え、えっと、やっぱ……言い辛い……」

「怒らないから教えてよお」


 それも知っている。彼女は滅多なことでは腹を立てない。でも、彼女がこのことにコンプレックスを抱いていて悩んじゃったら嫌なんだ。

 だから迷う。

 

「大丈夫よ。何を言われても気にしないから」


 上目遣いは卑怯だよ。断れなくなってしまうじゃないか。

 

「う、うんと。雨宮さん、もっとこう口元だけじゃなくてにまーとした笑顔の方が……そ、その……僕はその方がいいなって……雨宮さんらしくて」


 言っちゃった。言ってしまったぞ。かああっと頬が熱くなるのを感じる。彼女と目を合わせていられなくなってしまう。


「そ、そうかな……だって私さ、『鉄面皮』とか言われてるんだよ。そんな私が?」


 戸惑う雨宮さん。

 

「雨宮さんは『氷』とかそんな冷たくはないって僕には分かるよ」

「そうかなあ……」

「そうだよ!」


 つい強い口調になってしまった。

 

「ご、ごめん。だって、雨宮さんは誰とも口をきかないような僕の名前だって憶えていてくれたし、こうして僕とお昼を一緒に食べてくれてるじゃないか」

「そ、それは……えっと……」

 

 雨宮さんは何か言いたそうにして口ごもる。

 

「分かるよ。雨宮さん。僕が変な気持ちを起こさないか心配してくれたんだよね。大丈夫だよ。僕は学校が嫌になったりしていないから」

「ほんと! よかった!」


 雨宮さんはいつもより表情豊かに笑顔を見せる。


「うん、その方が絶対いいって」

「えへへ。ホントかなあ。じゃあ、鈴の前でも試してみようかな」

「鈴さん?」


 僕はさも知らないかのように岩切さんの名を呼ぶ。

 

「鈴はカルタ部の後輩なの。あ、そうだ。明日もここで昼食にしない? 鈴も連れてくるから」

「いいの? それなら喜んで」

「うん」


 雨宮さんと楽しいひと時を過ごし、僕は彼女とは別行動で教室へと戻るのだった。

 

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