第8話 大きな一歩

――ジリリリリリ

 けたたましい目覚ましの音とスマートフォンのバイブによるハーモニーで僕の意識が覚醒する。六月三十日の朝だ。

 いつもなら眠気眼を擦りながらゆっくりと起き上がるところだけど、一息に立ち上がる。

 頭に手をやり、口元が緩む。

 

 初めてだ。もう何十回ループしたのか分からなくなっているけど、七月二日二十時二分以外の時刻まですごして戻ってきた。

 たかが一分、されど一分。しかし、僕にとっては大きな一分。

 原因は不明。何故、僕は未踏の一分を進むことができたなんて分からない。

 でも、「滅びの運命は変えることができる」ことが証明されたわけなんだぞ! これがニヤけずにいられるか。

 

 これまでと何が変わったのか……てんで想像はつかないけど、雨宮さんと大きく関わったことは確かなんだ。

 彼女のことをもっと知れば何かが変わるかもしれない。それに……雨宮さんは可愛いし……い、いや。決して下心があるなんてことは……少しはあるけど。

 ブンブンと首を振り、両頬をパアンと叩く。

 煩悩ではない。これは小暮市を救うためなのだ。うん、きっと。それに僕は雨宮さんに約束したじゃないか「きっと君を救う」ってさ。

 

 そうと決まればこうしちゃいれない。はやく登校しないと。僕が気合を入れたところで自分の気質が変わるわけじゃあない。突然陽気に誰とでも喋るなんてことはできないし、他人の目線があったらうつむいてしまう。

 僕は急ぎ準備をして、学校へと向かうのだった。

 

 ◆◆◆

 

 いつもより三十分早く教室に入ると、予想通り中にいたのは雨宮さん一人。

 あ、挨拶せねば……。まごまごして彼女と目を合わそうとするけど、自分から挨拶することに抵抗感が物凄い。

 雨宮さんは僕と喋る前の彼女なんだし……。

 え、ええい。

 

「……あ、あの……」


 声が上ずってしまう。

 

「おはよう。松井くん。今日は早いんだね」

「あ、うん、おはよう。雨宮さん」


 結局、彼女から挨拶をさせてしまった。

 雨宮さんは口元に僅かばかりの微笑みを浮かべ、首だけを軽く下げる。

 多少きょどりながらも僕も彼女へぎこちない笑顔を返した。

 な、何やってんだよ……僕。


 自分にいたたまれなくなった僕は逃げるように自分の席へ座り両肘をつく。


「松井くん」

「え?」

 

 いつの間にか雨宮さんが僕の席に手をつき、至近距離にいたものだから目を見開いてしまう。

 

「何か心境の変化があったのかな」

「あ、うん、まあ」

「んー……」


 雨宮さんは何か言いかけて口をつぐむ。


「正直に言って欲しいな……。何を言われても気にしないよ」

「じゃ、じゃあ……私、松井くんが少し心配だったの。一学期が終わろうとしているのに、ずっと誰ともお話しをしていなかったから……」

「あ、うん……でも、苦痛とか学校を辞めたいとかは思ってないよ」

「そっか。よかったあ。私でよければお話しをしようね! きっとその方が楽しいよ」

「あ、ありがとう」


 雨宮さんは踵を返し、自分の席へと戻って行く。

 やっぱり、彼女は思いやりがあってとてもいい子なんだよなあ……改めてそう考えると口元が緩む。い、いかん。そろそろクラスメイトが登校してくるって。

 

 初日の朝から雨宮さんと挨拶をすることができ、目標が達成できた僕はホクホクしつつ授業中はいつも以上に一人すごろくへ力が入るのだった。

 

 放課後は木の下で雨宮さんを待っていたらペットボトルを岩切さんにいただき、帰宅する。


 ◆◆◆


――翌日、七月一日、昼休憩。

 僕はペットボトルを岩切さんに渡して、この後お昼を一緒に食べる予定になっていた。

 この流れだと雨宮さんが急いで古池に来ようとして転ぶはず。

 僕は数十回の経験から培われた洗練された動きで、倒れこむ雨宮さんの下敷きになる。立ち上がる時におっぱいを揉むことも忘れない。

 やはり、雨宮さんのおっぱいに蓄積されたエネルギーは微塵も動かなかった。


「ご、ごめん。雨宮さん」

「ううん、私から立ち上がるね」


 雨宮さんは僕がおっぱいを揉んだことなんて気にもせず(ワザとだとは思ってないからだけど)、地面に手をつき立ち上がる。

 僕も続けて立ち上がろうとすると……


「捕まっていいよ」


 雨宮さんが手を差し出しそう言うではないか。そこまでされるといくら必要なこととは言え、ワザとおっぱいを揉んだことに罪悪感が募る。

 マゴマゴしていると、雨宮さんは膝を曲げて僕の手を握る。


「えい!」


 掛け声と共に強く引っ張られ……ちょ。


「お、おおお」

「きゃ!」


 強く引き過ぎだよお。立ち上がるだけじゃなく雨宮さんに軽く突っ込んでしまった。

 肩に頭が触れただけだけと、彼女の髪の毛から漂ってくる匂いにクラっと来そうだ。


「ご、ごめんね。男の子だから重たいと思って」

「あ、うん。なんかこっちこそごめん……」


 運動音痴で背もそれほど高くない僕は当然のごとくひょろっちい。


「先輩方、楽しそうなところすいませんが、そろそろ食べないとですよ?」


 ジトーッとした目線の癖に口元のニヤニヤを隠そうともしない岩切さん。

 対する言われた方の雨宮さんは、僅かに眉をひそめただけだ。この辺はさすが氷の美少女である。


「そうね、食べましょ」


 雨宮さんは何事も無かったかのように、レジャーシートを広げてパタパタと振る。

 岩切さんと雨宮さんのやり取りを聞いているとすぐに休憩時間が終わってしまった。

 

「すいません、松井先輩。自分たちだけで喋ってしまって」

「ううん、聞いているだけでも楽しかった」

「そ、そう? じゃ、じゃあさ、松井くん」


 雨宮さんは口に手を当て、何やら考えている様子。

 

「明日、カルタ部の練習はお休みなの」

「うん?」

「よかったら、明日、ハンバーガーショップでお話しをしない? 時間を気にせずお話しをできるから」

「ぼ、僕でいいのなら」

「うん、岩切さんもそれでもいいかな?」

「はい。自分も明日予定がありませんので、お邪魔でなければ!」


 岩切さんはチラッと僕に目配せしながら、そう言った。

 雨宮さんと二人きりでハンバーガーショップはまだ敷居が高すぎる……岩切さんも来てくれた方が嬉しい……。二人きりにならなくていいのかって気を利かせようとしてくれたのは分かるけど。

 僕は二人に気が付かれないほど小さな動作で肩を竦めたのだった。


 雨宮さんとうまく会話できるようになってきているところだけど、情報も集めておきたい。

 この機会にやれることをやっておこうと考えた僕は、さっそく実行に移すことにした。そう、雨宮さんのストーキングだ。

 放課後になると、一旦家に帰宅して着替えてから再び学校へ向かう。

 雨宮さんら下校する時間はだいたい把握しているので、その時間に合わせるように校門が見えて、かつこちらが見えないような絶妙の位置へと陣取る。

 お、来た来た。雨宮さんだ。岩切さんと楽しそうにお話しているなあ。

 

 そのままついていくと、駅が見えて来た。

 駅前には小さな駅ビルがあって、スーパーと薬局、百均が出店している。雨宮さんらは百均に向かっている様子。

 よし、僕も百均に入ろう。

 見つからないようにこそーっと雨宮さんらを観察していると、二人は髪留めのコーナーできゃっきゃと何かいい物がないか見繕っている。

 岩切さんは探していた物が見つかったみたいだけど、雨宮さんは何も手に持っていない。どうしたんだろう?

 

「あ、松井先輩! こんにちはっす!」


 やべえ、乗り出して見ていたら、岩切さんに見つかっちゃった。

 僕は平静を装い、彼女らの前に出る。

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