第5話 ペットボトル
落ち着かないまま午前の授業が終わる。どれだけ僕が平常でなかったかというと、得意の一人すごろくをやらなかったほどだ。
お昼休みのチャイムが鳴ると、僕は雨宮さんと一緒にならないようコッソリ教室を抜け出し古池に向かう。
古池は校舎の裏にひっそりと佇み、特に見る物もなくベンチもさえ置いていないからここにやってくる生徒は稀だ。
僕は古池に来ると懐かしい気分に浸る……帰ってきたぞ古池よ。僕の憩いの場。
雨宮さんを観察するようになってから、昼食は教室で食べていたからここに来るのは久しぶりに感じる。定位置に座り込むと安堵の息が自然と出て来た。
「松井先輩、お待たせしてしまいましたか?」
「ううん、来てくれてありがとう。これ」
「わざわざありがとうございます! いただきます!」
すぐに岩切鈴さんがやって来て、僕は彼女へペットボトルを手渡す。これにてミッション完了だ。
じゃあとそのまま彼女と別れようとした時、雨宮さんがパタパタとこちらにやってくる。急いでいたためか、コテンと転んじゃったじゃないか。
僕と岩切さんは思わず顔を見合わせたが、何も見ていないと目線でやり取りをする。氷の美少女は決して情けなくコテンなんてしていない、あれは幻想だ。
「は、早いね二人とも」
雨宮さんは相変わらずの凛とした顔で俺と岩切さんに声をかける。頭に葉っぱがついているけど、見えてない僕には見えてないぞ。
「雨宮さん、ありがとう。ちゃんと渡せたよ」
「ありがとう。松井くんも鈴も来てくれて」
「いえ、これくらいなんてことありません。お昼はどうしますか? 雨宮先輩」
「せっかくだからここで食べる?」
「分かりました。すぐに持ってきます」
岩切さんは走って行ってしまった。
じゃあ、僕もそろそろおいとまするとしますか。
「松井くんも一緒にどう?」
「あ、う、うん」
断れるわけがない僕は雨宮さんと岩切さんに囲まれ昼食を摂ることになってしまった。
昼食の間、相槌を打つことしかできなかったけど、僕はあることに気が付く。
それは、「雨宮さんがコテンと転んだ」ことだ。このシチュエーションを利用すれば彼女のおっぱいに触れることができるんじゃないか?
角度はシビアだ。それに僕のいる位置が変わってしまえば彼女は転ばないかもしれない。でも、試してみる価値はある。
僕は心のノートに今の出来事を記憶したのだった。
教室に戻り、授業を受けたけど人と喋ったからかいつもより何だか楽しかった気がする。
授業終了のベルが鳴り、放課後になると視線を感じた。あ、雨宮さんか。みんなのいる前で目配せはちょっと……。
彼女の目から逃れるようにさささっと教室から出ると、後ろから声が!
「松井くん、何かあったの?」
「あ、いや、特には……」
雨宮さんこそ突然どうしたんだよと言えないのが僕である。
「そう、今日は真っ直ぐ帰るの?」
「あ、たぶん」
「そう、熱中症には気を付けてね。さようなら」
「うん、さようなら」
雨宮さんは口元に僅かばかりの微笑みを浮かべ、小さく手を振った。
ここにきてようやく僕は雨宮さんの意図を理解する。彼女は「さようなら」の挨拶をしようとしただけだったに違いない。
そういや、彼女は会話するくらいの相手には顔を合わせると必ず挨拶をする。「おはよう」「さようなら」ってね。
そうか、僕も彼女からそれくらいの相手だって思ってもらえたわけかあ。何だか嬉しい。
ハッ……か、勘違いしないでよね。ぼっちを拗らせすぎて人恋しくなり過ぎてるわけじゃあないんだからね。僕にはすごろく以外にもまだまだぼっち芸を持っているんだから。
階段を降りて校庭に出たところで今度は岩切さんとエンカウントする。気が付かないフリして通り過ぎようとしたら……。
「松井先輩、ご帰宅ですか?」
「う、うん」
「雨宮先輩が松井先輩のこと、心配してましたよ。『昨日の朝』から何だか様子がおかしいって」
「え、そうなんだ。俺はいたって健康だよ」
「それでしたらいいのですが、思いつめてるかもしれないと雨宮先輩がおっしゃってましたので」
「きょ、今日は真っ直ぐ帰るよ」
雨宮さんは俺の事よく見てるなあ。言われてみると、確かに不可解だと思われるかもしれない。
当たり前だけど、俺以外の人にとっては初めてかつ最後の六月三十日なわけで、教科書を開いてもないのに読む場所が分かったりしたりこれまで「うんうん」唸りながら、時間ギリギリに仕上げていた小テストをサラサラと記入してしまったりと例えをあげればきりがない。
雨宮さんから見たら、僕が昼食時に教室にいるのも違和感を覚えるだろうな。僕は二年生になって以来一度も教室で食事をしたことがないのだから。
といっても僕は自分の行動を変えるつもりはない。逆に僕の行動を少しでも雨宮さんが注目していると思うと嬉しいくらいだ。
カルタ部が終わるまで昨日と同じように木の下で待とうと思ったけど、この分だとあそこで寝そべっていたら雨宮さんがカルタ部の練習中にでもやってきそうな気がする。
「今回は」大人しく家に帰るするかあ。
「じゃ、じゃあ。また明日!」
岩切さんに軽く手をあげ一歩踏み出す。
「松井先輩……」
「ん?」
「いえ、何でもありません。さようなら」
「うん」
何か言いかけて口をつぐんだ岩切さんが少し気になったけど、僕は今度こそ帰路につくのだった。
◆◆◆
――七月二日
翌日も三十分早く学校へ登校する。何故かというと……。
「おはよう。松井くん」
「おはよう。雨宮さん」
教室に入ったら、雨宮さんが必ず挨拶をしてくると思ったからだ。
予想は的中し、彼女は口元に僅かな微笑みを浮かべ僕に声をかけてきた。みんなのいる前だと恥ずかしいから、早く登校したってわけなんだよ。
「松井くん、今日は昨日より元気そうだね」
「そ、そうかな」
「うん、だって口元と目元が」
言われて初めて気が付いた。僕は笑みを浮かべていたのか。大爆発を回避するために雨宮さんと接触したわけだけど、彼女や岩切さんと話しをすることでどうやら僕は気分が高揚していたらしい。
こういうのも悪くないなあ。朝来て「おはよう」と言える相手がいる。
ここまで考えて僕はまたしても暗い気持ちになってしまった。何だか、寂しい一匹の子犬が久しぶりに声をかけられて尻尾を振っている様が頭に浮かんだからだ。ち、違うし。ぼ、僕はそんなんじゃないしい。
動揺を隠すように雨宮さんから背を向け自分の席に座る。
「ねえ、松井くん、よかったら今日も古池で一緒にお昼にしない?」
「え」
昨日の岩切さんの言葉からして雨宮さんは僕のことをかなり気にかけてくれているみたいだ。それは嬉しいんだけど……理由は何となく察しがつくんだよなあ。
生徒会室での一件で僕はなんとなーく雨宮さんの考え方を理解している。彼女はきっと僕が不穏なことを考えているとでも思っているんだろう。しない、しないからな。
もし、僕が大爆発までに何等かの自己で死亡したとしても、六月三十日に戻るだけだ。する気なんて一切ないけど、僕に自殺は許されない。
それに雨宮さん、忘れてないか?
「雨宮さん、今日のお昼は確か……水やり当番だったんじゃ?」
「あ、そうだったわ。水やりはすぐ終わるから、岩切さんと待っててもらってもいいかな?」
上目遣いは反則だよ。
そんなわけで僕は頷くしかないのだった。
もっとも、僕も花壇に行くつもりなんだけどね。
◆◆◆
授業が始まり僕は考え事に没頭する。今回のループはこれまでと様相がかなりことなる。分岐点は六月三十日に僕が放課後すぐに帰らなかったことで起こった。
雨宮さんと昼食をしたり、これまで話をしたこともなかった岩切さんと挨拶をするまでになる。
それに伴い、七月二日の雨宮さんの動きも変わってしまった。
なら、花壇の出来事はどうなるのだろう? そこが気になっている。雨宮さんはガマガエルを見てホースを投げるのだろうか、それとも異なる動きをするのだろうか。
あっという間に昼休憩となり、僕はカバンを持って花壇に向かう。
すぐに雨宮さんがやって来て水やりを始めた。ここまではいつも通り。しかし、彼女が中央の花壇へ水やりを始めると――。
「あ、松井くん、そこで待っててくれたの?」
「あ、うん」
「私、この後お弁当を取りに行かないとだから、先に行っててくれてよかったのに」
同じ場所に立っていたんだけど、雨宮さんが僕の姿に気が付き声をかけて来た。
雨宮さんの動きが変わるのは想定内だ。
僕は一歩前に踏み出し位置を調整する。
「きゃ!」
雨宮さんの悲鳴があがり、僕の肩に水がかかったのだった。
お、おお。ガマガエルはちゃんとそこにいるようだな。
となると、僕の関わった事象以外は「変化しない」ってことだよな。安心し納得する。
「大丈夫? 雨宮さん」
「う、うん。松井くん、濡れちゃったよね。ごめんね」
「こんなのすぐ乾くよ。この天気だしさ」
僕はかんかんに照り付ける憎き太陽を指さす。
この後三人で昼食と摂り、何事も無く放課後を迎え帰宅する。
雨宮さんの行動がかなり変わったから、ひょっとすると爆発しないんじゃないかと思ったけど二十時二分に僕の意識は暗転したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます