第4話 脱水にはご注意だよ

――ジリリリリリ

 目覚ましとスマートフォンのバイブのハーモニーと共に僕は目覚める。

 はあい、やってまいりました。六月三十日です。

 ハアア……。

 雨宮さんの反応を見るに、言葉を交わして理解してもらうのは難しいと痛感した。ならどうするか……揉み揉みさせてくださいと泣き落としでいくか? そんなもので落ちそうな彼女ではないし、僕がやるにハードルが高すぎる。

 他の手を考えるべきだろう。

 

 手……手かあ。僕はベッドの上で両手を開きぐーぱーと動かす。

 そういえば、雨宮さんの手、柔らかかったなあ……女の子の手ってあんなに柔らかいもんなのかな? 妹の手だとそうは思わなかったんだけど。

 にやけている場合じゃない。朝のメモ時間もそろそろ終わりか。

 

 ◆◆◆

 

 教室に到着し席に座ったものの、考えがまとまらない。どうすりゃいいかなあ。

 ぼーっとしているとクラスメイトの声がよく聞こえる。男子はなんか誰が誰といやーんしたとか、女子は女子であの子とあの人がいやーんとか……表現の仕方が違うだけで男女とも同じことを話題にしているんだな。


「俺も彼女欲しいー!」

「朝にパンを咥えて走ったらいいことあるんじゃね?」

「そ、そうか、お前天才だな!」

「ってわけあるかよお」


 男子たちのやり取りが聞こえてきて、余りの馬鹿話に僕も思わず突っ込みそうになる。

 都合よく女の子とぶつかってそこから始まる恋なんてものは現実にはないんだ。物語の中だからありえるわけで……。

 ん、待てよ。

 こと僕に限っては、有り得ない話ではないぞ。僕は誰がどう動くかを正確に把握することができる。

 だったら、「偶然に」雨宮さんと衝突することだって可能だ。

 ぶつかって覆いかぶさるか覆いかぶされて、僕の両手がぽよよーんと行けばミッションクリアじゃないか。お、おお。何だか希望が出て来たぞ。

 

 最悪バナナの皮……は無いけど彼女を無理に転ばせることもやれないことはない。でも、最終手段でもうそれしかないというならその手も考えるけど、彼女を罠に引っかけるような真似をしたくないのが本音だ。

 ならば、彼女の行動をまず把握することに務めよう。

 

 これまで僕が観察してきたのはあくまで「話しかけるチャンス」だけに過ぎない。彼女は予習を欠かさない優秀な生徒だから、休憩時間も教室から出ることはまずないんだ。

 でも、移動教室とか放課後とかもある。その辺りを探ってみよう。場合によっては放課後の彼女をストーキングすることも視野に入れるか……。


 ◆◆◆

 

 三日間、怪しまれないように雨宮さんを観察したが、彼女はいつも余裕を持って行動しているからか走る姿を見かけることさえなかった。

 そんなこんなで収穫もないまま六月三十日に戻った僕は、教室でうなだれているというわけだ。

 

 仕方あるまい。放課後の行動をストーキングするか……。

 放課後になり、生徒会室へ寄った雨宮さんはすぐに別校舎の三階にあるカルタ部の部室に向かう。僕は雨宮さんが部屋に入っていくのを見届けると、階段へ腰かけふうと息をつく。

 僕の後ろをカルタ部なのか他の部なのか分からないけど、ジャージ姿の生徒達が通り過ぎて行く。ここでずっと雨宮さんを待っているのはマズイな。完全な不審者じゃないか。

 

 そんなわけで、校門傍の木の下で座り込んでいる。ドラマにあるように校門に繋がる壁に背をもたれさせ待っていようかと思ったんだけど、夏の日差しが強すぎて僕には耐えられなかった。

 あのまま直射日光に当たっていたら、雨宮さんが来る前に気を失っていた自信がある。

 

 日が傾き始めた頃、正確には午後五時十二分、雨宮さんはポニーテールの女子生徒と一緒に歩いてくる。隣にいるポニーテールは見たことが無いけど、彼女の様子から後輩じゃないかなと思う。

 なんかこう、距離感ってあるよね、先輩と後輩、同級生て。僕は体験したことがないけど。

 

「松井くん?」


 あれ、えええ。雨宮さんがパタパタと走ってきて僕に声をかけてきた。

 予想外の展開に僕は固まってしまい何も答えることができずにいる。

 

「松井くん、調子が悪いの? こんなところで倒れこんでいて」

「あ、いや、大丈夫だよ。す、少し休んだらもう」

「ダメだよ、松井くん。熱中症かもしれないよ? えっと」


 雨宮さんが自分の通学カバンに手をかけ始めると、ポニーテールがペットボトルを手渡す。


「雨宮先輩、これどうぞ」

「え? いいの?」

「はい」


 な、何だかポニーテールからの視線が可哀そうな人を見る目なのは気のせいだろうか。


「これ飲んで、松井くん」

「あ、ありがとう。雨宮さん、えっと……」

岩切いわきりです。松井先輩」

「ありがとう。岩切さん」

「いえ」


 ぶっきらぼうな物言いに感じてしまうが、これは敬語だからだろう。

 実はカバンの中にミネラルウォーターを持っているとも言えず、僕はさっそくいただいたペットボトルに口をつける。

 ペットボトルにはスポーツドリンクが入っていて半分ほど減っていた。もう冷たくも無くなっていたけど、彼女たちの優しさが僕の胸にしみわたった。

 人から物をもらうって何ねんぶりだろう……い、いかん。涙が出そうになってくる。


「じゃあね、松井くん。気を付けて帰ってね」


 雨宮さんは岩切さんと一緒に校門を出て行く。

 思わぬところで会話した僕は、ペットボトルを持ったまましばらく茫然としていた。

 そのため、僕は雨宮さんをストーキングする機会を逸してしまう。ま、僕には何度でもチャンスがある。急がば回れだ。

 

 ◆◆◆

 

――翌朝 七月一日

 今朝はいつもより早めに学校へ到着する。授業開始三十分も前に教室に入ったものだから、まだ室内はガランとしていた。


「おはよう。松井くん、体調はどう?」


 ビクッとした。雨宮さんが来た隙にこそっと昨日のお礼をしようと思っていたのに、彼女は既に教室にいたのだから。

 見渡してみると、教室には僕と雨宮さんしかいない。

 そうか、こういう発想もできたのか……僕はずっと雨宮さんと会話する機会を伺っていたわけだけどこの時間に登校すれば彼女と話す機会を持てたってわけだ。

 もっとも……彼女から話しかけて来てくれなきゃだけど……。我ながら情けない。

 

「あ、うん。大丈夫だよ。あの、雨宮さん、これ」


 僕はカバンからスポーツドリンクの入ったペットボトルを取り出す。もちろんこのペットボトル、は昨日コンビニで岩切さんからもらったものと同じ商品を買いなおしたものだ。

 

「逆に気を遣わせちゃったかな。ありがとう。松井くん。すずにはちゃんと渡して……ううん」


 鈴っていうのは岩切さんの下の名前だろう。

 雨宮さんは何かを思いついたように、形のいい顎へ指先を当てる。すると、彼女は僕にペットボトルを突き返してきた。

 

「松井くん、せっかくだから鈴に直接渡したらどう?」

「え……」


 待ってほしい。僕のぼっちスキルはレベルにすると百はあるぞ。そんな僕に……渡しに行けというのか……。一度しか会ったことのない後輩に。

 

「大丈夫だよ。一年生の教室に行けなんて言わないから。お昼休みに古池の前まで来てくれるかな」

「う、うん……」


 そこでちょうど別のクラスメイトが登校してきたので、僕は逃げるように自分の席に座る。

 こ、こら思わぬ展開になってしまったぞ。

 

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