第2話 ガマガエル
教室に入った僕は誰にも挨拶をすることなく、窓際の一番後ろの席に座る。授業を受けながらぼーっと外を眺めることができて、かつ先生から一番距離のあるこの席は大人気なんだ。
くじ引きで僕がここを引き当てた時、少しだけクラスの注目を集めたことが記憶に新しい。
同じ授業を受け続けるのは苦痛で仕方ないけど、学校に来ないことには話が始まらない。
この時間、雨宮さんは一人席に座り予習をしている。朝のホームルームが始まるまで他の生徒たちはわーわーと喋っているんだけど、雨宮さんの周囲にはまるで壁ができたかのように誰もよりつかないでいた。
僕? 僕は長年の修行の結果「空気になるスキル」を身に着けているからな……。雨宮さんの場合、朝教室に来ると挨拶はするし彼女に挨拶をする生徒もいるんだ。僕とは違う……つらたん。
そ、それはともかく……雨宮さんへ会話できるチャンスをもっと探さないとな。
「次は松井くん」
若い女性教諭の声に深い思考状態に陥っていた僕の意識が途切れる。
いつの間にか一時間目の授業が始まっていたようだ。教科書を開けさえしていなかったが、大丈夫。何をすればいいのかは分かっている。
ここでワザとわたわたして先生から注意されてみたりしたこともあったが、この後の流れは全く変わらないのでやる意味はない。
僕が普通に教科書を読み始めると先生は少しだけ目を見開くが、何も言われることなく授業は進む。
そして何事もなく、昼になる。
雨宮さんの休憩時間は次の授業の予習で、誰も彼女を邪魔しようとしない。雨宮フィールド恐るべしだな。
どうしたものか……。ループ前だと僕の昼食は校庭の裏にある小さな池のほとり……通称「古池」だったんだけど、今僕は教室の席に座ったまま外を見るフリをして雨宮さんを観察していた。
彼女は友人二人と教室で昼食にする。友人の二人は時折笑い声をあげたりするが、雨宮さんは口元を僅かに動かす程度で表情の動きが余りない。さすが氷の美少女だぜ。
ん? 既に何度も昼食の様子なんて見ているだろうって?
ああ、そうさ。見ている。雨宮さんが爆発の原因だと知ってから、授業開始から放課後まで僕の行動範囲に収まるところで彼女を出来る限り観察した。
その結果、三日目の昼休憩にチャンスがあったのだ。実のところ、チャンスを見つけてから花壇で彼女へ声をかけるまで三回ループしている……自分でも笑えてくるくらい僕は他人に声をかけることが苦手だった……。
し、しかし……教室でのご飯は何度味わっても僕のささくれだった心を乱す。ご飯くらい静かに食べてくれないものだろうか……ギャーギャーうるさいのだ。教室ってやつは。
ぼ、ぼっちだから寂しいわけじゃないからな。うん、絶対……。
午後の授業が始まって、六時間目になる。
結局、授業中はもちろん、休憩時間も彼女はトイレに行く以外では教室から出ず隙を見いだせなかった。
授業が終わると、雨宮さんはすぐに生徒会へ顔を出しカルタ部へ向かってしまう。いっそカルタ部に入ったらどうかと思ったこともある。
でもさ、大爆発を回避した後もカルタ部に所属するなんて僕にはできない。僕のぼっち気質を舐めてはいけないのだ。部員さんと話すのが怖い……。
◆◆◆
そんなわけで六月三十日は何もできずまま過ぎ去り、七月一日も同様。そして、七月二日……爆発の日を迎える。
二日間で何ら収穫が無かった僕はどんよりした気持ちで登校するが、一度キリのチャンスの日だと自分の気持ちにカツを入れ静かに昼休憩が来るのを待つことにした。
板書をノートに書き写したりするのは暇つぶしにはなるけど、もううんざりだあ。
しかし、生粋のぼっちたる僕を舐めてもらっては困る。無為な時間の過ごし方にかけて僕の右にでるものはいないだろう。
おもむろにシャープペンシルを手に取ると丸や四角の図形をフリーハンドでノートに描いていく。これを繋ぎ合わせ……中に「一度休み」とか「三マス進む」やらを書いていき……完成した。
これぞ、一人すごろくだああ。
僕ほどの上級者になると、すごろくで遊ぶ人数は四人になる。それぞれがいろんな動きをして振り出しに戻ったり……ゴールしたりとなかなか盛り上がるんだぜ?
動かすのは全て僕だけどな。
なんてやっていたら、あっという間に昼休憩になった。
いつも通り教室で友人二人とご飯を食べる雨宮さん。しかし、今日は違うのだ。
先回りしよう。
僕は教室を出て、校庭にある花壇に向かう。
花壇は校舎の壁に並ぶように三つの区画があって、僕が向かうのは右手の花壇だ。花壇から校舎の壁に向かって二歩。ここで待機する。
そろそろ雨宮さんがここへやって来るはずだ。
お、来た来た。
彼女はホースを手に持ち花壇へシャワーをかけている。そうなんだ。本日の水やり当番は雨宮さんなのだ。彼女は左側の花壇から水をやり、中央へ、そして僕がぼーっと立っている左の花壇へと歩を進めていく。
しかし、ここで。
「きゃ!」
雨宮さんが小さな悲鳴をあげ、ホースを放り投げるように落としてしまう。
前回はホースを拾って雨宮さんに声をかけたが、今回は――
少し高く上がったホースの口がちょうど僕に向かい、シャワーが肩口にかかる。
「だ、大丈夫? 松井くん」
「う、うん。暑いし、すぐ乾くよ」
僕は自らホースから出る水の軌跡へ被るように立っていたのだった。肩から少しだけ水をかぶる形になった僕は、ぎこちない笑顔を浮かべ雨宮さんへホースを手渡す。
焦って最初、自分の胸のあたりにシャワーをかけてしまったのは秘密である。こっちの方が雨宮さん経由でかかった水より量が遥かに多い……。
それにしても、雨宮さんが僕の名前を知っていたことに驚きだ。いくら同じクラスとは言え、わざわざ僕の名前を覚える奇特な人は先生と全員の名前を覚えるんだって生徒以外にはいないだろう。
きっと、彼女はクラス全員の名前を把握しているに違いない。
「そ、それより、雨宮さんは大丈夫?」
「う、うん、そ、それ」
雨宮さんが指を指す方向には手のひらサイズほどのガマガエルが鎮座しておられた。
彼女は不意に目に入ったこいつに驚いてホースを投げてしまったってわけだ。
「どけようか? このカエル?」
「いえ、いいの。そのままで。カエルも水浴びをしたいだろうし」
雨宮さんは花壇へ水をやるついでにガマカエルにも直接シャワーをかける。
この展開は初めてだ。
「きゃ!」
驚いたガマカエルがジャンプし、花壇の奥へと消えて行った。
「ガマガエルが苦手なの?」
「ううん。そうでもないんだけど、突然跳ねたから」
「そ、そう」
こんな時、どう言い返していいか迷う。僕に会話のキャッチボールを求めることが間違っているのだ。
曖昧に頭をかくことしかできない僕へ雨宮さんはクスリと口元に僅かな微笑みを浮かべた。
「笑わないんだね。松井くんは」
どういう意味だ? どうとっていいか分からない僕は「う、うん」と返事を返すことしかできないでいる。
「私がどう噂されているのか、松井くんも知ってるでしょ?」
「ま、まあ、一応は……」
「『鉄面皮』なのに、カエルに悲鳴あげちゃってって笑われると思ったんだよ?」
そ、そういうことかあ。よかった。
「誰にだって苦手なことがあるよ」
「ありがとう。松井くん」
僕の場合は対人だけど……。ほんの少し雨宮さんと会話しただけなのに、もう疲れ切っているもの。
「あ……」
「待って」という言葉が出る前に雨宮さんは手を振り踵を返すと、ホースを戻しにスタスタと歩いて行ってしまう。
肝心なことを話せないまま、貴重なチャンスタイムが終わったのであった……。
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