第2話 日常パート~あの日~
時計の鐘が九回鳴らし終わったところでボクの意識はあった。けれど、瞼が重くてベッドから起き上がれなかった。
このままボクは一日中を無駄に過ごそうかなと思っていると、扉を開く音が聞こえた。
「コーラーお寝坊さん。もう朝だよ」
父親だった。
「あと五分…」
「あと五分だなんて言える年じゃないでしょ?もう成人して仕事無しなんてないでしょ?一緒に仕事する?子供の為にこれから大人になるきっかけとして携われる大切なものなんだよ?」
父の名はヒストリー=ライト=エクリーヴァン。世界的有名な童話作家である。ボクはその息子、リア=ライト=エクリーヴァン。
「分かってるよ。でもさ、働きたくないんだよ」
「父さん知っているぞ、それはニートって言うんだよね。働いたら負けじゃあなくて、勝ちって思うのだ!」
「じゃあ仕事頂戴」
「自分で探しなさい」
そう言いながらボクの体をベットから引きずり下ろす。そしてそのまま一階の食卓にまで連れてこられる。
「今日何処か行くの?」
焦げたベーコンを食べながら部屋の違和感、特に普段散乱しない服と原稿用紙を見てボクは尋ねる。
「うん、まぁ。テレビ出演。国民栄誉賞…だって。」
「いいじゃん。」
父は少し困った顔をしてからそう言った。ボクは父がそんな困った顔で言うので不思議に思い、尋ねてみると父は答える。
「初めてのテレビ出演だし、国民栄誉賞って分かんなくて…」
「マジで?有名なヤツだよ?」
「えー。お仕事出来なくなる?」
「いや出来るでしょ…?」
「じゃあその賞リアにあげるね。」
「無理だよ」
父さんは偉大な人だ。国民栄誉賞を貰える程に、それを自慢にしたりしない謙虚さとまだ仕事に対する意識や熱量とかが父の魅力なのかもしれない。
「それじゃあお父さんはおめかしの為に家を空けるから、求人誌と仕事の話はお土産に持って帰るからね」
「そこは国民栄誉賞でしょ」
正直、仕事が出来るなら父の様な才能が発揮出来る仕事がいいが、このご時世だ。叶うかどうかである。
そんな他愛ない日常的な会話をして、ボクは二十歳にして初めて留守の家に一人でいる。ご飯を食べ終えてちゃんと食器を洗った後は本当にやる事が無い。
休校の平日の様に。ボクは散乱した原稿用紙をかき集めて書斎にある机に置く。
「ドア開けっ放しにしたのかな。かなり慌ててたな…」
軽く掃除もした、服も綺麗に畳んでタンスに入れてひと段落したボクはリビングのソファーに座り、媒体紙に手を伸ばそうとした時に家のチャイムが鳴りその手を止める。
「はあ…これだから天然の父を持つのは苦労するな。」
ボクは緩い足取りで玄関のドアに向かう。
この時ボクはドア越しの人影に気付けたら、鍵を開けなくて済んだのかも知れない。今思えば場合によっては僕は警察に通報していたかもしれない。
でも、僕はきっとこのドアの向こうの人物には接触していただろう。
緩い足取りのまま僕は玄関の向こうで待っている父親だと思っていた人物の為にドアを開け、ぼやけた視界の中で目の前に映ったのは警察庁の手帳とそれを持った高身長の険しい顔の男性だった。
「ミスターエクリーヴァンですね。私、警察庁S課の者です。貴方には私共の捜査に御協力をお願いします。」
これがボクと彼の初めての出会いでした。
―――あれ?ボクなにかしたっけ?犯罪に関しては特に何も無かったし接点も無い訳だし、きっと何かの間違いなんだ。そうだよ、ボクが悪い事なんかしてない……父さんは?いやいやいや、あんな抜けた人が犯罪なんかする訳無い…怖い職業の人達に借金されてたとか、違法なコトしてる関係者にされてるのかも……ありえーなくもない…待てよ?同姓同名の人と間違えて連行されているのかもしれないっそうだエクリーヴァンなんてどこにでもあるありきたりな名前じゃ無いのは解ってるさ…。嗚呼!なんでこんな珍しい名前なんだよエクリーヴァンっ…助けてくれよ父さんっ!
ボクは緊張で汗が顔から手から吹出している。緊張のあまりキョロキョロと挙動不審な行動をしているボクだが、警察庁の車にしてはやけに私物みたいな外装だが、これが覆面パトカーなんだと理解しているのだ。
「安心して下さいミスターエクリーヴァン。我々は貴方に御協力をしてほしくて連行しているんですから。」
連行という言葉に敏感に聞くボクは遠くの青空を見上げて何かを悟る。
それから果てしなく長く感じた悟りも緊張も終わりを告げ、ボクは刑事さんと思しき人と共に警察庁の建物に入った。少し不安になりながらも、丁重な対応でボクをもてなされた。
「忙しいところ申し訳御座いません。私は先程言いました警察庁S課、いわば媒体には洩らせない機密事項などの事件を解決する部署で御座います。スコット・サーティスです。以後お見知りおきを」
「は、はあ……。」
そして、ようやく刑事から本題が話された。
「今回はとある事件について助言して頂きます。これにはまだ媒体に提供していない情報です。ミスターエクリーヴァンは媒体を見ましたか?」
「い、いえ…」
そう言うと、警官は媒体紙を持ってボクに見せる。媒体紙の一面には《虐殺犯現る!?子供を狙った犯行か?》と大きく印刷された文字を目にする。
「これは…?」
「今流出されている情報です。……問題はその犯人だ。」
「え?犯人が分かってるんですか?」
そう言うと刑事は険しい顔で言葉を詰まらせたが、口を開いた。
「……犯人の名はサム・トイコ。七歳、被害者と同い年の少年だ。」
ボクは耳を疑った。その少年が犯人ならば、友達を、ましてやまだ純粋な子供が殺人を犯すだなんて考えられないからだ。
ボクは今まで味わった事の無い緊迫と恐怖で鼓動を早く打ちつける。
ボクは意を決してこの狂気ともいえる事件の詳細を追及する。
「少年は?容疑者は、何処に居るんですか?」
「応接室にいる。尋問室だと怖くて泣き止まないらしい。」
そこは子供らしいなと心で呟いて、自分がここに来る理由を尋ねる。
「ボクと容疑者は何か関係があるんですか?」
「ミスターエクリーヴァンは全媒体を支配する童話作家でいらっしゃる。おまけに子供の心を掴む天才だと。そんな貴方なら犯人の動機が分かるんじゃないかと思ったのです。」
「いや、それは……」
「いいえ、ご謙遜しないで下さい。貴方の大ファンですから。」
初めて何も知らないファンをボクは見た。
単刀直入に言って、ボクの父ヒストリー=ライト=エクリーヴァンのファンは怖い。宗教と似たような者なのだ。父親はボクに似て少しコミュ症な部分があるため、なかなか媒体に出演することは極に稀なのだ。それにより熱狂的なファン達は一度撮られた父親の媒体誌の特集の顔写真を頼りに今も父を捜していると風の噂で耳にする。
そんなファンと明らかに態度が違うボクには目の前にいる刑事さんが『大ファン』ではないことが分かった。
「あの、ボクは貴方の言っているエクリーヴァンじゃないです。」
そしてタイミング良く父から写真付きのメールが来た。
【件名:スーツ買ったよ~】
刑事に見せると目をパチクリさせてから凄い速さで深々と頭を下げる。
「やめて下さいっ!今父にメール打ちます!」
ボクはそそくさと内容を打って父宛に送った。
しばらくして父からメールが返って来た。
【本文:僕的にはね、沢山のお金とひとつの果物 、リンゴでいいかな。それをその子に見せて判断してみたらどうだい?どちらか好きな物をあげるよって言ってお金を選んだら有罪判決、リンゴは無罪ってな感じで】
ボクは本文を刑事に見せた。すると刑事はすぐに行動に移した。
「ありがとうミスターエクリーヴァン。後は私達の仕事です。もうお帰りになって結構です。」
「あ、はい。」
ボクはあっさり帰され他にする事もなく、昔からの親友の家を訪ねることにした。
親友の家はとても普通の人なら近寄り難い狭くて暗い道の先にある。ボクはその道を熟知していた為すぐに着いた。
着いた場所は煙突にまでツルが伸びきっているいかにも廃墟という感じの大きな家である。そこが我が親友の家である。
ボクは迷いなくツルが絡まる扉のドアノブを掴んで引いた。重たい音を立てて扉を開けると、雪のように白い肌と髪を持った整った顔の青少年がお盆にクッキーとほのかに香る紅茶の湯気が立っているティーポットを持って立っていた。そして彼は僕に一言
「いらっしゃいリア」
と歓迎の言葉を笑顔で言った。
「君が来るのはほんの十五分くらい前から知っていたよ。珍しいね、こんな時間に来るなんて」
紅茶の香りを楽しみながら、ボクは親友と会話を楽しむ。
「また範囲広げたんだ。今週ここに来る人居たの?」
「まあね。でも見られてないから平気だよ。」
彼の名はリフ・アルビーノ。唯一無二のボクの親友。彼はボクや父以外の人間に対して著しいコミュニケーション障害が出る。それは過去に何かしらあったんだろうと、ボクの心中で推測している。
「聞いてよリフ父さんがさ」
「「国民栄誉賞を受賞する」」
声が重なった。ボクは目を丸くしてリフを見る。リフはクスクスと子供の様に笑う。
「コミュ障な僕でも媒体ぐらいは常日頃からチェックしているよ。君が来る前から話題だよ」
そう言ってリフは机の上に置いてあるリモコンをなにやら操作すると天井から大きめのスクリーンが出て来た。
そしてパッと光ると液晶媒体機となって今放送されているであろう媒体番組を報道していた。そこには《天才童話作家出没!?》の話題が目につき、
その後に報道陣やファンに囲まれて軽く挙動不審になる自分の父親の姿が映し出されていた。
『これは何のイベントですか?』
『イベントじゃありません!天才童話作家、ヒストリー=ライト=エクリーヴァンの出没に集まったものですっ!』
『えっ?僕でも、そんなテレビに出られるような身分じゃないし、それに……これからテレビに出るからその為のお洋服を買いに来ただけですよ?』
『テレビ出演ですかっ!?どこですか!?』
発狂する様に騒ぎ立てる周囲の人に負けない声で質問するインタビュアーに父は答える。
『えと、詳しくは知らないんですが…国民栄誉賞を受賞するみたいなんで、できるだけおめか…お洒落な格好になりたくて来ました。』
その発言が言い終わると同時にインタビュアーは固まり言葉を失い、騒ぐ人々は叫声を上げ、ファンは涙を流してバタバタと倒れ、現場は荒れる。
『もしかして、明日行われる国民栄誉賞受賞式のシークレット受賞者はもしかしてエクリーヴァン氏ですか!?』
『え!?受賞式明日だったの?』
『驚くのはこっちですよ!ミスターエクリーヴァン、今後はどうするんですか?』
どこか抜けている父はまた斜め上の答えを言う。
『受賞式が明日と分かったので、ヘアスタイルやメイクを勉強します……?』
『いえ、そういうのではなくて、仕事についてです』
ボクは目と耳に神経を集中して父の言葉を待つ。スクリーン上の父はにっこりと笑って今後の方針を言う。
『僕が書ける限界まで書いていこうと思います。それ以上は書こうとは思いません。そこは息子の役目だと、個人的に思っています。』
嗚呼…。やっぱり他の人間の様に自分の願望や信念を自分に重たく託すのかと、ボクは半ば呆れ顔で続きを聞く。
『なるほど、では息子さんも作家志望ですか?』
『いいえ。』
『え?』
ボクは耳を疑った。そしたら父はボクにどうしてほしいのだろうか。さらに集中して聴く。
『僕の様に、………僕の様に自由奔放に才能のままに本能のままに生きて欲しいなと僕は思っています。例えそれが僕が選んだ童話作家でなくても。絵、曲、女の子が身に着けてるアクセサリーでもなんでもいいんです。立派にお医者さんしてくれてもいいですし、もっとのんびり過ごせる街や村でお店を開いていても、表現しているから。……ともあれ、リアが生きてくれてるだけで彼は僕の生涯不動の最高傑作作品ですよ?…テレビって恥ずかしいですね。えへへ……リア見てる?パパの今の言葉恥ずかしかったから忘れてねっ』
そこで番組は広告に切り替わるアングルになって、映像を切り替える。
「良かったね。」
「…なにが?」
「本音が聞けて。」
「…うん。」
ボクはまた父親というのが好きになった。
あれから番組は父の明日から着るスーツやらシューズやらを紹介したりするコーナーや、ファンを巻き込んで父にそのスーツやシューズのプレゼントをかけたゲーム
コーナーをしていたが、見事ファンが全勝し、明日着るスーツやシューズ、香水やヘアサロン券などを全て父は手に入れた。ファンの熱はとても執着心があるなと改めて思った。
「もう帰るよ。」
「うん、気をつけてね」
そしてお互いにじゃあねと言葉を交わして屋敷を後にする。
ボクが家に到着する頃には父はたくさんのお土産を持って帰って来た。
「リアっ!扉開けて~なんか外でたら皆から話しかけられちゃったよ」
言われるがままにボクは扉を開けて片腕に抱えている箱を持つ。
「知ってる。それ番組のプレゼントなんでしょ?」
そして普通に会話する。
「そうそう最近の人はゲーマーなんだね。全勝したんだって」
「ホント神回だったよ」
「買い物してくる?」
土産のプレゼント達をソファーの上に置いて、ボクは冷蔵庫から食材を物色する。
「ポトにする?」
「お、いいね」
「なんならリフくんとしない?ポト」
「いいね」
ボクは父の提案に笑顔で言う。そして父はある疑問が浮かんだ。
「ポト好きかな…」
「好きなんじゃない?」
「でも家庭によってお肉だったりお魚だったりするよね。それに今ベジタリアンがフィーバーしてるしファンの皆からはチーズポトが流行だって言うしさ…」
父はそこまで言うと悩み始める。ボクも悩む。リフの家で食事をご馳走してもらった時は肉も魚も野菜も等しい頻度で出されていた。
主食を訊くと炭水化物と言ってパスタやマイを食べた時もある。だが今日は彼がかなり流行をチェックしているのが分かったのでチーズポトでも良いだろうかと悩んだ末、ボクは費用は掛かるがバラエティーとしては良いと思って父に提案する。
「「全部にしよう」」
まさか父親と被ってしまった。ボクは二回目のシンクロに思わず吹き出して笑った。それに続いて父も声を出して笑った。
「いらっしゃい二人共。ヒストリー先生、本格的なテレビ出演おめでとうございます。」
また笑顔でリフはボクらを出迎えてくれた。
「二人して風邪でもひいたの?そんなマスクして」
ボクと父は苦笑いをしてリビングまで足を運ぶ。
「ポトするよ」
「ポト好きー?お鍋あるー?」
「探しておきました。」
リフはそう言うと、視線を右に移す。ボクと父も視線を右に移すと、三人座れる椅子と丸いテーブルの上に大きめななべが置いてあった。液晶媒体機はついたままでバラエティー番組が放映されていた。
「これくらいならなんとか足りますよね」
「うん。リフとポト食べたことないから何食べるかなって思って色々持って来たよ」
「お肉、お魚、野菜、チーズ!シメって言うのが増えててね、マイやメン買って来たよ」
「マイ高かったんじゃないですか?今高騰してますよね」
「ダイジョーブだよ。お安くしてくれたんだよ~ホッカイドーブランドマイだよ」
「ニイガタブランドマイも美味しいですよ」
マイの話に花を咲かせる二人を横目に荷物をキッチンに運ぶ。キッチンに入ると必要な道具が揃っていた。リフの予想はどこまでなのか不思議に思う。
「最初に何にする?」
「リフの好みで良いよ」
あらかじめ食材は少なめに用意している
「最初に魚をポトにしよう」
「いいね。そこの包丁研げる?」
「…やってみるよ」
微笑みながらリフはボクの傍にある包丁を持って研ぎ方を教える。
「出来る?」
「嗚呼」
「ふふ…」
何故か知らないが、父がボク等を見て笑い始めた。
「どうしたの?」
「何か、夫婦みたいだな~って思っちゃって」
「何言ってんの」
「アハハ…じゃあケガしない様に研いでねアナタ」
「リフも悪ノリしない!」
「まぁっリアちゃんったら怖いわ~ささっリフちゃんこっちで味決めちゃいましょう」
「は~いお母さまぁ…ふっ」
「笑うなよ」
そう言って魚を捌いて刺身みたいに切る。
「…上手く切れないな」
以前リフがご馳走してくれた刺身と比べて分厚かったり薄かったりとバラバラになってしまった。
「リフー、父さんー、魚切れたよ」
「ありがとう。そしたらマイの下準備手伝って」
「分った。」
「じゃあ先生は野菜と肉を切って下さい。」
「よしきた」
――――――グツグツと煮込む音を奏でながらボク等三人は今日の出来事について談笑する。
「父さんはいつ言われたの?」
「国民賞のこと?」
「「国民栄誉賞ね」」
鍋の中で踊る魚の切り身を見つめながら三人は今日起きた出来事を話すことにした。
「そうそう、えーとね……二週間前にきていてね、その時さ執筆中でね…すっかり忘れていたんだよ~」
「えー全然そんな気無かったよ?」
「うーん…そんなにいいものだなんて思ってなかったし、なんかの通販販売かなーって」
「国民栄誉賞を通信販売扱い………」
「ガチでやばいね」
「そんなにやばい?」
「だって目の前でオレオレ詐欺されてるのに真に受けておまけにオレ後ろに立っててさ振り返ったらえ?!なんでいるの!?って通話中に言ったからまあ被害に逢わずに済んだけどさ……うん。」
「なんかごめんね?」
「そういえばこのポト食べたら次何にします?」
そう言って、スープの残ったポトを見るリフ。
「肉でいいんじゃない?魚の出汁出てるし」
「野菜も入れない?」
「そうですねーでは取ってきますね」
「いやここは僕が行くよー若い子はお話してね」
そう言って、父は席を立ちキッチンへ向かう。
一度火を止めて小さなグツグツと音を聞いて鍋の中で踊る食材の残りカスを見て待ちながらボクは椅子の背もたれに体を委ねる。
「そういえばさ」
「ん?」
リフがテーブルに突っ伏して上目遣いでボクの顔を見ながら話す。
「ジャポンの人はあのお魚の切り身をショウユとワサビって名前の調味料を使って生で食べるらしいんだ。」
「へー…でもさ、新鮮じゃなかったらどうするんだい?お腹壊しちゃうよね?」
ボクは興味津々でリフの目線に合わせるように自分もテーブルに伏せる。
「実は壊さないんだよ。何故だか分る?」
「い~や。わかんない」
リフはにんまりとした顔をして姿勢を正すと、近くに常備してある調味料と自分と取り皿を使ってジャスチャーをする。
「ジャポンの漁師さんが素早く魚を釣り上げると、魚に適した水温に調整出来る箱があるらしいんだ。だから鮮度が保たれて新鮮なままなんだって。後、ワサビって調味料が魚の中にいる雑菌を殺してくれるから、お腹を壊すことがないんだってさ。」
「ほぇ~ジャポン人は頭がいいな!」
きっと目を輝かせながら、ボクは言う。それを聞いてリフは微笑む。
「もう少し大人になったら行こうね。」
話題がお互いなくなったようで、二人で鍋の中を見る。コロコロと浮かぶカスを見て、ボクは口を開く。
「料理作るのってこんなにも大変なんだな………」
「でも結構楽しいでしょ?」
優しく微笑みながらリフは言う。
「まぁ、楽しいっちゃあ楽しい」
「これで僕がご飯作れない時も大丈夫だねっ」
途中から父に会話を聞かれていたようで、割り込むように言葉を放つ。
「それは微妙…」
そう言って父とボクは互いに笑みを溢す。
「遅くなってごめんね~。マイが炊けていたから少しシャモジで掘ったりとか盛ったりとか動かしておいたよ~あ、これをジャポンでは『お米をかます』って言うらしいんだ」
そう言ってドヤ顔をする父。
「はいはい。早く入れて入れて~」
そう言われて父はダバダバと具材を入れる。
少し汁が跳ねたが、火を消していたから皆火傷しないで済んだ。もう一度火を点けて具材が煮えるのを待つ。
いただきますの声を揃えてようやくポトにありつく三人。最初の話題は鍋の中に入っている具材だった。
「この白い四角いヤツ何?」
ボクはフォークでそれを指す。
「ジャポンでポトをすると必ず入っているものらしいんだ。実は僕もあまり詳しくなくてねリフくんは知ってる?」
「ジャポンで多く生産されているトオフって名前らしいですよ。なんでもジャポンでしか取れないハタケノニクと言う植物から作られているそうですよ」
「へーハタケノニクかぁ…がつがつしてそうだね」
「でもハタケって名前付くぐらいだから健康なんじゃないの?」
お互いにあれこれ意見しあっておたまでトオフを取り皿に入れてみる。
「なんかプルプルしてないか?プリンみたい」
皿の中でトオフを揺らすとそれに従ってトオフも揺れる
「こっちはプルプルしないね…なんか繊維がくっきりと見えるね」
父はハシを使ってトオフを触る。思いの外弾力があるように見える。
「トオフは加工食品なのでプルプルのとフカフカの二つに分けられているらしいですよ?」
「へーまずは試しだな」
そう言って皆で一斉にトオフを口にする。
ボクの食べてるプルプルトオフは舌を通して熱を伝える。思わず出しそうになるのを抑えてボクは口を開いて冷たい酸素を取り込もうと呼吸する。
それはリフも父も同じな様だ。段々熱が引いて食べれる様になると歯でトオフを噛む。トオフは口の中で二つ三つに分裂して水の様に喉を通る。
「すっげぇ…ジャポン人はこんな不思議な食感が好きなのか」
「そうみたいだね。これはなかなか食べ応えありそうだね」
「そしたら今度は別のトオフを食べてみよう」
ボクは今度は父が食べたフカフカトオフを掬い取り皿に入れる。そして父にプルプルトオフを入れてあげる。
「じゃあ、いただきます。」
「いただきまーす。」
「いただきます」
トオフの熱さが分ったボク等はフカフカトオフを一旦冷ませてから口に運ぶ。
フカフカトオフはプルプルトオフと違って歯に少し力を入れて食べないと噛めなかった。でもこれはこれで好きな食感だった。
これがハタケノニクか、と思い沢山噛んだ。
「オレフカフカ派だな。こっちの方が食感的に好きだ。」
「へぇー僕はプルプルトオフかな。こんなにも柔らかくて噛まなくても飲み込めるのは不思議で新鮮でたまらないね。今度のお話にトオフを入れよっかな……」
「私はどっちもだね。ジャポンは私達に感動を与えるのが本当に得意だね。」
そう言ってリフはトオフとは別の白い食材を取り皿に入れる。
「なんだいそれ?」
「コンニャクっていう野菜らしいよ」
「へー。…うん、なんかツルツルしてて面白い食感だね」
大分熱さにも慣れたようで、はふはふと口を動かしながらコンニャクを楽しむ。
「ん。もうそろお肉煮えたかな?」
リアは赤みの消えた肉を指差しながらリフに尋ねる。
「何のお肉を買ったんですか?」
逆にリフに尋ねられてしまい、父とリアは声を揃えて言う。
「「牛だよ」」
リフはくすくすと笑う。二人は何度目かのシンクロに笑みを溢した。
「ジャポンの人はお肉なら何でもグツグツにて食べるそうだから、何でもいいと精肉屋さんは言っていたんだけどね。ジャポン人のポピュラーなお肉は牛だそうだよ」
そう言って、父は赤みの消えた牛肉を掬って二人に見せる。
「豚は雑菌が多いから煮込む時間が多い、鶏は煮込むと身が硬くなるから初めての僕らだったら硬すぎるお肉にしてしまいそうだし、鹿や馬の肉でもいいけど臭味があるのはね。だから牛にしたんだけど、いいよね?雑菌も少ないようだし、半分生状態でも大丈夫だそうだ」
そして牛肉を口いっぱいに頬張りとろけた様な顔になる。
「そして何より、ジャポン人がポピュラーに食べている理由がこのお肉には詰まっている。ん~~!僕はこの美味さを言葉で表現してはいけない程美味しいよっ!流石僕らのジャポンだ」
その言葉を言い終わると躊躇わずに牛肉に箸を伸ばす。それを見て二人もすぐに牛肉に箸やフォークを突刺す。
「ん~~~~~♪美味たるお肉、旨味が詰まった脂身、引き締まった赤身、ジャポン万歳!」
「万歳じゃぽん!ん~~堪んねえっ」
口いっぱいに頬張り、ボクとリフは頬を押さえて顔を綻ばせる。それくらい美味しいお肉だからだ。
思いの外肉が無くなると今度は何にしようかと迷いだす。
「チーズにするかい?」
リフはそう提案するが、生憎ボクの満腹が警報を鳴らす。
「ゴメン…。お腹いっぱいデス」
「えへへ…ごめんねリフ君。僕らエクリーヴァン親子は満腹になりやすいんだよ」
後頭部を掻きながら父は言う。
「ではシメにしましょうか。……といっても、マイにメン。どちらをいただきます?」
「そ~だった~…」
父は後頭部を掻いた手を目に覆って落胆する。
「メンをシメになったらさぞ満足して食事を終える事が出来る。けど、マイをシメにしたらチーズと一緒にしてリゾットに出来るっ!う~……。今はリゾット気分じゃないし…」
目を潤ませて此方も見つめる父。
それはボクがするべき顔だよ父さん。父親のおねだり顔が無性に気色悪くて、ボクは言う。
「じゃあメンでシメようよ。リフー、メン持って来てよ。」
「はーい」
そう言って席を立つリフを見て、父は叫ぶ。
「でも、明日の朝はこの出汁でリゾット作って食べたいっ!」
「我儘だなおいっ!しかも止まる気かよ」
つい本音が出てしまった。だが、父親のこんな姿リフ以外に晒されたくないほどキツイ。
「だって、もっとリフ君とお話ししたいのー!リアもしたいだろ?」
何とか説得してリフの家に泊まりたい父。こういうのは普通立場が逆だろ?
「警察に拘束された後にたっぷりしたわ!」
父にこの家に泊まる要素を排除するべく、あまり思い出したくなかった昼の出来事を言う。
「じゃあ、三人で出来るゲームしようよ!」
だが、負けじと次の要素を発言する父。それはちょっと心が揺れたが、心を鬼にして喝を入れる。
「まだ言うか我儘!」
キッチンの入り口で立ち止まってボクと父の様子を見て困り顔で微笑むと、何か閃いたようで、大きめの計量カップを持って来て湯気の出る出汁をおたまで掬って計量カップに注ぐ。
「これくらいの量ならリゾットは人数分出来ますよね?」
透明な計量カップだったので、どこまで出汁が入ってるか一目で分る。父は親指を立てて、満面の笑みを浮かべる。
「それじゃあメンに決まりだね」
リフ笑顔で呟くと計量カップを戻しにキッチンに戻り、黄色くうねる糸の入った袋を持って来た。
「これがメンですよね?」
「そうだよ。なんか違った?」
自信無さ気に持って来たリフ。これがメンだと思ってカゴに入れたボクも不安になる。
「メンで合ってるよ。でも、白いメンしか見た事ないでしょリフ君」
父は鍋の火を強めながら言う。それにボクらは無言で頷く。
「黄色いメンは北側の地域で主に製造されているみたいだよ。白でも黄色でも美味しいから大丈夫だよ~」
そう言って、父はリフから袋を受け取ると湯気が立ち込める鍋に間髪入れずメンを落とす。
「こうやってかき混ぜて三分まてばいいんだって~楽しみだね~」
リアとリフはかき混ぜている鍋の中を覗きながらメンが水分を吸収するのを待つ。
「よしっ!出来たー」
あれから三分経ったようで、父はメンを掬って音を立てずにメンを食べる。
「そういえばさ、ジャポンの映画を見るとメンを啜(すす)って食べているよね。あれオレ苦手なんだよね……」
フォークでメンを掬うが中々多めに取れず、苦戦しているとリフと父が手伝ってくれた。
「確かにジャポンの人啜って食べてるよね。別に不快な思いはしないけど、あれどうやって出してるんだろう」
ボクの取り皿に満杯に盛られたメンを半分盗り、おたまで汁を自分の取り皿に注ぐリフは音を立てて食べようと試みるが、小さくチュルチュル鳴って本家とは程遠い啜り音を立てたリフ。
少し恥ずかしそうにするものだから、此方もどぎまぎしてしまう。
そんな中父がジャポン人さながらのメンの啜り音を立てる。二人して感嘆してパチパチと控えめだけど拍手をすると、ドヤ顔をする。
「ワインと一緒だよ。君達もお酒を飲めばすぐさ」
そう言ってもう一度メンを啜ってドヤ顔を見せつける父。少しムカつきながらボクはメンを吸って食べる。
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