第7話 丘の上から始まる物語

 開けた空に、雲がぽっかり浮かんで風に流されていく。時の流れが今日は他日と違うのではないかと思うほどに、穏やかな天気であった。


「いいところだ」


キッドは青空を見上げながら大きく息を吸い込んだ。月毛のボニーがとなりで草を食んでいる。彼らが立っているのは、柔らかな草花に覆われた丘のてっぺんで、見下ろすとこじんまりとした家々が点在し、耳を澄ませば清らかなせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえてきた。絵に描いたような農村である。絵に描いたような……この表現を好意的に使うのは、実に久しぶりのような気がした。

 水瓶座は、姉妹を送り届け、光の指輪リツ・ペリューグを受け取るため、いつもの四人でアルフィナの家にやってきていた。

 アルフィナの家は、この農村でも東の外れにあり、周囲に家はほとんどない。元々が城勤めをしていた余所者だという遠慮がアマート家にもあったし、村民たちは土地の清々しさに比して閉鎖的であったので、足繁く交流をしているというでもないらしい。良く言えば土地に根付いた暮らしを愛する人々の村である。そういう場所に水瓶座の豪華な馬車はいくらなんでも悪目立ちしようというので、今回ジェシーが手配したのは、こういう田舎にもよくあるボロの幌馬車であった。その馬車をキッドはひとり、ぼんやりと丘の上から見下ろした。

 ひとり、である。キッド以外の水瓶座の三人とアマート一家は、今、アルフィナの家で指輪のことなど話しているはずだが、キッドは触れもしない指輪などに興味はないから、それについての話し合いもどうだってよかった。それで一儲けしようというコモドールやティーチのような人間はケチな下衆野郎だと思ったが、一方で、彼らの方がまだ、意思があるだけ自分よりは指輪を持つ価値があると思うのも事実である。

 ジェシーは王位継承権に関わるような指輪を私欲に利用する人間ではないから、今頃は、今の王子王女の内で誰が最も王位に相応しいかとか、そんなことを話しているにちがいない。あるいは今年の天気はどうだのと、村のことも話題に上るだろう。作物の出来は大喰らいのキッドにも重大な問題だが、あとのことは正直、関わりたくない話題である。

 アルフィナと話すのも、キッドは今日限りのつもりでいる。ひとつ気がかりなのはアルフィナの予言で、彼女によれば彼は国の未来がかかった銃弾を撃たねばならないらしいのだが、そんな大役を仰せつかるつもりは毛頭ないというのに、ここでアルフィナと別れても、ジェシーが光の指輪リツ・ペリューグを所持し王室と関係を持つというのが不安であった。詳細はまったく不明だが、そんな面倒事に駆り出されるぐらいなら、こんな王国は滅びていただいて結構ぐらいにキッドは考えている。

 キッドがそういう考えを持っていることに水瓶座はとっくに気がついているはずで、彼が馬を歩かせてくることを言い訳に出て行ったときには弱からぬ視線を感じたが、構わずに逃げた。

 だが、しかし、それにしても退屈である。美しい村だが、別段、何があるわけでもない。キッドはコートの裏ポケットからスキットルを取り出して口に運んだが、中はもうほとんど空で、アルコールの香りが鼻をくすぐるだけであった。

 平和である。天気も好く、風も穏やかで、雲の動きを眺めるぐらいしか、本当にすることがない。ぼんやり景色を見ているだけの時間というものを、キッドは若い割には愛していたが、あたたかな日差しに負けて欠伸が二度、続けて出た。


「ボニー、遠くへは行くなよ」


キッドは思い切って草むらに寝転がった。帽子を顔の上に置いて、足を組み、風に葉のこすれる音や清流の音、小鳥のさえずりに耳を澄ませて、やがて浅い眠りに落ちた。

 実に気持ちがよかった。馬は、まだ熱心に食事をしている。その背に白い蝶がとまった様子は愛らしかったが、それを鑑賞する者はいなかった。


「キッド。寝ているの?」


どれほどの時間がたったろうか。問いかける少女の優しい声にキッドは目を覚ました。帽子に手をやって、顔を隠したまま上体を起こす。


「おはよう、アルフィナ」

「おはよう、キッド。なぜ顔を隠すの?」

「レディに見せられる寝顔じゃないからさ」


冗談を言って帽子を被りなおし、両手を空へ突き出して大きな伸びをした。


「んーっ。なんだか、すごい寝ていた気がする。今、何時?」

「三時ぐらい。今、セシリアとおばあちゃんがケーキを焼いてるの。キッドも食べるでしょ?」

「もちろん!甘い物だいすき!」

「甘くなくっても、キッドは食べ物ならなんでも好きなんじゃないの」

「あっははは。一応これでグルメだよ。美味しい不味いの区別はつくさ」


キッドが立ち上がって、服についた草をかんたんにはらった。ボニーも向こうで耳を震わせて顔を上げる。ブルルッと嬉しそうに一鳴きして近寄って来た。


「どうした?ご機嫌だな。……あ、そうか。わかったよ」


キッドが歯を見せて笑うと、ボニーが前足をドスドスと踏み鳴らしてアルフィナを見た。アルフィナが首を傾げていると、キッドが少女の手を取って、馬の背まで導く。


「ボニーがきみと走りたいって」


アルフィナの瞳が輝いた。馬の背を撫でながら、喜びを隠しきれない顔でキッドを振り返る。


「いいの?」

「いいよ?」


きゃあっと悲鳴のような喜びの声をあげて、アルフィナがボニーに抱きついた。ボニーも嬉しそうにまたブルルッと鳴いて首を振っている。余程馬が好きなのか、アルフィナは意外なほどの身軽さで馬の背に跨ると、馬上から景色を見回した。


「すごい!背が伸びたみたいよ!ボニー、あなたって、本当にきれいで立派な馬!」


すごい、すごい、と繰り返してはしゃぐアルフィナに、先程までの退屈を忘れたキッドの口角も自然と上がる。その顔をアルフィナが見下ろし、うきうきと馬の鬣を撫でながら語り掛けた。


「あの林の中に、小さな湖があるの!一緒に行きましょう?」

「はりきっているなあ」


苦笑しながら、キッドが指笛をふいてクライドを呼び出した。ボニーよりもさらに逞しい青毛の馬は、普段キッドが騎乗することの少ない馬だが、相思相愛のボニーと一緒ならどこまででもついて行く一途な性格の牡馬である。キッドを急かすように前足を踏み鳴らして、キッドが跨るや否や、二頭一緒に風を切って駆け出した。


「わあ!はやい、はやい!気持ちがいい!」


アルフィナの笑い声が風にさらわれて、どんどんと後ろへ流れて行った。

 本当に小さな湖の畔で二人は馬をおりた。ボニーとクライドは手綱を縛らなくても心配のない馬だから自由にさせて、キッドとアルフィナは湖を眺めつつ、手近な草むらに腰を下ろす。


「きみがあんなに馬の扱いが上手だとは思わなかったよ」


キッドが褒めると、アルフィナはまだ興奮に頬を上気させ、声を弾ませた。


「うふふ。本当はね、セシリアは怒るの。女の子なのにクッキーも焼けないって」

「なんだ。きみ、おてんばだったのか」

「お淑やかなレディじゃなくて、がっかりした?」

「がっかりはしないけれど、ちょっぴり、びっくりはしたかな」


キッドが冗談ぽく肩を竦め、アルフィナはまた鈴を転がすような笑い声をあげた。それからアルフィナは膝立ちで湖面に近づいていって、水に顔を映しながら風で乱れた前髪を直す。これも姉に教えられた身だしなみであった。


「馬に乗れば自分で走るよりずっと速く、ずっと遠くまで行けるし、高い木に登ればずっと広い景色が見えるのに、みんなだめって言うの」

「みんなって?」

「みーんな!あたしだって、メアリーやママみたいに素敵な女性になれたらなって思うこともあるけど……」


キッドが噴き出した。アルフィナが不思議そうに目を瞬かせて振り返る。


「女の子らしいかどうかはともかく、きみ、変わってるよ」


キッドが手を叩いて笑い転げる。アルフィナがちょっと口を尖らせた。


「メアリーもママも、素敵な女性じゃないの?」

「少なくともママをそう言ってくれる人は多くない。あんな筋肉ムキムキの見上げるような大男だぜ?彼女を素直に女性と言える人は、あんまりいないよ」

「キッドも"彼女"って言ってるじゃない」

「……ほんとだ」


キッドがヘーゼルグリーンの瞳をきょとんと開いてから、アルフィナと目が合った瞬間、今度は二人で同時に噴き出した。アルフィナは両手で口元を覆って、キッドは首を傾けて大笑いしている。あんまり二人が楽しそうなので、ボニーが首を上げてこちらを見ていた。


「でも実際、メアリーよりママの方が素敵な女性だよ。メアリーは見た目は女神そのものだけれど、家事はDD並みにやらないし、きみには優しいけれど面倒見の良い方じゃない。ワガママなところもあるしね。子どもの頃、家庭教師のケツに火をつけてやった話は面白かったな」

「お尻に?なんだか……過激なのね」


おてんばだが純な少女である。キッドにはそれがまたおかしかったが、そこを指摘すると拗ねるだろうと思って別のことで笑いを誤魔化した。


「ママはね、子どもの頃は、小さくて弱い男の子だったんだって。それで、大きくなったら強い女の子になるぞって」

「夢は、叶ってるわ。凄まじい夢だけれど」

「どんな理屈だよって思うよね。でも確かに夢を叶えたパワフルな人だ。それに強くて優しい人だから、ママのことをみんなリーダーだと思ってついていくんだろうね」

「……そっか。かっこいいな」


不意に、アルフィナの声がやや落ち込んだので、キッドは睫毛を上下させた。何かまずいことを言ったかな、と思ったが、ちょっと思い当たらない。

 アルフィナが、もう一度湖面を覗き込んで、水に映った自分の顔を見下ろした。


「ねぇ、キッドはあたしのこと、お姫様だと思う?」


何を言い出すのだ、と、キッドは思った。まさか、この王位継承権を巡って争いが始まろうとしている時期に、自分も王家の血を引く者だと世間に名乗り出るつもりもあるまいが、あまりにアルフィナの声が悲しそうなので、返事に迷った。


「きみはどう思うの?」

「そんなことあるはずないって思ってる。だって、こんなそばかすだらけの顔で、ボロボロの服を着て、ダンスもロクにできないのに。予言の魔力なんて捨ててしまえないの?」


アルフィナの小さな手が水面を撫でて、そこに映った少女の顔を歪ませた。


「何か、あったのかい」

「……セシリアがママに指輪を渡してた、それだけよ。それだけだったのに、なんだか、すごく嫌な予感がしたの。セシリアは、あれさえ無ければ大丈夫、ママに預ければもう安心だって言うけど、あたしの魔力自体があたしの血筋を示すなら、キッドたちみたいに魔力探知が得意な人に見つかってしまうこともあるんじゃないのかなって思って……」


波紋が落ち着いて、また泣きそうなそばかす顔が湖面に映りこんだ。アルフィナはこの数日で自分の力を受け入れ、その能力の恐ろしさに気がついている。まだ親のことや、この魔力をどうすればよいのかと迷いは多かろうが、まず、事実を受け止める覚悟があるのは良いことだとキッドは思う。アルフィナの不安には、正直に肯いた。


「そうだね。予言の魔法は貴重で有用だから、きみ自身が王位につかないまでも、王座を狙う馬鹿どもが仲間にしようとしたりはするかもしれない。王家の魔力だと気がつく人間もいるだろう。特に、血縁関係にある人間同士はやっぱり近い魔力になるから、フィリツの人間に見つかってしまう可能性は否定できない」


言いながら、キッドは立ち上がって、手近の石を拾い上げて湖面に投げた。パシャパシャと軽い音を立てながら、石が湖面を跳ねて滑っていく。途中で魚も一緒に跳ねたように見えた。


「魚になっちゃう魔法ってないかしら」

「自棄になるなよ。危険回避のために予言はあるんだぜ」

「それって、危険が近くにあるってことじゃない?」


キッドが口を噤んだ。確かに、そうだ。セシリアや家族には申し訳ないが、アルフィナが絶対安全だとはキッドも到底思えなかった。


「あたしの魔法は、ソルドロ殿下のものなの?」


アルフィナがぽつりと問う。キッドはまた石を拾って空中に投げ、自分でキャッチする動作を繰り返した。


「いや。ソルドロと兄弟には別の魔法が発現していた。きみのは先代の国王カレド・フィリツ……つまり、きみのおじいさんのさ」


先代のカレド・フィリツ王は、特筆すべき功績は残さなかったが、同時に歴史に残るような間違いもない、穏やかで堅実な政治を行ったことで一定の評価を得ている王であった。劇的な何事もなかったのは、彼がしばしば予知夢を見ていたからで、夢で見た惨劇を避けるために努力していたからである。その気遣いは彼自身の健康にも及んだため長生きで、彼の子どもたちは果たして自分が後を継ぐ日が本当に来るだろうかと気を揉んだとも言われている。


「"おじいさん"」


嘘みたいな、まるで実感のない響きである。自分にそんな祖父がいたとはどうしても思えなかったが、事実ならば仕方がない。仕方がないとは思うが、どうにかその事実から隠れる方法がないかとも思った。そして、そう思うことが、少女の中により強い感情を生み出している。


「あたしは、お姫様になれる?」

「きみが望むなら、ね」


キッドがまた石を投げた。先ほどよりも二回多く跳ねたのをアルフィナは見送って、立ち上がった。キッドが振り返った。


「え?なるの?お姫様に?」

「あ!ちがうの、そうじゃなくって!」


アルフィナが慌てて両手をブンブン振った。


「特訓、しようかなって……」

「お姫様になる特訓?」

「そうじゃないの!そうじゃないけど、予言の魔法、もっと使えるようになったら、危ないことを避けられるんでしょ?何か悪いことになる前に、あたしがわかればいんでしょう?そのためには、このお姫様の魔法を、どうにかしなきゃって……。本当は、こんなの無かったことにしちゃいたいんだけど、できないなら、使えるようになりたいから……」


キッドがまた目を瞬かせている。アルフィナの顔を、不思議なものを見るように見つめていた。


「やっぱり、きみはおてんばだ」

「おてんばでいいの。お淑やかな王女様なんて、なるつもりないんだもの」

「それじゃ、何になるんだい?」

「きっと笑うわ」


キッドを真似てアルフィナも石を投げてみたが、一度も跳ねずに、ボチョリと鈍い音を立てて湖に消えた。


「もっと水平に投げるんだよ」


キッドのアドバイスに従ったつもりだが、もう一度投げてみた石も、間抜けな音を一度立てただけであった。


「おかしいなぁ。三回跳ねたら、言おうと思ってるのに」

「え。気になるから頑張ってよ」


アルフィナはまた屈みこんで石を探したが、良さそうな形の石が見つからずに諦めた。


「大したことないし、言っちゃうね。あたし、お姫様じゃなくって、ママみたいになりたい」

「ママ?ママって、ジェシーのこと?」


まさか。この純朴で可憐な少女が、あんな丸太のような足をした人間になりたいと?この愛らしいそばかす顔が、キッドの倍はあろうかという肩幅の真ん中で、切り株のような太い首に支えられているところを想像するのは不可能に近い。


「家族が泣くよ?」

「嘘。本当に?それじゃ困るわ。あたし、ママみたいにみんなを守りたいだけなのに……」


しゅんと肩を落とすアルフィナに気付いたボニーが、鼻先でキッドの背中を突き飛ばした。


「うわっ。何だよ、ボニー?お前だって嫌だろ?レディがムキムキになっちゃったら……」

「何言ってるの?ムキムキになんてならないよ?」

「え?そうなの?」

「当たり前でしょ!」


両手を腰に当ててアルフィナが頬を膨らませた。キッドは案外に馬鹿だし、女心のまったくわからない男だと呆れる思いである。そうとは知らずにぱちくりと目を瞬かせているキッドの顔は、まるっきり少年のそれであった。


「ママみたいに、優しい魔法を使えるようになりたいの!」

「ああ、そっち……」


考えなくともわかりそうなものだが、キッドは自分の勘違いが我ながらおかしくて笑いそうになりながら、軽く咳払いして誤魔化した。


(優しい魔法使い、か)


キッドには思いもよらない発想だったのは事実である。ジェシーは確かに魔法で人を傷つけることがない。それはジェシーの魔法が傷や疲労を回復する能力だからで、攻撃した端から相手の傷を治してしまうからなのだが、言われてみれば優しい魔法であった。ジェシーの性格が他人への慈悲に溢れているからそういう能力になったのか、それともそういう能力の持ち主だからそういう性格になったのかはわからない。だが、ジェシーには似合いの能力であった。

 もしかするとアルフィナの予言能力も彼女の性格から来ているのかもしれない。そもそも王族の魔力が予言に適しているのは事実だが、アルフィナに特に強くその能力が発現したのは、彼女の優しさと気遣いが相手の心を見通す力となってあらわれているのではないか、と、キッドは一瞬考えて、すぐに否定した。

 そんな説を肯定したら、ディリンジャーやキッド自身の魔法の説明ができない。メアリーの炎は情熱の女として通るであろうが、金属の円盤をつけて走り回る性格の男なんて意味がわからないし、キッドは自分の魔法が意に反して光が強すぎるのを、常々疎ましく思っているのである。


「ふたつの魔力を組み合わせて、花占いでもするのかい?」


ちょっとからかうと、アルフィナははにかむように目を細めた。


「キッドは?これからどうするの?」

「おれ?そうだな。とりあえず、おやつを食べに戻るよ」

「あ!いけない、そうだった!」


話をはぐらかされたことには気がつかないで、アルフィナは慌ててボニーの背へ跨った。


2.

 二人は元来た道を引き返しながら、先程の話の続きを楽しむことにした。いつしか、話題はキッドの魔法のことへと移っている。


「キッドって不思議。あんなにすごい魔法が使えるのに、今は全然魔力を感じないんだもの」


占いだとか予言だとか呼ばれる魔法は、相手の魔力を読み取って行う。感応の魔力の持ち主は、他人の魔力の波動の読み取りに長けている場合が多く、アルフィナもその例に漏れない。付け焼刃ながら実践をこなしたことで魔力の扱いに慣れてきたことがうかがえる発言であった。


「でも、初めて会ったときとかは、あなたのことを予言できたんだから、あのときは魔力があったのでしょう?」

「まあね。きみを試したくって、いつもより少し多く魔力を流すようにしてた。まさか反対にこっちの魔力が捕まるなんてね。滅多にないことなんだけれど」


馬が歩くにあわせて体を揺らしながら、二人はゆっくりと会話を楽しんでいた。


「おれの魔力って、あんまり人に見つからないんだ」

「そうなの?」

「そうらしいよ。なのにきみは無意識でおれの魔力を見つけちゃった。きみの予言能力が、他の誰でもない、おれを占おうとしたときに暴走しかけたのは、魔力の系統が似ているからだと思う」


一瞬、アルフィナが手綱を引いたのでボニーが立ち止まりかけたが、クライドが速度をゆるめなかったので再び歩き出した。アルフィナはボニーの首を撫でながら驚かせたことを詫びて、顔を上げる。


「似ているって、あたしの占いの魔法と?」

「そ。おれも分類としては感応能力者でね。だから他人の魔力を探るのは得意なんだ」


雨の晩、ティーチの死体を囲んで話しているときに、キッドがいち早くコモドールの存在に気がついたことをアルフィナは思い出した。キッドは、予言者で魔力に敏感なはずのアルフィナよりも素早く、しかも正確に相手の位置を特定できていたのである。

 そもそも戦闘という行為自体に不慣れなアルフィナには理解の難しいことではあるが、キッドの索敵能力は実に優れていて、相手の魔力の波動をいち早く感知し、対応することができる。反対にキッド自身の魔力は異常なステルス性能を誇り、そこに百発百中の銃が加わる。本来はこの魔力特性と天才的な射撃技術を組み合わせた狙撃暗殺を得意としているはずなのだが、この才能は、本人が有効射程の短い拳銃を愛しているために最大限発揮される機会が少ない。

 ただし、魔力探知による索敵行動などは感応能力者でなくとも可能であり、むしろ彼が貴重なのは、魔力を高濃度に圧縮させて物理的に具現化させられることであった。つまり、コモドールを撃った銃である。

 メアリーやディリンジャーのように、はじめから魔力を魔法に変換する際に、ある程度の型が決まっている人間はそれで済ましてしまうことが多いが、本来は魔力とは水のようなものであり、その形状は流動的で、どんな形にも変えられるものである。実際それを好きな形に整えて具現化するのは熟練した技術を要しするのだが、その点、キッドは魔法使いとして天才的な能力を有していた。元々、感応能力者とは魔力の扱いには長けているとされ、故に汎用性が高い魔法使いは感応能力者であることが多いが、キッドほどそれが得意な人間は珍しい。

 だが、同時に、キッドには魔法使いにあるまじき大きな欠陥があった。


「特異体質でね、魔力を貯めておけないんだ」


キッドは気軽に言った。


「こないだの例えで言うダム湖がないんだよ。すべての川がいずれ海に注ぐように、どんなに魔力の弱いやつでも、魔力を生み出す器官と貯蓄する器官とを持っていて、普通は蓄えていた魔力から消費していくものらしいんだけれどね、おれは何故だか貯めておけない。生まれつき、そのための器官がないんだってさ」


これは魔法使いとして致命的なことであった。

 通常、魔力は消費よりも、生成により多くのエネルギーと時間とを必要とする。生命が生きているだけで魔力というものは日常的に生み出されてはいるのだが、その量は微々たるものであり、そういう日常の生命活動の中で生み出される僅かな魔力を日々蓄えておくことで、いざというときに魔法を使えるようにするのが本来の形なのである。優れた魔法使いになるためには、その日常生み出す魔力がまず並みより多く、貯蓄できる最大量も大きい、というのが、まず前提条件としてあるのであった。

 その前提条件をクリアした上で、通常は、魔力を魔法に変換するための技術の話が出てくるのである。例えば、メアリーであれば火の温度や火球の大きさ、ディリンジャ―であれば盾の直径や厚みを調整する部分である。そのとき必要な魔力を効率よく取り出して、なるべく短い時間で思う通りの形に仕上げることが重要なのだ。

 ジェシー曰く、キッドの場合はその能力が傑出している。そしてまた異常なことに、キッドは魔力の貯蔵能力はないくせに、生成能力は常識外れに優れているのである。彼は星の瞬きを上回る速度で周囲の人間の貯蓄量を上回る魔力を生成することが可能で、しかもその時間で誰よりも緻密に魔力を調整し、魔法を形成できる。これが天が与えたキッドの才能である。

 彼は自分の魔力で、槍でも、盾でも、矢でも、生み出すことができた。その中で最も好んでいるのが拳銃で、これは普段から彼が拳銃を愛用し、その大きさや構造をすっかり把握しているため、素早く正確に魔法の完成形をイメージできるからである。キッドの黄金の銃弾一発は、拳銃の小さな弾とまったく同じ形状、同じ面積でありながら、その内包エネルギーは自由に調整することができ、その射程も威力も大きくオリジナルを上回る。時として、ディリンジャーの盾も、ジェシーの水壁も貫くような殺傷能力を持たせることもあったが、


「でも本当に疲れるから、あんまりやりたくない」


先述の通り、魔力の生成には大量のエネルギーが必要であり、その必要量は魔力の生成量に比例して増加する。アルフィナが感知したキッドの黄金銃の魔力は、川どころか嵐の海のように荒れ狂う、巨大なエネルギーの波濤であった。その強大すぎるエネルギーを小さな拳銃のサイズにまで凝縮し、更にたった一発の銃弾に押し込めるという、それはもはや神の業であったが、キッドの体は人間のものである。しかも、普段魔力を貯蓄する場所のないキッドの肉体は、体内に魔力が満ちることにまったく対応しておらず、魔法を使う瞬間に圧しかかる過剰な負荷を支えきれない場合があった。彼が普段、一切の魔法的補助を排した武器を選ぶ所以である。


「でも、魔法を使っているときのキッドは、本当に夜明けの太陽みたいだったわ」

「だから、"払暁のガンマン"ってね。納得したかい」


アルフィナが大きく頷いた。その笑顔に、キッドは苦笑を向ける。


「そんな良いもんじゃないけれどね。銃なんて使えたって、結局のところ誰かを傷付けるしかできないし、感応能力者って言っても、未来を見るとかテレパシーを使えるとかいうわけじゃない」

「そう?格好いいけどなぁ」


アルフィナは素直な感想を口にして、それから「あ」と、小さく呟いた。


「ねぇ。ほとんど遺伝で能力が決まるんなら、キッドのお父さんやお母さんは?」


何気ない問いであった。キッドは少し驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの微笑を取り戻し、馬の鬣を優しく撫でながら、


「さて。どうだろうね」


そう、答えのない答えで返した。


「キッドって、もしかして秘密の多い人?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもよ。きみの魔法で見てみたらいいじゃないか」


キッドが悪戯っぽい顔でアルフィナをからかった。見てみたらも何も、アルフィナに未来予知と読心の能力があるらしいと判明してから、キッドはずっと魔力の生成をやめてしまっているのである。


「秘密が多いし、意地悪な人だわ」

「むくれるなよ」


あとは他愛ないことを談笑しながらアルフィナの家へ向かっていると、セシリアがこちらに呼びかけながら駆け寄ってくるのが見えた。


「どうしたのかしら。何か慌てているみたい」


セシリアはケーキが焼けただけにしては切迫した様子で、それでいて顔と声に喜色を浮かべている。何事か急な慶事が起こったことは明らかであったが、向こうは慌てているし、距離は遠いし、風は吹くしで、何を叫んでいるやら聞き取れない。

 キッドとアルフィナの二人は馬を急がせて、間もなく、景色の変化に気がついた。水瓶座が乗って来た幌馬車のとなりに、もう一台、先程まではいなかった馬車が停まっている。同じく幌馬車だが、豪勢に四頭立てで、しかも幌に微かに防御魔法を施した形跡がある。魔獣除けの結界だと思えば珍しくもないが、こんな村に来る人間が用いるには高度な魔法だし、魔法強化された馬車を頼むにしたって金がかかる。


「なかなかのご身分の方が乗っていらしたようだが、お心当たりはおありかな、プリンセス?」

「からかわないで、キッド」


二人は顔を見合わせてから馬を進め、家まで数メートルというところまで来ると、やっと息を切らしながらのセシリアのことばも聞き取れた。


「遅いわ、アルフィナ!父さんが帰って来たのよ!」

「父さんが?」


アルフィナは一瞬パッと華やいだ笑顔を見せてセシリアのとなりで馬をおりたが、すぐに視線を馬車に投げ、やや警戒するような表情を見せた。


「……あの馬車に乗って?」

「ええ。とにかく早く戻って。大変なお客様がいらしてるのよ」


今までに彼女たちの父が、あのような馬車で帰ってきたことはない。キッドが、セシリアの言う"大変なお客様"が何者なのかを想像して笑顔を引きつらせた。


「待って。すごく嫌な予感がするんだけれど……」


セシリアが勢いよく振り返り、キッドの乗る馬の轡をとった。


「あなたも来て!今度は逃がしちゃ駄目ってジェシーの命令よ!」


少女の眼差しの懸命さに、キッドは嘆息して従った。やはりアルフィナの予言は、逃れられない運命の鎖であったかと苦虫を噛み潰す思いである。

 時に後星暦1734年、王国歴241年。未だ星の国の魔法にかかったままの世界に生きる若者たちの物語が、動き出した。

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