第6話 リーチ・ティーチをぶっ飛ばせ

1.

 日暮れ頃から怪しかった雲行きが、いよいよ確定的に空を黒く覆い出して、目的の教会に近づいた頃には本降りの雨になった。馬車の窓から不安そうに暗い道を見ているのはアルフィナである。となりにはセシリアが座って、妹の手をずっと握っていた。


「そんなに泣きそうな顔をするものではなくてよ」


向かいからメアリーが微笑みかける。アルフィナは落ち着きのない自分を情けなく思いながら、前を向いて座り直した。

 馬車は水瓶座のものである。馬は二頭立てで四人乗り、外には水瓶座の所有物である証の水瓶を掲げた男が描かれた紋章があり、ジェシーが自ら御者台に座って操っている。アルフィナが今まで乗ったことのない豪華なもので、水瓶座の財力と影響力を物語っていた。

 祖父母は残っても役に立たぬと自ら願い出て、家へ戻った。アルフィナの魔法により家が無事であることは予言されたが、それでも不安は拭い切れず、祖父母の表情は厳しかった。

 水瓶座についていく姉妹の肩も緊張に強張っている。アルフィナの脳裏にはあの晩の恐ろしい怒鳴り声と猿のような何かが暴れまわる姿が焼き付いていた。

 セシリアが案じる言葉をかけてくれたが、その姉の目も恐怖を隠しているのは明らかであった。アルフィナは姉に必要以上の心配をかけまいと、なるべくはっきりと頷き返した。虚勢だが、まるっきりの嘘でもない。自分でそう思った。怖ろしいのは怖ろしいのだが、あの晩と違って、今は水瓶座がそばについていてくれているから大分、心強かったのである。

 アルフィナはもう一度そばかす顔を窓へ向けた。雨の夜、外は真っ暗でよく見えなかったが、石畳を車輪が走る硬質な音のとなりに、馬の蹄の音が響いていた。

 前から聞こえるのは、もちろんこの馬車を引いている二頭の足音である。いずれも愛らしい顔をした鹿毛かげで、キッドによれば彼らの名前は「鼻白が栗、額に星がある方がどんぐり。あと栗毛のくるみがいるよ」だそうだ。

 その二頭よりやや後ろ、馬車の左右を守るように歩いているのが、キッドとディリンジャーが騎乗する馬であった。いずれも体格がよく、気高さと優雅さとを備えている。ディリンジャーが乗る青毛の牡馬ぼばのクライドとキッドの乗る月毛の牝馬ひんばのボニーは、実に仲の良いカップルで、実は二頭とも精霊なのだという。普通の馬とは比較にならぬ体力を持っているらしい。

 雨の降る中を、四頭と五人は進んでいく。ジェシーはさすがに水の魔法使いであるだけあって、彼の周りは雨が避けているように濡れていなかったが、ディリンジャーとキッドの二人は雨除けのコートを羽織り、帽子を目深に被っていた。


「雨が強くなってきましたわね。こうなると、わたくしはほとんど出番がありませんわ」


メアリーが、冗談なのかどうか、微かに笑いながらそんなことを言った。雨がなくても教会を燃やすわけにはいかないから、あくまで姉妹の護衛だけのつもりでついてきている彼女であったが、雨の日にあまり前に出ないのは本当らしい。


「あなたの炎は、やはり雨で消えてしまうの」

「いいえ。でも、威力は多少落ちますし、雨の中で炎を維持するには余計な魔力を使いますもの。いやよ」


いざとなればジェシーがいる、メアリーはそう言って姉妹を安心させてやった。ジェシーの水は相手を直接に攻撃こそしないが、防御力には定評がある。

 馬車が少し揺れて停止し、ややあって、ジェシーが扉を開けて中の三人に笑いかけた。教会まではまだ少し距離があったが、これ以上近づくのは危険だと判断したらしい。


「プララリック・コモドールって奴の居所もわからないし、あんまりゾロゾロ出向くのは安全とは言えないわ。あたしたちはここで待機しましょう」


ジェシーの案内で三人は馬車を降り、すぐ近くの建物へ雨を避けた。水瓶座の息のかかったバーだそうで、通りに面した窓はすべてガラスが嵌っており、向こうの教会の様子がよく見える。既に真夜中であり、天候も悪いために道行く人もなく、他の客もいなかったが、ジェシーが物珍しそうに店内を見回していた姉妹を見て冗談を言った。


「アルフィナがいるには不自然だけど、そうね、万が一誰かが来たら、あたしの子どもみたいな顔してればいいわよ。うーん。あたしったら遅くまで酒場に娘を連れ歩いて、悪い親ね」

「楽しそうなとこ悪いんだけれど、おれたち行くよ」


外からキッドが馬に乗ったまま声をかけた。ジェシーが振り返る。


「気を付けて。何を隠してるかわからない相手よ」


無言で頷くキッドの向こうでは、教会に視線を向けているディリンジャーが見える。空は星も月もない真っ黒な雨雲に覆われて、それぞれの表情はほとんどわからなかった。それが不安なのだろう。アルフィナがジェシーのとなりから少しだけ顔を覗かせて、キッドを見た。

 キッドが気が付いた。


「レディ、馬は好きかい?」

「え?ええ。とても」

「それは何よりだ。このボニーはかわいい女の子と友だちになるのが好きでね。きみみたいな子を乗せると喜んで風のように走る。晴れたら遠乗りに行こうよ」


キッドは帽子をちょっと持ち上げて、不安がるアルフィナに顔が見えるようにしてやり、それだけ言うと馬首を巡らせた。ディリンジャーと目配せをして、二人は道向こうの教会へ駆けていく。ディリンジャーのクライドは夜闇にとけたが、キッドのボニーは満月のように明るかった。

 噴水のある広場を抜けて、教会の入り口のすぐ近くまで来てから、二人は馬を降りた。ずいぶん馬が目立つところで降りるのだな、とセシリアが不思議に思ったとき、キッドが首筋を撫でていた月毛のボニーの姿がすうっと透明になって見えなくなる。精霊である二頭が使える魔法らしい。セシリアが瞬きしているとなりで、アルフィナもしきりに目をこすった。


「俺は裏に回ろう。助けを呼ぶときは大声でな」

「発声練習をしておくんだった」


ディリンジャーとキッドは軽く頷きあって別れた。そのままキッドは重い扉を押して中に入る。

 教会なんて、いつ来ても嫌なところだ、と、キッドは思った。

 エドクセン王国には三種類の宗教施設がある。歴代エドクセン王の祖霊を祀ったアルトリツ教会と、炎の神を信仰する火焔教寺院、そして最も多いのが八つ星信仰のアルツァ教会であった。ここもアルツァ教会である。

 八つ星パ・バルツァ信仰では、とにかく「八」という数を神聖視する。どんなに小さな教会でも、祭壇の奥には八つの輝く石が嵌め込まれた壁画があって、教会内の柱も八本が望ましいとされている。クルトペリオとクルツァの間にある、この小さな教会でもそうなのだから、建築家というのも敬虔でないと務まらないな、と、キッドは嫌悪感とともに考えた。


星の鐘アルツァル・リングルが無いだけ居心地もいいか)


ここよりも大きな教会だと、八つ星パ・バルツァを称えるために魔力で奏でる特別な鐘が設置されていることが多い。キッドは、その音が嫌いであった。というより、そもそもこの信仰が嫌いであった。星の加護など受けたことがないし、星の神を信じるならばともかく、その力を授かった戦士の方を祀り上げて神格化する、この八つ星信仰自体が受け入れがたい。


「あんなの、よく拝む気になるよ」


独り言と濡れた足音を響かせながら歩いて行って、祭壇の前の椅子に腰を下ろした。

 ひとりで座っていると、いやに雨音が響いて感じられる。先程よりも少し雨が激しくなったようだ。あまり雨が強いとリーチ・ティーチとかいうのも嫌になって来ないのじゃないか、雨のせいで濡れた体が冷える前に来てほしいものだが……そう思ったとき、ギギィ……とわかりやすい不快な音を立てて入り口の扉が開いた。


「ちっ。なんて雨だ」


耳障りな男の声がする。リーチ・ティーチであろう。まだこちらには気が付いていない様子で、ぶつぶつ文句を言いながら濡れた上着を脱いで長椅子に投げたらしい音がした。


「まだ来てねぇのか……。ちぇっ、面倒なことになったもんだぜ。だから、回りくどいことしてねぇで、さっさと家を焼くなりなんなりしちまえばいいのによ」


この意見には、キッドもまったく心から賛成である。プララリック・コモドールという男が本当に黒幕であるとして、何故こんな展開になるのか不可解であった。

 チンピラを雇う理由はわかる。直接手を下すのを厭うのが貴族という腐った連中のやり口だし、いざというときに簡単に切り捨てられる手駒の利便性も理解できるつもりであった。しかし、狙いが指輪だと決まっているなら、滅茶苦茶な借金証文を作ったり人質を取ったりするような面倒をせずに、最初から押し込んで家探しする方が手っ取り早い。

 相手はたかが百姓家族ではないか。コモドールとやらが、どのぐらいの地位にいる男か知らないが、小さな農民家族ごとき皆殺しにしても無かったことにできる程度の権力は持っていよう。許しがたいことだが、実際に似たようなことは過去にいくらでもある。

 にも関わらず、コモドールとやらがこんな回りくどい方法を取る理由が判然としないのがキッドも気になっていた。どうしてもこのチンピラに指輪のことを教えたくなかったのか、それとも他に理由があるのか……。


(まあ、関係ないことだけれど)


心の中で呟きながら、脳裏にアルフィナの笑顔がよぎる。関係ないと嘯きながら、こんなところにいる自分がおかしかった。これ以上の厄介ごとに手を出したくはないが、あの少女がまた泣くのはいやだな、と、そんなことを思う。自分の考えが身勝手であることには気が付いている。


「だいたい"例の物"ってのがなんだかも教えねぇくせに、そいつを取ってこい、とはな。まあ面白い物くれたんでいいけどよ。ヒヒ。こないだは爺を脅かすぐらいにしか使えなかったからな……。この面倒な仕事が終わったら、こいつで派手に強盗でもやるかな」


それにしても、まだ姿の見えないチンピラは、よく喋る男であった。どうせ誰もいないと思っているのだろうが、こんなにペラペラと独り言を大声で言えるとは、余程の自信家かそれとも馬鹿か。恐らく後者であろう。もう少し馬鹿話を聞いてもよかったのだが、だんだん足音が近づいてきたので、キッドは諦めて立ち上がった。


「なっ!誰だっ?」


あんまり型にはまった台詞を言うので、キッドはちょっと黙ってみた。案の定この愚かなスリは慌てて右腕を突き出して、なんだてめぇ、とか、意味のないことを喚いている。絵に描いたようなチンピラぶりである。

 その右腕に、ギラリと光る武骨な腕輪がはまっていた。骨が浮き出るような痩せぎすの手首には似合っていない。気取っているがボロボロで小汚い男の格好に比して、武骨だが華美な腕輪がいやに存在を主張していた。十中八九、この腕輪が"面白い物"とやらであろう。下品なほどあからさまに魔力の波動が漏れ出ている。ギラついた装飾といい、漂う魔力の大きさといい、この汚らしいチンピラが買えるような代物でないことは明らかであった。


「黙ってないで、なんとか言え!さもなきゃ……」

「おっと!」


キッドが両手を顔の横に上げて笑った。そんな程度のことで、男がぐっと黙る。


「黙るなよ。さもなきゃ殺す、とか、なんとか、そんなことを言いたかったんじゃないのかい」

「……なんだ、チビ。まさかお前が、交渉役だとでも?」

「そういう兄さんは、リーチ・ティーチで合ってる?」


キッドが不敵に笑ったが、雨夜の暗さでよく見えていなかっただろう。しかし声に少年じみたからかいの匂いがあって、男は無意識に腕輪を撫でた。やはり腕輪頼りのチンピラである。逆を言えば、あの腕輪には、この卑小な男をつけ上がらせるだけの力が隠されているということだ。


「ああ。オレがティーチだ」


男はキッドを警戒しながらも、どこか尊大な態度で名乗った。あっさりと正体を明かしてしまうところにも、愚かさと自信があらわれている。


「あんな下らねぇ真似をしやがって。いいからさっさと女を置いて消えろ。そしたら命だけは助けてやる」

「タダでやるわけないじゃないか」


キッドがニヤリと笑う気配に、ティーチはフン、と鼻を鳴らした。会話の主導権はキッドにあり、ティーチはひとまずキッドの言うことを聞くしかない。実は、ティーチを今夜ここへ呼び出したのはキッドなのである。

 変装して館に潜入し、想定外ではあったが無事に姉妹を救出はしたが、それだけでは不足だとキッドは考えた。肝心のティーチが生きていたのでは意趣返しに来るに決まっているし、そのまま逃げることにキッドは不安を感じていたのである。

 そこで、キッドは館にごく簡単な置き土産をしておいた。眠らせた手下の体の上にメモを残してきたのである。中には短く、「夜、約束の教会で」とだけ記した。

 リーチ・ティーチは怒るであろう。自分の不在中に手下どもの間抜けのために人質を逃がしたことを怒り、雇い主に見つかる前にセシリアを取り戻さねば、と、焦るはずだ。"例の物"の正体を知らないティーチは、当然、メモを見て嫌々ながらも教会に来るに決まっている。

 もちろんキッドはそのことを水瓶座の三人には報告してある。ティーチが教会に来ることをわかっていながらアルフィナに占いをさせたのは、少女の力を試すためと、あわよくば他の情報を手に入れたい意図があったからであった。特筆すべき新情報はなかったが、アルフィナの初めての本格的な魔法が的中したことを思えば、結果は上々だったと言ってよい。

 情報でいえば、既に大きなものをセシリアから得ていた。これ以上のことをティーチに期待するのも難しいかとは思ったが、ティーチのうしろにはプララリック・コモドールとやらがいるはずだ。キッドはチラリとティーチの右手首の腕輪を見てから、再び口を開いた。


「あんたが言ってる女ってのはセシリアのことでいいのかな。それとも妹の方?」

「姉の方に決まってんだろう」


ティーチの声に苛立ちが増している。アルフィナのような子供に用はないのだと言いたげな声であった。自分の手下がその子供にまで悪戯をしようとしていたとは思わないのだろう。それどころか、その子供の方にこそ価値があるのだが。キッドはふぅん、と、焦らすように首を傾げた。


「知らないんだ」

「いいから、さっさとセシリアを連れてこいってんだよ!痛い目見たくねぇならな!」

「まあ、落ち着きなって。あんた、騙されているんだぜ。それを教えてあげようってのにさ」


ピクリとティーチの指が動く。そこまではキッドも見えていないが、気配でティーチが話に食いついたことは知れた。本当に単純な男である。少々あわれにすら思えたが、思うだけであった。


「セシリアを逃がしたのは妹に頼まれたからだが、大変なことがわかってね。二人はまだおれが預かってる」

「大変なことって、なんだ。オレが騙されているだと?」

「ああ、そうさ。あんたが誰に頼まれたのか知らないけど」


嘘を吐いた。


「彼女らが言ってたんだが、あんた、誰かに頼まれて、なんだか探してんだろ?」

「そうだ。とにかく"例の物"を持って来いとだけ言えばいいと言われたんでな。それがなんだか知らねぇが、とんでもなく金になるものだと聞いた。そいつを持ってこさせればオレにもずいぶんな分け前をくれるってよ」

「らしいな。だが、なんでそれを雇い主は自分で取っちまわない?なぁ、ティーチ。お前が持ち逃げするとは思わなかったのかな」


この男は馬鹿だ。単純な話に、単純に引っかかる。加えて、微かではあるが、声に親切味を含ませてキッドは喋った。キッド自身も日陰者であり、貴族や百姓たちよりも、ティーチのようなチンピラの方が普段、付き合いは多い。言外にそれが伝わるように、同類の親しみを相手が感じ取れるように、些細な演技をオマケしてやると、ティーチは一寸の躊躇いもなく吐いた。


「触れないんだとよ。"例の物"はやたら小せぇ物だそうだが、特別な魔法がかかってるだかでよ、特別な魔力の波動の人間か、それで保護された手袋がねぇと触れねぇが、その手袋ってのも扱いが難しいとかでよ。だからまず、家の連中に持ってこさせろってな」

「へぇ。それは大変だ」


軽く驚くようなふりをしながら、キッドは唇を舐めた。


(やはり、なんの変哲もない指輪なんかじゃなかった)


光の指輪リツ・ペリューグを王族の証とするには、ただ所持しているだけでは価値がない。そんなものならば、いくらでもあるはずなのだ。真に王家の血統であり、王位を継ぐ資格すらを示すのであれば、その資格のない者が触れることのできないようにすべきであり、王の魔力を持つ者だけが触れることを許される、ある種の結界が施されているのであろう。

 しかし、それだけでは管理運搬に支障をきたす。そこで考えられたのが王の魔力を編み込んだ手袋なのに違いない。素手で指輪に触れることのできる者こそが有資格者とみなされる、と、そういうことなのであろう。


「それじゃ、あんたの雇い主も特別な魔力の持ち主ってやつじゃないわけだ」

「だろうよ。手袋ごと、あのくっせぇ汚ねぇ家に隠されてるんだとか宣ってやがったがな」


つまり、プララリック・コモドールとやらは、王族でないのは当然として、自らその手袋とやらすら取りに行かないことからして、恐らく指輪を見たこともない下級貴族。だが、光の指輪リツ・ペリューグの存在と正しい価値を知り、それを欲する者と何かつながりがある者ということか。あるいは既に候補者のだれかに従っている可能性もあるが、セシリアはそこまでは言わなかった。ただ知らないだけか、何か意図があって隠しているのか、それはわからない。

 哀れなのはリーチ・ティーチであった。この痩せこけたチンピラ男は、自分が人質にしようと誘拐した少女よりも無知なのである。


「そんなことよりよ、お前、大変なことってな、なんだ。早く言えよ」

「その"例の物"ってのが、そういう物ならやはりヤバいってことだ。そんな特別な魔力ってなら、きっとでかい魔力だろう」

「そりゃあ、そうだろう。それで?」

「あのセシリアって女より、妹の方がずっと魔力がでかいんだ。もしかして、あんたの雇い主が本当に欲しいのは、あの妹の方じゃないかって気がしてこないか?」


キッドはわざと声を落として、ひそひそと囁くように話した。いかにも上手い話を持って来たようで、ついティーチもうんうん頷いてしまう。


「なるほど。よく気が付いたな、坊主」


こんな大事件に巻き込まれていながら、何も怪しまずに雇い主に従っている自分の浅慮に気がつかないティーチの単純さの方こそ賞賛に値すると思ったが、キッドはそんな皮肉はおくびにも出さなかった。そんなことよりも、キッドには坊主と侮られていることに対する苛立ちを抑える方が苦労であったが、幸いにしてティーチは他人の感情の機微など塵ほども気にならない性質と見える。目の前の小僧の言うことを考えるので精一杯であった。


「もし、そのガキと"例の物"とを一緒に突き付けてやったら……」

「だろう?なぁ、どうだ。二人であんたの雇い主ってのを脅す側に回ろうぜ。向こうの言う通りの金を受け取るなんてつまらない。報酬を釣り上げてやるんだ。なに、あんなガキ、ちょっと脅せば一発だぜ。魔力はとんでもないものを持ってるが、使い方もわかんないような清純派だ。騙して連れてくのなんか造作もない」


報酬の部分をわずかに強調して誘いかけると、ティーチがふーん、と、感心したように唸った。姿はよく見えないが、この少年と思しき人物の言うことがもっともらしく思えてきたのである。確かに、よくわからないが、雇い主の貴族はいかにも金持ちの風格があった。本当に必要な物に対してならば金に糸目はつけないような、それに貧弱そうな貴族だったと記憶している。


「悪くないな」


あっさりと言ってしまった。

 キッドは内心で指を鳴らした。あとは、簡単である。

 キッドと水瓶座としては、このリーチ・ティーチという男さえ始末すれば、アルフィナとセシリアの依頼は果たされる。だが、今後のアマート家のことを考えれば、プララリック・コモドールとやらの危険性も無視しかねた。コモドールが健在であれば、ティーチのようなチンピラをいくらでもけしかけることができるだろうし、例の父親が狙われる可能性もある。コモドールと接触して、コモドール自身を始末してしまうか、アルフィナが継承権を放棄することを示し、フィリツのお家騒動からは一切手を引いたことにして、当面の危険を遠ざけてやるべきであろう。

 とにかく一度コモドールとやらと会うことだ。そのために今一番手っ取り早い方法は、この愚かなチンピラを使って案内させることである。


「話が早いな。さすがリーチ・ティーチだ」


キッドはてきとうにティーチをおだてて、あくまで雇い主とやらを知らないフリをした。ティーチの方が立場は上であり、持っている情報も多く能力も高いということにしておかないと、こういう男は扱いが面倒である。業腹だが、ティーチの自尊心を満足させるように追従を言った。


「ん?オレを知っているのか?」

「知ってるとも!地元じゃ有名なスリだったじゃないか!ケチな仕事だなんて言うやつもいたけれど、あんたの手さばきは見事だったぜ」

「へぇえ、そうか!いや、生意気な小僧かと思ったが、案外かわいいやつだな!」


簡単すぎるほど簡単にほだされて、ティーチは笑み崩れた。目が慣れたキッドには正直気持ち悪いような笑顔だが、こちらも作り笑顔で返す。ティーチが嬉しそうに腕を伸ばして、キッドの肩を乱暴に叩いた。


「それで、どうする?相棒」

「もう相棒?」


思わず素が出るのを慌てて誤魔化して、更にごますりを続けた。


「いや……そうだな。早く仕事にとりかかろう、失望される前にね。雇い主との連絡手段は?」

「やつの別荘ってのが近くにある。早速ガキどもを連れて、"例の物"と一緒に突き出すか」


馬鹿、と危うく言いかけて、キッドは咄嗟に考えるふりを装った。冗談ではない。セシリアとアルフィナを黒幕の前に引き出すなど危険なことができるものか。


「あんたの男らしいやり口もいいが、もったいぶって焦らしてやろう。こっちの要求した額を払ってくれないなら、娘も約束の物も渡さない」

「おお、そうだな。その方がいい。うっかり全部持って行って、金を受け取る前に奪われたんじゃたまらねぇ。お前は頭の回る奴だな。本当に相棒にしてやってもいいぜ」

「……どうも」


曖昧に笑いながら、キッドはそっとティーチから距離を取った。

 あまりに簡単過ぎて、キッドは逆に不安になってきた。いくらなんでも、ティーチという男、単純すぎはしまいか。プララリック・コモドールが本当に王位継承権を持つ者とつながりがあって、それを傀儡として己が権力を握るつもりか、それともその人物に忠誠を誓った身なのかは知らないが、国の最高権力を求めているにしては迂闊すぎる。いくら便利で、いくら替えが効くと言っても、こんな男を本当に使うだろうか?こんな男に、自分の居場所を教えるだろうか?

 ふと、雨夜の暗さの中で、ティーチの右腕の腕輪が光った。これまでの話から推測するに、雇い主が与えた、ティーチの人形遣いとしての魔法を強力にしていると思われる、魔力増幅器らしい道具である。幅は五センチ程もあり、鍍金めっきが金色にギラついて、中央に大きな透き通った石が嵌められ、それを挟むように左右ひとつずつ泥茶色に濁った石が埋め込まれている、美しいとは言えない腕輪である。

 その中央の石を見、キッドはティーチにバレないよう、そっと左手をコートの下から後ろにまわした。こういう仕事の際は用心して、キッドは左右と後ろの三丁、拳銃を携行している。


(もしかして、コモドールとは……)


ひとつの可能性にキッドが思い至ったとき、ティーチが浮かれた様子で回れ右して歩き出した。キッドは五歩以上距離を詰めないように、後について歩く。ティーチの声はまだご機嫌である。


「ひでぇ雨だと思ったが、祝福の雨だったな。おい、遅れるなよ。早く野郎の別荘に行くぞ」


言いながら、ティーチが振り返った。


「野郎は貴族らしくてな。金はたんまりあるらしいんだ。名前は確かプラ……」


言いかけた瞬間である、ティーチの動きがビタリと制止した。

 その唐突過ぎる硬直は、どう見てもティーチ本人の意思ではない。まるで金縛りにでもあったように突然立ったまま動かなくなり、暗闇でもカッと見開かれた瞳が見えた。直後、ティーチの右腕の腕輪で、中央の石が音を立てて砕け散る。

 咄嗟にキッドが左手で握っていた銃を抜いて、最も近い位置の窓を撃ちぬいた。キッドはそのまま一瞬の躊躇もなく走り、床を蹴って、砕けた窓から外に転がり出る。


「キッド!」


音に気が付いたディリンジャーが叫びながら駆け寄ってきたとき、教会内から獣のようなティーチの咆哮が轟いた。キッドはディリンジャーを振り返りもせず、駆けながら指笛を吹く。雨の中から月毛の美しい馬があらわれ、キッドはその美しい背に飛び乗った。


「ティーチが暴走した!ここを離れる!」


ディリンジャーも慌ててクライドを呼び出し、逞しい青毛に跨る。


「暴走だと!?今の声がリーチ・ティーチか!?」


ディリンジャーの困惑を上塗りするように、再び中から呻き声が響く。舌打ちとともにディリンジャーがジェシーらの待機するバーに向かい、キッドは広場の中央で馬首を巡らせ、ティーチが出てくるのを待った。


「ディック!何事なの?」


バーの中からジェシーが問う。ディリンジャーは興奮して落ち着かないクライドの手綱を操りながら、早口で説明をした。


「なんだか知らんが暴走だ。ここでやり合うのはまずいとキッドが判断した。嬢ちゃんたちをどうするかは任せる」


言っている間に、轟音とともに教会の扉が崩れた。ティーチが巨大な猿のような何かを従え、崩れた扉をまたぎ出てくる。メアリーの背後でアルフィナがヒッと息を詰まらせた。


「あの猿……!あれです……!あの魔獣が、あのときの!」


セシリアもさすがに怯えきって、顔は青ざめ、ガタガタと震えている。ディリンジャーがその様子に眉を寄せたが、ジェシーに目配せだけをして無言で取って返した。メアリーが姉妹の肩を撫でながら語りかける。


「落ち着いて。あれは魔獣なんかではなくってよ」

「でも、そんな……!」

「リーチ・ティーチは人形遣い。あれは、その魔法が強化されているだけですわ」


強化されているだけなのだから大丈夫、ということはない。あの分厚い扉を破壊したところだけを見ても、その腕力は外見以上の威力と推測される。

 ギロギロと首ごと辺りを見回すティーチに向けて、キッドが一発銃弾を放った。飛び出してきた人形が腕で簡単にそれを弾いて、弾が発射された方向を睨む。


「いいぞ。こっちだ!ついてきな、ウスノロめ!」


キッドが叫びながら馬腹を蹴って東の方向へ走り出し、ディリンジャーもそれを追う。ティーチと人形どもも狂暴な唸り声をあげながら、雨水をはねあげて走り出した。


「危ない!追っていったわ!」

「あっちに広い空き地があるの。そっちに引き付けるつもりなんだわ。この辺りは、この時間は誰もいないようだけど、人家も近いから」

わたくしも追いますわ。お二人は?ここに残るならママにも残ってもらいます」


さっと立ち上がって見下ろすメアリーに、アルフィナは追い縋るように叫んだ。


「行きます!邪魔かもしれないけど、あたしたちの責任だわ!」

「いいわ。急いで馬車に乗って。今度は揺れるわよ」


アルフィナとセシリアの顔色はまだ真っ青に血の気が引いていたが、二人はしっかりと手を握りあって馬車に乗り込んだ。降りしきる雨の中をジェシーは再び逞しい腕をふるって馬車を急がせる。雨雲で暗い窓の外に、既にキッドらの影も見えなかった。


2.

「化け物かよ」


馬を走らせながら、ディリンジャーが叫んだ。リーチ・ティーチが、二メートルはあろうかという人形の背にしがみつき、猛然とディリンジャーとキッドの背を追ってくる。振り切るつもりで走っているのではないから速度を多少抑えているとはいえ、精霊馬の速度についてくるなど、そこらの獣にできる芸当ではない。ティーチの後方からはジェシーらが馬車で追っているが、その距離も縮まる様子はなかった。

 ティーチの生来の魔力では、あの巨体と筋力を持った人形を操れるはずがないのだが、現実、それが追いかけてきている。外的要因による一時的な強化がなされているのは間違いないが、ティーチは完全に理性を失い、凶暴化し、人らしさは骨格しか残されていないかのごとくである。


魔力増幅装置ブースターの反動による暴走か!?どれが装置だ!?」

「完全に壊れた!」


キッドが馬首を並べて叫んだ。


「装置は右腕の腕輪だったが、もうティーチはダメだ!人形もろともぶっ飛ばすしかない!」


暴走の程度が軽度であれば、装置を破壊すれば止められる可能性はあったのだが、ティーチは既にその域をはるかに逸脱してしまっている。速度、目つき、声、どれをとっても、もはや魔獣に等しかった。


「しかし、あの人形どもの動力はどこだ!?」


ディリンジャーがなお叫ぶ。ティーチの人形は二体。いずれも泥人形のようだが、魔力で動いているからには、その魔力の供給を止めねばならない。人形本体に魔力発生装置があるか、無ければティーチからの魔力を受け取る受信装置があるはずである。まったくそういう装置を使用しない魔法もあるが、ティーチの能力が装置を必要とするものであることは、クルツァの役人クリミットの調べでわかっていた。


「首輪だ!」


キッドが短く答えた。アルフィナが、酒場で初めて会った際、猿みたいなやつが首輪をつけていたと話していたことを思い出したのである。だが、その肝心の首輪がまったく見えない。雨雲に覆われて暗いせいもあるが、泥人形の首につけるに目立たない色なのだろう。

 なんとか見つからないものかとキッドが振り返った瞬間、後方から拳ほどの大きさの泥玉が飛んできた。キッドはそれを間一髪、上体を伏せてかわす。


「見えないけれど、とりあえず首を狙って!」

「簡単に言いやがる!」


叫びながら二人は馬首を返した。

 雨が降り続いている。

 キッドどディリンジャーは教会から程近い、人気のない空き地へとティーチを誘導した。人の手が入らなくなって久しい場所は雑草が生い茂り、暗闇の中、雨風に揺れている。彼らから見て右手には森があり、教会とも繋がっているが、こんな夜では黒々と世界に沈み込む影にしか見えない。あとは開けた空き地が続き、木や岩が点在する草原になっている。

 その中ほどで、キッドとディリンジャーは迎撃態勢を取った。態勢、などといっても、何も特別なことはない。馬の足を止めて、かかって来いと心構えをしただけのことである。

 しかし踏んで来た場数がリーチ・ティーチのようなチンピラとは桁違いの二人である。発する覇気はティーチと人形どもを躊躇させるに十分なものがあった。


「ほう。危険を前に突進しない程度の利口さはあるらしいな」

「痛覚があれば最高なんだけれどね」


アルフィナたちの乗った馬車が、彼らからは離れたところで停止した。身を隠すところのない草むらである。ジェシーが瞬時に薄い水の膜を、馬も含めて馬車全体を包むように張り巡らせ、透明な防御壁とした。その魔力の波動にティーチが反応して振り返ろうとした瞬間に、キッドがその横っ面めがけて銃弾をぶち込む。ティーチの左耳が弾け飛んで、獣のような悲鳴が上がった。


「痛覚も残ったようだな。人形は知らないが」

「おかしいな。こめかみを撃ちぬくつもりだったのに、思ったより動きが俊敏だ」


ティーチと人形どもが吠えた。直後に大量の泥玉がキッドとディリンジャー目掛けて飛んでくる。見れば人形たちの背中には、各二門ずつカノン砲に似た細長い筒を背負っていて、泥玉はそこから発射されているらしい。すべてが泥でできていて、どういう仕組みなのか発射の反動はないらしく見える。

 泥の供給は魔力増幅装置で膨れ上がったティーチの魔力によってなされるに違いない。ティーチの魔力切れを待つ手もなくはないが、雨が続く中、体力を奪われるし、身を隠す場所があの鬱蒼とした森しかないことを考えると、長期戦は避けたいところである。

 考える僅かな時間にも次々飛んでくる泥玉を躱しながら、術者のティーチからの魔力を受信する装置があるとみられる首を狙う隙を探すが、決定的な機会が訪れない。

 人形のうち一体が水飛沫を上げてキッドに向かって突進してきた。キッドが拳銃を構え、上体を屈めながら突っ込んでくる泥人形の肩口を狙って引き金を絞る。今度は狙い通りに命中した弾が、黒茶色の血液にも似た泥を先導して人形の体を貫通した。

 泥人形は肩が外れるような衝撃に体勢を崩しはしたのだが、その足は止まらない。やはり人形の方には痛覚は存在しないと見え、しかも、たった今損傷したはずの右肩の動きが既に回復しつつある。泥人形は走りながらも背中の砲身から泥を撃ちかけ、キッドは馬の背に体を伏せてそれを躱すと、思いきって転がるように地面に降り立った。愛馬のボニーは心得たもので、すぐに雨の中に溶けるように姿を消して見えなくなる。

 馬車の窓から恐怖に耐えつつ戦いを見守るアルフィナの目には、キッドが化け物猿の攻撃で落馬したように映った。キッドのすぐ近くで、ディリンジャーも同様に泥玉を上半身に受け、地面に叩きつけられる。アルフィナは思わず窓を叩いた。

 正面の二人が手も足も出ないと思ったのか、ティーチが振り返って残る一体に腕を振り、合図する。指示を受けた泥人形が背中の砲身を馬車に向け泥玉を放った。セシリアとアルフィナの口から、ほとんど同時に短い悲鳴が上がる。


「どうかして?」


こんな状況だというのに落ち着き払っているメアリーに、アルフィナが抗弁しようとした瞬間、泥玉が馬車まであと三十センチメートルほどのところで、突然なにか見えない壁にぶつかったように弾けた。

 ジェシーの水壁である。目視できないほど薄く透明な魔法防御壁であるため、その知識のないアルフィナたち姉妹はすっかりその存在を忘却していた。


「あら。でも本体は、邪魔ですわね」


メアリーが薄目を開けて放ったことばに、姉妹はまた互いに体を寄せ合って怯えた。泥玉を防がれたと知ったティーチが憤激し、その感情と同調した人形が猛烈な速度で馬車に向かってきたのである。

 今度こそ終わりだ!アルフィナは目を強く瞑った。ガアンッ!と丸太と鉄板がぶつかるような音が外から響き、それが自分の死ぬ音だと、昨日まで己の真の魔法すら知らなかった少女は思い込んだ。

 だが、何故か音以外になんの衝撃もない。となりのセシリアが、しっかりと抱いていたアルフィナの体を微かに起こした。姉も無事であるらしい。アルフィナが戸惑いながら顔を上げると、メアリーが相変わらず澄まして座っている。

 窓の外の光景にアルフィナは己の目を疑った。馬車の窓の真ん前で、ディリンジャーが右腕一本で泥人形の攻撃を受け止めているではないか。

 否。右腕ではない。正確には、彼の右腕に装着された、直径七十センチメートル程もあろうかという円盾である。


「あれは……?」

「ただの盾ですわよ。魔力による特殊金属の」


メアリーの簡単な説明に、アルフィナは目をしばたたかせた。あれが魔法であろうことはアルフィナにも理解できる。教会の分厚い扉をも粉砕した泥人形の一撃を、あのような盾だけで防ぐなど魔法以外では説明がつかないし、先程までディリンジャーの腕には何もなかったのだ。

 だが、問題は腕の盾だけではない。ディリンジャーはアルフィナの見ていた限りでは、この襲ってきた人形よりも馬車から遠く離れていたはずなのである。落馬して、馬もいない。メアリー曰く「完全に暴走して魔獣化したような状態」というティーチ並みに、あるいは、それよりも素早く、突進する人形を追い越し、前に回り込むなど可能なはずがない。

 それを可能にさせているもの、それは、ディリンジャーの脚部にあった。


「あの足についているのは……あれも盾ですか?」


ディリンジャーの左右の足首に、それぞれ二枚ずつ、腕の物より小ぶりな円形の金属が足を挟むようにくっついている。メアリーが軽く口角を持ち上げた。

 一度攻撃を弾かれた人形が獣の唸り声を上げて再び片腕を振りかぶる。ディリンジャーも右腕を持ち上げて真正面からその一打を受け止め、のみならず鍛え上げた肉体に魔力を載せて泥人形の巨体を弾き飛ばすと、歯を食いしばるようにニッと唇を引き上げて笑いだした。


「俺の眼前で女たちを恐怖させたこと、後悔するがいい!その泥だけでできた脳みそで、心無い胸の奥で、理解できればの話だがな!」


その猛々しい声は、紳士然としたこれまでの振舞とはまったく印象を異にしている。足を大きく開き、腰を落とし、整然と並んだ真っ白な歯を雨夜に浮き上がらせながらディリンジャーが微かに体重を前方に移動したとき、彼の両足の四枚の鉄板が高速回転を始めた。

 本能的に異常を察したティーチが人形を戻らせようとしたが、ディリンジャーの方が速度に勝る。盾を前方に突き出す格好で、高速回転する鉄板を車輪のように地面を滑らせ突進をかけると、腹部に強烈な体当たりを食らった泥人形が後方へと吹っ飛んだ。


「"鉄馬車"のディリンジャー……」


その二つ名の意味を、アルフィナはまざまざと目撃させられた。メアリーが視線だけ冷たく窓の外に投げて、


「というより、あれは戦車ですわ」


呆れたように呟いたが、アルフィナとセシリアの耳に届いたか、どうか。

 二人はもはや恐怖と興味とが、それぞれに独立して眼球運動を支配するのを止めることができなかった。恐怖は相変わらずティーチと化け物猿のような泥人形の行動を見張り、興味はそれに対するキッドとディリンジャーの身のこなしに夢中である。

 ディリンジャーが雨に濡れた草を切り裂きながら縦横無尽に派手に走り回り、泥人形の狙いを定めさせずに攪乱している隙に、キッドが泥人形どもの主だった関節を狙って銃を撃っている。その間も無論泥玉は飛んでくるが、二人の身軽さに翻弄され、命中率は格段に落ちていた。

 それに比して、キッドの射撃の精度はどうであろう。この雨の中、暗い空間に溶け込むように暗く沈んだ色をした泥の体の、しかも人外の速度で動き回る相手の関節に、自分も相手の攻撃を避けて走ったり跳んだりしながら、一発の無駄も許さず正確に弾丸を撃ち込んでいる。正確なだけでなく、その射撃速度も常人の比ではない。当然、再装填の時間は必要になるが、その時間すら計算に入れて動いているようで、隙が無かった。

 いかに泥人形が損傷の回復が速いと言っても、ほとんど間を置かずに重要な関節を破壊されては運動が鈍るのは当然で、その隙を逃がさずにディリンジャーが右腕の円盾を投げ飛ばした。


「あっ」


アルフィナが小さく叫ぶ。ディリンジャーの円盾が一体の泥人形の首を跳ね飛ばした。


「どうだっ」


叫ぶディリンジャーの肩口を掠めるように、キッドの撃った銃弾がもう一体の泥人形の首にまっすぐ飛んでいった。二体の泥人形はほとんど同時に崩れるように地面に倒れたが、手足を不気味に蠢かせながら、まだ回復の兆しを見せている。完全には受信装置を破壊できていないらしい。

 だが、そんなことはもはや問題ではなかった。無限に回復する泥人形どもの魔力受信装置を破壊できないならば、魔力の根源である発信装置の機能を止めるまでである。

 キッドが銃口を向けた。ティーチが吠えた。もはや戦うことしかできなくない獣に成り果てた男の、最期の叫びである。

 壁のごとく立ちはだかっていた泥人形は、まだ地面に這いつくばっている。キッドの弾丸を遮るものは、ティーチの前にはもはや何物も存在しなかった。あっけなく、ティーチは死んだ。


「……」


アルフィナが、馬車の窓に掌を張り付けたまま言葉を失っていた。セシリアもまた妹にかける言葉が見つからずにいると、メアリーが立ち上がって戸を開いた。


「憎らしい強盗の死に顔、見に行きましょうか」


既にジェシーが踏み台を用意していた。セシリアは躊躇したが、アルフィナはふらつきながらも立ち上がって、自分の意思で馬車を降りた。

 一歩一歩を確かめるように、アルフィナはティーチの死体に歩み寄る。泥人形の巨体は消えて、泥と同じ色をした細いベルトが草むらに落ちていた。それを見下ろすアルフィナの頭上に、メアリーが傘をさしかける。後からセシリアもついてきていて、こちらにはジェシーが水の魔法でヴェールを作ってやった。


「感想は?」


キッドの問いに、アルフィナは目をそらさずにティーチの死体を見下ろしたまま、


「この人も、死ぬために生きてきたような人だったの」


雨に負けない程度の声である。


「そうかもね。彼の選択の先が、これだったのだから」

「……そうね。彼と、あたしたちの選択が重なった結果が、これ」


アルフィナが真剣な面持ちで顔を上げ、皆を見回した。プララリック・コモドールとやらに唆されて姉を誘拐していったティーチ。金も、大事な物も、何も渡さずに姉を取り返すことを選択した自分たち。秘かに秘密を守り続け、ついにそれを明かした姉。あらゆる人々の選択が積み重なり、リーチ・ティーチの人生はここで終わった。


「皆さん、ありがとうございました。姉さんを、あたしたちを、助けてくれて」


少女の声に、キッドが微笑んだ。

 それは、初めて酒場で出会った時、床に倒れた髭の冒険者の死体を見ながら自分に歩み寄って来たときのアルフィナであった。恐怖と憐れみ、悲しみを捨てず、覚悟と勇気でそれを乗り越えることのできる少女であるから、キッドは助けたのである。セシリアも妹の態度に後押しされるように、続けて謝礼を述べた。

 少女二人が落ち着いたらしいのを見て、ディリンジャーがティーチの死体の横に屈み込んで、話の方向を変えた。ティーチは死んだが、まだ完全に片がついたとは言い難い。ディリンジャーとジェシーが、ティーチの右腕に視線を落とした。


「それで、これか?件の腕輪は」

「ああ。今は砕けてなくなってるが、その真ん中に石がついていた。恐らく、それがティーチの行動を監視していたように思う」

「監視ですって?」

「ティーチが雇い主の名前を言いかけた瞬間に砕けて、直後にティーチが暴走した。それ自体から嫌な魔力が流れていたから、たぶん盗聴魔術かなんかだろう。礼儀知らずのチンピラを野放しにするはずがないしね。魔力増幅装置ブースターとしては、その茶色い二つの石だ。そっちはティーチ自身の魔力の波動に近い」


水瓶座の会話に、アルフィナとセシリアの二人は顔を見合わせて首を傾げた。気が付いたメアリーが二人に微笑みかける。


「昼間お話した、魔力の川のこと、覚えているかしら。魔力の増幅装置っていうのは、その人が本来生み出し、貯蓄できる量の魔力を超えて、一時的に増量させるものなんですの。つまり、川とダムとを意図的に氾濫させる装置ですわね」

「氾濫って……危なくないの?」

「もちろん、体に負荷がかかることですわ。本当に少しだけ、一時だけ、というのなら大丈夫ですけれど、大きな負荷が続くとね、溢れる魔力に負けて壊れてしまいます。理性を失い、暴走状態に、更にそれが続くと、もう戻れなくなってしまう」

「その上、ティーチの体には、この装置自体に埋め込まれた別の魔力が干渉して更に大きな負担を強要していたんだと思う。それで、ちょっと思ったんだけれど……」


言いかけたキッドが不意に口を噤んで、森の方を振り返った。

 ヘーゼルグリーンの瞳が鋭く光り、暗灰色の影の一点をじっと見つめている。


「キッド?」


アルフィナが呟いた瞬間、キッドがその体を押し倒した。


「伏せて!」

「きゃっ」


少女の小さな悲鳴が上がるのと、キッドの肩ギリギリを何かが掠めるのとが同時であった。ディリンジャーがすぐにセシリアを庇い、ジェシーが全員の前に水の壁を張った。


「今のは、なに……?」


セシリアが驚愕に目を見開いた。背中に声の主を庇いつつ、ディリンジャーが髭を撫でる。


「何者かの魔法攻撃なのは間違いないな。おい、キッド」


キッドは返事をしなかった。アルフィナの体を起こしながら、なおじっと森を睨みつけている。黒々とした森の一点から目をそらさずに、キッドが立ち上がった。


「何が……」


呟きながら、アルフィナが息を呑んだ。森の奥深くに一点の魔力反応をアルフィナも感知したのである。しかし、その位置はキッドの銃弾が届くような距離ではない。ましてこの暗闇の中、森の奥にいる何者かに命中させるなどできようはずがないことぐらい、銃の撃ち方も知らないアルフィナにだってよくわかった。


「キッド!だめ、遠すぎるわ!」


自身も踏み出そうとしたアルフィナの前に、ジェシーが立ちはだかった。アルフィナが目を瞠り、その巨体を見上げる。ジェシーがその視線を受け止めて意味深に笑った。


「彼を誰だと思っているの。"払暁のガンマン"よ」

「ママ?それって、どういう……」


そこまで言って、アルフィナは口を噤んだ。

 突然、感じたことのない魔力の奔流を感知して、背筋が粟立った。アルフィナは、すぐにジェシーから魔力の出処へと視線を移す。

 キッドが黙って左手を持ち上げ、何か握っているような形にわずかに指を折り曲げた。その中央に黄金の光球が渦巻いている。光球はキッドの左手の中で黄金の光の糸になり、螺旋を描きながら何かの輪郭を型作る。それが拳銃だと理解できる頃には、煌々と光り輝く黄金色でキッドの瞳も髪も照らされて、キッドが引鉄を引いたのもわからないぐらいの一瞬後、太陽のように眩い銃弾が発射された。黄金に輝く銃弾は、後方に金の粒で尾を引きながら、真っ暗い闇を穿つように、まっすぐに森の中へと飛んでいく。

 それは、瞬きほどの短い時間であった。呼吸も終わらないような刹那の間にすべてが始まり、すべてが終わり、眩いばかりの黄金の輝きは、キッドが振り返ったときには跡形もなく、夢幻のように消え去っていた。キッドの髪も、瞳も、いつも通りの色で、左手には何もなく、全身から魔力の一滴も感知することができない。


「済んだ。行こうか」


首を傾げて唇を噛むように笑う様子まで、いつも通りのキッドである。しかし、アルフィナが感じ取った森の中の魔力反応は途絶え、ざわついていた空気は、ただ雨に震えるだけの日常的な夜に落ち着いていた。


「まさか……撃ったの?ここから、魔法で、あの森の奥にいた人物を……」

「そうだよ。確かめに行こうよ。そいつが、プララリック・コモドールさ」


キッドがわずかに帽子を持ち上げて、また微笑んでいる。アルフィナには微笑み返す余裕は、とてもなかった。

 メアリーを先頭に火球で辺りを照らしてもらいながら暗い森を進むと、すぐに木の幹に背中を預けるように座り込んで息絶えている男の死体が見つかった。

 アルフィナとセシリアの姉妹は恐れて直視できなかったが、水瓶座は躊躇なく、ずんずん死体に歩み寄って男を観察した。しがみついた姉の腕越しにアルフィナが見たところでは、上等な上着を着た中肉中背の男で、真っ白なタイツに銀の靴が泥に汚れ、それがメアリーの灯にぬらりと照らされているのが一層不気味であった。

 男は眉間に空いた穴からまだ血を流し、己が死んだことを理解できていないような品のない笑顔のままこと切れている。ディリンジャーがティーチの死体から外した腕輪を男の顎の下に宛がって顔を持ち上げ、実に不愉快そうに、だらしなく頬肉のたれた顔を睨んだ。


「確かに、こいつだな。ティーチの魔力の中に混ざって曖昧に溶け込んでいるが、腕輪の砕けた石ってとこに残った魔力が、この死体からの波動と一致する」

「それにしても、品のない顔。いやですわね。服もお金ばっかりかけて、品位も感じない、趣味も悪い、伝統も理解していない。これがプララリック・コモドール?こんな男が本当に貴族なんですの?堕ちたものですわね」


メアリーも軽蔑しきった声とともに男を見下ろした。キッドがちらりとセシリアの顔に視線を投げてから、死体のコートのボタンをナイフで突っついた。


「紋章が入ってる。一応、貴族の端くれには違いないよ。セシリア」

「は、はい」

「こいつがコモドール、で、いいかい。きみが顔も知っていれば、だけれど」


戸惑いながらもセシリアはアルフィナの体を離し、恐る恐る死体の顔を見たが、僅か一秒もしない内に顔をそらした。


「……コモドールで間違いありません。一度、ティーチのところで話をさせられたので、それで、顔も名前も覚えました」

「へぇ。わざわざ、ご貴族様が、あんなところに足を運んで?」


恐らくはそれも、ティーチの監視を兼ねていたのだろうとキッドは推測する。キッドが変装して潜入したときにティーチが出かけていたのもコモドールのところへ出向いていたのであろう。そうやってこまめに念押ししておかないと、身勝手に行動して結果を悪くする、ティーチがそういう性質の人間であることを、さすがにコモドールもわかっていたのに違いない。


「わたしが何にも言わない内に、自分は貴族のプララリック・コモドールだと名乗ったんです。貴族だって言えば、たぶん、目的がわかると思ったんでしょう。例の物と手袋を揃えて持ってこなければ、約束の日にわたしを殺すと……そう言っていました」

「手袋?」


ジェシーらにはキッドが簡単に説明を加え、仲間が納得したところで再びセシリアの顔を見た。やはり思った通りだと、内心大きく頷いている。

 キッドが事実に気がついたのは、教会でティーチの腕輪を間近で観察したときである。どこかからか奇妙な視線を感じ、その正体が腕輪についた石であるように思われたときに、ひとつの可能性に思い当たった。ティーチは、監視されている。そう確信した。

 キッドはある人物の名を思い出した。その人物は、セシリアのように責任感のある人間が忌み嫌う種類の人間であり、恐らくは、セシリアが思うような壮大な計画を実行するような性格をしていない。もっと卑小で、目先の利益ばっかり見つめているような男である。


「そのときの印象で、きみは絶対にこの男に王位なんか渡すもんかと誓ったわけだ」

「誰だって、そうすると思います。そいつは、国の未来なんてなんにも考えていない。そんな奴に王位継承権を渡すなんて、そんなの、国を売るのと一緒じゃありませんか!」

「落ち着けって」


立て続けに恐ろしい戦いを目撃させられたことと、様々な緊張、持ち前の責任感とが噴出したのであろう。セシリアは急に激しい口調でまくし立て、キッドの声に我に返り、俯いた。アルフィナがその背にそっと片手を添えて慰めようとしている。キッドはナイフの柄で頭を掻いた。


「こいつが国の未来なんて考えないのは当然だ。王位なんか狙っちゃいないんだから」

「狙ってない?でも、コモドールは、ぜんぶ俺の物だ、何もかも好きにしてやるって……」

「いいえ。その"ぜんぶ"っていうのは、国とか王の椅子とか、そんなものじゃないのよ。わかったわ、キッド。そういうことね」


ジェシーがキッドのとなりに屈みこんで、キッド同様に死体のコートのボタンに刻まれた紋章を確認した。


「"プララリック・コモドール"……どこかで聞いたような、知らないような名だと思ったのよ。本名に似せた偽名だったのね。ああ、セシリア、通信魔法を使う男なら、そのことを教えてほしかったわ。そうしたら昼間の内に妨害装置を用意したのに」

「どういうことだ?」


ディリンジャーが顔を顰めてジェシーを見た。ジェシーがボタンの紋章を指で示して説明したところによれば、その紋章は本来、ララダック家のものだそうである。

 ララダック家は、貴族とは名ばかりの貧しい小さな家であった。その興りは凡そ百五十年前、当時の当主が経営している薬屋に、突然、王国軍人がやってきたことがきっかけである。ララダックの家の近隣には高級別荘地があり、当時の王妃がお忍びで外遊していた際に近縁の者の別荘を訪ねて逗留していたところ、突然に体調を崩したが、王妃の不調はその土地特有の植物による中毒で同行の医師も匙を投げ、解毒剤を求めてきたのである。的確、迅速かつ誠実に対応した店主を王妃が殊の外に気に入り、帰国後、王にそのことを語り聞かせたことで、ララダックは貴族の末端に加えられてしまった。

 エドクセン王国が最も豊かで平和な時代であった。そういう時代であったから王も有力貴族も軽率に領地を気に入りの者に分け与え、貴族に列させることが往々にしてあったし、そういう噂を知っていたからララダックも気軽に貴族となったのである。

 だが、時代が下るにつれて、ララダック家は立ち行かなくなった。ララダック家に限らず、はるかに由緒正しき家柄の貴族でも、明日の食べ物のために誇りを売り捌くような時代になった。その誇りの最たるものが、貴族身分である。


「身分を売る?そんなことが?」

「養子に入るのよ。金を積んで家系図に加えてもらうの」


ララダック家の困窮をジェシーが知っているのは、一度、水瓶座で預かったある少年のために貴族身分を買ったことがあったためである。少年は、生まれはやはり小貴族の分家で、世が世なら地方の小さな村を預かり長閑に暮らしていたはずの坊やであったが、父親があるとき領民の不興を買い、小さいながらに反乱を起こした咎で家が取り潰された。

 まだ幼かった少年は人買いの手に渡り、転々として、ジェシーのところへやってきた。心根の優しい少年であったので、ジェシーはその子のために働きかけ、子のない貴族の養子にしてもらったことがあった。その際に、候補に挙がっていたのがララダック家であったので、記憶に残っていたのである。


「こんな薄汚い情報屋に家を売ったのね。貴族としても、百年以上続いた家だったというのに」

「情報屋……まさか、プルスラーク・ルードエランか。懐かしい名だな」

「ああ、DD。あいつは金のためなら、どんな汚いこともやるって評判だった。初めて顔を拝んだけれど、なるほど、腐りきった溝川どぶがわよりも汚らしい顔だ」

「変だと思ったのよ。コモドールなんて名前、聞いたことないもの。ダサい偽名で一応ララダックとはバレないつもりだったのね」


ジェシーが立ち上がって、姉妹を振り返った。


「つまりね、セシリア、アルフィナ。こいつは金が欲しかっただけ。こいつは情報屋よ。賞金首の隠れ場所や、泥棒に入るのに具合のいい家なんかを調べて、情報を荒くれ者どもに売っていた男。最近、貴族身分を買ったとは聞いてたけれど、更に地位を高める賄賂を得るための情報を探していたときに、たまたま光の指輪リツ・ペリューグの噂を聞きつけたんでしょう。あとは元情報屋の腕の見せ所ね。それについちゃ執念と根性はある奴だったから、あなたたちの家を調べ上げて、ティーチみたいなチンピラを雇って襲わせた」


姉妹が顔を見合わせるのも、今日だけで何度目になるか。


「それじゃ、そいつは他の後継候補者とも、なんの関係もない……?」

「父さんのことは?」


ジェシーが二人に肯いた。


「安心なさい。若い時はもう少しぐらいは頭の冴えたやつだったけど、現役引退して情報屋としての腕は格段に落ちたみたいね。昔だったらもっと人を雇ってうまくやったでしょうに」

「利益を独り占めしようとしたんだろ」


プルスラーク・ルードエランは、強欲で知られている。情報屋として得難い能力を持つ彼は、数年前まで水瓶座のような稼業の者の間ではたびたび噂になっていた。彼は自分の魔力を結晶化させた石を使い、石の周囲、半径二メートルほどの範囲で、通信できるという能力を有していた。主に盗聴に成果を上げていたが、石の付近に魔力と意思の弱い者がいれば、その意識をほんの一瞬、乗っ取ることもできるという優れた能力の持ち主でもあったのである。

 ティーチの暴走も、そうやって一瞬、ティーチの意識を奪い、魔力増幅装置ブースターの出力を限界を振り切るまで大きくすることで引き起こしたのにちがいない。どうせ遠隔操作をするのなら、もう少し遠くで隠れていればよいものを、こんな近くにいたのは、恐らくルードエランの魔力は小さいか衰えていたのであろう。距離が遠くなれば威力が弱まるのは、銃でも魔法でも同じことであった。


「こいつも欲張りを治して、あとほんのちょっぴり知恵があれば、ただの情報屋なんかで終わらなかっただろうがな」


ディリンジャーの言葉にははっきりと軽蔑があらわれていたが、実際、ルードエランは一介の情報屋で終わることを恐れていたのかもしれない。日陰者の身分に嫌気がさし、金を積み、名も身分も変えて、自分が優れた人間であることを世に示したかったのであろう。


「ともかく、これできみたち家族を狙っていた悪いやつらの退治は完了だ。帰ろうか」


キッドが笑って、アルフィナに左手を差し出した。アルフィナはその手をじっと見つめてから自分の手を差し出す。ずいぶん間があったので、キッドは首を傾げた。


「ごめん。手、汚れてたかな」

「ちがうの!さっきの、その、あれが気になって」

「"あれ"って?……ああ、あれか。気にしなくていいよ」

「それは無理ってもんだぜ、キッド。お前の魔法はかなり特殊だからな」


ディリンジャーがキッドの肩に肘を乗せながらからかった。


「だがアルフィナ。俺の魔法だってずいぶん決まっていただろう?」

「よせよ、変態。レディが怖がってるだろ」

「怖がっては……」


慌てて取り繕うアルフィナの唇に、ジェシーがおどけて人差し指を立てた。


「おしゃべりを続けたいところだけど、雨が邪魔よね」

「そうですわね。セシリア、寒くはありませんこと?」


メアリーがランプ代わりの火球を少し強めてやる。セシリアは微かに笑って礼を言った。すべて終わった、自分たちは助かったのだという安堵が、やっとセシリアの表情にもあらわれ、一向は元来た道を引き返した。

 ティーチとコモドールの死体は、そのまま放置した。アルフィナが馬車の窓を覗くと、死体のあった場所にそれぞれ炎が揺れている。正面に向き直ると、メアリーが笑っていた。


「森に燃え移らないように、ママの魔法で囲んでいますから安心してね」


それからメアリーは女神のような美しい姿で胸の前に手を組んで、豊かな睫毛をそっと伏せた。


「せめてお祈りいたしましょう。憎らしい、軽蔑すべき男ですけれど、灰になるときぐらいは、きっと、赦して差し上げましょう」


雨の中に燃え続ける魔法の弔いをアルフィナは初めて見た。アルフィナとセシリアは、メアリーにならい目を閉じて、死者に祈った。外は雨音と四頭の馬の蹄、馬車の車輪の音が、厳かに響いていた。

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