第3話 隠れ家は石造り

1.

「どういう!ことだ!キッド!」


室内に放り込まれて目隠しを外されたトントールが、開口一番キッドを責めた。キッドがうるさそうに耳をふさいで口を開く。


「あんたは体重は重いのに口が軽いので有名だろ。いろいろと喋られちゃ困るんだよ」


水瓶座の隠れ家である。不思議なヘーゼルグリーンの瞳の青年と再会したアルフィナとトントールは、彼に導かれるまま秘密の通路を抜け、ここへ来た。その道中、ずっと目隠しをされていたのである。文句を言いたくなる気持ちもわかるが、雑貨屋にベラベラ吹聴されては厄介だ。


「連れてきてやっただけでも有難がれよ」

「ちがう!!」


トントールが肥満体を揺すって否定した。


「水瓶座の仲間なら、どうしてメアリーやフラクセンの乙女を紹介してくれなかった!!!!」


今日一番の大声であった。声の大きさに目を丸くしたキッドが、内容を理解してすぐに呆れ顔をしてみせた。


「……だって、こうなるだろ」


ため息もはっきりとキッドは肩を落とす。チラリと憐れみにも似た視線をトントールに投げて、あとはすっかり無視した。そんなことよりアルフィナである。キッドは優しい眼差しをそばかす顔の少女に向けた。


「それで、どうだった?」

「へっ?」


ぼんやりと室内を見回していたアルフィナが、驚いて素っ頓狂な声を出す。キッドが今度は愉快そうに笑った。


「水瓶座だよ。特等席だったろ?」

「……はい!すごかったです!」


少女の顔にパッと笑顔が咲いた。


「見たことのない魔法ばっかり!火の輪くぐりとか、魔法を使ってないのも楽しかったし……」


指折り数えながら、アルフィナが早口で思い出を振り返る。その興奮ぶりにキッドとトントールの口元が綻んだ。連絡のつかない父親、連れていかれた姉、家族が心配で張り裂けそうな少女の心に、束の間でも娯楽を与えられたなら、連れてきた甲斐があったというものである。


「楽しんでもらえたようで、何よりだ」


言いながら、キッドはカウンターの前の椅子に腰をおろした。小さな石造りの二階屋で、入り口を入ってすぐカウンターバーが設けられていた。その前には小さなテーブルがふたつに椅子もそれぞれ三脚ある。トントールとアルフィナはそちらに座ることにした。


「しかし、キッド、ここはなんなんだ?」


やっと落ち着きを取り戻したトントールが、先ほどのアルフィナ同様キョロキョロと室内を見回しながら訊ねた。彼の知識では水瓶座は行商を兼ねた旅芸人一座のはずである。確かにふつうでは扱えないような品物も多く、堅気かたぎとは言えないまでも、こんな隠れ家が必要な団体とは思っていなかったから不思議であった。

 だいたい、アルフィナの助けになるような品物は見当たらなかった。水瓶座そのものがアルフィナを助けるようなキッドの口振りだが、それが一座の仕事なのだろうか?


「水瓶座ってのは、人助けもやってたのか」


アルフィナが、よくわからずにキッドの方を見た。キッドはカウンターに肩肘をついて、斜めに二人を見ている。


「んー。まぁ、そんなところかな」

「ハッキリしろ。アルフィナちゃんが不安だろ」


トントールのしかめ面にキッドはまた声を出して笑った。


「その誠実と優しさに免じて、あとでメアリーを引き合わせてやる」

「何っ!?」


ガタリ!トントールの座っていた椅子が後ろに倒れた。キッドはまた笑い、アルフィナはまた驚くだけであった。トントールはわざとらしい咳払いをして椅子に座りなおすと、黙ってキッドを睨んだ。キッドが肩を竦めて、アルフィナに視線を移す。


「メアリーが王様の指名で国の研究チームとラーメ火山に行った話、聞いてた?」


アルフィナがはっきりと頷いた。こんな少女にもあの女は印象に残っているらしい、と、キッドは内心驚きを隠して続ける。


「さすがに王様直々なんてのは嘘だけれど、結構なお偉いさんに頼まれたのは本当。あれだけ珍品を扱っているとね、いろんなところにパイプができて、チラホラと厄介ごとも頼まれるようになる。魔獣討伐から行方不明の猫探しまで、いつの間にやら何でも屋の体さ。笑えるだろ?きみが役所で会った爺さんとか、ああいう窓口が各地にあっていろいろ手回しをしてくれている」

「手回し?」

「仕事の請負と情報の共有、それから、おれみたいなはみ出し者の保護」


キッドがニヤリと笑って悪戯っぽく白い歯を見せた。


「水瓶座は力を持ってる。そこらのゴロツキじゃ手を出せないぐらいのね。法はおれを守っちゃくれないが、水瓶座の庇護は多少、有効だ。言えないようなヤバい仕事もするけれど、賞金を吊り上げられて手配書をばら撒かれるよりはずっといい。堂々と太陽の下を歩けるのは、助かる」


キッドがそう言ったとき、ふと、アルフィナにあの奇妙な胸騒ぎが戻ってきた。ほんの微かな不安である。それはやはり、キッドの何かによって呼び起こされるもののようであったが、まだ、それがなんなのか、アルフィナにはわからなかった。

 アルフィナの様子には気がつかずに、トントールが口を開きかけた。そのとき、彼の口より早く入り口のドアが開く。三人の男女が入ってきて、トントールの顎の筋肉が機能を停止した。


「お待たせしたかしら」


艶美な声は誤ろうはずもない、メアリーの発したものである。トントールの顔は顎を停止したまま、急速に熱されて紅潮し、壊れかけのゼンマイのようにギシギシと声の方向へ回っていった。

 視界の真ん中に憧れの美女をとらえ、トントールは椅子を吹き飛ばして跳ね上がった。


「トントールさん!?大丈夫!?」


びっくりしたアルフィナが両手を口に当てて、元々大きな目をほとんど限界まで見開いて叫んだ。キッドがそれを見てまた歯を見せて笑っている。

 ふわりと花のような香水が香った。いつの間にか、アルフィナのとなりにメアリーが立っていて、トントールの肩をつっついている。甲高い悲鳴をあげてトントールの肥満体が震えた。


「あらあら。うふふ」


面白がってトントールをつつくメアリーはステージ衣装を脱いで、むしろ衣装よりも派手な格好をしていた。胸元の開いたネイビーのドレスに毛皮のショール、足元は銀のピンヒールパンプスで、髪型だけは変わっていない。呆気にとられるアルフィナにニッコリと笑いかけて、


「これはフェイクファーですのよ。わたくし、動物愛護には理解がありますの。仕事は仕事ですけれど。それにしても、このふとっちょさんはおかしいわね」


そんなことを言った。そのとき、残りの二人――これはどちらも男である――が近付いてきた。ひとりはステージで女たちの視線を独り占めしていた八の字髭の紳士で、もう一人はブラウンの髪をした逞しい筋肉の持ち主であった。


「ママ!」


二人を見たキッドが嬉しそうに高い声で呼び掛けて椅子を降りた。


ママ・・……?」


呟くアルフィナの横を大男が通り過ぎた。満面の笑みでキッドを抱きしめて、彼の頭にキスをする。そうなると小柄なキッドは、まるっきり埋もれて見えなくなってしまった。


「久しぶりねぇ、キッド!……あらやだ!また痩せたんじゃないの?だめよ、食べて大きくならなきゃ」

「これじゃ息もできない!」


モゴモゴとキッドが訴えながら男の逞しい腕をタップするのを、アルフィナもトントールも呆然と見守るばかりである。男が腕を弛めて胸筋に埋もれていたキッドを解放してやった。その間に、メアリーのとなりに八の字髭が座っている。


「やあ、お嬢さん」


出来すぎなほどに男らしいテノールで呼び掛けながら微笑む紳士に、アルフィナはびっくりして頬を染めた。


「DD!」


筋肉男の腕から脱しながら、キッドが鋭い声を出した。八の字髭は気にする風もなく、アルフィナの右手を取ってキスをした。恥ずかしさに、つい、アルフィナは目をそらす。


「DD、よせよ!」


キッドがまた八の字髭に注意して、アルフィナに謝罪した。


「ごめんね。そいつは女の子は全員口説かなきゃならない呪いにかかっているんだ」

「妬くなよ、キッド。俺はお前の顔と声は気に入ってるんだ。かわいくなっちまうだろ」

「本当に気持ち悪い。大丈夫、レディ?吐く?気持ちはわかるよ」


そう言われても、そもそも男というものに耐性のないアルフィナには、このやりとりが冗談なのかなんなのかもわからずに、ただただ顔を真っ赤にして俯くしかできない。となりではトントールが全身で敗北を宣言している。彼にはこの紳士のような甘いマスクも、美しい体型も、色気のある声もなく、この紳士のように滑らかに女に声をかける自信もない。

 ただ、彼にはアルフィナにない知識があった。緊張と動揺に落ち着きなく体を震わせながら、やっとの思いで声を絞りだしてキッドに問う。


「どういう……ことだ……キッド……?」

「その台詞、さっきも聞いたな」


キッドはケロリとして見せたが、トントールの言いたいことが今度は正確にわかっていた。小憎らしい程の顔で椅子に座りなおすと、トントールに向かって小首を傾げてまた笑った。


「ふふ。驚いたろ?」

「驚いたなんてもんじゃない!」


トントールの顎が、やっと正常に動いた。


「すごい!すごいぞ、アルフィナちゃん!」

「は、はいっ!?なんでしょう!?」


肩を掴まれたアルフィナが、また驚きのあまりに声を上ずらせて返事をした。トントールはもう勢いが止められない様子で、肥満体が弾けそうである。


「彼女は俺たちの女神!"火傘"のメアリーだ!!」

「あら、紹介してくださるの?うふふ。よろしくね、アルフィナちゃん」


美女が優美に身をくねらせながら、アルフィナに軽く投げキスをする。これにもアルフィナの頬は染まった。性別に関わらず、美しくて色っぽいものを見た時には恥ずかしいような気持になるのだと、少女は初めて知った。

 トントールは次にとなりの紳士に気を付けをして、何故だか相手の顔を見ないように右手の人差し指だけを八の字髭の顔面に向けて叫ぶ。


「この方は"鉄馬車"のディリンジャー!」


満足そうに頷く男は、女たちが騒ぐのも納得の美男である。背は高く、手足は長く、男らしい胸板にいかにもダンディーな顔つきの持ち主で、「大人の男」の魅力を全身にまとっていた。そのハンサム・・・・が、恭しくアルフィナに向かって礼をする。


「改めまして、どうぞよろしく、プリンセス。俺は"鉄馬車"ディック・ディリンジャー。きみの騎士ナイトになれることを誇りに思う」

「プリンセス?ナイト?」

「気にしなくていいよ」


オロオロと震え出したアルフィナに、キッドが軽く言った。


「"火傘"に"鉄馬車"って、入り口でお客さんが皆さん言っていた……?」

「そう、水瓶座の二大スターだ!」


アルフィナの疑問に、トントールが力いっぱい頷いた。


「この二人が揃っているだけでもとんでもないことなのに!アルフィナちゃん!もう一人の、この、なんていうか、このなんかすごい人はね!」


もうトントールは言葉が危うい程に興奮している。その勢いに呑まれて、アルフィナもドキドキしてきた。既に「このなんかすごい人」は、ディリンジャ―よりも高い背をメアリーよりもセクシーにくねらせて、右手を頬に当て、右ひじに左手を当て、完璧なポーズを決めて待っている。


「水瓶座の"ママ"!ジェシー・サダルメリク座長なんだよ!!」

「大袈裟な紹介ありがとう、トントールちゃん」


語尾にハートマークでもついていそうな喋り方である。だが美しい男であった。鍛え抜かれた肉体にフリルのついた白いブラウスと黒いベストを着ている。足元は真っ赤なハイヒールを履いて、厚い唇も同様にルージュで彩られていた。彫の深い凛々しい顔つきだが、目は優し気で、それは確かにアルフィナの知らない「母の強さ」というものに似ているかもしれない。

 男は、母親の眼差しで微笑んだ。


「あたしたちが来たからには、怖いものはないわ。一緒にお姉さんをお迎えに行きましょうね」


そう言って、優しくアルフィナを抱き寄せた。そっと頭を撫でると、少女の目に薄っすらと涙が浮かんでくる。


「ご、ごめんなさい。なんでだろう。なんだか、急に安心してしまって……」


アルフィナが慌てて涙を拭いた。その手をジェシーが押しとどめる。


「だめよ。そんなに強くこすっちゃ。はい、ハンカチ使いなさい」


アルフィナが目をパチクリと瞬かせて、ちょっと笑った。


「本当にお母さんみたい。あたし、お母さんの顔、覚えてないけれど……」

「光栄だわ。夢の中のお母様にはかなわないでしょうけれど、なんでも頼ってちょうだいね」


 アルフィナの涙が落ち着くと、ジェシーは一度その場を離れ、奥の台所へ向かった。作り置きの料理を温めてくるという。やはり母のような面倒見の良さである。

 水瓶座の人気トップスリーだという、座長のジェシー、"火傘"のメアリー、"鉄馬車"のディリンジャーは、なるほど三人とも美しさと言い迫力と言い、アルフィナの知っていることばでは表現できないようなオーラがあった。


「でも、キッドさんは、何をしているんですか?」


アルフィナが涙を誤魔化しながら訊ねた。当然の疑問で、トントールもうんうんと頷いている。

 この三人を連れてくるほど深く水瓶座に関わっているにしては、トントールはこれまでキッドの口からまったく水瓶座について聞いたことがなかった。ショーに出ているのも見たことがないし、外で商品を売っていたこともない。トントールの知る限り、キッドとは、たいていはあの酒場で遊んでいて、時々は賭場に出入りしていて、たまに何日か顔を見ない時もあるが、気が付くとまた酒場で飲んでいる、そういう男であるはずであった。


「基本的には、楽しく遊んで暮らしてるよ」


キッドがおどけた様子で答えた。トントールとアルフィナが顔を見合わせる。


「おれは、あの町で暮らすのが仕事。ああいう酒場は変な噂がいっぱい入ってくるだろ?ほら、昨日の自称冒険者みたいなやつもくるしね」

「そこで何か仕事になりそうなネタがあればジェシーに届ける。面倒なゴロツキをブチのめすような仕事はだいたいこいつの担当だ」


カウンターからウィスキーを取り出して注ぎながら、ディリンジャーが補足した。


「つまり、お前は水瓶座の"裏の顔"ってことか?」

「そんなところかな」


トントールは納得した様子だったので、アルフィナは深く問い詰めなかった。


("払暁のガンマン"なんて呼び名があるぐらいだから、本当に強い人なんだ)


外見からは信じられないが、百戦錬磨、というやつなのだろうか。アルフィナはキッドの人柄は信じているが、実力はわからない。どう見たってジェシーやディリンジャーに腕力で適うはずはないのだから、余程優れた魔法使いなのかもしれない、とだけ思った。

 でも、それなら何故ショーには出ないのか、そう思った時、アルフィナはもうひとり、ショーにはいなかったが重要な人物がいたことを思い出した。


「あの、それじゃ、彼女はどこに?あたしたちを席に案内してくれた……」


言いかけたアルフィナのことばにかぶさるように、トントールも手を叩いた。


「そうだよ。フラクセンの乙女!彼女、今日はステージにもいなかったじゃないか?彼女の早撃ちとナイフ投げをアルフィナちゃんにも見せたかったのに」

「あら。ご自分がご覧になりたかったのではなくて?」


メアリーがテーブルにしなだれるように肘をつきながらトントールをからかった。トントールはしどろもどろ、する必要のない言い訳を考えている。ディリンジャーがグラスを持ってアルフィナのとなりに戻ってきた。


「乙女、ねぇ」


意味深な笑みをグラスに映し、ディリンジャーが呟いた。キッドがそれをちょっと睨んでいる。


「なぁに?カレンの話?」


台所からジェシーが顔を出した。声とともに湯気が流れて、食欲をそそる香りを運んでくる。


「お腹ペコペコ!」

「カレン?彼女、カレンさんっていうんですか?」


キッドがまったく返事にならない返事をして、アルフィナはアルフィナで返事は正しいがタイミングを誤っている。ジェシーが笑った。


「どっちから答えればいいかしら?ふざけた坊やよりは素直なお嬢ちゃんよね。そうよ、彼女はカレン。シャイな子なのよ。今度また紹介するわね」

「そうなんですか……。あの、お礼を言いたくて」

「伝えとくよ。きっと喜ぶ」


はやく食事にしたいのか、キッドが早口で告げてアルフィナに微笑んだ。

 その時、戸をノックする音が聞こえ、秘密の隠れ家に来客があることに驚くアルフィナとトントールに向かってメアリーがニコリと笑んだ。キッドもアルフィナに、何かを目で合図する。

 ジェシーが台所からコツコツとヒールを鳴らしてやってきて、客を出迎えた。


「どうぞ。遠いところを、ごくろうさま」


ジェシーが客と何事か話しているのが聞こえてくる。その声にアルフィナがブラウンの瞳を開いて、慌てた様子で椅子から飛び降りた。


「おじいちゃん!おばあちゃん!」


少女が祖父母に駆け寄った。


「あぁ、よかった……。お前がクルトペリオに行ったと聞いて、どんなに心配したことか……」

「でも、絶対に姉さんを助けなくちゃと思ったの。役所のおじさんは信じられる人だよ」

「それはお前……」


祖父が言いかけるのを、二人を送ってきたスタッフの相手が終わったジェシーが咳払いして止めた。三人は慌てて身じまいを正す。


「これは失礼した……!孫娘を匿って下さり、ありがとうございます」

「そんなのはいいの。あたしたちも仕事ですから。それよりお話を遮ってごめんなさいね。でも皆さん、お腹が空いてるんじゃない?」


アルフィナと祖父母は揃ってジェシーの顔を見上げた。ジェシーが太い首をまわしてキッドにウインクをする。待ってましたとばかりに椅子をおりて、キッドが奥に駆けて行った。


「奥にお席を用意したのよ。メアリー、おじいさまとおばあさまをご案内してちょうだい。ディック、あなたはトントールちゃんを」

「あの、でも……」

「お姉さまが気になるのかしら?でもアルフィナちゃんがひもじい思いをしていたら、お姉様も心配じゃないかしら。どんな時でも美味しいが一番!美味しいって思えるのは生きている証よ」


言いながら、大きな手がどんどんとアルフィナの背を押し出していく。メアリーもアルフィナの祖父の手をとり、ディリンジャーは祖母のエスコートを始めてしまったので、トントールは慌ててひとりでついていった。


「ねぇ、もうこの鍋もいいの?」


奥からキッドの声がした。ジェシーが豪快に笑って、ヒップを揺らしながら歩いていく。


「楽しいお昼ごはんになりそうね!」


ジェシーの声が石造りの壁に反響する。実にパワフルで、アルフィナ一家とトントールはすっかり気を呑まれ、促されるままに席についた。

 テーブルには既に山のように料理が並んでいる。


「たっくさん作ったのよ!食べて、食べて!!」

「こんなに……?」


戸惑う来客たちに、満足そうにジェシーは頷いた。キッドはまだ台所から料理を運んでいる。


「ママは人にごちそうするのが好きなんだ」


アルフィナの前にスープを置きながらキッドが言った。


「姉さんが心配だろうけれど、まずは食べなくちゃ」

「そうよ。あなた、成長期でしょ?いっぱい食べて大きくなりなさいな」


ジェシーがシャツの下の力こぶを強調するように両手に鍋を持ってきた。ドスンと重い音を立てて鍋が下ろされると、テーブルは料理でいっぱいに埋め尽くされて、どれから手をつけていいかわからないほどである。トントールの腹が鳴り、雑貨屋は禿げ頭を撫でて恥ずかしそうに肥満体を小さくしようと頭を下げた。


「や。これは失礼……」

「外見を裏切らない感じ、いいわよ。トントールちゃんにはとびきり大きなお肉をとってあげる。……あら、いけない。自慢のドリンクがまだだったわ」


ジェシーが立ち上がって、棚から人数分のグラスを取り出した。キッドとメアリーが受け取って、それぞれの位置に配る。


「ドリンクと言ったって、ただの水なんだけれど、構わないわね」


ジェシーがアルフィナにとびきりの笑顔を見せた。いかにも何かが始まるぞ、という、先ほどのショーのような雰囲気を醸して、ジェシーが手を擦り合わせる。たっぷり四人の来客の視線が集中したところで、両手の指をパチンと鳴らした。

 アルフィナの目の前の、空っぽだったはずのグラスに、水が湧いてきた。そう、湧いてきている・・・・・・・のだ、グラスの中から、水が。アルフィナの前だけでなく、祖父母のグラスにも、トントール、キッドたちのグラスにも、何もないところから水が湧いて出ていた。

 魔法である。水瓶座のジェシーとは、水の魔法の使い手らしい。


「それじゃ、乾杯!」


ジェシーが自分のグラスを手に取って楽し気に言った。メアリー、ディリンジャーも唱和する。向かいに座ったキッドが、目線でアルフィナを促した。アルフィナもおそるおそるグラスを手に取り、口をつけて一口飲んでみる。


「……おいしい!」


アルフィナが、目をまんまるにして驚いた。トントールも一口飲んでグラスとジェシーの顔を交互に見比べている。それを見た祖父母もそれぞれ水を飲み、やはり驚きに顔を見合わせた。

 グラスに湧き出た水は、まさしく湧き水の美味さであった。アルフィナの家の近くのせせらぎの水よりも甘い気がする。その上、何か体に元気が漲るような気がした。


「どう?おじいさまのケガにも効くと思うわ」


ジェシーが母の笑みで言う。アルフィナがとなりを見ると、祖父が確かに頬を少し上気させて頷いていた。姉が連れていかれてから、こんなに元気そうな祖父の顔は見ていない。


「なんと……!痛みが消えるようだ!これは、治癒効果のある水なのですな」


アルフィナが戸惑いを隠さずにキッドに向き直る。キッドはまた微笑むだけだった。


「ですから、わたくしたちは"水瓶座"なのですわ」


メアリーがトントールの前で答えた。


「ジェシーが"水瓶座のママ"と呼ばれるのは、母なる命の水の魔法を使えるから。ジェシーの水は癒しの水ですのよ」


祖父母が、心からの感謝の眼差しでジェシーを見つめた。ジェシーはそれを深い笑みで受け止めると、手を叩く。


「さ。自慢の水で作ったお料理を食べれば、もっと元気がつくわ!召し上がってちょうだい!」


わっと歓声を上げて、皆もう一度乾杯をした。それから思い思いに料理に手を伸ばす。アルフィナもスープを飲んで、にっこりと笑った。ジェシーが取り分けてくれた魚を食べ、その味に幸福そうに息を吸い込む。


「これも美味しい!ね、キッドさ……」


言いかけたアルフィナの笑顔が固まった。いつの間にかキッドの前には山盛りのミートボールスパゲッティに、切り分けられてもいない肉の塊が積まれている。それを大きいとは言えない口いっぱいに頬張ってはリスのような顔で咀嚼し、あっという間に飲み込んだと思うと、もうフォークが次の食べ物をたっぷりと口へ運び込んでいく。


「どうかした?食べないの?」


視線に気が付いたキッドが、きょとりと顔をあげた。アルフィナの手が止まっていることを不思議そうに見て、アルフィナが答える前にまたひとつミートボールを口に放り込む。


「え?それ、全部食べるの……?」

「?もちろん」


何を言っているのか、という態度である。今度はナイフで肉を切り取ってペロリと口に入れた。アルフィナが呆然と見ている間に、さっきよりも大きく肉を切ってまたもぐもぐ。口元についたソースを指で拭って、その指をちょっと舐めたとき、となりのジェシーに見つかって軽く叱られた。ペロッと舌を出してごまかしながら手を拭うと、すぐにまた食事に戻る。魚の骨をきれいにとって、明らかにまだ大きすぎる身の塊をぱくり。スープをすいすいごくん。スパゲッティをくるくる巻いていたと思うと、次の瞬間にはもうパンにも手が伸びている。

 山のようだった料理がみるみる丘になり、あっという間に平地になっていく。時々口を舌でペロリと舐めるが、基本的にはまったくこぼしもしないし、手や服がベタベタと汚れてもいない。信じられないほどきれいに、恐ろしい量を、実に嬉しそうにどんどん飲み込んでいく。


「気持ちのいい食べっぷりねぇ」


となりに座っていた祖母がにっこりとした。キッドが頬を膨らませたまま、きょとんと皆の顔を見回している。口いっぱいに頬張ったパンを飲み込んで、何も言わずに水を飲み、立ち上がってスープのおかわりを注ごうとしたところで、耐えきれずにディリンジャーがフォークを下げた。


「お前の話だ、キッド」

「え?おれ?」


言いながらなみなみ注いだスープを持って着席し、まだ注目を浴びていることを完全に無視して一口飲んだので、ついにアルフィナが噴き出した。これにはキッドもカップを置いて、


「え?笑うほど?」

「あはは!だって、キッドさんったら、子どもみたい!あははは!」


実際子どもが食べられる量をはるかに凌駕していたのだが、確かに夢中で頬張る様子はまるっきり子どもであった。


「アルフィナちゃんに言われたらおしまいねぇ、ベイビー?」


メアリーがナフキンで口を押えながら言うので、皆が笑った。アルフィナの祖父が、自分もナイフフォークを使って肉を切りながら、落ち着いた声を出した。


「もしや、何か大きな魔法をお使いですかな?魔力を消費すると腹が減りますから」


トントールが握っていたパンをそっと置いた。普段からキッドの大喰いおおぐらいは知っていたから驚かなかったが、この祖父の言葉は彼にはちょっぴり耳に痛かった。この男はキッドの半分も食べていないが大食漢で、だが、魔法はからっきしなのである。

 そう言われてみれば、キッドが凄まじすぎて目立っていないが、ジェシーとディリンジャーもかなりの量を食べている。だが二人は体が大きいから、それ相応といったところであろう。メアリーに至ってはほとんど水分しかまだ口にしていない。聞けば、ジェシーの魔法の水があれば、魔力体力とも回復できるのだそうで、だからメアリーは体型維持のために水しか飲まない日があって、ジェシーに怒られたりしているらしい。


「キッドさん、魔法使うの?」


アルフィナが問うと、キッドは首を横に振った。まだパンを食べている。


「魔法なんて呼べるようなものじゃないよ」

「よく言いますこと。あなたのが魔法でないなら、わたくしの炎なんてマッチと同じね」


メアリーが冷たく言ったが、キッドはそれを無視した。


「レディ、きみは?」


一言喋るごとにパンが消えていく気がする。アルフィナはキッドの手元を見るので、少し反応が遅れた。


「あたし?」


アルフィナの祖父母がそっと視線を交わすのを、キッドもジェシーも見逃さなかった。


2.

 アルフィナは、おずおずと自信なさげに自分の魔法について語り出した。彼女の魔法は、ほんの少し花を咲かせるだけのものであるという。と言っても、色形を思い通りに操れるでもなく、まだまだ不安定な魔法だそうで、しかし、そのぐらいは練習すればすぐできるようになる、と、ジェシーが励ました。

 アルフィナという名は、その魔法能力に因んだものであることは明らかであった。彼女が今は亡き母の腹からこの世に生まれ落ちた日、母の枕元に飾ってあった蕾が愛らしい桃色の花をつけた。それで、少女の姉は、八つ星パバルツァ花咲き星アルトフィーレナを思い出し、妹にその名を贈ったのだそうである。


「あぁ、なるほど。それは素敵だね」


キッドが相変わらず食事を続けながら返事をした。アルフィナはやや不安そうにキッドを見ているが、恐らく、それは自分の能力ではまったく姉の助けにはならないことを思い出したためであろう。

 その視線をチラリとも見ず、キッドはパンの最後の一欠けらを口に入れて、呑み込んだ。


「それで?その花で、きみは占いでもするのかい?」

「占い?」


アルフィナはよくわからずに聞き返すだけだが、祖父母がまた目配せをした。ジェシーがさり気ない様子で二人のグラスに水を追加し、メアリーがトントールに自分の前にあったパンをすすめて、トントールが照れながら受け取っている。ディリンジャーはいつの間にかウイスキーを持ってきてグラスを傾けていた。

 キッドがアルフィナの皿を取って、そこにオレンジを一切れ置いた。


「クリミットのじじいにせよ」


言いながら、今度はぶどうを一粒取った。


「おれにせよ」


人数を数えるのと一緒に次々にフルーツをのせていく。アルフィナはその手元とキッドの顔とを見比べていた。


「それからルルーナ。トントール。メアリー。DDに、それからママ。……多いな」

「あの、何がです」

「きみが初対面でいきなり信頼した人間の数だよ。なんといっても、おれとクリミットの爺を信じすぎている。ふつう、いきなりそんな怪しげな手配書渡されて、クルトペリオの酒場なんて危険な場所に来ない」


アルフィナにフルーツの盛り合わせを差し出して、キッドは空いた手を、今度はアルフィナの祖母に向けた。祖母がフルーツを遠慮すると首を傾けて席に座りなおす。


「ああ、クリミットってのは、きみが会ったって言う隣町の役所の爺さん。あれはとても信頼できる顔つきじゃないんでね。きみみたいな女の子が爺さんをそんな風に信じる根拠があるとしたら、魔法かなって思ったんだけれど」


自分もフルーツに手を伸ばしながら、気軽な調子でキッドは訊ねる。アルフィナはやはり困った様子で青年を見返した。


「魔法だなんて考えたこともないんですけど、でも、人を見る目には自信があるんです。今まで外したことがないの」

「アルフィナちゃんは、勘がいいんだなぁ」


トントールがのんきな声で言った。ディリンジャーがウイスキーのグラスを傾けて、何故か得意げな顔をした。


「お前さんが見掛け倒しなのは誰だってわかるさ。なぁ、アルフィナ?」

「み、見掛け倒しってことはないですけど……」


アルフィナは優しい。トントールの方をちょっと見て微笑んでから、改めてディリンジャーのハンサムな容貌に視線を移した。


「でも、確かに最初は怖かったです。すぐに優しい人だってわかったけれど。ディリンジャーさんも、本当は真面目で優しい人なんですよね」


にっこりと、なんの邪気もなく言われて、ディリンジャーが面食らった。メアリーがおかしそうに口元をおさえている。ジェシーは隠さずに笑った。


「いいわ。確かに、見る目はあるみたい。あたしはどうかしら?」

わたくしも、占ってちょうだいな、アルフィナちゃん」


アルフィナが一度祖父母の顔をうかがった。祖母が心配そうに見ていることに気が付いたのである。しかし、祖父は何か決意したような顔でアルフィナを見返した。


「見て差し上げなさい」

「でも占いなんてできないのに」

「いいから。やってごらん」


いつにない祖父の様子に、アルフィナは首を傾げながらもジェシーに向き直った。それからメアリーの紫の瞳もじっと見て、自信なさげにポツリポツリとことばを紡いでいく。


「ジェシーさんは、きっと本当に強い人。その水の力は、絶対に誰かを傷つけないって決めているんですね。メアリーさんは、ディリンジャーさんと似てる気がします。すごくきれいでかっこいいけれど、本当は情熱的で、すごくすごく優しいの。それから、少し淋しそうかしら」

「まあ。なんだか、すごく褒められちゃった感じだわ」

「この変態に似ているっていうところだけは取り消してね」


短く曖昧な表現ながら、少女の純で無邪気なことばに、おとなたちは少なからず気恥ずかしい思いを味わった。大人になると、それも水瓶座のような商売をしていると、こうまで子どもの無垢さで評価されるようなことは久しくない。それが彼女の魔法かどうかは置いておいても、十分に聞く価値のあるもののように彼らは思った。

 無論、アルフィナは流れのままに、キッドの新緑のようなヘーゼルグリーンの瞳もじっと覗き込んだ。


「キッドさんは、優しい人」


先程までと同じような言い方をした。だが、そのあとに続くことばがちがっていた。


「でもなぜだろう……。あたし、キッドさんを見ていると不安になるときがあるんです。昨日も、今日も」

「不安?」

「なんだか、怖いの」


ブラウンのまるい瞳が、いやに正面からキッドを見ている。奇妙な緊張感が漂い始め、キッドのぶどうをつまんでいた手が止まった。


「あなたが恐ろしいのではないの。あなたの運命が恐ろしいような気がするの。昨日、あの酒場で別れたとき、本当はあたし、キッドさんを呼び止めようと思ったんです。訊こうと思ったの……"あなたは、どこへ行くつもりなの"って」


そんなこととは、キッドは気がついていなかった。昨日、少女の前を去るにあたって、別段このそばかす顔の女の子を不安にさせるようなことを言ったつもりもないし、確かに行き先を告げたわけではないが、こんな風に見つめられるほどの不自然を演じた記憶はなかった。


「……どうして?」


キッドが掠れた声で、穏やかに訊ねる。アルフィナのブラウンの瞳が真正面からキッドを見返した。


「帰ってこない気がしたから。そう……あなたはいつも帰らなかった。いつもその場所を奪われてきた…………」


少女はいよいよ妙なことを言いだした。つい何か言おうとしたトントールに、メアリーが黙るように合図しつつ、ディリンジャーの手から奪い取ったウイスキーをグラスに注いでやる。絶世の美女の酒である。なんの躊躇いもなくトントールはそれを飲み干した。

 アルフィナは、そういう周囲の動きはもう意識の外に追い出しているらしかった。キッドの瞳の向こう側、青味がかった緑色の更に奥を見通すような表情で、じっと童顔の青年を見つめている。少し遠慮がちだった話し方がいつの間にか消え、どこか超然とした雰囲気が少女の小さな体を包みだした。


「……火が燃えている。この火事で死ぬはずだったと思っているの?」


キッドの表情が強張った。

 ふ、とアルフィナが微笑んだ。それは幼い少女のものではない、相手を慈しむ者の微笑みであった。


「けれど、あなたは生きている。赤い髪のお友達に縁があるのね。彼らはあなたを愛しているわ。少しも呪ってなんかいない」


アルフィナの祖母が孫娘を案じて祖父の手を握りしめた。祖父がそっと妻の肩を抱き寄せる。男の目には老いと愛情と、深い迷いとが静かに漂い、決意の波の前に大きな岩となって立ちはだかっているような複雑な色に沈んでいた。

 その祖父から受け継いだブラウンの瞳で、アルフィナはまだキッドを見続けている。


「たくさんの別れを経験してきたのね。あなたを呪って死んだ人もいたのね。あなたを太陽のように思って満足して死んだ人もいたのね。彼、あなたを愛していたわ。人生の最期にあなたの頬を撫でたことを、満足しながら死んでいったわ。だから、あなたはまだ生きていくの。そう……あなたを探している人がいる。長い夜の終わりに、暁の光が射す壁に凭れて、腕に女の子を抱いている……」


瞬間、キッドが椅子を蹴って立ち上がった。青年は何か恐ろしいものを見たように、揺れる瞳で少女を見下ろして、短く浅い呼吸を繰り返している。床に倒れた椅子とテーブルの上で跳ねた食器が硬質な音を立てていた。

 大きな物音にそばかすの少女に戻ったアルフィナが、夢から覚めたような顔でキッドを見上げた。


「キッドさん……?あの、何か……」


その声に、キッドもはっと気がついたようであった。


「その……喉が、乾いちゃって。食後のコーヒーを入れてくるよ」


首の後ろを掻きながら考えたキッドの言い訳はあまりにも下手であったが、誰も責めなかった。


「みんなは飲む?とりあえずお湯を沸かして……準備だけ、してこようかな」


床に倒れた椅子を起こす。わざとらしい笑顔で一同を見回して、誰もいないなら自分の分だけ淹れようとかなんとか言いながら、ほとんど逃げるように奥へ引っ込んでいった。

 テーブルには沈黙が流れた。と、トントールが丸い背中から熊のようないびきを響かせる。


「ちょっと強すぎたかしら」


メアリーの声に、ディリンジャーがトントールのグラスを取り上げて臭いを嗅いだ。


「この間仕入れたばっかりの新しい睡眠魔法薬か。まだ適正量の実験が終わってなかったな。ちょうどいい。今入れたよりも少ない量で売ればいいさ。いい実験結果が取れた」


音を立ててグラスを置いたが、トントールは目覚める気配もない。ディリンジャーが自分のグラスにウイスキーを足した。その黒っぽい深い色の瞳が、チラとトントールの肥満体を一瞥してから、キッドの引っ込んでいった奥へと動いた。


「聞かれていい話じゃあ、なさそうだったからな」


アルフィナが思いつめた顔で祖父を見た。


「あたし、何か言ったの?」

「落ち着きなさい。お前は何も……」

「あたし、何をしたの!?」


カチャリ、と、アルフィナの前で食器が音を立てた。興奮した様子の少女の目から涙が溢れてくる。メアリーがボビンレースのハンカチを差し出した。


「自分で覚えていないの?」


アルフィナは高級なハンカチを受け取っただけで握りしめたまま、涙を流して首を横に振った。まったく自分の発言を自覚できていないらしく、急にキッドが怯えた顔で立ち去ったので、訳の分からぬままに罪悪感に苛まれ、少女自身も怯えている顔つきであった。

 祖母が立ち上がり、幼い孫娘の体を胸に抱き寄せる。ジェシーが目配せをして、メアリーも立った。


「大丈夫。悪いことはなんにもしていなくてよ」

「でもキッドさん、悲しそうな顔をしてました。あたしが何かしたのでしょう?」


メアリーはアルフィナの手からハンカチを取り戻して、美しい指に包み込むように涙を拭ってやった。不安そうに揺れているブラウンの瞳を覗き込んで、華やかな笑みを作ると、明るい声で語り掛ける。


「あなたの魔法が凄すぎて、驚いただけですわよ」

「魔法?でも、あたしの魔法は……」


言いかけたアルフィナの頭を祖母がそっと撫でた。


「アルフィナ。まだ気が付いていないようだけれど、お前の魔法は花を咲かせるだけじゃないの。もっとずっと優れたものなのよ」

「まだ能力に目覚めたばかりなんですのね。そういうときは、こういう混乱はよくあるものですわ」


年長の女二人に優しく言われて、アルフィナは戸惑いながらも、どうにか肩の力を抜いて目を瞬かせた。メアリーがクスリと笑う。そんな声すらが、夢のように美しい女であった。


わたくしだって魔法が使えるようになったばっかりは、ずいぶん大人を困らせましたわ。だって燃えるんですのよ?火遊びはいけないってきつく言われていたのに、自分の手からどんどん火が出るんですもの。びっくりしちゃって、いきなりコントロールなんてできませんわよ」

「メアリーさんでも、そうだったんですか……?」

「みんなそうですわ。魔法が使えるようになったばっかりは、自分の魔法が理解できなくて暴走したり、何か壊してしまったり、みんな同じ。わたくしが魔法を使えるようになったのは、アルフィナちゃんより少し早くって七つの頃でしたかしら。おうちをひとつね、燃やしちゃったんですの」


アルフィナがぴゃっと飛び跳ねるように驚いた。


「えっ!?おうち、燃えちゃうの!?」

「燃えちゃった」


クスクスと楽し気にメアリーが口元をおさえて目を細めた。これには祖母も驚いて目を丸くしていたが、アルフィナも話につられて落ち着いてきたようである。メアリーがわざと顔をそらして、チラリと斜めにアルフィナを見下ろすように視線を投げた。


「……詳しいお話、聞きたい?」


アルフィナが祖母の顔を見た。祖母はおどけた様子で肩を竦める。メアリーがアルフィナの手を取った。


「お部屋にご案内いたしますわ。わたくしとおばあさまと、女三人でいっぱいお話致しましょうね」


チラリとキッドのいなくなった席にアルフィナが視線を投げた。もしかして、家を燃やすよりも大きな傷を青年に与えはしなかったかと、少女のそばかす顔が仄かに暗く翳る。その小さな肩に、祖母がそっと手を置いて、メアリーに促されながら三人は二階へあがっていった。

 三人が完全に見えなくなるまで見送ってから、ジェシーが席を立った。


「失礼。坊やの様子が気になるので」


アルフィナの祖父が頭を下げた。


「彼は大丈夫でしょうか。アルフィナが、まさかあそこまで……」

「あら。そんなの全然大丈夫よ。あの子がビビりなだけだもの」


サラリと返して、ジェシーも祖父に頭を下げて去っていった。

 沈痛な面持ちで俯く祖父の前に、突然新しいグラスが置かれた。顔を上げると、ディリンジャーが目の前の席に来て新しいボトルの栓を開けている。空気に触れた瞬間にひろがる芳醇な香りが、水瓶座の財力を物語っていた。とは言え、特別な酒であろう。さり気ない様子ではあったが、これが紳士の気遣いであることを察し、祖父は深く心で謝した。


「お年頃ってのは、扱いが難しい」


何か意味ありげな言い方である。この男にも年頃の娘がいるのかと思いながら、祖父はディリンジャーの顔を窺い見たが、長い人生で初めて見るほどの色気のある男であるという外、別段の情報は読み取れなかった。


「や、これは……」

「何、心配ご無用。奥様とアルフィナちゃんはメアリーの厚化粧に任せればまず安心だし、お姉さんの方も我々が必ず救出します。酒ぐらい飲んでも罰は当たらない」


言いながら、ディリンジャーはどんどん二つのグラスに琥珀色の液体を注いでいった。


「こいつはストレートが一番うまいんですよ」


八の字髭の下でニヤリとしながら、ディリンジャーは自分のグラスを手に取って軽く掲げた。少しの間をおいて、祖父も同じようにグラスを取り、カチリと微かな音を立ててぶつける。


「ありがたく」

「こっちは男二人でね」


一口飲んでから、ディリンジャーは真面目顔を作って八の字髭をいじった。


「ところで、アルフィナちゃんのお姉さんっていうのは、やはり美人ですか」


祖父がこれも一口飲んでから同じように真面目な顔を作った。


「美人だとも。母親に似てな。だからきっと無事に連れてきていただきたいのです」

「美人と聞いちゃ、傷ひとつ許せませんな。彼女の名前は?」

「セシリア」


「セシリア」ディリンジャーは口の中で繰り返した。


「詳しい話は連中が戻ってからとして、そのセシリアさんはまだ無事でしょうな」

「まずそこは間違いなかろう。だから我々もこうのんびりと構えていられるのです」

「でしょうな。大事な人質だ」


祖父がここで作りものではない真剣な顔をした。


「やつらが出した期限は十日です。十日後にやつらの要求するものを教会に持っていくよう言われている。それまでにじっくり考えろ、と」

「……十日か、長いな」


ディリンジャーが呟いて、胸ポケットに手を突っ込んだ。シガーケースを取り出して、目で祖父を窺うと、祖父も目だけで頷き返す。ディリンジャーは長い指で一本煙草を取り出した。


「今日で四日になります。だが、うちに乗り込んで来たチンピラは、自分が何を要求しているのか、実際はわかっておらん様子でした。セシリアは賢い娘です。てきとうに誤魔化して、期日を引き延ばすこともできるかと……」

「最悪の場合、ですな」


ディリンジャ―が煙を吐いた。老人はグラスを傾けた。


3.

 台所の隅にある大きな貯水用のかめに右手を預けて、キッドは俯いて立っていた。左手は口を覆っている。

 数秒、その背中を見つめてから、首を振って、ジェシーはキッドに近づいた。


「水を汲まなきゃ、お湯は沸かせないわよ」


巨体を壁とキッドの体との間に割り込ませ、ポットに水を汲んだ。甕の水は無論ジェシーの水である。自然水とちがって簡単に腐らない魔法の水は、近くに井戸や川がないこの隠れ家には欠かせない。キッチンには先ほど料理を温めた時の熱が残っていて、ジェシーは手際よく火をおこした。

 キッドはそれを横目で見て食器棚へカップを取りに行った。さすがに先程の言い訳がまずかったことは本人も自覚しているが、何か飲んで心を落ち着かせたい気持ちは実際ある。キッドは無言で自分とジェシーの分のふたつだけ、その分少し大きめのカップを持ち出して調理台の上に置いた。

 間もなくシュンシュンと湯の湧く音がして、ジェシーが二人分の紅茶を入れる。コーヒーが良かったな、と、ぼんやり思いながら、差し出されたカップをキッドは無言で受け取った。ジェシーの視線には気がついている。やっと口を開いた。


「あの女の子は?」

「かわいそうに、びっくりして怯えていたわよ。まだ自分のことがわかっていないみたい。メアリーとおばあさまが二階に連れて行ったわ」


それは悪いことをしたな、と、キッドはそっと少女に詫びた。そうでなくとも、いろいろと不安なことが続いているというのに、余計な恐怖を与えてしまったのだとしたら、あの大きなブラウンの瞳に申し訳ない、そう思ったのである。だが、言葉には出さなかった。

 ジェシーの巨体が、台所の床に大きく影を落としている。キッドは数秒、それを見つめてから、再びため息交じりの声を出した。


「……驚いたよ。彼女のあれは本物だ。あの子は感応の能力者。インチキ占い師も真っ青のね」

「つまり、彼女の言っていたことは本当ってわけね」


ジェシーが右手にカップを持ったままストーブにぼんやり視線を投げて言った。キッドは紅茶がカップの中で揺れるのを見ている。

 再び小さな間があって、今度はジェシーがそれを破った。


「話さないのは勝手だけれど、隠せないなら探るわよ」


言って、一口だけ紅茶を飲んだ。


「あなただけなのよ、あたしが正体を知らないのは。あの赤ひげ・・・の船に乗っていたのは知ってるけれど、たった一年間って言ってたわよね。船に乗る前のことも、あんたは話さない。メアリーはご両親の名前だって知っているし、ディックもうちに入る前に何をしてきたかわかってるわ。水瓶座に入るような子はみんな事情があるけれど、こんなにあたしが知らないのは、キッド、あなただけ」


また紅茶を飲む。ストーブの中で、残った炎が弾ける音が聞こえた。

 キッドが観念したように、ため息をついた。


「ママには感謝してる。今まで何も聞かずにいてくれたことも、こんな得体の知れないのを、これまで世話してくれたことも」

「不思議よね。あなたは本当に不思議な子よ、キッド。なんでか放っとけないの。ついついご飯を食べさせてあげたくなっちゃうし、あったかいベッドに寝かせてあげたくなっちゃう。まんまと絆されてるみたいで悔しいんだけど、あなた、人たらしの才能があるのよ。きっとあたしが出会う前からそうやって生きてきたんでしょう」

「あー……そうだね、そうかも」

「自覚あったの?性格悪いわね」


ジェシーがからかうと、キッドが肩を竦めながら笑った。


「言われてみれば、そうだったかもしれないって思ったんだよ。ああ、でも……うん。そうだったよ。そうだった、と、思う」


キッドが頷いた。それはジェシーのことばにうなずいたようにも、遠い思い出を覗き込んでいるようにも見えた。紅茶の色が夕焼けみたいで、この時ばかりはこの世界中で愛されている飲み物が、どこか切ない子守歌のようにキッドには思えた。


「そうだ、いつもそうだったんだ。ほんと、考えてみたら最低だね、おれって。だってみんなにもらってばっかりで、なんにも返せないで、そのまま最後にはおれだけが生き残る。……だから嫌だった」


ジェシーが飲み終わったカップを台に置いて、体ごとキッドに向き直った。


「"いつも奪われてきた"?」


アルフィナの言ったことばである。キッドは、いつも帰らなかった、帰る場所を奪われてきた、少女は夢の中にいる顔でそう言った。


「奪われてきた、とは、思っていない。帰らなかったのは本当だけれど」

「帰れば死ねたの?」

「死にたかったわけじゃ……」


言いかけて、一度口を閉じた。ぬるくなってしまった紅茶を台に置いて、キッドは紡ぐべきことばを探すように、自分の手指をいじくり出す。

 不思議であった。自分では一度だって死にたいと思ったことはないはずなのだが、他人に言われると何やら自信が無いように思うのである。もしかしたら死に場所を探してでもいるのだろうか、などと、考えたこともなかったことが己の真実であるかのように感じられ、だが、やはり、それも違うように思う。

 あやふやで、ぼんやりした感情を、どうことばにすべきなのかがわからなかった。


「死にたかったわけじゃ、ないはずなんだ……。矛盾しているかな。死にたいわけじゃないんだけれど、生きているのが不安なことがある。生きていていいのかなって、そう、思っているのかもしれない。あ、勘違いしないでよ。おれだって生きている限りは生きていくつもりだよ?でもさ、あの女の子はああ言ったけれど……やっぱり死んでいった連中に対して、まっすぐ笑顔ではいられないんだよ」


ジェシーが頷いた。

 キッドのことばは曖昧でまとまっていなかったが、彼が少なからぬ後悔を抱いて生きていることはわかる。人間だれしも、生きている間に多少の後悔はするものだ。自分で選んだつもりの道を引き返したい、なんとか時間を巻き戻したい、そう思う日がきっとある。

 キッドには、ジェシーと出会う以前に別れた人々や故郷があるのだろう。旅立ちがいつだって祝福されるとは限らないし、別れが一度だけとも決まっていない。この青年が短い人生の間に、いくつの別れを越えてきたのかジェシーは知らないが、今、その横顔に浮かぶ哀惜を追及する気にも、もちろん、それを責める気にもなれなかった。

 ジェシーは、小さく吐息した。原因も責任も追及するつもりはないが、ジェシーには、その憂いに的確な慰めを与えてやれないことが悲しかった。


「あんたが、あの子のことばから逃げたのは、受け入れられなかったからかしら。死んだ誰かさんに愛されているってことを、自分で許せなくて恐ろしかった?」


ジェシーの問いに、キッドは微かに笑って答えた。

 そうかもしれない。そうでないのかもしれない。笑って誤魔化す以外には、返事を持たない質問であった。

 キッドは、もう一度カップを手に取って冷めた紅茶を飲み始めた。それを見つめてジェシーも苦笑した。


「それからもう一つね。アルフィナちゃんの占いは、あなたの過去に触れてしまっていた。探られては困るのね。繰り返すようだけれど、何も話してはくれないの」


ダメ元で言った。案の定、キッドは首を横に振って謝罪する。


「ごめん、ママ。やっぱりそれは話せない。おれは無法者アウトローで、この国の社会には存在していない人間だ。だから生きていける」

「法の内に戻る気はないの?」


これは半ば本気の質問であった。

 キッドは既に首に賞金がかかっているが、本人にその気さえあれば社会に戻る方法はいくらかある。水瓶座にはそうできるだけの力もあった。無論、そのためには様々の犠牲も出るが、ジェシーの口添えで堅気になった者も一人や二人ではない。それはキッドも知っていることであったが、それについてはキッドの答えはいつも明瞭であった。


「ない」


静かだが、きっぱりと言い切った。


「まるで他人になる以外には、おれには生きる術がない。おれだけのことなら構わないけれど、ママやみんな、死んだ仲間たちにまで迷惑がかかる」


キッドがカップに残っていた紅茶を飲み干した。調理台に寄りかかっていた体を起こして、ジェシーを見上げた顔は、何か悩んでいる風である。この青年がこんな顔をするのは珍しいことであった。


「そんなことより、厄介なのは彼女の方だ」


眉を寄せたままの表情でキッドは言った。


「アルフィナちゃんのこと?」


わかりきっていることだ、と、キッドは肯きもせずに腕組をした。


「あのまま話を続けさせたら、それこそ、おれの真実を、あの女の子は暴くところだった。思い出したくもない過去ってやつだ」

「ちょっと待って頂戴」


ジェシーが手を上げて遮った。


「確かに、あなたの動揺を見ればずいぶん当たっていたのはわかったわ。でも、まさかぜんぶ的中していたなんて言わないわよね?それとも、昨日あの子に思い出語りでもしたの?ヒントになるようなことを事前に話していたっていうなら、有り得ないことじゃないでしょうけど」

「ママにも誰にも話していないことだ、言わないよ。誰かに語るような話でもない。それをぜんぶ読み取られた。その上、変だと思わない?おれの記憶を読み取ったんなら、おれのことを言い当てるのはわかるよ。でも、おれの周りで死んでいったやつが、おれを愛していたなんて、そんなのどうして彼女にわかる?」


薄暗いキッチンで、キッドの瞳が用心深くきらめいた。ジェシーの額にも皺が寄る。


「あなたを探している人、とも言っていたわ」

「それだ」


キッドがさらに顔を険しくした。


「そこなんだよ。他があれだけ当たっていたんだから、たぶん出鱈目じゃないんだ。でも、ちょっと心当たりが過去にない。あるとすれば……」


キッドの瞳が独特の光を帯びてジェシーを見上げた。ジェシーは信じられない思いで首を振る。


「過去じゃないなら、未来しかないじゃない……」

「そうだよ」


キッドの声はジェシーと違って震えてはいなかったが、低く掠れた。


「あの子は、予言者だ」


驚きのあまり、ジェシーがカップを取り落としそうになって姿勢を崩した。慌てて髪を直す仕草を見せ、それでも動揺が収まらず独り言が口をつく。


「そんなことが……」


予言者、という者が、ごくまれに存在する。その方法は様々であろうが、そのほとんどは、この魔法国家においては当然、魔法による未来予知をする者であった。

 先程のアルフィナの"占い"は、どう見ても魔法であった。本人はただ人相占いをしているような気持ちであったかもしれないが、ジェシーら普段から魔法を使う者にとっては明らかな魔力反応を感じることができたから、それは間違いがない。

 心理学でもない。魔法を使った読心術、他者の記憶の読み取り、そういう記憶、心に関わる魔法を俗に"感応の魔法"と呼ぶが、それですらできる者はごく限られている。それだけだって、貴族や国のお抱えレベルであり、実際、エドクセン王国王家たるフィリツの家系に時々あらわれる能力であった。

 もしも本当に、あの少女にそんな能力があるとすれば、それは事件と呼んでいい。あるいは今度の姉の誘拐事件だって、父親の借金なんていうものはでっち上げとわかりきっているものの、もしかしたらアルフィナの能力に関わっているのかもしれない。敵の要求が、アルフィナの能力――つまりは、少女そのもの、という可能性もある。あるいは、


「彼女、何か秘密がある。それを証明する何か、敵が欲しいのは、そういうものじゃないかな」


キッドが腕組みした手に微かに力をこめて首を捻った。


「占う相手の知識を超えて、時間も場所も飛び越えて、なんて言ったら、いったいどれだけの魔力を持っていることか。しかも不確定の未来を予言する能力があるんだとしたら、国家レベルの能力者だ。あのじいさんばあさんに、そんな力があるかな。孫娘にそんな魔力を受け継げるだけの才能が?」

「突然変異的に彼女にだけ才能が天から与えられたと思うか、それとも……」

「おれは、その"それとも"を信じる。あの子の魔力は祖父母の物とちがう。血統がちがう」


ジェシーが筋肉質な自分の体を抱きしめるように腕を組んだ。


「思っていたより、大変な仕事になりそうね……」


重い呟きに、キッドは黙って左の愛銃を抜いた。


「さあ、大変なだけならいい。おれは、あの女の子が怖くなってきた。おれの人生が、とんでもないことに巻き込まれるような、そういう呪いじゃないかって気がして来たよ」


ジェシーが目線だけで、呟くキッドの銃を見降ろした。キッドはいくつかの銃を使うが、この左腰の銃だけは何年たっても買い替えようとしない。それを抜いて握りしめたとき、決まって青年は肚の底に感情が蠢くのを感じていると、ジェシーは知っていた。

 だが、それを他人に話すことはない。このときも、キッドはジェシーの視線を無視して、ひとり握りしめた銃を静かにホルスターに戻した。

 キッドには、他人に話していない秘密がある。その秘密が、あの少女の危うさを彼に告げていた。アルフィナが昨日からキッドに対し、奇妙な予感を抱いていたのは、少女自身もまだ気がついていない魔法能力が急激に覚醒したためである。そして、その突然の覚醒が、あるいは己のせいである可能性があることをキッドは感じていた。


(だとしたら、彼女は……)


肚の底に沈めたはずの人生が動き出すのをキッドは感じて、秘かな息を吐く。


「ま、やるだけやるっきゃないよね」

「あんたね……」


急に軽く冗談めいた顔をしたキッドに、ジェシーは今度こそあからさまなため息をついた。


4.

 夕飯前に、ジェシーは水瓶座の男を四人呼び出してトントールの肥満体を運ばせた。メアリーの見当ではあと三時間は目覚めし、恐らくは記憶もあやふやになっているだろうから、この際、もう家に帰してしまおうということになったのである。

 さて、夕食後である。昼と変わらぬキッドの食べっぷりにアルフィナも少し安堵したが、しかし、いざ話を、という空気になると全員が緊張したのがわかった。特に、祖父母の表情が強張っている。きっと自分のことだろう、とアルフィナは気が重かった。

 メアリーが言うには、アルフィナの能力は感応とか呼ばれる類のものらしい。自分以外の誰かの過去や未来を占ったり、相手の考えを読み取ったり、テレパシーで会話をしたり、具体的に何ができるかは様々だが、とにかく記憶と心に関わる能力で、総じて大きな魔力を必要とするそうである。

 とはいえ、アルフィナの花を咲かせる魔法もまた嘘ではない。生来、二種類の魔力が備わっているみたい、と、メアリーはアルフィナに説明をして、ちらりと祖母の顔を窺っていた。


「それじゃ、お願いできるかしら。ミスター……」


ジェシーがアルフィナの祖父に、強くあたたかな眼差しを向けた。


「アマート。ジェラルド・アマート」

「ミスター・アマート。セシリアの救出作戦の前に、アルフィナの魔法について、お話頂けるわね?」


アルフィナが全員の顔を見回した。祖父母は厳しい顔で頷いていたし、水瓶座の四人も真剣な面持ちである。理解できていないのはどう見ても自分だけらしいのに、それが自分の力に関わることなのが少女には情けないような気がした。本当に貴重で素晴らしい能力なのだとメアリーは慰めてくれたが、こうして緊張している祖父母の表情を見ているとアルフィナはやはり申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。


「お気付きでしょうけれど、ここは我々の隠れ家ですのでご安心なさって」


ジェシーの言葉にアマート氏はまた深く頷いた。


「見事なものですな。外からはわからぬ森の中で、ここに来るまでの地下道もそう簡単に見つかるものではない。しかもこの石壁はすべて結界魔法がかかっているようだ。これなら外から魔力反応で検知される不安もほとんどない」

「一座の中でも知る者はわずかだ。それがわかっていて、ミスター、あんたさっきお嬢さんに魔法を使わせたんでしょう」


ディリンジャーである。八の字髭の整った容貌を、アルフィナが不安げに見た。ディリンジャーはそれにハンサムな微笑みを返して、すぐにまた彼女の祖父の顔に視線を戻す。


「先程こう言いましたな。相手が与えた猶予がある、と。だがそれはちがう。ご夫妻が余裕ぶってらっしゃるのは、アルフィナが町へ行くと言ったからでしょう。ちがいますか。俺の予想はこうです。……大事な姉さんを心配するあまりにアルフィナが無意識に魔法を使った。これまでも無意識に魔法を使ってたんでしょう、アルフィナは。それでさっきみたいな夢うつつの状態で、嬢ちゃんは町に行くと言ったんだ。アルフィナの行動に従えばセシリアが助かる……と、そんなところでは?」

「そうなの?おじいちゃん?」


アルフィナがか細い声で訊ねた。祖父は黙って頷いてから、口を開く。


「ご推察の通りです。わしらは悩んでいました。大人しく従うか、ひとまず役人に相談に行くか、と。わしらだけでは抵抗できないことは、もうセシリアを連れていかれた時点でわかっていました。応援を頼むかどうか、そのようなことをして万が一、相手に知られては、どんな危険があるかと夫婦で頭を抱えていたときでした。この子が急に椅子を立って、空を見ながら言ったのです。"町に行く"と」


祖父の話に、少女はそばかす顔をまた不安に暗くした。だが、時間がたって自分の魔法能力について考えがまとまってきたのであろう。その顔に昼ほどの動揺はない。これは自分の話なのだと、わかっている顔つきであった。


「信じがたいことですけれど、アルフィナちゃん」


メアリーがしっとりと口を挟んだ。


「あなたの能力はただの占いではない、“予言”と呼ばれるもの。そうですわね、坊や?先程の反応はちょっと普通じゃあなくってよ。あなた以前に言ってましたわよね、予言者の知り合いがひとりいるって。その方と同じにおいを感じて、秘密を暴かれるのが怖かったのではなくて?」


発言者が次々に移っていくのを、アルフィナの目線が必死に追っていく。そこにはやはり自分の不明をどうにかしたい思いが溢れていた。その視線に、キッドが眉を寄せた。


「"予言者"に人生で二回会うなんて、おれもどうかしてる」


呟いてから、アルフィナの必死の視線に語りかける。


「いいかい、レディ。怖がらずに聞いてほしい。きみの能力は本当に貴重なものだ。有り得ないもの、と言ってもいい」

「予言者が、有り得ないもの……?あたしが……?」

「ちょっとちがう。予言者っていうのは、それでもいるんだよ、珍しくても。おれの知り合いの予言者っていうのはちょっと別格なんだけれど、そこまでじゃなければ……そうだね、まあ一千万人に一人ぐらいは」

「いっせん……」

「これがちょっとした占い……例えば、明日きっといいことがありますよ、なんてさ、曖昧なやつでいいならね、もっと確率は上がるんだけれど。きみはさっき、もっと具体的におれの人生を当てようとした。おれの過去に……」


言いかけて、キッドは一度キュッと唇を内側に巻き込むように閉じた。ディリンジャーとメアリーが横目でそれを見たが、キッドはその続きをごまかした、というよりは、あからさまに隠した。


「まぁ、いろいろあったんだけれど、それを言い当てたし、それどころか、おれ自身も知らないおれの未来の景色まで見ている気配があった。そこまでいくと予言って呼び方になる」

「あたし、そんなことを?」


本当に覚えていないのか、アルフィナの顔色が青ざめた。最初の驚きは去り、己のことを知りたいと思ってはいるのだが、やはり未知への怯えは隠せないのだろう。胸の前で祈るように握りしめた手が震えて、不安そうに眉を寄せている。キッドはその様子をうかがいながら、話を進めなくてはならなかった。


「やっぱり覚えていないか。そうだろうね、そんな様子だった。でもね、確かにきみはそれができる。まず、そこは事実だと知ってほしい。そうでないと話が進まないから」


まだ半信半疑の様子だが、それでもアルフィナは頷いた。やはり意志の強い娘である。


(悪いことをしたな。あんな風に席を立って逃げては、この娘は驚いたろう)


しかし、あれ以上踏み込まれるのは避けたかった。少女が覗いたキッドの記憶は、彼にとって恐ろしい思い出である。今でも夢に見る。忘れたいと思ったことはないが、直視するには勇気のいる過去であった。

 アルフィナのこれまでの態度を思うと、彼女も身勝手に他人のことを暴くような真似はしたくないはずだ。そのためにも、少女は己のことを知る必要があった。魔法の多くは、それが強力であればあるほど、使用者の意思を離れて暴走することがある。魔法を制御するには、己の魔法のことを知り、意思を確かに持つことが必要なのである。


「きみは予言者だ。丘で野の花を摘んで、好き、嫌い、なんて花びら占いをしているのとはわけがちがう。……でもね」


ここでキッドは一度ことばを切って、一瞬、アマート夫妻の表情を窺い見た。彼らから説明させるべきだと思ったのだが、ふたりはじっとキッドを見返した。まだ様子を見るつもりなのか、その真意はわからないが、止めないのならば話すまでである。


「でもね、きみの場合は、ただの占いにしたって持ち得るはずのない魔法能力だ。きみの血統では絶対に出るはずのない種類のものなんだよ」

「血統……?」


アルフィナのブラウンの瞳が揺れた。キッドが何を言っているのかまるで理解できない。だが、理解できないはずなのに、以前からどこかでわかっていたようにも思えた。

 矛盾する自分に戸惑って、アルフィナの目線は助けを求めるようにキッドを見つめている。救いにはならないだろうがキッドは話を続けた。


「魔法っていうのは九割が遺伝で決まると言われてる。魔力量と、それ以上に、使える魔法の種類が血統的に決まるんだ。残り一割が努力と突然変異だけれど、きみ、ものすごい修行を積んだことも、ヤバい薬に手を出したこともないだろ」

「ありません!……それは、ありません。でも、それじゃ、あたしの魔法は誰から……?」


言いながら、アルフィナの視線がキョロキョロと落ち着きなく動き始めた。手元に家系図でも広がっているのか、その中から自分につらなる流れを探そうとしているのか、右に左にブラウンの瞳が動きまわる。キッドが警戒に目を細めた。

 そうこうするうちに、アルフィナの瞳が焦点を失っていく。確かに目の前の現実を見ていたはずの目がぼんやりと遠くを見透かすように開かれて、大きく動いていた瞳が小刻みに震えるように運動を変えた。

 少女が微かに息を吸い込む。その瞬間、キッドが腰の拳銃を引き抜き、銃口を天井に向け引鉄を引いた。


「ひぇっ……!」


突然轟いた銃声に、アルフィナの祖母が小さく悲鳴を上げ、メアリーが不機嫌そうに耳を抑えてため息をついた。アルフィナの祖父は微かに白い眉を険しくし、妻の手を握った。

 キッドは、そんな周囲の様子にはまるで頓着していない様子で、思い切り笑顔を見せた。


「はい、怖がらない!うん、難しいよね!」


その笑顔の正面では、アルフィナがびっくりして、目を真ん丸に見開いている。だが、その目は現実を取り戻し、しっかりとキッドの顔を見ているようだった。


「一言おっしゃいよ!」


となりのキッドに向けて怒鳴ったのはジェシーである。キッドはその声に驚いて目をパチクリと瞬かせながら、


「でも誰も怪我ないだろ?天井も傷つかないように特別製の弾にさっき入れ替えたし。ほらパーティー用にさ、新しく売り出す商品の試作品って、こないだもらったやつ」


と、やや的外れの弁解をした。ジェシーが思い切り顔を顰めてキッドを睨み下ろし、ディリンジャーがやれやれ、と耳に当てていた手を放した。


「おかげさんでお嬢ちゃんの目は覚めたらしい」

「そうそう。ね、レディ。もう大丈夫だろ?」


説教はさっさと逃げるに限る。ジェシーがまだ睨んでいたが、キッドは無視した。

 アルフィナは余程驚いたのか、まだ口を少し開けたまま黙っている。だが、キッドがその自分の顔をじっと見つめているのに気が付いて、慌てて口元を隠して俯いた。キッドが笑う。


「驚かせてごめん。でも、目は覚めたろ?」

「……あたし、また魔法を使ってしまったんですか?」


キッドが微笑んだまま首を横に振った。


「大丈夫。使う前に止めた。きみは不安になると答えを探そうとして魔法を使うらしいね。今までもあったろ?すごく嫌なことがあったとき、気が付いたら眠っていたような感覚は、初めてじゃないはずだ」


キッドのことばに、アルフィナはこれまでの自分の人生を振り返った。

 心当たりはあった。それも、一度や二度ではない。そのたびに、家族が何か不思議そうにこちらを見ていたことも覚えている。アルフィナは、何か悟ったような声で呟いた。


「あれが、あたしの魔法……」


アルフィナはそっと目を閉じて、もう一度ゆっくり事実を噛みしめた。無意識のこととはいえ、違和感はずっとあった。これまでの小さな、だが積みあがった疑問にようやくの回答を得たアルフィナは、一瞬安堵にも似た表情を見せる。

 だが、目を開くと、すぐにまた首を傾げてキッドを見た。


「でも、さっきはそんなことなかったはずです。あたし、ちょっと占ってみろって言われてキッドさんのことを考えていただけで、怖いとか、そんなことを思ってなかったもの」

「そうかな」


アルフィナが一生懸命に思い出しながら言ったことばを、キッドはすぐに否定した。


「おれを見ていると不安になるって、きみ、言ったじゃないか」


確かに、アルフィナはキッドに向かってそう言った。だが、これまでを思うと、少し種類のちがう話だと本人は思っている。

 と、これまで黙っていた祖父のアマート氏がアルフィナの肩を叩いて発言した。


「その銃のせいではないのか?」


先程までの柔和な態度が一変している。老人は明らかにキッドを非難する態度であった。あからさまな敵意にキッドがヘーゼルグリーンの瞳を鋭く老人へと滑らせた。アマート老人は怯まない。


「今の銃の扱い様を見ればわかる。キッド、と申したか。本名ではあるまい」

「もちろん。それが何か?」


キッドが子どものような笑顔を作った。お道化ているような、無邪気なような、それでいて正体のわからない油断ならなさのある笑顔であった。

 「おじいちゃん」アルフィナが、両者の間に緊張が走ったのを感じ取って、責めるような口調で祖父を呼んだ。


「少しわしに譲りなさい、アルフィナ。お前が自分の魔法のことを知ってくれたのは嬉しい。それについては、この青年に感謝しよう。わしらから単純に話をしただけでは、お前自身が事実を受け止めてくれなかったかもしれないからな。それはありがたいことだ。だが、その青年をわしは手放しには信じられぬ」

「あなた、どうしたの?アルフィナが選んだ方なら間違いないと決めたじゃありませんか」


妻も驚いていたが、老人は厳しく首を横に振った。


「アルフィナが迷いなく選んだのならば、わしもこんなことは言うまい」


キッドがまた口角を持ち上げて老人を見返した。


「なるほどね。そういうことか」

「ほう。気付いたかね」

「さぁ、どうかな」


キッドはほんの少し目線を上げて、再び老人を見た。白眉の下、老いてなお光を失わない瞳が、じっとキッドを見ている。キッドが観念して息を吐いた。


「わかったよ。老練なるミスター・ジェラルド・アマート。つまり、あなたはおれが魔法も使えない役立たずだと言いたいわけだ。占う対象の魔力がないからアルフィナの魔法がうまく機能しない、それで却って暴走しちゃった、と」

「ほう。認めるか」


何やら妙な会話の流れに、アルフィナが腰を浮かし掛けた。だが、肩に置かれた祖父の力が予想外に強く、立ち上がれない。


「なんの話をしてるの、二人とも?」


少女の声には、また自分が何かしたのではないかという責任感が宿っている。キッドがその顔を見て微笑んだ。


「きみが恐れることは何もない。おじいさんはきみたちを心配してくれているだけ」

「そうだ。アルフィナ、お前も見ただろう、この男の銃を。魔法もなんにもかかってない銃を使用するなど、魔法に耐性のない、つまりほとんど魔力を持っていないような人間である証拠だ。そんな男に、お前やセシリアを任せるなどはできん」

「ちょっとお待ちいただける?」


黙って話を聞いていたジェシーが発言を求めた。ルージュを塗った唇に笑顔を作ってはいるが、そのプレッシャーは筋肉質な男のそれである。太い腕をテーブルに乗せて、気色ばんだ。


「魔法が使えないことに、何か問題がおありかしら、ミスター?」

「いいんだよ、ママ」


キッドがニコリと微笑んで、ジェシーを宥めた。そのまま右腰の銃を抜いてテーブルに置く。やはり、ただの拳銃である。


「ミスター・アマート、あなたがこういう銃を嫌うのは予想していたよ。あなたは城勤めが長かったそうだから。そういう人間にはよくあることだ。この国は魔法国家であり、古代の伝説の魔法戦士を神格化し、魔法権威で成り立っている国だもの。魔法を使わずに鉛玉で人を殺す道具なんて星の信仰に対する冒涜だ」


アマート老人の態度が変わったのは、先程、キッドが銃を抜いたときである。キッドはアルフィナに笑いかけたが、老人の目つきには気が付いていた。

 この国の人間――特に、貴族階級やそれに近いところで働いてきた人間は、魔力に対してプライドと信仰を持っている。そのプライドと信仰は、往々にして魔力の低い者に対する蔑みとなってあらわれた。キッドはこれまでにも幾度となく、この手の言いがかりに近い差別を受けてきたから、この敬虔そうな老人が何を言いたいのかはよくわかるつもりである。

 まったく生きづらい国である。だから、キッドはあのゴロツキどもがたむろするクルトペリオが好きであった。クルトペリオの町は、魔力の低いが故に身分の低かった人々が開拓してできた町である。キッドはそんな町に住まう人々をこそ愛している。


「笑っちゃうよね。おれの名前だって?ママたちの名前は訊かないんだな。それとも魔法使いに無法者アウトローは存在しないかい?」

「そうではない。彼らのことはアルフィナが保証した。わしらにはそれが何より信頼に値するのだ。お前だけはそれがない。そのような銃で人を殺す者に、どうして大切な孫娘を助けられると言うのだ」


それはそうであろう。水瓶座は老人にとって、まったく赤の他人で、素性のしれない不審者たちである。いきなり信じろと言っても無理な話であるところを、アルフィナの稀有な能力によってキッド以外の人間は信用されただけのことで、魔力云々を抜きにすれば、それは無論、この場の誰にでも理解できる道理である。

 それに先程の態度を見れば、他人に言えない過去があるのは間違いがなく、それが魔法を使えないという事実と合わさって、不信の種となっているのであろう。それも、わかる。


「だが言い方が気に食わない。レディ、きみのおじいさんに無礼を働いて悪いが……」


言いながら、キッドが椅子に腰かけたまま、目にも留まらぬ速さで左の拳銃を引き抜いて構えた。


「キッド!」


ジェシーが叫んだときには、キッドの銃はピッタリ老人の眉間に向けられている。アマート氏が微かに背筋を緊張させ、となりでは夫人がオロオロと夫と若いガンマンとを見比べている。


「謝罪を要求するのに脅しをかけるとは、いかにもならず者の手口だな」


祖父が皮肉っぽく言った瞬間であった。アルフィナが、椅子を蹴って立ち上がり、鋭く叫んだ。


「やめて!」


それは少女がこれまでに出したことがない強い声であった。不安そうに下がっていた眉もキリリと力がこもり、大股でキッドに歩み寄る。少なからず驚いているキッドの右手を両手で取って、アルフィナは強い語調で宣言した。


「あたし、この人を信じます!信じています!」

「アルフィナ。しかし……」

「この人はあたしを裏切りません!絶対に!」


驚愕し、動揺する祖父母に向かって、敢然と言いきった。


「この人が恐ろしいのは本当です。でも、わかるの。この人はあたしを裏切らない。これがあたしの能力だと言うのなら、あたし、言い切れるわ。おじいちゃん。この人はあたしの人生を変える人です。いいえ、あたしだけのことではないわ。キッドの銃がこの国の未来を変えるのよ!」

「それは、ちょっと……」


あまりに話が大きくなって、庇われている方であるキッドが怯んだ。


「そこまでは言いすぎじゃないかな、レディ?」

「いいえ」


ピシャリ、と、アルフィナはキッドを睨んだ。少女の強さにキッドが動揺して、困惑の視線を少女の祖父母や水瓶座の仲間に向けたが、皆一様に驚いているばかりで、本当に誰も助けてくれそうにない。

 誰も助けてくれないどころか、アルフィナが咎めるような視線をキッドに向けた。


「詳しいことはわからないけど、あなたの未来は大きな力がある。その未来には、あたしがいるはずなの」

「……おれにそれを断る権利はないの?」

「あります。でも、あなたはその選択をしないでしょう?この手をほどかずにいてくれるでしょう?」


アルフィナのブラウンの瞳が、輝きながらキッドを見つめた。その瞳の中に自分の姿がうつっていることに気が付いて、キッドは口元を膨らませて困った。

 その目はずるい。こんな無垢な少女の瞳を前に自分の運命から逃げるなど、できようはずがないではないか。左手の銃を老人に向けたまま、右手は少女に握られたまま、そして戸惑いの表情のままに、キッドが白い歯を零した。


「……参ったな。まるで告白だ」

「へっ?」


苦笑するキッドの顔を、目を真ん丸にしてアルフィナは見つめた。キッドのヘーゼルグリーンの瞳がこちらを見ている。やっとキッドの言っている意味がわかって、アルフィナの顔がみるみる真っ赤に染まった。続いて少女は、自分がキッドの手を握っていたことに気がつき、悲鳴みたいに叫んで三歩うしろへ逃げる。


「きゃああっ!?ちが、ちがいます!あの、あたし、そんな!なんてこと……!ごめんなさいっ!」

「あっはははは!」


少女の初々しい反応に、キッドがつい声を上げて笑いだした。その笑い声にも恥ずかしくなって、アルフィナは両手で顔を覆って消え入りそうな声を出す。


「そういうつもりじゃ……」

「あら~!照れちゃって、うぶ・・ねぇ~!」


ジェシーが目尻を下げてからかった。この男はとにかくこういう初々しい少年少女が大好きな質なのである。先ほどまでの怒りはすっかり忘れて、にこにこと機嫌よく少女を見た。

 少女の祖父が驚愕に瞠目し、呆然としている。しばし指の間からだけ世界を見ていたアルフィナが、ようやくそれに気が付いて、恐る恐る祖父に歩み寄った。


「おじいちゃん……。ごめんなさい、あたし、おじいちゃんの言ってることがわからなかったわけじゃないの。でも、あたしの魔法で他の皆さんが大丈夫って言えるなら、キッドさんのことも信じてくれるよね?」


その声に、老人は呼吸を取り戻したかのようにハッとひとつ短い息を吐いた。


「そんな、お前が謝ることではない。それより、まさかお前、今、自分で魔法を使ったのか」


アルフィナがゆっくりと首を横に振った。


「わからない。使おうと思ったんじゃないの。……でも、今のは覚えている。さっきまでみたいに、夢を見ていたような感じはしなかった」


言いながら、アルフィナはチラとキッドを横目で見て、目が合うと慌ててそらした。老人は「そうか、そうか」と繰り返し呟きながら、孫娘の肩を両手でつかむ。その手が微かに震えていた。


「そこまでになったか。今の一瞬で。お前、自分の力を受け入れたのだな……」

「おじいちゃん?大丈夫?」


肩に置かれた祖父の手を、アルフィナがそっとつかんだ。アマート老人の目から、ハラハラと涙が零れ落ちる。そこには孫の成長を喜ぶとともに、深刻な事実を孫に伝えねばならないという重責がこもっているのだが、まだアルフィナにはそこまではわからなかった。

 ジェシーがそっとハンカチを差し出して、アマート夫人が夫に代わってそれを受け取ると、静かに頭を下げて微笑んだ。


「お気遣いに感謝いたします、皆さま。キッドさん、ごめんなさいね。主人が心無いことを申し上げて」

「いいえ、ミセス。お孫さんが力に目覚めて守ってくれたので、結果オーライってやつじゃないかな。……だが、あなたにも、ご主人にもこれだけは知っておいてほしい」


キッドが左手の拳銃をそっと右手で撫でながら、悲し気な目をして言った。


「レディの言うような未来があるかは知らないけれど、過去、この銃がおれを守ってきたのは事実です。おれには友がいた。敵もいたけれど、それよりも、ずっと親しい友がいた。この銃はそれを知っている。おれの人生は、こいつとともにある。それを、奪わないでほしい」


メアリーとディリンジャーがそっと顔を見合わせた。銃とともにあったという青年の過去を、二人も知らないのである。だが、それが良い思い出ばかりでないことはわかっていた。

 妻が差し出したジェシーのハンカチを断って、アマート老人が顔を上げる。キッドの方に体ごと向き直り、老人は青年と青年の手の中の銃とを見比べて深々と頭を下げた。


「すまなかった」

「こちらこそ、急に銃を向けたりして……」


突然の緊張状態は、少女の覚醒によってやはり唐突に解かれた。ジェシーが仕切り直しとばかりに手を大きく叩いて立ち上がる。


「はい、仲直りね。まだ何かある?」


アマート氏とキッドが視線を交わし、照れ隠しみたように曖昧に笑って黙ったが、ディリンジャーが手を挙げた。


「なによ、ディック」

「言いたいことがあるから手を挙げた。だって、あるだろ?ごまかしちゃあいけない。まだ聞いていないじゃあないか」


アルフィナが不思議そうにディリンジャーの八の字髭を見た。その視線にディリンジャーはハンサムに微笑む。


「お嬢さんの、魔法の血統だよ」


あ、と、メアリーが思い出したように声を発した。


「そうでしたわね。アルフィナちゃんがより確実に自分の魔法を理解してコントロールできるようになるためにも、それは話した方がいいと思いますわ」


メアリーが口元を手で抑えながら少女を見た。ジェシーは顎に手を当てて首を捻り、キッドがアルフィナと祖父母を見た。


「どうする?」


元々、アルフィナの血統について言い出したのはキッドであったが、家族に問うた声は無造作である。アルフィナはもちろん、自分で答えられるわけはなく祖父母の顔を見比べた。二人も悩んでいる様子である。


「話をする前に魔法を自覚できたなら、無理に言わずとも……いや、実はわしらも詳しいことは……」


祖父がまた悲し気に孫娘を見やり、口ごもる。祖母の瞳も淋し気で、かなり言いづらいことであることがわかった。さすがにアルフィナも積極的に聞く気にはなれない。目を伏せて、そっと首を振った。


「二人が、言わないなら……」


キッドが頷いた。ディリンジャーはやや不服そうにしたが、少女の願いである。八の字髭をちょっと撫でて、自分で話を切り替えた。


「お嬢さんがそう言うんじゃあ仕方ない。先に、美人の姉さんをお助けするとしよう」


いよいよ、救出に向けての話し合いが始まった。

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