第2話 水瓶座
1.
翌日。アルフィナは雑貨屋のトントールに連れられて、街の東にある広場に向かっていた。ルルーナもついて来たがったのだが、事情があって行かれないということで、代わりと言うではないが、昨夜の宿の面倒だけは彼女が見た。アルフィナの祖父母が止まっているという宿に連絡をしてくれたのもルルーナである。
アルフィナに同行を申し出た者は多かったが、その中からトントールを指名したのもルルーナの心遣いであった。トントールは外見に似合わず面倒見のいい男で、やや粗忽なところに目をつむれば少女の同伴者として酒場の中ではまず彼ほどの適任はいなかった。
「ついてきてくれて、ありがとうございます」
道すがら、未知の場所への緊張を隠しながらアルフィナは言った。
「いや、俺も仕事の一環だから」
トントールには禿げた頭部しか隠すものはない。彼はハンチング帽を被りニコニコと人の好さそうな笑顔を浮かべて、となりのアルフィナを見下ろして答えた。親戚の子どもを愛するような笑顔はアルフィナを安心させたが、本当にまるっきり善人の顔である。なんといっても正直者で、朝から口ぶりも表情も足取りさえもソワソワと落ち着きなく、アルフィナから見ても浮かれているのが明らかだった。
(何がそんなに嬉しいのだろ)
責めるでなく、アルフィナは単純にそう思った。そういえば昨日、酒場の連中も水瓶座と聞いてひどく喜んでいたのを思い出し、今更ながら疑問に思った時、トントールの方から話しかけてきた。
「水瓶座っていうのは、まぁ、簡単に言えば万屋でね。世界のあちこちをまわってる行商人グループだ。俺は雑貨屋をやってるんだが、店に出す商品の仕入れに便利でね」
「なんでもあるんですか」
「あるとも。本当になんでもだ!」
トントールは気持ち少女の顔を覗き込むように腰を曲げてニンマリ首肯した。それがまたひどくはしゃいだ様子なのでアルフィナの緊張もほんのりと和らいだのだが、もちろん当のトントールはそんなことには気が付かない。歩きながら嬉しそうに話を続けた。
「すごいぞ。見たらお嬢さんも腰を抜かすよ。本当になんでもある!……いや、無い物もたくさんあるかな。本当に日用品みたいのはないかな。でも、水瓶座が運んでくる品物は他では見れないような面白いものばっかりだ!」
「たとえば、どんな?」
「たとえば?たとえば……そうだ、これは三年前に水瓶座で買ったんだ」
トントールが得意げにシャツの右袖をまくってアルフィナに突き出した。驚いてちょっと躓きそうになりながらアルフィナが見ると、太い手首に銀の腕輪をしている。一見、なんの装飾もない幅5ミリ程のシンプルなブレスレットでアルフィナが首を傾げた。それを見たトントールは、また、ニンマリ。
「ちょっと離れて……いくぞ!」
トントールが「むんっ」と何か気合を入れたと思った瞬間、ボンッ!音を立ててブレスレットが火を噴いた。
「きゃっ!」
「おっと!ごめんな、熱かった?」
「ううん。大丈夫です。でも、驚いた」
ほんの一瞬で火は消えた。ブレスレットに焦げもなければ、トントールの肌もちょっと濃い体毛も燃えた様子はない。だが、見間違いではなく、確かに瞬間、まっすぐ上に二十センチほどの炎が噴き出ていた。そんな仕掛けがあるようなスイッチや穴も見当たらない。魔法である。
「火炎魔法?おじさん、魔法が使えるんですか?」
「ちがう、ちがう。こういう物を売っているんだ、水瓶座は。これはちょっとした護身用の火を噴く腕輪。もっと強力な魔法道具もいっぱいあるし、この間は妖精の粉を売ってたぞ」
アルフィナがブラウンの瞳をパチクリと瞬かせた。クルトペリオの町に来てから少女は驚いてばかりである。妖精の粉だなんて想像もできない未知の物どころか、アルフィナはこれまで魔法道具にもほとんど触れたことがなかった。
「すごい。それなら姉さんの助けになるような道具もきっと……」
トントールがニンマリをやや抑えた笑顔で袖を戻しながら答える。
「ああ。きっと見つかるよ。キッドのやつもそれでお嬢ちゃんを水瓶座に紹介してくれるつもりなんだろう」
言ってからトントールはふと気がついた。そういえばキッドが水瓶座に知己がいるとは聞いたことがない。
「誰のところにお嬢ちゃんを案内すればいいんだろうな?」
「キッドさんが見つけてくれるんじゃないんですか?」
アルフィナの問いにトントールは首をひねって唸った。
「ちょっと難しいと思うが……。何しろすごい人出だからなぁ。それに水瓶座は……」
「でも、広場なのでしょ?広場なら噴水があるし、他に何か目印になりそうなところに行けば……」
「うーん。確かに水瓶座は噴水の近くではあるんだが……」
とりあえずは行ってみることだ。頬をかきながらトントールは問題を先延ばしにした。
広場の入り口まで来て、アルフィナはほとんど無意識に足を止めてしまった。想像をはるかに凌ぐ、恐ろしいまでの人出である。一体この小さな町の何処からこれだけの人間が出てきたのか、と思ったら、どうやら近隣の都市からも人が集まっているらしい。とにかくあまりの混雑ぶりに、小さな農村育ちのアルフィナは、驚愕して硬直してしまったのであった。
「大丈夫?」
トントールがとなりの少女を見下ろした。
「お祭りみたい……」
ポツリとアルフィナが呟いた。まさしく広場はお祭り騒ぎであった。
「びっくりしたろ?」
トントールがさもありなんと笑ったが、アルフィナにはその顔を見る余裕もない。トントールは気にせずに右前方を指さした。
「あっちが広場の中心だ。
エドクセン王国の町々には大抵どこかに広場があって、多くの場合、伝説の古代英雄"八つ星"や建国の父たるフィリツ家三代目タンリツェン大王など、偉人の像を中心に据えた噴水がある。付近に教会があることも多く、人々の信仰と交流の場として機能していた。余談だが、ここクルトペリオの広場は、町の規模に比してやたらに広い。宿なしどもがキャンプをするため、普通より広く作られたらしいとは出所の定かならぬ噂である。
噴水と聞いて、ちょっとでも自分の知っているところを見つけようと思ったらしい。トントールが指さした方向をアルフィナは背伸びして見た。確かに人々の隙間から噴水がチラリと見える。
「とりあえず行ってみよう」
「この人混みを?」
アルフィナが怯えた声を出したがトントールは笑って答えた。
「大丈夫!おじさん体が大きいから!」
太鼓腹を叩いておどけてみせた。トントールの愛嬌にアルフィナもやっとちょっと笑顔を見せて、頷いた。
トントールが先に立って人をかき分ける。アルフィナもはぐれないように一生懸命トントールの服の裾を両手でつかんでくっついていった。トントールとしては歩きづらかったが、肥満体で汗かきのトントールは手をつなぐのを恥じて、自分でそうしろと言ってしまったのだから仕方がない。
トントールの太った背中から離れないように注意しながら、アルフィナは周囲を見回した。あまりの人手に足元の石畳ばっかり見て最初は歩いていたのだが、賑やかで楽しそうな声があちこちから聞こえてきて好奇心が勝ち、顔を上げてみると、たくさんの屋台が人混みの間から覗けてくる。
ある店は、たくさんの宝石を並べていた。色とりどりの石が真昼の陽射しに眩く輝いて美を競っている。ペンダントや指輪に加工された物もあれば原石のままらしいのも見えた。気取った貴族風の男が店の者と話している。厳めしい岩のような男もいたから、きっとあれも魔力のある石かもしれないとアルフィナは考えた。
様々な大きさの剣を並べた店では、アルフィナとそう変わらないような年頃の少年が父親らしき大人の手を引いている。父親はそれを無視して四十センチほどのダガーを手に取り眺めている。水晶のような不思議な色に刃が光っていた。
その他、怪しげな呪術道具を並べた店や、盾と鎧とを客に勧める店、花屋もいたし、大砲を一基置いただけの店もある。アルフィナにはほとんど意味がわからなかったが、人々が皆、この祭りを楽しんでいることはよくわかった。
「すごい……。本当になんでもありそう」
「わはは。だから言ったろう。でも、まだまだ。楽しいのはこっからだ」
体を揺すりながらトントールがアルフィナの背中に腕をまわして押し出した。
「顔を上げてごらん」
言われるままに顔をあげて、アルフィナは息を呑んだ。
巨大なテントが目に飛び込んで来た。屋根は青白黄色の縞模様で、電飾のようにぐるりを飾るのは魔法で虹色に輝く水晶らしい。てっぺんに旗がある。均整の取れた筋肉の美しい男が頭上に
「あの旗……。これが"水瓶座"?」
一生懸命に首を伸ばしてアルフィナが言った。
「そうとも!この中で水瓶座の公演がある」
「公演?サーカスみたいなこと?」
アルフィナのブラウンの瞳が年相応の好奇心にきらめいた。
「ああ。とびきりの道具の性能をショーで見せるんだ」
早く入ろうと急かすトントールに手を引かれ、アルフィナもテントの入り口に歩き出す。広場の中でも殊に混んでいて、アルフィナは危うく足を踏まれそうになったが、立ち止まりはしなかった。
テントの入り口には仮面を被った派手な衣装の男が三人立って客を呼び込んでいる。
「ようこそ、ジェシーの水瓶座へ!お席をご希望のお客様は五百ヤン!立ち見は三百ヤンです!」
「本日の目玉は南国ラーメの火山竜の卵!ラーメの火山竜の卵です!」
「おい、兄さん!」
仮面のひとりに中年の男性客が声をかけた。
「火山竜なら"火傘のメアリー"は出るな?」
「もちろんです、ミスター!」
「"鉄馬車"はいらっしゃるの?」
「マダムのために只今靴を磨いておりますよ!」
付近にいた客がそれを聞いて歓声を上げた。名の知れたスターもいるらしい。名前からしてメアリーというのは女性だろうと思って、アルフィナがなんとなくトントールの顔を見上げると、明らかに人の好い雑貨屋の目つきが変わっている。余程きれいな人なのだろうと少女は思った。
と、その時、横を通り過ぎた男たちの会話が聞こえてきた。
「メアリーより、彼女は出ないのかな」
「"フラクセン"の乙女か」
「彼女にだったら俺は撃たれてもいいね」
トントールも聞いていたらしい。なんとなく男たちを見送っていたアルフィナの視線を追って、鼻を鳴らした。
「フン!フラクセンの乙女だってよ!」
「好きではないんですか?」
「好きだよ!」
何故か力の入った返事である。
「でも火傘のメアリーの方が全然好きだよ!」
それが一体なんの効果があるのか、力強く左手で拳を作るトントールなのであった。アルフィナは首を傾げたが、トントールはそれには構わず、また張り切ってアルフィナを引っ張って行って、入り口の男に立ち見分の入場料を支払い、いよいよ二人は中に入った。
時刻は正午をまわった頃である。頭上高く照らしていた太陽がテントによって遮られ、一瞬、アルフィナの視界は真っ暗に見えなくなった。
「きゃっ!」
前が見えず、誰かにぶつかった感触があった。よく見えなかったが、ぶつかったときの体の細そうな感触と、前の人物が振り返った時にふわりと頬に触れた衣服の質感から、どうも女性らしいことだけはわかった。
「ごめんなさい!よく見えなくて……」
謝るアルフィナの頭上からフッと笑った気配が降ってきた。と、思う間に女はスッと手を伸ばして、アルフィナの右手を捕まえると、薄暗い人混みの中をさっさと歩き出す。
「アルフィナちゃん?」
名を呼ぶ声に慌てたアルフィナが左手を伸ばしてトントールの手を捕まえた。そのまま三人連なってどんどん進んでいく。不思議なことに、誰にもぶつからずに歩けた。
何歩か歩くと目が慣れてきて、アルフィナはテントの中が劇場になっていることを知った。入り口のそばは立ち見客のためのスペースらしく、激しい場所取り争いが勃発していた。テントの半ばあたりからは椅子が用意されていて、上等の服を着た人々が仮面をつけた男女に案内されている。厚い幕が下りていてまだ舞台は見えない。
女はアルフィナの手を引いてどんどん進んでいく。周囲の観察をやめてアルフィナが前を見ると、仄明りの下で女の白っぽい髪が目立って見えた。美しいまとめ髪に暗い中でもキラキラと光る髪飾りをしている。それに細くしまったウエストにふわりと翻るリボンを巻いたドレスが上品で、そこからチラリと覗く白い足首に、可憐なハイヒール……。
アルフィナは動揺した。髪飾りどころか、昨日と同じ汚れた花柄のワンピースを着ている自分がひどく恥ずかしく思われたのである。周りの客に比べて自分たちの服がいかにもボロな気がした。だが、女は振り返らない。淀みなくスイスイと進んで立ち見エリアを過ぎ、ついに客席の一番前まで二人を導いた。下手側の端の席にトントールを、そのとなりにアルフィナを座らせて女が去ろうとする。アルフィナは立ち上がって呼び止めた。
「あの!あたしたち……」
あたしたち、立ち見分のお金しか払っていません。そう言おうとしたアルフィナの口に女が人差し指を押し当てた。驚いて女の顔を見上げたが、女はレースの繊細な扇で目元を隠している。女はそうして顔を隠し、黙ったまま、アルフィナの唇に当てていた白い指を、自分の形よく微笑んだ口元へ持っていき、シィッと吐息だけで内緒の合図を送って今度こそ行ってしまった。顔はわからなかったが歩き姿のしなやかで美しい女だった。
「あ、アルフィナちゃん……」
左からトントールの震える声がする。アルフィナは勢いよくトントールを振り返った。
「トントールさん。どうしよう?あたしたち、こんないい席に座っちゃって怒られない?」
「アルフィナちゃん、今の……今のが、フラクセンの乙女だよ……!」
「えぇっ?」
言われてみれば、あの髪は亜麻色だったような気がする。道理で人にぶつからなかったわけであった。客は皆、突然あらわれたスター演者が謎の貧乏人の手を引いているのに驚いて、道を譲ってしまっていたのである。
突然、右後ろからアルフィナの肩を叩く者がある。驚いて振り返ると興奮した様子の青年が息せきこんで問いかけてきた。
「きみ!乙女と知り合いなのかい?」
今度はわざわざアルフィナの目の前まで男が駆け寄ってきた。
「なぁ、乙女の手の感触はどんなだった?」
次にはその後ろから来た男がアルフィナに封筒をつきつける。
「紹介してくれとは言わない!せめて僕の気持ちを彼女に届けてほしいんだ!」
たちまちの内にアルフィナは"フラクセン親衛隊"に囲まれてしまった。何を言われてもアルフィナは答えられない。乙女どころか水瓶座のことだって昨日まで知らなかったし、今もよくわかっていないのだ。男たちに囲まれて助けを求める視線をトントールに投げたが、トントールはもっと厄介なやっかみに対応するので手一杯で、とてもアルフィナを助ける余裕はない。
意を決してアルフィナが声を出そうとした、まさにその瞬間、テントの中に高らかにトランペットの音が響き渡った。
「おい、始まるぞ!」
サーッと波が引くように男たちが去っていく。ホッとしたアルフィナが座りなおした横で、トントールの呆然とした呟きが聞こえてきた。
「キッドの野郎……なんで乙女を紹介してくれないんだ……」
その呟きが終わらない内に、テントの中を薄く照らしていた灯りが一斉に消え、アルフィナの視界はまた真っ暗闇になる。
「紳士淑女の皆さま」
男の声が聞こえてくる。暗闇の中、人々が息を呑む気配がした。
「大変お待たせいたしました!」
ワッと歓声があがり拍手が満場を包んだ。華やかなオーケストラの演奏に合わせてバッとステージに灯りがともり、幕が上がっていく。
「ようこそ、水瓶座へ!」
ステージの中央で、仮面の男が両手を広げて叫んだ。
2.
「まずはじめにご紹介致しますのは、リーイエ海岸の星の砂でございます!」
司会の男の声に合わせて鉄琴の音が軽やかに走ると、筋骨隆々の男たちの肩に乗せられた女たちが登場した。ステージの灯りを反射してギラギラと光る揃いの衣装を着ている。女たちは派手な化粧に大きな耳飾りをつけて、男の肩の上から華やかに手を振った。
「ご存知の通りリーイエ海岸には、彼の
女たちが胸元から小瓶を取り出して高く掲げる。司会が真ん中の女に手を差し伸べた。女は男の肩からおりて、司会に手を引かれながら前へ歩みだす。
「こちらは我が水瓶座の雪の姫。さ、まずは星の砂のない、きみのダイアモンドダストをお客様にお見せして!」
司会のことばに頷いた女が両手を胸の前で合わせ、一瞬後、キスを投げるように、パッと両の掌を客席に向かって突き出すと、彼女の前方にキラキラと氷の粒が舞い落ちた。これだけでも見事な魔法で、客席からは拍手が起こる。
「ありがとうございます!これが彼女の純粋の力。ここに星の砂をかけますと……」
"雪の姫"がまた男の肩にあがった。そこへ他の女たちが、小瓶から取り出した砂糖にも似た粉を踊るように手を舞わせて振りかけていく。姫が男の肩の上でまた両手を合わせた。腕を広げた。その瞬間!客席全体にまで氷の粒がキラキラと舞い落ちた。歓声が上がった。
「さぁ、お客様!皆さまの魔法威力を増幅させますリーイエ海岸の星の砂!一瓶千八百ヤンでご提供いたします!」
どよめきとともに手帳を取り出す客が多くいた。トントールが横からアルフィナに囁いた。
「水瓶座は目玉商品をショーアップして客に見せて、商品の販売は翌日行うんだ。高額商品を勢いで買い物させないんで揉め事が少ない。客の中には良家の使用人なんかもいるから、メモをとっておいて家人と相談して明日また買い物に来るんだよ。競売になるような貴重品もあるしな」
「トントールさんは、今の、買わないんですか?」
「今のはショーは華やかできれいだったけれど、商品自体は元々魔法が使えないと意味がないみたいだからね。外で売っていた、溶けない氷の方がうちのお客は買うかもだ」
なるほど、とアルフィナは思った。アルフィナは実は魔法が使えないではなかったが、とても役立つようなものではないので人には話していなかった。その魔法が少し派手になった程度では姉の救出に役立つとも思えない。
(そもそも千八百ヤンも用意できないんだけれど……)
次に紹介されたのは、同じリーイエ海岸にある洞窟で採取したという鉱石だった。これは魔力があるでなく、ただ貴重な石なので非常に高価なのだという。アルフィナにはまったく価値のわからない物だったが、一部の客はずいぶん熱心に聞き入る様子であった。
その次は、星の国ほど強大ではなかったが同時期に栄えていたという古代の国の遺物であった。貨幣、壺、何か儀式に使ったと思われる剣や玉など、歴史のわからないアルフィナが見ても「なんだか凄そう」な古びた品物がズラリ陳列された。金額は安いものでは五百ヤンの銅貨、高い物は二千ヤンの宝石のついた金の腕輪。もちろんこれらも姉の助けにはならない。
「学術的価値ばかり追い求めるのはご趣味でないお客様もいらっしゃるでしょう」
司会の男が指を鳴らすと、今度は楽隊の演奏に合わせていかにも高級そうな宝飾品が運ばれてきた。ティアラにネックレス、ブレスレット……すべて会場の後ろまで届くような眩い輝きを放つ宝石が嵌められている。
トランペットの音に合わせて八の字に口髭を整えた紳士が奥から現れ、女たちの悲鳴にも似た歓声があがった。司会の男が投げたバラの花を受け止めた貴婦人がステージに上がると悲鳴が倍になる。余程人気のある演者らしい。八の字髭の紳士が貴婦人に千ヤンの指輪をはめてやると、貴婦人はその場で泣きながら倍の二千ヤン払うと宣言した。どよめきと拍手が起こり、最終的に貴婦人は三千ヤンを支払って、指輪と紳士のキスを手に入れた。
「いいご身分だなぁ……」
トントールのぼやきが、いきなり高額を支払った貴婦人に向けられたものか、ステージ上で女の歓声を浴びている紳士に対してのものなのか、アルフィナにはわからなかった。
その後も魔力の有無に関わらず様々な品物が紹介されていったが、アルフィナが買えそうな物は見つからなかった。最新鋭の武器は扱えないし、王室御用達の美酒なんてのは興味もわかなかったし、愛らしい精霊や愛玩動物は飼う余裕がない。「狩りの相棒に」と紹介された馬の内の、葦毛の牝馬には心動かされたが、それで姉を迎えに行けるわけでもない。
「どれも高価ですし、あたしには買えそうにありません……」
「ステージで紹介するのは、今回売り出しの内の一級品ばっかりだから」
トントールがアルフィナを励まそうと努めて笑顔で言った。
「ほら、さっき見せた護身用の腕輪。あれだってステージで紹介されたのは二千ヤンだったんだが、俺が買ったのはそれの模倣品で二百ヤン。そういう感じで、きっと何かあるよ」
「そう。そうですね!」
己に言い聞かせる意味も込めてアルフィナはぐっと力を込めて頷いた。それほど安くなる物もあるのなら、自分にも買える物があるかもしれない。粗悪品であっても今の自分よりは強くなれるはずだった。
強く、そう考えた時、不意にキッドのことが思い出された。
(キッドさんは、あたしに何を買えと言うんだろう)
肝心のキッドにはまだ出会えていない。そういえば待ち合わせをしたのではないのだから、もしかするとここにはいないのかもしれない、と、やっとアルフィナは気が付いた。「水瓶座が歓迎する」という言葉はどういう意味だったのだろうか。
(キッドさんがいないとしても、彼がここへ来いと言ったのだから、何かあるはず……)
奇妙なことに、アルフィナはあの背の低い賞金首をまったく信じていた。昨日会ったばかりの、どうも悪党らしい、名前もない無法者の青年を、である。一見すると女のように華奢で、少年のように愛嬌のある若者。人々に愛される笑顔を持つ青年。その澄んだ瞳で大の男を震え上がらせる恐ろしいガンマン。あの短い間で名無しの青年は実に多様な印象を少女に与えていた。
(親切で寂し気な、優しい掠れたアルト声の、不思議な人……)
あのヘーゼルグリーンの瞳だけは自分を裏切らない、そう思った。少女のただの直感なのだが、それだけに純であった。本当に、まったく奇妙としか言いようがなかったが、アルフィナは、昨日の胸騒ぎはまだ消えていないのに、キッドという男が敵でないということだけは草原を吹き渡る風のような爽やかさで信じていた。
アルフィナが背筋をほんの少し正して座りなおした時、司会の男が一段と声高く叫んだ。
「いよいよ本日最後の逸品!ラーメの火山竜の卵でございます!」
南国ラーメの火山竜とは、名前だけはアルフィナも聞いたことがあった。エドクセン王国があるアミリア大陸の西南に位置する観光国ラーメ、その中央に聳える火山に棲むというドラゴンのことのはずである。このドラゴンは、常に新しいマグマが噴き出ている火口に巣を作り、自身も体全体をマグマに覆われながら一生のほとんどを過ごすという伝説の精霊獣で、目撃例がまず少ない。
「その火山竜の卵を入手致しました!」
さすがにそれは偽物ではないか、そんなざわめきが会場を支配した。仮面を被った司会の男が、両の掌をそっと上下させてそれを鎮める。
「お疑いはごもっともですが、まずはこちらをご覧ください」
司会をする男と同じ衣装の演者が台車を押して奥からあらわれた。これも高級そうなクッションに恭しくのせられた卵は、ラグビーボールほどの大きさがある。卵殻は青味のある白色で、表面は滑らかな流線形であった。
「新聞で読んだことはあるが……」
トントールも身を乗り出して卵を凝視した。トントールぐらいの者が見て真贋のわかるわけはないのだが、必死に目を開いたり細めたり、真剣な横顔である。
火山竜の卵は過去にも採集の記録がある。ラーメ国の博物館が世界最大の物を所有、展示していることは有名で、だから人間が入手することが不可能ではないとは皆わかっているのだ。それでも客は疑っている。眼鏡を取り出す者もある。
何しろ、ほとんど火口内部でマグマに浸かって生きているという噂のドラゴンである。その生態は謎に包まれていて、唯一確かなのは、繁殖期になると火口を離れるということだけ。これは孵化したばかりの幼体が火山の過酷な環境に耐えきれないためだと考えられている。だが、しかし、その肝心の繁殖期がいつなのかはわかっていない。季節も一定でなければ、十年以上も観察されなかった例もある。
卵自体の発見例も少ない。これは冷えて固まった溶岩に穴を掘り、そこに産卵した後、親竜が抱卵をせず去ってしまうためである。外敵から卵の存在を隠すため、また地熱で孵化させるためと考えられている。卵は一度に、少ない時で三個、多い時で十二個発見された記録があり、平均して五個前後産むものと推測される。
「こちらの卵は、ラーメ火山の火口付近で発見されたものです」
司会の男が語るには、今回、水瓶座はラーメ国の研究チームに同行し、卵の発見に至ったという。付近には孵化したものと思われる卵殻の破片を含む七つの卵が見つかり、手伝いの報酬としてひとつもらってきたのだと司会の男は解説をした。
「これまでの研究で、孵化しなかった卵、あるいは孵化後すぐに死んでしまった幼体は、兄弟の餌になると言われております。周囲には天敵と考えられるラーメ大蛇やオオヒクイドリなどの危険生物が多く待ち構えており、彼らは人間も襲います。火山という過酷な自然環境とともに我々人間を拒んでいるのです。今回完全な状態の卵が見つかったのは、まさにラッキーでした!」
火山竜の卵が見つからないのは、まさにそこに大きな要因がある。あまりにも危険が多いのである。火口どころか、火山に近づくことすらできずに死んだ冒険者も数多い。だがそれだけに、卵の欠片でも得れば一攫千金も夢ではないと、多くの屍を乗り越えて、新たに燃え朽ちていく者が後を絶たないのだ。
「研究チームでは優れた魔法使いを護衛として同行するのが常でございまして、そうです、お気付きでございましょう」
仮面の下に、意味ありげな笑みが浮かんだ。
「お待たせ致しました!我が水瓶座が誇る灼熱の女神!"火傘のメアリー"の登場です!」
ドオッっと地響きのような歓声にアルフィナは肩を縮こませた。入り口で男たちが騒いでいたスター演者。火山竜の卵よりも人々の心を沸かせているようである。
会場中の灯が消えた。真っ暗になったステージの中央にボッと音を立てて火柱が上がる。ドラムが響き、男たちの口笛に火柱が弾け、炎がバラのごとく咲いた。
火の花の中から女が現れた。そのあまりの美しさに、アルフィナは一瞬、確かに女神かと思った。見事なブロンドに意志の強そうな眉。長い睫毛に縁どられた切れ長の目。ルージュに彩られたぽってりと厚い唇と笑い
男たちの野太い声がテントの天幕を吹き飛ばす勢いで響く。アルフィナのとなりで、トントールは叫びこそしなかったものの、
「なんて美しいんだ……」
と呟いて祈りを捧げたきり、一言も発さなくなってしまった。
ふと、客席に艶美な微笑を投げていたメアリーの視線が、アルフィナに留まった。アルフィナはびっくりしてそばかすの顔を緊張させたが、メアリーは微笑みを少し深くしたっきりで、すぐに目をそらした。目が合ったと思ったのは気のせいだったか、と、思いながらも、女の凄まじいまでの美しさに、少女の頬も仄かに色づいていた。
「皆様」
メアリーが口を開いて客は静まった。期待を裏切らない、艶やかで落ち着いた声である。
「クルトペリオの皆様。ご近所の皆様。遠方よりお越しの皆様。本日ご来場の皆様。ごきげんよう」
再びメアリーを讃える男たちの声が響いた。雄叫びの中にとなりのトントールのすすり泣く声が聞こえた気がしたが、アルフィナは無視した。
「お喜びいただいたようで幸いですわ。
「ラーメ国王直々のご指名で、メアリーが火山に参ったのでございます!何しろメアリーはご存知のごとく炎の魔法のエキスパートでございますので、火山を物ともせず、また火山に生息するそこらの禽獣より余程強力な火炎魔法の使い手なれば、相手の攻撃などはヘッチャラ!メアリーが我々の内、火に強い者を五人ばかり連れて参ったラーメ火山!」
満場の拍手。
「ですけれど、今回は苦労致しましたわ。研究者の方々が何かに襲われるたびに、
ため息交じりのメアリーの話に、観客がどよめく。だが、直後、
「すべて焼きましたけれど」
笑い黒子に悪戯っぽい微笑を浮かべてのチャーミングな冗談に、会場がまた沸き立った。すかさずメアリーが声を高くした。
「ご覧あそばせ!」
楽団の演奏が一層華やかになり、メアリーの足元から炎が噴き出した。瞬く間に半円形のステージの周縁に高さ八十センチほどの炎の壁が立ち昇り、最前列のアルフィナたちの顔は赤々と照らされる。ジリジリと焼けるような熱さだが、特殊な防炎魔法が施されているらしいステージは少しも焦げる気配がない。
己の炎を照明に、一段と艶やかさを増したメアリーが、ヒールの足音も高らかに火山竜の卵に歩み寄る。一度片手をひらいて客席にアピールをすると、両手で卵を包むように持ち上げた。再びステージの中央に歩み出て、顔の真正面に卵を掲げる。
炎の熱にアルフィナの額にも汗が滲んだが、華やかなステージに目を奪われて顔をそらすことができない。メアリーが深紅の唇を卵に押し当てた。何度目かわからない男たちのざわめき。構わずにメアリーは卵を左手の上に持ち替え、腕を真横に伸ばした。客席の不特定多数にセクシーな目配せ。右手を舞わせると、左手の火山竜の卵が真っ赤な炎に包まれた。
「あっ」
思わずアルフィナが小さく叫んだ。同様に客の幾人かは叫び、幾人かは息を呑んだ。轟々と、音を立てて卵が燃えている。
十数秒後、火勢が弱まって見えてきたメアリーの左手に残っていたのは、燃える前と寸分違わぬ青味がかった白い卵であった。割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こり、司会の男とメアリーが恭しく礼をする。司会の男が一歩前に進み出た。この時もうステージの炎も消えている。
「まだお疑いの方もいらっしゃいますか。えぇ、手品かと思われてはいけません。魔法でいかにも熱そうに見せかけた、なんておっしゃられては困ります。そこのお嬢さん!」
司会の男が、突然アルフィナを見た。
「お上がり下さい」
「えぇっ?でも、あたし…?」
無論、アルフィナは驚くばかりで動けない。と、卵を運んできた男の一人がステージを降りて、アルフィナの手を引いた。
「こういうのはお嬢さんのような純な感じのお客様がよろしいのです」
自分のワンピースがメアリーのドレスといかにもチグハグで恥ずかしかったが、断りもできずにアルフィナはステージに引っ張り上げられた。不安でちょっと振り返ると、トントールがオロオロと口を開けっ放しにして見上げている。導かれるままに、アルフィナはステージの中央に歩み出た。小さなゲストに客の拍手もあたたかい。
「さ、お嬢さん。卵に手を近づけてごらんなさい」
司会の男が促した。おそるおそるアルフィナは手を伸ばす……。
「熱っ!」
卵まであと五センチ程も手前で、小さな悲鳴をあげてアルフィナは手を引っ込めた。驚きに目を瞬かせ、胸の前で自分の右手を反対の手で握りしめた。卵の周囲の空気は、火傷をしていないか心配になるほどにまだ熱かったのである。また客席から拍手が起きた。
「火傘のメアリーの炎にも耐えうる、正真正銘、火山竜の卵!極珍品につき、明日の正午よりこちらのテントにて競売とさせて頂きます!四千万からの開始です!どうぞ皆様、明日またのお越しをお待ちいたしております!」
「四千万!?」
ステージの上で、アルフィナはうっかり叫んだ。慌てて両手で口を押える。幸い客は皆、騒いでいて気が付かない。
(四千万ヤンっていくらかしら……。いくらって、四千万だけれど、でも、それってレモネードが何杯飲めるのだろう……)
アルフィナには正確な価値がわからないほどの高額である。なお、レモネード一杯はだいたい二十五ヤン程度なので、ちょっとレモネードに換算するのは無理があるのだが、混乱していてアルフィナ本人はその無理には気が付いていなかった。
呆然とするアルフィナの横で司会の男が何事か喋っていた。目の前でカーテンがおりて、それが閉演の口上だったとアルフィナはやっと気づいたが、なんとまだ自分はステージに立ったままではないか。
「いけない!あたし……」
慌ててステージを降りようとするアルフィナの手を、メアリーがそっとつかんだ。
「そちらではなくてよ、アルフィナちゃん」
「え?」
名前を呼ばれて、アルフィナは振り返った。メアリーの艶やかな微笑がアルフィナに向けられている。瞳は美しい紫色をしていた。
「でも、あたし席に戻らないと……。トントールさんが心配します」
しどろもどろに答えるアルフィナの頭をメアリーはそっと撫でた。
「あのふとっちょさんですわね。大丈夫、スタッフを迎えに行かせましたから。さ、いらっしゃいな」
メアリーは先に立って歩もうとするが、アルフィナは混乱して立ち尽くしている。気が付いて、メアリーが優美に振り返った。男たちを惑わす笑みをゆったりと深め、首をくねらせてステージの奥を見た。アルフィナもつられてそこへ視線を移す。
ステージの奥の幕があがって、楽屋らしきテントにつながっているのが見えた。老若男女が入り混じってショーの片づけをしている。
その間から、山高帽を被った背の低い青年がやってきた。青年はアルフィナの前まで来ると帽子を脱いで、笑いかける。
「ようこそ、レディ、おれたちの水瓶座へ!」
キッドが、アルフィナに左手を差し出した。
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