第1027話 昏く冷たい海の底から(3)呼ぶ
明子さんは怯えながらも、
「それが夫ならば迎えたい」
と涙ながらに言い、操吉君は、
「あれが親父なら、成仏して欲しい」
と言った。
「まずは、その正体を見てからですね」
僕と直はそう言い、夜中、その死者が訪れるのを待った。
仏壇の前の方に、明子さんは菜摘ちゃんを抱くようにして操吉君と並んで座り、その前に僕と直が座る。
やがて、その時が来た。
波音と共に独特の潮と腐臭とが混ざった臭いがして、位牌から水がこぽこぽと湧き出し、畳に流れ落ちて水溜まりを作る。
すると今度は、ぼんやりと気配が凝り、腐乱し始めた男の姿をとった。
「時間が経ってるぞ」
「遺体の状態からして、瀬戸航吉さんじゃないのかねえ」
明子さんと操吉君が、体を固くした。
その死者は僕達に気付き、真っすぐにこちらへと歩いて来る。
びしゃ、びしゃ、びしゃ。
そしてすぐ前で立ち止まると、腕をこちらへとのばす。
それを直の結界が弾くと、それは手を引っ込めた。
「あなたの名前はなんですか」
訊くと、それは黒い穴となった眼窩をこちらへ真っすぐに向けた。
昏い 冷たい もう嫌だ 帰りたい
寂しい 一緒に 誰か
「そうは行きません」
それは、おおおお、と声のような海鳴りのような声を上げる。
「ほかの海難事故の被害者ですね。瀬戸さんを呼ぶ声に釣られて、勝手に入って来てしまっているんでしょうが、成仏しましょうか」
お前も来い 海に沈め
クライ サビシイ ツメタイ
「ダメだな。
直、逝こうか」
「はいよ」
僕は刀を出し、直は瀬戸さん親子を守るようにしながら、札を用意する。
その霊は、道連れが欲しいらしい。恐らく海で瀬戸さんと接触してパスができたのだろう。その瀬戸さんを呼ぶ家族の思いに乗り、瀬戸さん本人の代わりに自分が来たのだ。
実体化して、腐臭が強くなる。それで明子さん達は、咳込んだ。
「もう、逝け」
刀で斬りつけると、そこから浄力が入り込んで行き、それは形を崩しながら、踊るようにもがいた。そして、消えた。
臭いも消えたし、水溜まりも消えた。
「これでもう──」
言いかけたが、明子さんが泣き出した。
「あの人もこんな風に苦しんでいるんですか!?遺体も見つからなくて、まだ、冷たくて暗い海の底で、たった1人で!帰りたい、帰りたいって!」
それで、菜摘ちゃんもわあわあと泣き出し、操吉君も下を向いて声を殺して泣き出した。
僕と直は顔を合わせた。
取り敢えず瀬戸家に出た霊は祓い、僕と直は島のホテルに入った。
「直、どうする?ちょっと、向こうに様子を見に行かないか?」
直はううんと考え、言った。
「いたら?」
「取りあえず家へ帰らせて、安心させるとか。ほら、お盆だし」
「まあねえ。このままじゃ、残った親子も心配だよねえ」
「ああ。変な宗教に入りそうだ」
僕も直も、思わずそれを想像した。そういう輩は、こんな弱った人の心につけ込むのだ。
「うん、それがいいねえ」
「じゃあ、小野さんに相談しに行こう」
上司である小野篁が何と言うかわからないが、とにかく行ってみる事にして、あの世に僕達は向かった。
小野さんは、腕組みをして、眉間にしわを寄せ、僕と直を見た。
「いちいちそんな事をするつもりか」
「いやあ、どうせお盆ですし。瀬戸さんにとっては初盆ですよぉ。ねえ」
直がにこにことして言い、僕が続ける。
「それに、今回の場合、残った家族がこのままじゃまずいんです。後悔や不安や故人を引き寄せようとする念が強すぎて」
小野さんは唸るようにして考え、そして、首をそちらに向けた。
「だ、そうです。瀬戸航吉さん」
航吉さんは、困ったような顔付きで俯いた。
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