第1025話 昏く冷たい海の底から(1)空の棺
その葬儀は、どこか単なる儀式めいていて、実感が無かった。というのも、無理もない。棺に収まるべき遺体が、無いのだから。
その事故は真夜中に起きた。
強風が吹き、波が高く、うねりもある天気の中、瀬戸航吉は船で漁に出た。
しかし案の定船は転覆し、航吉は海に放り出された。
規則通りなら、ライフジャケットを着ているのでそれで浮くはずだったが、航吉はそんなものは着ていなかった。それ以前に、密漁のために出ていたので、船が無いと気付かれるのも遅れ、たまたま転覆して船底を晒しているのを発見されるまで、事故に気付かれる事も無く、救助される事も無かった。
そうして今、遺体の見付からないまま、遺体無しで葬儀を執り行ったのだった。
家族も、実感がわかないままだ。
それでも、経が読まれ、遺体が無くとも仏壇に位牌が置かれ、近所の人からお悔やみを言われて、ようやくそんな気になって来た。
「お父ちゃん、何でよりにもよってあんな日に」
残された妻がそう言って涙をこぼす。
「それより、密漁なんてしたからだろう?」
長男が、位牌を睨み、涙を堪えて言う。
イセエビやアワビなど、密漁する者が後を絶たないのだが、まさか自分の父親が密漁をして小遣い稼ぎをしていたとは知らなかったのだ。
それでも、父親だ。バカな事をと思いはするが、それが自分達家族を養うために使われたとわかっているし、死んだ事は素直に悲しい。
「父ちゃん、帰って来ないの?」
小学校に上がったばかりの長女は、父親の死を理解できていないのか、キョトンとしている。
「ああ、そうだね。帰って来て欲しいよね。父ちゃん、帰って来るよね」
母親はそう言って泣き崩れた。
そんな親子の様子に、近所の人達や漁協の人達は、涙をこらえるのだった。
しかし、異変はその夜から起こり始めた。
残された親子は同じ夢を見た。暗い、夜の浜辺だ。そこに波が、寄せては返す。波の音がただひたすらに、続いた。
ゆらゆらと揺れるイソギンチャクの間からクマノミが顔を出し、青いルリスズメダイの群れがゆったりと泳ぐ。
カメラはゆっくりとテーブルサンゴの向こうを回ると、今度は、上から光の差し込む洞窟に入って行く。
水中を捉えたダイビングのブルーレイを、子供達は食い入るようにして見ていた。
「夢中だな」
僕は、瞬きすらしないでテレビに夢中の子供達を見て言った。
「この集中力は大したもんだよねえ」
「息、してるんだろうな」
「何か、本当に潜ってるみたいな気分になれるわよね」
「魚もかわいいけど、洞窟がきれいねえ」
「何か、荘厳な感じすらするものね」
「今度、グラスボートでも乗る?」
僕が言うと、直や美里、兄も賛成した。
「いいわね」
「今年の夏休みはそれで行きましょうか」
「よし。海水浴とグラスボート、バーベキュー──グランピングにでも行くか」
「あ、釣りもしようよ、兄ちゃん」
「サビキ釣りなら子供でもいけるしねえ」
わいわいと、だが静かに、僕達は夏休みの計画を立て始めたのだった。
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