第1013話 やりなおし(1)開かずの家

「ちゃんと食べてるの?」

 母親はどこも、ひとり暮らしの子供にはこう言うらしいが、香坂の母親もそうだった。

『心配ないわよ』

 娘の元気そうな声に安心しながらも、おかしなところはないか、無意識のうちに神経を研ぎ澄ます。

「お正月はバイトとか言って帰って来なかったし、卒業式の後も戻って来なかったから、お父さんも寂しがってるよ」

『卒業旅行とか、新入社員研修とかもあって、忙しかったんだもん』

「今度はいつ帰れるの?」

『んん、ゴールデンウィークは帰るわ。報告もあるし』

「え?ゴールデンウィークって……華子――」

『あ、ごめん、電池がなくなる。じゃあまたね、お母さん』

 そう言ってプツンと切れた電話を、呆然として母親は見た。

「お父さん、華子は大丈夫かね」

「どうした。泣き言でも言ってたか」

 父親は、聞き耳を立てていた事を誤魔化すように、新聞をバサリとめくってそう訊く。

 そんな父親の小細工はお見通しの母親は、しかしそれを追求する事無く言った。

「華子、ゴールデンウィークには帰るって」

 父親は顔を上げ、母親としばし、ポカンとした顔を見合わせた。

「来年のゴールデンウィークか?」

「そうかしらねえ。だって、今年のゴールデンウィークは終わったばっかりだもんねえ」

「来年の話をしたら鬼が笑うって華子に言っとけ」

 父親は拗ねたように新聞に目を落とした。

 しかし母親は、様子を見に行った方がいいんじゃないかと迷い始めた。


 会社では、ゴールデンウィークが明けても無断欠勤が続く香坂の事を同僚達が話していた。

「無断欠勤するような子じゃないですよ、香坂さん」

「真面目だし、自分の仕事はキチンと責任を持ってやるし」

「電話も出ないんですよね。電源が切れてるとかで」

「急病かなんかで倒れてるんじゃ?」

「ああ、一人暮らしだもんな」

「見に行ってみた方がいいか」

 係長がそう決めて、早速、同僚が香坂のマンションに行く事になった。

 管理人に訳を話し、実家に連絡を入れ、了承を得てから、管理人と同僚が香坂の部屋へ向かった。

 まずはチャイムを鳴らす。

 続いてドアを叩いてみる。

「出ませんね」

「鍵を開けてみましょう」

 管理人は緊張しながら、万が一の時のためのマスターキーを鍵穴に入れた。

「U字ロックがかかっていたら入れませんけどね」

 言いながらキーを回すと、カチャリと音がした。

 そこでドアノブを掴んで回し、ドアを引く――いや、引こうとした。

「あれ?」

 ドアが開かない。

「おかしいな」

「押すのなら何かが邪魔になってるとかかも知れないけど、引くんですもんね」

 代わる代わるドアを開けようとしてみたが、ドアは少しも開く様子はなかった。

「隣のお宅に頼んで、ベランダから覗かせてもらいましょう」

 管理人はそう言って、すぐに隣の家のドアチャイムを鳴らし、訳を話した。

 幸い隣人はすぐに了承し、管理人と同僚は隣室に入って奥のベランダへ通してもらった。

 仕切り板を外し、隣へ行こうとするのだが。

「え、何で!?向こうに行けない!?」

 1歩たりとも、隣のベランダへ入る事ができなかったのだ。

「消防?警察?」

 何かが起こっている事は、彼らにもはっきとわかった。


 地域課の課長はそう言って、そこで溜め息をついた。

「何をしても入れない。電話も頓珍漢。

 それで、彼女の恋人に連絡を入れたんですが、こちらはつながらないし、無断欠勤が続いてるそうでして。

 無理心中でもしてるんじゃないかと思ってるんですが、部屋へ入れないし、どうしようもなく」

「部屋に入れないというのも、おかしなものですよねえ」

 徳川さんはそう言って頷いた。

 徳川一行とくがわかずゆき。飄々として少々変わってはいるが、警察庁キャリアで警視長。なかなかやり手で、必要とあらば冷酷な判断も下す。陰陽課の生みの親兼責任者で、兄の上司になった時からよくウチにも遊びに来ていたのだが、すっかり、兄とは元上司と部下というより、友人という感じになっている。

「わかりました。うちで調査しましょう」



 

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