第1008話 お嫁入り(3)花嫁行列

 職員が人形を見て声を低くした。

「ああ。この人形、またか……」

「また?」

「ええ。ほら。泣いたみたいでしょう?顔に水が」

 煤で汚れた男雛の顔の、両目から顎にかけて、すうっと水が流れたような跡があった。

 いや、今も、濡れている。

「よくこうなるんですよ。戦争で犠牲になった人の魂とかが入ってるんですか?」

「いえ、はぐれてしまった女雛に会いたくて、泣いているんですよう」

 直が言うのを聞きながら、焼け残っていた奇蹟に感謝した。


 手続きやら何やらは面倒臭かった。

 が、それだけの甲斐はあったと思う。

 修復された男雛を、大垣家の緋毛氈を敷いた雛壇の上に置く。

 そして、大きな箱のふたを開ける。

 と、霊能力もない皆の目にもそれは見え、聞こえたらしい。

 牛車に乗った姫、嫁入り道具を運ぶ列、官女。梅の花の香りのする風が吹き、雅楽の調べが聞こえる。


     そこにいたのか


     主上!


 ぞろぞろと列は雛壇に近付き、内裏と姫が手を取り合う。そして、全てはとけるように消えて行った。

 雛壇の上の男雛も箱の中の女雛も、元のままだ。

「夢?」

 呆然としたように誰かが言い、抱かれた乳児が

「うああ」

と手を振って喜んだ。

「嫁入り完了か。

 ん?修理前には一緒だったんだから、嫁入りはおかしいか」

「再会ってところかねえ」

「そうだな。うん」

 当主夫人がウキウキと、雛人形を並べ始めた。


 うずら卵にスライスハムを巻き付けたものと薄焼き卵を巻き付けたものにごまで目を付け、海苔で髪や冠を付けてちらしずしの上に乗せる。ちらし寿司には絹さやと錦糸卵と桜でんぶが乗せてある。それと、エビ、鯛、れんこんなどの天ぷらに、菜の花のお浸し、はまぐりと木の芽の澄まし、三色ゼリー。

 今日はひな祭りだ。

「わあ!」

「お雛様!」

 目を輝かせたのは凛だけではなかった。美里も喜んでいる。

「お雛様はお母さん?」

「そうよ」

 美里が言う。

 御崎美里みさきみさと、旧姓及び芸名、霜月美里しもつきみさと。演技力のある美人で気が強く、遠慮をしない発言から、美里様と呼ばれており、トップ女優の一人に挙げられている。そして、僕の妻である。

「お内裏様はお父さん?」

「そうだな」

「僕は?」

 フフフ。そこで僕は、うずら卵に小松菜のペーストを混ぜた薄焼き卵を巻いたもうひとつを出して、凛のちらし寿司の上に乗せた。

 雛人形我が家風と言ったところか。

「わあ!」

 凜は満足げに頷いて、手を合わせた。

「いただきます!」

「はい」

 ぱくぱくと食べるのは、見ていて気持ちがいい。

「お雛様かあ。そう言えばあれって、お嫁入りを描いてるのよね」

「うん。

 僕はいいお嫁さんをもらって良かったよ」

 美里はふふと笑った。

「あら。こっちこそ、いいお婿さんでよかったわ」

 凜が見上げるので、手を伸ばして頭を撫でる。

「凜も生まれてよかったなあ」

「お母さんも嬉しいわあ」

 凜は嬉しそうにキャッキャと笑い、ご飯に注意を戻した。

 あの雛人形も、ようやく再会できて今頃はこんな風にほっとしているのだろうか。そんな事を考えた。




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