第955話 白と黒の熱意(3)ききわけ
楠本夫妻は涙を浮かべ、克行君は顔を強張らせた。
「睦己君。どうしてそこに、ずっといるのかねえ」
「お兄ちゃん、大好き!」
無邪気な笑顔を浮かべる。
「そうかぁ。それで、お兄ちゃんにずっとくっついているんだねえ?」
「そう!もっと遊びたい!一緒に行こうよ。何でぼくだけ逝かなくちゃいけないの?お兄ちゃんは優しいから、ぼくの言う事、何でも聞いてくれるもんね。だから、一緒に行こう。もう、死んでよ」
楠本夫妻の顔が強張った。克行君も、顔色が悪い。
「睦己……何を言ってるの?」
「そうだぞ」
強張った笑みを浮かべる楠本夫妻だったが、睦己君はますます克行君にしがみついて、大声を上げ始めた。
「嫌!嫌!嫌!お兄ちゃんと一緒じゃないと嫌!いいでしょ?いいよね?」
少しずつ、克行君の生気が吸われて行く。
「楠本さん。どうします?早く剥がさないと、克行君が死にますが」
それにギョッとして、楠本夫妻は硬直した。
そして、克行君は苦笑した。
「もう、いいです。逝きますよ」
「わあい!」
それでも何も言わない楠本夫妻に、目をやって怒鳴る。
「いいのか!?」
「言う事、ないんですかねえ!?」
それで、楠本夫妻は、弾かれた様に克行君にしがみついた。
「睦己、やめなさい」
「克行も、しっかりしなさい!」
「いくら小さい子でも、だめなものはだめだぞ、睦己。お兄ちゃんは、まだだめだ」
「あとからお母さんも行くから、待ってなさい」
「ぼくとお兄ちゃん、どっちが大事なの!?」
それに、3人共がグッと詰まる。
「克行よ」
「ああ。睦己も大事だが、お兄ちゃんも同じだけ大事だ。いずれお父さんもお母さんもお兄ちゃんも行くから、それまでがまんしなさい」
「お父さん、お母さん……」
克行君が、呆然という顔で楠本夫妻を見る。
僕は直に小声で頼んだ。
「もしもの時は、見えないようにしてくれ」
「了解だよう」
睦己君はわんわん泣いたが、それで誰も言う事を聞かないとわかると、無表情になって、克行君の足にしっかりとくっついた。
「嫌だったら嫌だ。連れて行く。つれて、イク。シネ。イッショニ。ソウダ、3ニンシンデ、ミナデイケバイイ」
「逝こうか」
「はいよ」
むくむくと睦己君が実体化を始める。その寸前に、浄力でまず引き剥がした。
「睦己!?」
瞳さんの悲鳴がする。
そして、僕と睦己君を、直の結界が囲んだ。
ジャマスルナ!ミナシネバイイ!
幼児特有の純粋な欲望が、力をここまで大きくしてしまったらしい。
「わがままを言うんじゃない」
オニイチャン!オトウサン!オカアサン!
「睦己君。お兄ちゃんが大好きなんだろ?サッカー、かっこよかっただろ?」
オニイチャン カッコイイ
ダカラ イッショ
コワイ サミシイ オニイチャン
言って、掴みかかって来た。完全に実体化しただけでなく、2メートル程に膨れ上がっている。ただ、気に入らないものに掴みかかる、そういう感じだった。
刀を下げ、ただ大きくなっただけの睦己君の突進を止める。
「大好きなお兄ちゃんを困らせたら、きっと悲しくなるぞ。
お兄ちゃんの応援をしないか」
オニイチャン おにいちゃん
自慢のお兄ちゃん
「そう。お兄ちゃんはもっともっと凄くなるぞ。見たくないか?」
見たい 見たい!
お兄ちゃん 見たい!
元に戻って行くのを見て、僕はほっとした。
そして、結界を解いてくれと直に言う。
結界から出て来た僕と元の姿の睦己君に、3人は涙を浮かべた。
「あのね。お兄ちゃんはもっと凄くなるって。もっとかっこよくなるんだって。だからぼく、見たい。応援する」
「睦己」
「お兄ちゃんごめんね。ぼくの事嫌いにならないでね」
心配そうに言って、克行君を見上げる。
「ならないよ。ばかだなあ。兄ちゃんは睦己が大好きだぞ」
「よかったぁ」
睦己君はぱあっと明るい笑顔を浮かべた。
「じゃあ、逝こうか」
「うん。
お父さんも、お母さんも、ごめんなさい。またね」
そっと睦己君に浄力を流すと、睦己君はきらきらと光り、形を崩して上って行った。
僕と直は、ほうと溜め息をついた。
「旅立たれました」
3人は揃って、泣き出した。
僕は足元のボールを拾い上げ、
「克行君」
と言って、軽く放った。
それを克行君はポンと胸に当て、ストンと足元に落とすと、きれいなフォームで練習用のネットに蹴り込んだ。
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