第944話 春を待つ空(1)その時見た空
元気な声が園内に響く。3月に入り、もうすぐ卒園する幼稚園児達は、小学校入学を楽しみにしていた。
「卒園式の歌覚えた?」
「覚えたよー」
「私ねえ、ランドセル、ピンクの買ってもらったよ」
「私は水色で、プリティプリンセスが付いてるやつ!」
「いいなあ。私、紫がいいって言ったのに、パパもママもおばあちゃんも赤にしなさいって」
園児達は楽し気に、遊びながら話をしていた。
「グリコしよう!」
「しよう!」
そして、最近毎日している遊びを始める。ジャンケンをして勝った人が、グーならグリコ、パーならパイナップル、チョキならチョコレートの文字数だけ階段を進んで、先に往復できた人が勝ち、というあの遊びだ。
幼稚園の隣には古い団地があるのだが、生垣を乗り越えれば行ける。
しかし生垣を乗り越えるのを見つかると叱られるので、乗り越える所から遊びは始まっている。
首尾よく生垣を乗り越え、階段の下に立つ。
「ジャンケン、ポン!」
「ちよこれいと!」
そして、勢いよく階段を上って行く。
いつの間にか1人の子が皆を引き離して上に上っていった。
「宏子ちゃん、ジャンケン強いね、今日」
宏子は振り返って、下を見下ろした。
と、何かのはずみで、階段を踏み外す。
「あっ!?」
景色がクルクル回り、体のあちらこちらをぶつけて痛い。
そして、回転が止まった時、薄曇りの空が見えた。
ああ。もうすぐ入学式なのに、ケガしたら叱られるなあ。そう考えたのを最後に、宏子の意識は途絶えたのだった。
風はまだ冷たいが日差しは温かくなり始めた。
「入学式を楽しみにしていたんだろうになあ」
本人は勿論、親の気持ちを思うと、溜め息が漏れる。
「それ自体は事故で間違いないけど、生垣を乗り越えて行くのを見逃したとか言って、訴えるんじゃないかって」
直も重い溜め息をつく。
「まあ、それも間違ってはいないが、どうなんだろうな」
兄が別の溜め息をついた。
「再三注意はしてたし、保護者にも言って聞かせるようにと通達があったんですけどね」
千穂さんが言う。
「遊び出すと夢中になるけど、危ない事はちゃんと言い聞かせておかないといけないわね」
美里が言って、一緒に絵を描いて遊ぶ子供達を見た。
「いたずらもしないで言う事を良く聞くばかりのいい子だと、それはそれで心配だし。難しいわね」
冴子姉がそう苦笑する。
優維ちゃんと同じ園に通う子が階段から落ちて亡くなり、その葬儀に千穂さん達が参列して来たのだが、親は泣いて憔悴しきった様子で、見ていられなかったそうだ。
「何でだめなのか、どう危ないのかを説明して、理解させないとだめだろうな」
僕は凜を見ながらそう言ったが、子供達は大人達の視線に気付いたようにこちらを見ると、
「おやつ?」
「おやつ!」
「ん!」
「今日は何?」
と勝手に解釈して集まって来た。
ああ、もう少し後かと思っていたが、この笑顔には逆らえない。
「今日は、3色パウンドケーキだぞ」
「わあ!お雛様色!」
子供達は歓声を上げ、敬が促して手を洗いに小走りで洗面所に向かった。
その気の毒な子供の事故に関わる事になると知るのは、翌日の事になる。
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