第565話 矜持(4)妨害

 それから、嫌に忙しい日が続いた。陰陽課に立て続けに依頼が入り、徳川さんも首を傾げている。

 富永はというと、こちらも、雑用があれもこれもと山のように増え、頼まれごとと書類の書き直しや探し物が続き、毎日午前様だと言っていた。

 嫌な予感は、していた。

「これ、調べられないように、仕事を増やしてるんじゃないのか?」

「警察庁や所轄にいる同期や後輩を使えばできるよねえ」

「真梨さん、大丈夫かな」

 心配はしていたが、電話をかける以外、様子を見に行く余裕がない。

 そんな時、そのニュースを小耳に挟んだ。真梨さんの勤め先は小さいながらも優良企業だったが、何故か急に資金が焦げ付いて、危なくなったと。

「何でかねえ?」

「暴力団の資金源の噂が出たらしいな」

 芦谷さんが言う。

「噂って」

「噂は大事ですよ。過去には噂が元で倒産した信用金庫もありますからね」

 小牧さんは言って、考えた末に口を開いた。

「それで、リストラの話も出だしたそうですよ。まずは独身者からになりそうとか」

「それって……」

 真梨さんもリストラの危機か。

「噂が間違いだとわかれば、何とかなるとは思いますけど。いつになるか」

 千歳さんも、気の毒そうに言う。

 その日、僕と直は、仕事を取り敢えず放り出した富永と3人で、真梨さんの所へ行った。

「ああ……」

 真梨さんは、疲れ果てた様子で僕達を迎えてくれた。

「あの……」

「会社が倒産しそうで、リストラもあり得るそうなんです。ちょっと、兄の事を調べる余裕がなくなりました」

「え」

「だって、悲しいけど、兄は死んだんです。生き返らないんです。でも、私は生きてるんです。働いて、食べて行かなきゃいけないんですよ!

 もう、兄の事件は諦めました。だから、放って置いて下さい」

 そして、ドアを閉めてしまった。

「真梨さん――!」

「富永」

 腕を掴んで、離れる。

「強要はできない。リストラされそうな時に、余裕がないのは当たり前だろ」

「そんな――!」

「富永!だめだ。これ以上、彼女は巻き込めない」

 富永は拳を握り込んで、やがて、肩をフッと落とした。

「わかった」

「帰ろうかねえ。富永、仕事を放り出して来たんだろ?怒られるねえ」

 3人で力なく笑い、庁舎へ向かった。その僕達を見ている人間がいる事に、気付かなかったのだった。


 翌日、出勤したらニュースが待っていた。

「富永のバカ、上司を殴って辞表を出したぞ!」

 陰陽課に、次々と残った同期のメンバーが飛び込んで来る。いないのは葵くらいだ。

「直情バカだからなあ。いつかしでかすんじゃないかと……ああ!」

 城北が、ガリガリと頭を掻く。

 そこへ、清々しい顔付きで富永が来た。

「おう!って、皆いるのか?挨拶に回ってから帰ろうと思ったけど、1度で済んだな!」

「清々しい顔で言うんじゃねえよ」

 平手で頭をパチンとはたいて、豊川が怒る。

「富永。上司を殴ったって?何で?お前は訳もなくそんな事はしない」

 真白田が訳を聴こうとする。

「まあ……色々。嫌んなった。正しい事をする為に警察に入ったのにそれができないなら、意味が無い。そう仕向けたのが上司で、つべこべとクソみたいな言い訳を当然の真理みたいに言いやがるから、ぶっ飛ばした。

 はあ。すっきりした!」

「スッキリしたって……。まあ、警察官としての矜持ってやつか?」

 僕が言うと、筧は怒ったように、

「これだから男は!」

と言い、いつもならそこで入る相馬の『ひとくくりにしないの』というセリフが入らない事に、全員が気付いて、シュンとした。

「まあ、そういう事だ。すまんな!

 怜、直、すまん。忘れてくれ。

 皆も元気でな!でも、飲み会とかはしような!じゃあな!」

 笑いながら、堂々と歩いて行く。

 それを下まで見送って、仕方の無い事だと各々別れて帰ろうとした時、柱の陰に立つ葵を見付けた。

「葵――?」

 声をかけなかったのは、その表情のせいだ。葵は富永をじっと見送って、薄ら嗤っていたのである。

「なあ、直」

「ん?」

「警察官の矜持はわかる。でも、警察官の矜持と警察官僚の矜持は、違うものなのかな、そんなに」

「……短い期間に、寂しくなっちゃったねえ」

 正式な文書で、高岡からの聞き取りの内容を事件の記録の中に残しておきながら、悔しさを噛み締める。

 しかし、まだ終わらない。そんな予感がした。




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