第517話 道連れ(1)首吊りの宿

 料理であったり温泉であったり、何かで有名な宿というのはある。そこは元々は創作料理でちょっと有名なペンションだったが、残念ながら今は、首吊りの宿として一部で有名になっていた。地滑りで被害を受け、直しかけた所に川の上流で重金属を含んだ産業廃棄物の不法投棄が発見され、客足が途絶えて経営が立ち行かなくなったのだった。近隣の住民も健康被害を恐れて家を捨てて出て行かざるを得ない状況に追い込まれ、このペンションも営業ができなくなったのである。

 しかし、なけなしの貯金は地滑りでの修理費用で消えており、行く当ても、水も、近所に食料品などを扱う店も無く、孤立したオーナー一家は、しばらくした後に様子を見に来た市の職員によって、縊死していたのを発見された。

 それ以来、ネットでは『首吊りの家』として騒がれ、肝試しと自殺志願者が訪れるようになっていたのである。

 宮原が来たのは、確認のためだった。空き家のまま放置され、穏やかならぬ噂まで流れるこの建物に危険はないか、時々チェックする必要があったのだ。

 ここを相続したオーナーの身内がいるにはいるが、現在居場所が不明で、取り壊しをお願いしたいのにできないため、職員が定期的に見回る事になっていた。

「また入り込んでるなあ」

 入り口に「立ち入り禁止」の看板を掛けておいても効果が無い。今回もまた、看板は外され、ガラスが割られてドアの鍵が開けられていた。

 そろりそろりとドアを開け、まずは様子を窺う。

 取り敢えず、ここで縊死をした者はいなかったことが臭いでわかってホッとした。初夏の今、もし遺体があったら、間違いなく腐敗して、臭う筈だ。それがわかる程度にここへ通っている事に、少しげんなりした。

 一階のダイニング、リビングをザッと見て、2階への階段へ向かう。

 2階は客室が4つあり、ベッドなども残っているが、当然、痛み、腐り、ただの大型ごみである。鳥などが入り込んで住処にしている事もあるが、今回は大丈夫だったらしい。

 安心して、階下に降りる。

 何も異常はなかったと確認して来たばかりだが、どうにも不安でならない。空気が粘りつくように重く、誰かがいるような気がして落ち着かない。

「今回も異常なし。良かった、良かった」

 殊更明るく言いながら、キッチンをサッと覗く。

 と、不意にリビング中央の天井の梁が目に入った。

 ここでオーナー一家が並んでぶら下がり、その後も訪れた自殺者がここにぶら下がっていた、実に立派な太い梁だ。

 頭を振って、玄関へ歩き出す。

 それは、いきなりだった。リビングの隅に置いていた重くて大きな椅子が、ひとりでにずずーっと床の上を滑って、梁の下でピタリと止まった。それだけではない。梁から、白くて細長い何かがぱさりと垂れ下がってきたのである。

 よく見ると、ロープだった。

「え?」

 宮原は、それを凝視した。しっかり見てはいたが、理解ができなかった。

 凝視した一瞬後には、やばい、逃げないといけない、と思い、玄関に走る。

 だが、かかっていない筈の鍵がかかり、ドアが開かない。

 焦りながらも振り返る。

「うわあっ!」

 白い透き通った人が何人も何人も、ゆらゆらと立って、宮原に向かって歩いて来る。

「い、嫌だ、助けて──!」

 ドアを力任せにでも開けようと、ガチャガチャとノブを回し、ドアを叩く。

 脆いガラスでさえも、割れない。

 やがて何かが、肩、腕、足、腰へと巻き付いた。

「ああ……!?」

 体は引きずられ、椅子の上に引き上げられ、ロープが首にかかる。

 見下ろすと、たくさんの白く透き通った人達が、宮原を見上げて笑っていた。

 これが、絶望か。

 それが宮原の、最期の思考だった。


 初夏の山道を、車が走って行く。

「まだ空気が爽やかだなあ」

 御崎みさき れん。元々、感情が表情に出難いというのと、世界でも数人の、週に3時間程度しか睡眠を必要としない無眠者という体質があるのに、高校入学直前、突然、霊が見え、会話ができる体質になった。その上、神殺し、神喰い、神生み等の新体質までもが加わった霊能師であり、キャリア警察官でもある。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

「暑くなるのはアッという間だよぉ」

 町田まちだ なお、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いである。そして、キャリア警察官でもある。

 陰陽課にこの相談が入った時、2チーム共仕事にかかっていたので、僕と直が担当する事になったのだ。

 持ち込んだのは捜査一課で、縊死が相次ぐ廃業したペンションで、また縊死した遺体が見つかったというものだった。

「確認しますが、最後に発見された縊死していた遺体は、都の職員。巡回中に亡くなったんですね」

 訊くと、ハンドルを握っていた担当の捜査員と助手席の捜査員が、同時に頷いた。

「はい。自殺の動機は全く見当たりません」

「その前の遺体は、長く引きこもって鬱状態だったと家族が証言していますので、自殺で間違いないと思いますけど」

「へえ。一ヶ月前にも見付かったばかりなんですねえ」

 直が声を上げる。

「はい。何しろ、首吊りの家ですから。わざわざここへ死にに来る人もいるそうですよ」

「迷惑な話だな」

「だよねえ」

 そう話しているうちに車はどんどん山の中へ進んで行き、やがて、空き家と一目でわかる廃屋に辿り着いた。

「ここです」

 と捜査員が言う前に、僕と直は声を上げていた。

「これはまた凄い数の……」

「参ったねえ……」

 捜査員2人は、片方は数珠を、片方はごましおを握りしめた。



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