第492話 耳(6)母、それぞれ

 それは、最後の強い執念なのか。何も知らずに眠る新生児に、急接近した。

「祓います」

 言いながら、浄力をぶつける。

 安西さんの母親は、歪んだ笑みを浮かべた。


     あいつらにも 絶望を与えてやる

     ざまあみろ


 そして、消えるギリギリの瞬間に、最後の力を振り絞って、新生児を抱いて窓の外に飛ぶ。もう、夕希さんが死んでいる事は思い出し、耳は必要ないとわかっているが、今度は、娘と孫の無念を晴らしたいのだろう。

「きゃああああ!!」

「直!」

「はいよ!」

 麗美さんの悲鳴を聞く前に、僕は窓の外に飛び出し、直は札をきっている。

「係長!?」

 それは桂さんの声か。

 安斎さんの母親の残滓が完全に消える頃には、新生児をキャッチしており、足元に来た直の札を蹴って、病室に戻る。

「あああああ!」

 麗美さんが我が子の無事を確認しに突進してくるのに、子供を抱かせると、今度は桂さんが突進して来た。

「かーかーりーちょーおー!あれだけ、あれっだけ、危ない事はやめて下さいって、言いましたよね?」

「ええ?だって、直がいるからこんなのは危なくないし」

「照れるねえ」

「イエーイ」

 僕と直は、ハイタッチを交わす。

「イエーイ、じゃないですよ、2人共!

 署長がこの頃抜け毛を心配してるの、2人のせいですからね!?」

「……なんかいい札あるか、直」

「毛の生える札かねえ?聞いた事はないねえ。でも、がんばってみようかねえ」

 桂さんはがっくりと肩を落とした。

「まあ、いいです。署長の頭なんてどうでもいいです。俺もこの頃ちょっと慣れちゃって、係長を責められませんしね。ええ。人命優先ですとも」

「ええっと、ごめんねえ?」

「桂さん、ごめん」

 桂さんは、力なく笑った。


 後日、世良さんの件でテレビも週刊誌も賑わった。

『女癖が悪くて、秘書を妊娠させ、それがたまたま第三者に知られたので、遊んで捨てるとか言われないように一応入籍した』

『その妻を、子供の耳の形を理由に難癖をつけて、子供の生まれた日に母子共々放り出した』

『それを知った妻に今度は捨てられた』

『特権階級意識の塊の世良一族の女王様 亡夫も息子も言いなり』

『関係者が語る接待』

『息をするようにセクハラ ひび割れた爽やかなイケメン二世の仮面』

などという見出しや記事がそこら中に踊る。

 おまけに、セクハラの被害者が団結して訴えを起こしたとか。

「もう、当選は無理だな」

 益田さんが鼻で笑う。もう幽霊は出て来ないというので、機嫌がいい。

「安斎夕子さんは、相変わらずですか」

 下井さんは眉を寄せて、心苦しそうだ。

「まあ、全て解決とはなかなかいかないからな。残念だが」

 僕は言いながら、幸せそうな微笑みを浮かべて人形を抱く姿を思い出していた。

「女は強いですね。延原麗美、即、離婚でしょ」

 五日市さんは、お茶を配りながら言う。

「係長は大丈夫ですか。尻に敷かれそうとか、ないですか」

 からかうように黒井さんが言うと、大島さんが、

「逃げ足は鍛えておいた方がいいですかね」

と真面目に言う。

「僕は、こういう風には……でも、怒ったら多分キツイかなあ」

 想像してしまう。

 と、聞き逃さなかった桂さん達が、ズイッと身を乗り出してきた。

「え、何?え?」

「彼女について事情聴取です。

 おい、五日市、取調室空いてるか見て来い」

「はい!」

「下井、リベンジだ。吐かせろ」

「了解です、桂さん」

「係長、覚悟はいいですか」

「面倒臭いなあ」

 何かを吹っ切った桂さんは、手強くなった。




 

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