第470話 新任警部補・町田 直(2)捨てた時計

 被害者である質屋の主人が来る。

 単なる中古ショップだとは思ったが、何となく、ドキドキと期待して待っていた。

「どうも、お世話をおかけしまして」

 現れたのは、本当に、普通のおじさんだった。

 盗られたものの確認をしているそばで、ボクはまだ、その腕時計を気にしていた。

「あのぉ、この腕時計なんですがねえ」

「はい。ああ、これ。女性が持ち込んで来たんですよ。本当はペアウォッチなのに女性用しかないから、値段が下がりますよって言ったんですけど、捨てたいだけだから1円でもいいとかで。失恋とかですかねえ。でも、大体女性は、それはそれ、これはこれで、プレゼントは破局しても使う方が多いんですけどね」

 それに、畑田さんが頷く。

「別れた相手が憎くても、ものには関係ないもの」

 春日さんと耳原さんは驚く。

「ええー。俺は何となくもう持てないな」

「思い出しますからねえ」

「男の方が感傷的なのよね」

 畑田さんが言い、中条さんはぶつぶつと

「どうだろう。貰った事も付き合った事もないからなあ。ううーん」

と考え込んでいた。

「それで、この時計が何か。

 あ、気に入っていただけましたか。ご覧の通り瀟洒なデザインとなっておりまして、女性の手首につけますと、気品と優雅さを醸し出す上品な一品となり、必ずやその女性の美しさを引き出す事でしょう」

 商売人の顔になってセールストークを始める主人に、申し訳ないと思いながら、ボクは言った。

「そういう事ではないんですねえ。すみません。

 これにちょっと霊の気配を感じましてねえ。持ち込んだ方の事をお伺いしたいんですけどねえ」

 全員、黙ってその腕時計を凝視し、一斉に距離を取った。

「係長、うわ、まじですか?」

「と、時々そういう物が持ち込まれる事はありますからね。ええ」

「郡!何とかしなさい!」

「はい!って、どうやって?」

 ボクは笑いながら、

「大丈夫ですよぉ。今は弱いし、そこまで害はないですしねえ。

 ああ。畑田さんが貧血起こしたの、これが軽く気を吸ったせいですからねえ」

「ひええ」

「報告書に記載しておかないと……えええ!?」

 中条さんが奇声を上げた。

「何?」

「報告書が、白紙になってます」

「……本当に書いたの?」

 疑わしそうに春日さんが言うと、中条さんはムキになった。

「書きました!3回書き直して書きました!」

「……それ、どこに置いておいたの」

 御隠居が訊く。

「はい。証拠品と一緒に――あ……」

「つまり、時計と一緒にだな?」

 ボクは皆の視線を集めながら、頷く。

「腕時計のせいだねえ」

「ああ。報告書に使った労力を返して……!」

 中条さんの嘆きは、無視された。


 その腕時計を持ち込んだ人の所へ、ボクと畑田さんで行く事になった。

 買取依頼書によると、東野陽子ひがしのようこ、27歳。職業は接客業。主人は、

「あれは、ホステスさんでしょう」

と言っていた。

 記入された住所にはマンション名が書かれており、行ってみると、賃貸マンションだった。オートロックもないし、管理人も常駐しておらず、そのまま、206号室へ行く。

「ちょっと不用心かしら。まあ、オートロックも安心はできないけど」

「中も、人が少ないですねえ」

 言いながらドアチャイムを鳴らす。

 しばらくして、ドアが開いた。

「はい?」

 出て来たのは、地味な顔立ちの、疲れた感じの女性だった。

「東野陽子さんですね」

「はい」

「麹町警察署の町田と申します」

「畑田と申します」

 バッジを提示し、

「実はこの腕時計の事で、お伺いしたい事がありまして」

と腕時計の写真を見せると、途端に東野さんの顔が不機嫌に強張った。

 中へ通され、改めて向かい合う。

「これはあなたが『ユーズド天国』に持ち込んだものですよね」

 畑田さんが訊く。

「ええ」

「ペアウォッチですね」

 東野さんはキッと畑田さんを睨みつけた。

「ええ、そうよ。昔の別れた恋人と持っていたものよ。あの頃は貧乏で苦労ばかりで彼は夢を追うばかりで現実は見てなくて、それを思い出したくなくて売ったのよ。何か問題でも?」

「いえ、あの、それは別に……」

 こちらはしどろもどろだ。

「その元恋人の方の名前と住所、電話番号をお伺いできますかねえ」

「名前は土浦つちうら ひかる、後は忘れた。駿河大学の天文学教室にいたけど今は知らない。

 これでいいかしら」

 僕達は、追い出されるように部屋を出た。

「彼女、まだ未練たらたらね」

「そうですかぁ?」

「別れて今まで持ってたんでしょ。それに、捨ててもいいのに、『1円でもいいから』って持ち込んでる」

「成程ぉ」

「係長も、女心はまだまだね」

「あはは。恐れ入ります」

 僕達は取り敢えず署に連絡を入れた。

「あ、今ね――」

『大変ですよ、係長!ビックリです!異常です!怖いです!』

 電話口で、中条が喚いた。

「……取り敢えず、戻りましょうかねえ」

 ボクと畑田さんは、急いで署に戻った。



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