第468話 新任警部補・御崎 怜(4)変死者

 署は、夜中だと言うのにザワザワと慌ただしそうだった。

 そう言ったら、

「誰のせいだよ」

と益田さんに舌打ちされた。

「え、僕ですか?」

「立てこもりだけでも大したもんなのに、最近広がって来てたヤクの売人まで急に検挙したんだから、そりゃあ大騒ぎにもなりますよ」

 桂さんに苦笑され、そんなものかと思った。

「そう言えば、一昨日はラブホテルで急性薬物中毒で倒れた女がいたけど、どうなったのかな」

 思い出したように大島さんが言った時、その気配が突然来た。

「……その人って、肩の上までの髪にこうパーマをかけていて、白っぽいワンピースにベージュのパンプスを履いてました?」

 怪訝な顔で、皆がこちらを向く。

「何で知ってるんですか?」

「そこの部屋にそういう霊がすうーっと入って行ったから」

「――!?」

 皆は言葉を失い、ひたすらオロオロするもの、硬直するもの、色々だった。と、

「あ」

益田さんは失神していた。


 霊の入って行った部屋というのは、取調室だった。本格的な聴取は明日になるが、氏名、本籍地くらいは訊いておくし、被疑者としても、弁護士に連絡するなりなんなりが必要な事もある。

 部屋の前に着いたところで、凄い声が中からした。

「ミケーレか!」

 中へ飛び込むと、机の向こう側にミケーレ、こちら側に下井さん、筆記係の席に五日市さんがいたが、3人共、部屋の角に追い詰められて固まっていた。

 彼らの前で睨みつけているのは、ここへ入って行った霊だ。実体化している。

「あの人の名前は?」

 訊くと、桂さんが首を振る。

「不明らしいです」

 僕は、霊に呼びかけた。

「こんばんは。僕は御崎と申します。あなたのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 霊はゆっくりとこちらへ顔を向けた。

 20歳前後の日本人か。少なくともアジア人だ。痩せたモデル体型で、恨めしそうな顔をしているが、かわいいタイプだろう。

「アイ」

「あいさんですか。あなたに起こった事はわかっていますか」

「……仕事をくれるって言うから、ホテルへ行って。そうしたら、そいつが何かを運んで来て、編集長が飲めって。飲んだら死んだ」

 一斉に皆がミケーレを見、ミケーレは狼狽えて必死に片言の日本語で言い訳をする。

「運べ、言われただけ、アルバイト。中、知らない、ホント」

「どうも本当の事のようでしてね。あなたにそれを飲むように指示した編集長って、誰ですか」

 あいさんは雑誌の名前と相手の名前を言い、それを桂さんがメモする。

「精力剤的なものって言ったのに、こいつがきっと、間違えたのよ」

「知らない、ホント、ごめんなさい!あいつらに、雇われた!」

 あいさんはピクリと足を止めた。

「あいつら?」

「山田太郎!」

 あいさんは振り返り、僕は頷いた。

「偽名だな」

「……ばか?」

「ああ……外国人だから、偽名と思わなかった……とか」

 あいさんは思い切り肩透かしを食ったような顔をしていた。

「それ、隣ね。さっき見た」

 ミケーレが余計な事を言って、あいさんの目に憎しみの光が甦る。

「ミケーレェ……」

「はい、何でしょ?」

 力が抜けそうだ。

 あいさんはすうーっと隣へと移動して行き、隣から、悲鳴が上がった。

 僕達は急いで隣へ回る。

「あいさん!?」

 同じような光景だった。こちらの被疑者は、あのクラブで逮捕した外人の内の1人だが。

「クスリを売ったのは、あなた?」

 通じないだろう――と思ったら、流暢な日本語で叫んだ。

「お、俺はビジネスとして、注文が来たから売っただけだ。悪くない。飲ませた男を恨めよ」

 取調べをしていた銃器薬物対策係の刑事が、そんな場合ではないが、ギロリと被疑者を睨んで、

「日本語、上手いじゃないか」

と言い、被疑者はますます青くなった。

「編集長は、精力剤みたいなものって言った。きっと、騙された。お前に」

 あいさんはゆらぁと足を踏み出して被疑者に近付いて行き、被疑者は縮み上がって十字を切った。

 勿論、あいさんに効きはしない。


     お前が 私を 殺した

     おまえも しね シネ シネ


 僕は、スッとあいさんと被疑者の間に立った。

「係長!?」

 桂さんの叫びが響く。

「霊能者として、お相手します。

 あいさん。それ以上は、許せません。こいつは間違いなく起訴し、刑務所に入れますから。あなたはもう成仏しましょう」


     ユルサナイ コイツ ユルサナイ

     

 あいさんは気配をますます濃く、重く、冷たくしていき、手を振り上げて、被疑者に掴みかかろうとする。

 そのあいさんに、浄力を当てる。


     ナンデ ワタシガ

     モデルになって 有名に


 あいさんのまとう気が元に戻って行き、そして、さらさらと崩れるように消えて行く。

 誰かが、溜め息をついた。

「良かった。あのゴーストに殺されるかと思った」

 呟く被疑者に、振り返って言う。

「彼女は成仏しましたが、他にもいるかも知れませんね。あなたの顧客に、あなたを恨む人が」

「死、死んだやつなんて」

「生霊って、知ってます?」

「……!?」

「所在確認のためにも、全部喋った方が安全ですけどね。

 じゃあ、失礼します。お騒がせしました」

 皆と取調べ室を出てドアを閉める前、舌なめずりをしそうな刑事と、絶望的な顔の被疑者が見えた。

 ミケーレの所に戻って取り調べを再開し、続きは後でと廊下に出ると、銃器薬物対策係の係長と眞下さんが待っていた。

「銃器薬物対策係係長の只野警部です」

「強行犯係係長の御崎警部補です」

「今回は随分と世話になりました。やつらを挙げて手柄も譲ってもらった上に、あの、ペラペラと素直に喋る事」

 只野さんと眞下さんは、クスツと笑った。

「いやあ、こちらこそ、お騒がせしまして。立てこもりって聞いて行ってみたら、こんな事になるなんて」

「こんな事って、あるんですよ」

「今度、何かで礼はさせてもらいます」

 只野さんと眞下さんは、笑って片手を上げ、歩いて行った。

「はああ。どうなる事かとヒヤヒヤしましたよ」

 桂さんは大きく溜め息をついた。

「ははは。すみません。霊能師としてなら、この程度はよくある事でしたよ」

「そうなんですか?」

 疑うように下井さんが見て来る。

「あ、そう言えば、益田さんは」

「ああ。失神してましたけど、さっき目が覚めたって黒井さんが」

「益田さん、どうも係長に警戒してると思ったら、お化けがそこまで苦手なせいだったからだなんて」

 桂さんと下井さんが吹き出し、

「わ、笑っちゃだめですよ、下井さん」

「だって、桂さんも」

「ぐふふっ」

「……本当に、へそ、曲げますよ」

「ぷぷぷ、はい」

 大丈夫なんだろうな。

 心配になりながら刑事課の部屋に入った僕は、その気配に足を止め、そちらの方に顔を向けた。

 その先で、直が困った顔をしながら時計を眺めていた。

「係長?」

「面倒臭い事になりそうだな」

 この手の予感は、外れてくれない。





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