第447話 花壇(1)引きこもりと猫
そのマンションを見上げる。
「ここか」
「隣の立派な高そうなやつと、分かり辛いねえ」
ほぼ並んで2つのマンションが建っているが、表にマンション名を示すものが無いので、分かり難い。まあ一目で、片方は高そうだと丸わかりだし、何となく上手くいっているのだろうかとも思うが、ミスの元だ。
庶民向けの方のマンションに入るとすぐに花壇があり、何かを植える予定なのか、柔らかく準備した土があるだけで、まだ何も無い。
その横を通って郵便ポストの入れる側にまわると、郵便受けには部屋番号と名字が書かれていた。
「ああ。こっちのマンションで間違いないよ、直」
「郵便屋さん泣かせだねえ」
言いながら玄関に行き、インターフォンを押す。
『……はい』
「霊能師協会から参りました、御崎と町田と申しますぅ」
『あ、どうぞ』
自動ドアが開いて、僕と直はエントランスへ入る。そして、右側のエレベーターで5階に上がった。
513号室のドアの前に立ち、まずは伺い視る。今の時点では、悪い感じはしない。
ドアフォンを押すと、少し置いて、ドアが開いた。
顔を覗かせたのは顔色の悪い青年で、
「あ、どうぞ」
と言って、さっさと中へ引っ込む。
後について家に入る。どうって事のない、一般家庭に見えた。ただ、薄暗い。
奥のリビングに入ると、隅に、空っぽの猫のエサ皿があった。カーテンが引かれたままで、薄暗いのはそのせいらしい。
「
無表情で、俯きながら頭を軽く下げる。
「霊能師の御崎 怜と申します」
「霊能師の町田 直と申しますぅ」
向かい合ってリビングの座卓に座ると、馬場さんは、ペットボトルのお茶をコップに入れて持って来た。
「ご相談では、猫の霊が現れるという事でしたが」
「はい。飼っていた猫が死んで、その内、幽霊になって家に戻って来たんです。それで、ずっとつきまとって」
今も、白い猫が足元に行儀よく座っている。
「白の?」
「はい。雑種かな。名前はシロリンです」
馬場さんが言うと、猫は馬場さんを見上げてニャアと鳴いた。
「そのシロリンを、成仏させたいという事でいいんですかねえ?」
馬場さんは俯いてボソボソと喋り出した。
「……まあ……。
10年くらい前に拾って、親が事故で死んでからは唯一の家族だったんですけど、老衰で、先月。でも、一週間くらいした時、声がして。あと、エサの箱が倒れて、中が減ってたんで。ああ、シロリンだなあって。
可愛がってたんですけどね。でも、ぼくが就職できなくて引きこもり始めてからは、構ってやらなくなったり、エサを時々切らしてしまったりで、恨まれてるのかなって……」
シロリンは膝に手をかけて、ニャアと鳴いてはこちらを見、馬場さんのルームウェアの袖を噛んで、引く。
動物の言葉はわからないのがもどかしい。
しかし直と目を交わしても、直も、同じ感想を抱いているようだ。
「シロリンは、恨んではいないと思いますが」
「よく懐いていますよねえ」
馬場さんはハッと顔を上げ、僕と直の視線の先を辿って、シロリンのいる辺りを見た。
「怜、見えるようにしようかねえ」
「そうだな」
札を馬場さんに渡す。
「シロリン!」
ニャア。
「ごめんなあ。具合が悪かったのに、外に出る勇気が中々出なくて、病院に行くのが遅くなって」
ニャアア、ニャアアン。
シロリンはタッと窓際に行くと、遮光カーテンの裾を噛んで、引こうとする。
「シロリン?」
だめだとわかると、今度は玄関へ続く廊下に立ち、振り返って鳴く。
ニャア。
「散歩に行きたいのか、シロリン?」
ニャッ。
戻って来て、馬場さんのズボンの裾を噛んで、引く。
「ええ?」
ああ、そうか。
「馬場さん。一緒に外へ出ようと誘っているんですよ」
「え?そうなのか?」
ニャン。
「何で……まさか、引きこもりになった上に1人になったから、心配して?」
ニャン!
「馬場さんが心配で、成仏したくなかったんですねえ」
「シロリン……ごめんなあ!ぼく、外に出るから。ごめんなあ」
馬場さんがわんわんと泣き、直も鼻を啜る。
ああ。ちょっとだけでもシロリンを触りたい。
しかしシロリンは、飼い主の脱引きこもり宣言を聞くと、安心したように一声鳴いて、消えて行った。
「シロリン……!ありがとう」
くそう、触りたかった……!
こうして無事に仕事を終え、僕と直は、マンションを出た。
「いい猫だったねえ」
「毛並みも良かったし、可愛かった。触りたかったなあ」
思い出しながら歩いて花壇の横を通っていると、ひょいと、美里が現れた。
「あら」
「美里?奇遇だな」
「うち、ここよ」
美里が指さしたのは、隣のマンションだった。
「怜と直こそ。仕事?」
「そう。終わったところ」
美里はふと、花壇に目をやった。
「これから植えるのね。何の花か楽しみだわ」
「へえ。美里は花が好きなんだねえ」
「そうねえ……すずらんとか桜とか竜胆とかが好きね。手入れとかはできないから植えないけど」
「ふうん。これから植えるのなら、何の花かな」
「まあ、お楽しみだねえ」
僕達3人は並んで歩き出した。
何の気なしに見た花壇。そこに植わるものが何になるのかなんて、予測できはしなかった。
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