第447話 花壇(1)引きこもりと猫

 そのマンションを見上げる。

「ここか」

 御崎みさき れん、大学4年生。高校入学直前、突然、霊が見え、会話ができる体質になった上、神殺し、神喰い、神生み等の新体質までもが加わった、霊能師である。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。

「隣の立派な高そうなやつと、分かり辛いねえ」

 町田まちだ なお、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。

 ほぼ並んで2つのマンションが建っているが、表にマンション名を示すものが無いので、分かり難い。まあ一目で、片方は高そうだと丸わかりだし、何となく上手くいっているのだろうかとも思うが、ミスの元だ。

 庶民向けの方のマンションに入るとすぐに花壇があり、何かを植える予定なのか、柔らかく準備した土があるだけで、まだ何も無い。

 その横を通って郵便ポストの入れる側にまわると、郵便受けには部屋番号と名字が書かれていた。

「ああ。こっちのマンションで間違いないよ、直」

「郵便屋さん泣かせだねえ」

 言いながら玄関に行き、インターフォンを押す。

『……はい』

「霊能師協会から参りました、御崎と町田と申しますぅ」

『あ、どうぞ』

 自動ドアが開いて、僕と直はエントランスへ入る。そして、右側のエレベーターで5階に上がった。

 513号室のドアの前に立ち、まずは伺い視る。今の時点では、悪い感じはしない。

 ドアフォンを押すと、少し置いて、ドアが開いた。

 顔を覗かせたのは顔色の悪い青年で、

「あ、どうぞ」

と言って、さっさと中へ引っ込む。

 後について家に入る。どうって事のない、一般家庭に見えた。ただ、薄暗い。

 奥のリビングに入ると、隅に、空っぽの猫のエサ皿があった。カーテンが引かれたままで、薄暗いのはそのせいらしい。

馬場春美ばんばはるよしです。よろしくお願いします」

 無表情で、俯きながら頭を軽く下げる。

「霊能師の御崎 怜と申します」

「霊能師の町田 直と申しますぅ」

 向かい合ってリビングの座卓に座ると、馬場さんは、ペットボトルのお茶をコップに入れて持って来た。

「ご相談では、猫の霊が現れるという事でしたが」

「はい。飼っていた猫が死んで、その内、幽霊になって家に戻って来たんです。それで、ずっとつきまとって」

 今も、白い猫が足元に行儀よく座っている。

「白の?」

「はい。雑種かな。名前はシロリンです」

 馬場さんが言うと、猫は馬場さんを見上げてニャアと鳴いた。

「そのシロリンを、成仏させたいという事でいいんですかねえ?」

 馬場さんは俯いてボソボソと喋り出した。

「……まあ……。

 10年くらい前に拾って、親が事故で死んでからは唯一の家族だったんですけど、老衰で、先月。でも、一週間くらいした時、声がして。あと、エサの箱が倒れて、中が減ってたんで。ああ、シロリンだなあって。

 可愛がってたんですけどね。でも、ぼくが就職できなくて引きこもり始めてからは、構ってやらなくなったり、エサを時々切らしてしまったりで、恨まれてるのかなって……」

 シロリンは膝に手をかけて、ニャアと鳴いてはこちらを見、馬場さんのルームウェアの袖を噛んで、引く。

 動物の言葉はわからないのがもどかしい。

 しかし直と目を交わしても、直も、同じ感想を抱いているようだ。

「シロリンは、恨んではいないと思いますが」

「よく懐いていますよねえ」

 馬場さんはハッと顔を上げ、僕と直の視線の先を辿って、シロリンのいる辺りを見た。

「怜、見えるようにしようかねえ」

「そうだな」

 札を馬場さんに渡す。

「シロリン!」

 ニャア。

「ごめんなあ。具合が悪かったのに、外に出る勇気が中々出なくて、病院に行くのが遅くなって」

 ニャアア、ニャアアン。

 シロリンはタッと窓際に行くと、遮光カーテンの裾を噛んで、引こうとする。

「シロリン?」

 だめだとわかると、今度は玄関へ続く廊下に立ち、振り返って鳴く。

 ニャア。

「散歩に行きたいのか、シロリン?」

 ニャッ。

 戻って来て、馬場さんのズボンの裾を噛んで、引く。

「ええ?」

 ああ、そうか。

「馬場さん。一緒に外へ出ようと誘っているんですよ」

「え?そうなのか?」

 ニャン。

「何で……まさか、引きこもりになった上に1人になったから、心配して?」

 ニャン!

「馬場さんが心配で、成仏したくなかったんですねえ」

「シロリン……ごめんなあ!ぼく、外に出るから。ごめんなあ」

 馬場さんがわんわんと泣き、直も鼻を啜る。

 ああ。ちょっとだけでもシロリンを触りたい。

 しかしシロリンは、飼い主の脱引きこもり宣言を聞くと、安心したように一声鳴いて、消えて行った。

「シロリン……!ありがとう」

 くそう、触りたかった……!

 こうして無事に仕事を終え、僕と直は、マンションを出た。

「いい猫だったねえ」

「毛並みも良かったし、可愛かった。触りたかったなあ」

 思い出しながら歩いて花壇の横を通っていると、ひょいと、美里が現れた。

 霜月美里しもつきみさと、若手ナンバーワンのトップ女優だ。演技力のある美人で気が強く、遠慮をしない発言から、美里様と呼ばれている。

「あら」

「美里?奇遇だな」

「うち、ここよ」

 美里が指さしたのは、隣のマンションだった。

「怜と直こそ。仕事?」

「そう。終わったところ」

 美里はふと、花壇に目をやった。

「これから植えるのね。何の花か楽しみだわ」

「へえ。美里は花が好きなんだねえ」

「そうねえ……すずらんとか桜とか竜胆とかが好きね。手入れとかはできないから植えないけど」

「ふうん。これから植えるのなら、何の花かな」

「まあ、お楽しみだねえ」

 僕達3人は並んで歩き出した。

 何の気なしに見た花壇。そこに植わるものが何になるのかなんて、予測できはしなかった。




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