第395話 さかさびな(4)嘆く雛
夜の千代の家の人気の消えたロビーで、雛飾りが落とされたライトの中に佇んでいた。
それが不意に、カタカタと揺れ始める。地震ではない。揺れているのは、男雛と女雛だけなのだから。カタカタが次第に大きくガタガタとなって、辺りの気温が下がる。
雛飾りの近くに座って話をしていた社長と女将さんは、誰でもわかるほどの気配に身を縮めた。
見えない何かが外からロビーへと飛び込んで来るのを感じる。が、それは雛飾りの化粧道具の鏡に反射され、また外へと飛び出していく。
「跳ね返したよう、怜」
直は、僕の目を付けたキーホルダーに向かって言いながら、まだ飛んで来る事に備える。
八千草さんの家の前で待機していた僕の方でも、それを確認していた。八千草さんの家から飛び出した念が千代の家の方へ行き、すぐに戻って来る。
家に念が飛び込んで、数瞬後。八千草さんの家の中から八千草哲二さんのものと思われる凄い声が上がる。
何事かと、近所の人が表に出て来たくらいだ。
「どうかしましたか。失礼しますよ」
一緒に待機していた駐在所の巡査と、玄関へ入る。
と、ムッとするようなすえた臭いが充満していた。
「八千草さん」
巡査が声を掛けるまでもなく、男が転がるように出て来る。
八千草哲二さんなら38歳の筈だが、彼は50代にしか見えなかった。
「た、助けてくれ!」
奥の部屋から気配がしていた。
「かげびなを利用した、逆さびなですね」
「そう、そうだ!」
八千草さんは、ガクガクと頷いた。
祭壇の上の手作りらしい真っ黒な人形が、ふわふわと浮いて、こちらを威嚇しているようだった。
「狭い。表に出て下さい」
言いながら、巡査と八千草さんを背後にかばって外に出る。
黒い人形はゲタゲタと笑い声を上げながら浮いていたが、いきなり突っ込んで来た。それを、右手の刀で2体共斬り捨てる。
人形は白い紙粘土に戻り、中から髪の毛が覗いた。
僕はそれを回収してビニール袋に入れ、家の中へ入って行った。
家は1DK。玄関から入った所がすぐダイニングキッチンになっていて、奥に部屋は1つしかない。祭壇の場所は、探すまでも無かった。
祭壇には供物があり、儀式を行うために見ていたらしい手書きの和綴じ本が放り出されていた。そこを見ると、呪詛を送るやり方が草書体で書かれている。
まあ、儀式は中断し、返しも無事に断ち切ったらしい。
直に電話をかけた。
「こっちも終了。かげびなは斬ったし、逆さびなの儀式が書いてある本も見つけた。押収するから」
喚いている八千草さんに、呪詛の返しで死ぬところだったと言うと、更に逆上した。しかし、巡査に
「殺人にならなくて良かったな。未遂だけど」
と言われると、項垂れて大人しくなった。
すぐに最寄りの霊能師協会に電話を入れ、警官立会いの下、呪術に使用した一切の道具と本を押収し、協会員に手渡した。
翌朝、朝風呂に行こうと皆でロビーに降りると、雛飾りの前で従業員が集まっていた。
「おはようございます。どうかしましたか」
「ああ、おはようございます。あの、お雛様が……」
言われて見ると、人形の頬が一筋濡れていた。まるで、涙を流したように。
「泣いてはるで、お雛さん」
智史が、しんみりと言った。
「見守って来た家のこの事件を、悲しんでるんだね」
「没落しただけじゃなく、八つ当たりで呪詛するんだからなあ」
「子孫の不始末を見てるようなものですか」
真先輩、楓太郎、宗が言い、溜め息をついた。
「千代の家と八千草家を見守って来た雛人形だからなあ。でも、この雛飾りはこのまま大事にしたらいいですよ。千代の家を守るものとして」
「そうだねえ。事態を嘆いてるだけだしねえ」
僕達はそこを離れ、露天風呂に入った。
「人を恨んだり妬んだりって、やっぱり怖いですねえ」
楓太郎がしみじみと言った。
「それに、なまじオカルトに詳しくて、呪詛する方法を知っていたのも不幸でしたね」
宗が付け加え、僕は真先輩に言う。
「とんだ騒ぎになってしまってすみません」
「いいや、とんでもない!いい思い出になったし、いい教訓になったよ!ああ。来て良かった」
心の底からそう言う真先輩に、僕と直は、この人はやっぱりどこか人と違うな、と思う。
「真先輩が、あの日来てくれて良かったです。色々ありがとうございました」
「ははは!それはこっちのセリフだよ。ありがとう。楽しかったよ。
それと、これからもよろしくね、事故物件の時とか」
「ああ、成程。はい。勿論です」
「真先輩、お母さんの後を継ぐんでしたよねえ」
「最初は平社員だけどね。司法修習終わってから」
「今年はいよいよ試験やなあ。落ちたらどないしょう」
智史が頭を掻き、真先輩は余裕で笑う。
「まあ、がんばってね。
怜と直は、公務員試験だね。まあ、しっかりね」
「ああ、それこそ落ちたらどうしよう、直」
「その時は、霊能師としてトップに立つかねえ?」
「ええー、それ、面倒臭い!絶対に面倒臭い!」
「出た!」
楓太郎が吹き出し、皆、つられて笑い出した。
春は、そこまで来ている。
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