第375話 隠しヶ淵(4)命のかたち
女は、淵の向こう側から、水面を滑るようにしてこちらへ近付いて来た。
その間に、直が女から目は離さずに言う。
「昔の好景気の頃までは、この山にため池があったらしいよ。村は、戦後には無くなっていたそうだけどねえ」
「ふうん。これはそのため池か。村が無くなって池も無くなったのか」
女は眉をピクリとさせた。
「淵の神様が復活すれば池が元通りになって、村が戻ります」
「いや、村が無くなったから、必要なくなったため池も無くなったんですよね」
女はイラついたようにこちらを睨みつけると、言葉を継いだ。
「淵の神様の素晴らしさもわからない輩など忌々しいが、淵の神様復活の養分としては申し分ない。我慢して食ってあげましょう」
「何様かな」
「淵の神様の巫女様です。恐れ入りましたか」
僕達は、揃って首を傾けた。
「知ってますか?」
「知らなあい」
「知りませんねえ」
女は本格的に怒ったらしい。地団駄を踏んで、目を吊り上げた。
「バカにしているのですか」
低い声で言って、襲い掛かって来た。腕が緑がかった水の塊のようになり、こちらに伸びる。
それを刀でスッパリと斬り落とすと、そこから先は、ただの水となって地面に広がった。澱んだ水独特の臭いがする。
女の足元から、水草が延びて飛び掛かって来る。それに浄力を当てると、蒸発するように消えて行った。
そして苛々と第2、第3の水の蛇や水草を差し向けて来る女に直の札が貼り付き、巻きついて、女を縛る。
「離せ!無礼者!」
その様子に、山神さんですら怯えていない。咲屋さんは冷静に観察する目だし、徳川さんは、気の毒そうな目を向けている。
「ここに村があってため池があった時は、淵の神様が祀られていて、信仰を集めていたんでしょうね。その後、村は廃村になって、田んぼがなくなったからため池も不必要になって埋め立てられ、淵の神様は消失した。
そして巫女であるあなたはそれに納得がいかず、もう一度神を産み出そうとした。そうですね」
女は、キッとこちらを睨みつける。
「気持ちはわからなくもないが……それで人を襲うのは、看過できませんよ」
「神様が、悲しむねえ」
女は視線を彷徨わせて、唇をかみ、泣き出した。
「では、どうすれば良かったと?私はお世話をする為に、巫女として池にこの身を沈めて捧げた。池こそが、淵の神様こそが、私の全て!」
「え、生贄ですか」
山神さんが言って、一歩下がる。
昔は、何かを祈って生贄を捧げる、というのは、そこまで奇異な事ではなかったようだ。まあ、ありふれているとまでは言わないにせよ。
「じゃあ、次は自分の為に生きたらいいんじゃないですか」
言うと、女は顔を上げた。
「自分の為?」
「まだ、奪ったものはそこにあるでしょう。それを返してくれるなら、祓わずに、お送りしますよ」
直も、うんうんと頷いている。
「……私は、とんでも無い事を……」
「それがわかったなら、大丈夫だねえ」
僕は、女の腹部に腕を突っ込んだ。後ろで、咲屋さんと山神さんが
「え!?」
と声を上げる。それに構わず、ひと塊になったそれを掴んで引っ張り出す。
ああ。3人分が完全に混ざってるなあ。
「申し訳ありませんでした」
女の札を直が外し、僕が女に浄力を当てる。すると女は、光の粒子になって、消えて行った。
「行ったねえ」
「うん。それより、これだよ。完全に3人分の力と生命力が混ざってしまって」
皆でそれを見た。不定形の塊で、アメーバのようにも見える。
「……人は、まず小腸からできるんだってな。それから、脊髄が延びて視床下部ができて、だんだんとヒトの形になっていくとか」
「これ、小腸ですか」
咲屋さんが言い、徳川さんは唸った。
「そう言えばそう見えて来たかも」
「だったら、早くした方がよくないですかねえ。温度が下がるとまずいでしょう?」
「いや、小腸じゃない……と思うけど……神の小腸?これ、ヒトに戻していいのか?」
「れれ怜、それに神威は感じるかねえ?」
「あ、そうか――いや、ないな。これは単に、力と生命力の混ざったものだな」
「よし。安心して戻そう……3等分して押し込むのかな?」
「え……とにかく、3人をここへ集めて下さい」
僕達は初めての事に迷いながらも、作業を急いだ。
病院の廊下で、僕達はグッタリしていた。
3人の行方不明者は完全に意識の無い昏睡状態で、手を並べてその手の上にその塊を乗せたら、塊はするすると3つの手に染み込むようにして消えて行ったのだ。
そこで救急車を呼んで病院へ運び、ヒヤヒヤしながら目が覚めるのを待っていたのである。
結果、混ざり切ったそれは分離できず、少し霊感があった40代の人は、霊感がほぼ無くなり、代わりに元気になったようだ。高校生と大学生は、微かに勘が強くなったようだが、だるくなったらしい。
まあ、若いので体力はすぐに戻るだろうし、勘が強くなったと言っても、ジャンケンが強くなった程度のようで安心した。
「ああ、上手く行って良かった」
心の底から安堵した。
「今回は、対象そのものは非力だったけど、余計な神経を使ったねえ」
直が溜め息をつく。
「お疲れさん。いやあ、3人も無事で何よりだよ。
咲屋君も山神君も、どうだったかな」
「はい。マニュアル化は不可能だし、観測そのものすら、能力がないと難しい。霊的な脅威が高まる昨今を鑑みるに、やはり、霊能師協会を取り込む勢いでないと足りないですね」
「おいおい。防衛省に独占はさせられないよ」
「ははは。山神さんはどうでしたか」
徳川さんの笑顔ながらも目が笑ってない牽制を、咲屋さんはかわした。
「はい。何て言うか、お化けにも事情とか感情とかあって、闇雲に怖がるのはどうかと思いました」
僕は、釘を刺しておく。
「でも、本能のみのやつもいれば、話が通じないのもいる。そういうのは力業になるし、油断とか同情は危険でしかないですからね」
「はい」
「さあ、帰ろうか」
僕達は、喜びの声を上げる被害者家族の声をドア越しに聞きながら、廊下の長いすから立ち上がった。
「あ、報告書お願いね、怜君、直君」
「面倒臭い……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます